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みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

あなたがたに会う

2024年05月17日 | 出エジプト記

出エジプト記 29章19−46節

 聖書を読むために来宅された方が、大福を持ってこられました。ご自分で作られたとのこと。時々、あんこのお菓子が食べたくなるのは不思議ですね。当地の大きなケーキも好きなのですが…。

 祭司の任職式は七日間続きます。ここでは、祭司の務めを行うために聖別されるために、三つの家畜のささげ物が屠られます。

 10−14節には罪のきよめのささげ物として雄牛が屠られ、祭壇で焼かれることが書かれていました。聖なる神の前に祭司の務めをする者は、自分の罪がきよめられることがなければなりません。15−18節には、全焼のささげ物として1歳の傷のない雄羊が屠られ、祭壇で焼かれなければなりません。これは自分の身を全く神にささげることを表すものでした。

 そして19−28節には「交わりのいけにえ(和解のいけにえ)」として雄羊が屠られ、三種類のパンとともに祭壇で焼かれます。このささげ物の特徴は、肉やパンを祭司が食することにあります。神と祭司とがともに食卓に着くという親しい交わりを象徴しているのです。

 この章の後半、42−46節にある約束のことばに目が留まります。42節には「その場所でわたしはあなたがたに会い、……語る」とあります。聖所は神がイスラエルと会う所なのです。45節には「わたしはイスラエルのただ中に住み、彼らの神となる」とあります。

 私はどこで神に会うのだろうか、どこに行けば神に会うことができるだろうかと考える時、「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」というマタイの福音書最後の主イエスの約束のことばを覚えます。なんと、有り難いことでしょう。


罪人でありながら…

2024年05月16日 | 出エジプト記

出エジプト記 29章1−18節

 スーパーでセロリを購入。ぬか漬けの材料の一つです。以前はセロリは苦手でしたが、むしろ今は独特の風味を楽しむまでになりました。キュウリ、ニンジン、大根、そしてセロリと一つの食器に盛りつけると彩りも楽しむことができますね。

 大祭司と祭司の装束についての詳細な命令に続いて、この章では大祭司、祭司の任職式について、神が命じておられることが記されています。

 アロンとその子どもたちは、何となく祭司職を始めるのではありません。神が定めた手順にそって任職式が行われます。

 9節までで、神はモーセに祭司の任職のために用いるささげ物について命令を与えておられます。それらは、若い雄牛一頭、傷のない雄羊二匹、最良の小麦粉で焼いた三種類の種なしパンです。

 大祭司任職式は、水浴、装束を身にまとう、油を注ぐ、それから罪のきよめのためのささげ物をささげること、前章のささげ物をささげること、という順序で進みます。

 なぜこのようなささげ物が必要かというと、アロンもその子どもたちも祭司としてふさわしい完全な人間ではないから、というのがその理由です。もしもアロンにも、子どもたちにも神が罪なしと認められるのであるならば、任職式はもっと簡潔なものになったはずです。

 罪人でありながら、罪を赦される、そしてその身を神にささげて神のための務めを行うというのは、モーセの時代も今も基本に変化はありません。

 この箇所のどこに、イエス・キリストの姿を見つけることができるでしょうか? というのが本日の課題です。


死ぬことのないように

2024年05月15日 | 出エジプト記

出エジプト記 28章15−43節

 スイスからの帰路、親しくしていただいているご夫妻を訪ねましたら、美味しい丼(どんぶり)とおそばを用意して迎えてくださいました。会話はもう一品のおかずなのですね。ごちそうさまでした! 

 大祭司の装束についての命令が続きます。昨日の本欄で書きましたが、大祭司は、内側から「ももひき」「長服」「青服」「エポデ」「胸当て」の順に身にまといます。そのうちの「ももひき」「長服」まではアロンの子どもたちが務めを行う「祭司」もまといます。さらに大祭司も祭司も、頭に「ターバン」をかぶります。

 31−35節に「青服」を作れという命令があります。その中に35節の「彼が死ぬことのないようにするため」ということばが目に留まります。青服の裾には「ざくろ」と「鈴」をつけます。「ざくろ」とは鈴の間に下げられたざくろの形をした飾り玉のことです。

