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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

王がいなかった

2023年08月29日 | 士師記

士師記 18章

 雨の月曜日、日本で長い間宣教師として働かれた方を訪ねました。驚いたのは、私たちのことを覚えておられ、日本語でいっしょうけんめい話をしようとしておらたことです。心くばりも日本人のよう、いや、日本人以上でした。

 「そのころ、イスラエルには王がいなかった」で、本章は始まります。前章に登場したミカの家、ミカに「雇われた」祭司が、ダン族の割り当て地奪還に巻き込まれます。ダン族はヨシュアの時代に相続地を割り当てられていました。しかし、その地はペリシテ人を追い払うことによって割り当ての地として自分たちの者になるものでした。

 ところが、ダン部族には力が、いや、神に信頼して前に進むという姿勢に欠けていました。そこで彼らは別の所に映ってそこを自分たちの土地とすることを決めました。聖書の地図で確認してみますと、彼らは当初割り当てられていた地からずいぶん北に移り住もうとしたことが分かります。後にイスラエルを指すものとして「ダンからベエル・シェバ」と呼ばれるのは、士師記の時代にダン部族が移り住んだことによるものです。

 そして、彼らの「移住作戦」にミカや祭司が絡みます。ダン部族の偵察隊がミカの家を訪ね、祭司がいることを知り、自分たちの作戦が成功するかどうか、神に伺ってほしいと頼みます。6節に「安心して行きなさい。あなたがたのしている旅は、主がお認めになっています」とあります。

 「にわか祭司」が果たして神に伺ったかどうかはここには何も記されません。もしかしたら、彼は相手が喜ぶことばを伝えようとしたのかもしれません。祭司や偶像を勝利のために奪うダンの者たちといい、神に聞かずに神の名によって安直な約束を伝える祭司といい、自分のために好き放題をする者たちがここに並びます。


自分の目に良いこと

2023年08月28日 | 士師記

士師記 17章

 スイスを訪ねています。ちょうど土曜日から天候が変わり、気温もぐっと下がったそうです。前にも書きましたが、こちらは木の葉の色が秋の到来をより感じさせます。

 17章から後は、士師記では付録の部分だと考えられています。士師が登場しないのが理由です。この箇所には、ミカというエフライム部族の人物とその家族のことが書かれています。ここを読んでいて「おやっ」と思う方は少なくないのではないでしょうか。

 まずミカが母親に、銀1100枚を盗んだことを告白します。ミカは、母親が銀が盗まれた時にのろいの誓いをしたことを恐れて、自分のしたことを告白したのかもしれません。それを聞いた母親は「主が私の息子を祝福されますように」と言います。

 のろいと祝福とは対極にある事柄です。母親は息子が正直に盗みを告白し返したことで、息子のために祝福を主に願ったのでしょう。しかし、盗んだ息子が何のとがめを受けることがなかったこと、母が戻って来た銀の一部を使って偶像を造らせたことに、これで良いのかという疑問が湧いてきます。

 さらに、ミカの家に神の宮があり、祭司が身に着けるエポデやテラフィムを作って、息子を祭司とするなどはあってはならないことでした。そして、出会ったレビ人を祭司にしたことも、そのようにした自分を「主が幸せにしてくださった」と考えるなどということは、かなりずれています。

 そんなゆがみについて、士師記は「自分の目に良いと見えることを行っていた」と説明します。そんな6節のことばを繰り返し声を出して読んでいるうちに、この今の世界についても、このように言えるのだということに気づくのです。


力の秘密

2023年08月26日 | 士師記

士師記 16章1−22節

 今日から火曜日までスイスを訪ねます。今回も一緒に聖書に聴き、祈り合えることを楽しみにしています。

 イスラエルに強い圧力をかけ続けていたペリシテ人の地を一人で訪ねるサムエルの姿は、ペリシテ人たちにとって脅威でした。1節は、さらっと読みすぎてしまうような箇所ですが、ちょっと立ち止まってみましょう。彼は、自分がナジル人として、ペリシテ人を混乱させるためにいるのを前面に出すことなく、自分の興味や関心、欲望のままに行動しています。ガザに行ったのは、遊女と関係を持つため。ガザの人々はサムソンを殺そうと一晩中鳴りを潜めているのですが、そんな彼らの策略をあざ笑うように、サムソンは持ち前の怪力を彼らの前で「披露」して圧倒してしまいます。「かっこいい!」場面かもしれません。

