士師記 13章
日本から夏季伝道に来ておられる神学大学の学生が、自宅近くに「パンと魚」といういフライヤーをポスティングしてくださいました。夏の暑さもあと数日との予報。秋がそこまで来ているようです。
士師時代のイスラエルは、東はアンモン人から、西はペリシテ人からの脅威にさらされていました。エフタはアンモン人と戦って勝利しましたが、ペリシテ人の脅威に立ち向かうために神が選ばれたのはサムソンでした。
士師の中でサムソンは最も名を知られ、異色な存在。しかも、神は彼が生まれる前からペリシテ人の手からイスラエルを救うための器として定めておられたのです。この箇所には、サムソンの両親の戸惑いと信仰が描かれています。
5節に主の使いのことばがあります。「彼はイスラエルをペリシテ人の手から救い始める。」救い始めるとは、サムソンで完結することではないという意味でしょうか。サムソンに始まるペリシテ人からの解放のわざは、サムソン、サウル、ヨナタンと続き、ダビデによってようやく終結します。
一人で完結する働きもあれば、そうでないものもあります。自分がその働きの完成を見ることができるのだとしたら喜びが湧いてくることでしょう。しかし、そうでなかったとしても、神が始められた働きは受け継がれていくのです。自分がいなければならないというのは時として神のわざを妨げる思い上がりにも通じるのだと、ここから考えました。