 ですから、青服を着て大祭司が歩くと鈴とざくろとが揺れ、触れ合って音が出ます。大祭司の務めを幕屋の外の人々は見ることができません。しかし、幕屋の中から聞こえてくる鈴の音によって人々は大祭司が神に仕える務めをしていることを確かめたのです。鈴が鳴っていれば大祭司は生きているということです。つまりそれは、大祭司のささげ物が神に受け入れられたことを表していました。

 「死ぬことのないように」は43節でも繰り返されています。大祭司、祭司の装束がこれほど詳しく述べられているのは、聖い神の前に立つというのが、人間にとってどれほど重大なことなのかを示しています。

 ここから、イエス・キリストを信じて神の子どもとされた者について、ペテロの手紙第一、2章9節は、「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です」と書かれています。死ぬことのないように私たちが身にまとう装束とはどのようなものでしょうか。

 「キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。」ガラテヤ人への手紙3章27節


栄光と美しさ

2024年05月14日 | 出エジプト記

出エジプト記 28章1−14節

 きょうは自宅に戻ります。四日間、滞在先で時間の合間を見つけてはウォーキングを続けることができました。疲れた時に歩くのは気持ちが切り替わる良いきっかけになるのだと、発見しました。

 28章には、幕屋で主に仕える大祭司アロンの装束について、その製作にあたり詳細に命令を与えておられることが記されています。

 1−5節に概要が示されます。主はまず、モーセの兄であるアロンとその子どもたちを祭司とするべきだと命じます。次に、アロンの装束は大祭司として「栄光と美を表す聖なる」ものでなければならないとあります。別の日本語聖書では「威厳と美しさを添える聖なる祭服」とあります。

 大祭司は、民を代表して聖なる神の前に立ち、神に祈るという務めをします。そのための装束は神の栄光を表すものです。「美しさを表す」ということばにについて考えます。このことばを考える際に、この章の後半の「胸当て」作成の記事を思いました。そこには、イスラエル12部族を象徴する12の宝石が織り込まれています。それがどんなに美しいものだっただろうかと、読むたびに想像します。

 週末にあるご家庭を訪ねた折、胸当ての宝石を説明する物を見せてもらいました。美しいものでしたが、実際にはどんなに美しかっただろうか、と想像をふくらませました。

 「美しい」というと容姿を思い浮かべますが、神の前の人のあるべき姿を表しているように思いました。

 しかしそれ以上に、「栄光と美しさ」ということばから、まことの大祭司であるイエス・キリストご自身がどのようなお方なのかを表している、ふさわしい表現であると思ったのです。


血が注がれて礼拝の場に

2024年05月13日 | 出エジプト記

出エジプト記 27章

 日曜日礼拝に行くために、自動車をフェリーに乗せました。わずか15分の船旅でしたが、さわやかな5月の陽気の中、涼風が心地よかったです。昨日は当地でも「母の日」。礼拝に出席していた子どもたちがお母さんのためにカードを作りました。ちょっとのぞき見させてもったら、「だいすき!」と書いてあり、感動しました。

 27章にはまず、幕屋の周囲の庭に置く祭壇と、それに附属するさまざまな備品、用具類を作ることが命じられています。

 礼拝者は自分の罪を家畜のいのちによってきよめられて、はじめて神の前に立つことができました。祭壇は、殺された家畜の血が注がれ、また焼かれる場所です。幕屋の内側の備品類は金で作られたり金がかぶせられたりしましたが、祭壇を初めとする庭の備品類は青銅が用いられました。

 次々と家畜の血が流され殺され、そして焼かれる光景は、礼拝者の心にどのように響いたのでしょうか。私のために神の御子が血を流されたとの思いを常に新たにして、神を礼拝する者でありたいと教えられます。

 幕屋の聖所には、燭台が置かれました。終わりの部分には、燭台のともしびを夜通し灯しておくべきとの命令があります。聖所の中に灯される明かりを外からは見ることができません。

 しかし、聖所を中心として宿営する荒野の民は、夜の間も決して消えることのないともしびによって、また、夜に彼らの上に留まる火の柱によって、神が常に自分たちを守り続けておられることを信じて、安心して床に就くことができたのではないでしょうか。

 さまざまな思い悩みのゆえに夜の眠りが妨げられる方々を、神が守り良き眠りをたまわりますように…。


2011-2024 © Hiroshi Yabuki