 しかし、そんなサムソンにも危機が訪れます。デリラとの出会いです。デリラはサムソンにとってそれほど魅力に満ちた女性だったのでしょう。サムソンがデリラを愛したことを、ペリシテ人の領主たちはチャンスと考え、デリラを用いてサムソンの力の源を聞き出そうとしました。そうすれば、サムソンなど怖くありません。

 デリラとサムソンとのやりとりが繰り返されますが、ここにはサムソンのデリラへ一途な思いもにじみ出ています。サムソンは自分の力が髪の毛が剃り落とされていないことにあると信じていましたので、デリラへの一つ一つの答えも、弓の弦、綱、そして髪の毛と核心へと近づいていきます。人が罪に誘われる時のやり方はこのようなものだと考えさせられます。そしてついに、彼は自分でずっと考えていた怪力の秘密を打ち明けます。そして、彼は捕らえられ目をえぐり取られてしまいます。

 20節を読むと、彼の怪力の秘密は髪の毛にあったのではなくて、主が彼とともにおられたことにあることが分かります。それでは、22節をどう説明するのでしょうか。このことばは、サムソンが主なる神とのつながりの中にいるようになったということを象徴しているのです。


一人で立ち向かう士師

2023年08月25日 | 士師記

士師記 15章

 ゆっくり歩きの散歩の日々ですが、普段歩きとは違う発見があるのがおもしろいと思いました。気づかないで通り過ぎる垣根にも美しい光景が……。

 15章の終わりに、「こうして、サムソンはペリシテ人の時代に20年間イスラエルをさばいた」とあります。この時代、ペリシテ人の圧力は激しく、イスラエル人はそれを「受容」していたことがサムソンとのやりとりの中から見えてきます。「おまえは、ペリシテ人がわれわれの支配者であることを知らないのか」ということばは、何とも情けなく響きます。

 欲望のまま、気の向くままに行動し、ペリシテ人をかき回し、同胞イスラエル人をはらはらさせるということによって、ペリシテ人の手からイスラエルを「救い始める」のです。

 それとともに、ここにはサムソンの優しさも垣間見えるように思います。サムソンはティムナの女を自分の妻だとなおも思っていました。しかし、妻の父親は彼女が別の男性のものになったと伝え、妹を妻とするように提案します。この時、彼は妻の家に復讐することをしません。さらに、ペリシテ人が妻と父とを火で焼くという残忍なことをしたことに憤ります。

 ペリシテ人からは敵として狙われ、同胞からの支援も得られないサムソンは、一人で立ち向かいます。神はそのために必要な力を彼に与えておられたのです。

 ここにはサムソンの祈りがあります。主は彼の祈りに答えられます。ここからも、サムソンの信仰を読むことができます。


主によること

2023年08月24日 | 士師記

士師記 14章

 先週転倒して怪我をした妻と、久しぶりに買い物に出かけました。歩調はゆっくり。いつもの二倍以上の時間がかかりましたが、このようなウォーキングも良いものだと思いました。

 士師記載後の士師、サムソンの衝撃的な登場がここに記されています。サムソンとはどのような人なのか、ここを読むといくつかのことが浮かんできます。まず彼は自分の欲望を抑えることができません。ティムナの女性に恋をし、両親に結婚したいと伝えます。しかしこの女性はペリシテ人。異邦人との結婚はイスラエル人には許されないこと、しかもサムソンは生まれながらのナジル人なのです。

 当然両親は反対です。しかし結果としてサムソンは結婚を押し通すのです。4節に「彼の父と母は、それが主によることだとは知らなかった」とあります。主はサムソンの結婚を通してペリシテ人と事を起こす機会を求めておられたのです。これはもちろん、神がサムソンの結婚を喜び、認めたということではありません。欲望を押し通そうとするサムソンを用いて、ペリシテ人の圧制からイスラエルを救おうとしておられたのです。

 サムソンの結婚式で起こったのは、普通に読むならありえないこと。謎が解かれたことに憤ったサムソンはアシュケロンの住民三十人を殺し、そこで奪った晴れ着を謎を解いた者たちに与え、父の家に帰ります。このように、彼の結婚はあっという間に終局を迎えるのです。アラアラとんでもない、開いた口がふさがらないとはこのようなことを言うのでしょう。

 私たちの考えをはるかに超えたことを、神はなさるのです。だからといって、サムソンのように生きるのがよいいうことではないのですね。


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