あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

小田原の石垣山一夜城歴史公園へ

2007-04-21 23:12:27 | 地図
 再び25℃近くまで気温の上がった今日、再発足した「地図を歩く
会」の第2回例会で、神奈川県小田原市の石垣山一夜城歴史公園
を訪ねました。



 集合は、JR東海道本線早川駅へ11時だったのですが、私は、
途中乗換駅、府中本町駅で予定の南武線に乗れず、1電車遅れて
しまい、11時9分に到着、すでに皆さんは出発後でした。

 駅を出て、小田原方向に少し戻り、東海道本線と東海道新幹線の
ガードをくぐって、南に上がる急斜面にとりつきました。

 新幹線の近くに、曹洞宗の古刹、海蔵寺があることが、持参した
ガイドブックに記されていたので、寄るつもりでしたが、標識が無く、
入口も分からず、ミカン畑に進んでしまったのであきらめました。

 ミカン畑を貫く農道際には、暖かい日差しを受けてタンポポがたく
さん花を見せていました。


 ミカン畑の間の急斜面が続くので、どんどん高度が上がります。


 柿の若葉が、軟らかな新緑を見せていました。
 少し上がって振り返ると、小田原の町並みが現れました。


 ツツジの向こうには、大山や丹沢の山並みも望まれますが、丹沢
の山頂付近は雲で見えません。


 右からの車道に合し、少し上がると国史跡・石垣山一夜城歴史
公園の入口です。

 太い杉木立やスダジイなどの間を上がって、二の丸跡に出ました。
広い芝生地になっていて、歴史探訪やグループできた人などが、昼
食をしていました。

 わがグループの皆さんは見えません。どうやら海蔵寺に寄って
いる間に、私が先に上がってしまったのかも知れません。

 二の丸から、上の本丸跡への斜面にはシャガがたくさん咲いて
いました。本丸跡に上がると、さらに一面シャガのお花畑です。

 石垣山は、東国では最初の総石垣の城で、一夜にした築かれた
というので「一夜城」の名がありますが、実際には約80日は費やし
たと考えられるようです。

 ここに本陣を構えた秀吉が100余日をかけ、東に見下ろせる北条
氏の小田原城攻めをして、天下統一の総仕上げをしたところです。

 本丸跡の東側にある展望台からは、小田原城や小田原の町並み、
そして江ノ島から三浦半島方面に伸びる海岸線がよく見えました。


 二の丸跡に戻り、芝草の真ん中にシートを広げ、昼食にしました。
食べ終える頃、皆さんが上がってきて合流しました。

 昼食を済ませ、もう1度皆さんと本丸跡に上がり、南側に下って
公園の上り口に戻りました。


 帰路は、小田急線入生田(いりゅうだ)駅に向かいます。車道を
少し南に進み、工事中の広域農道に入ります。

 道路際にスダジイの古木が残っていました。かつて神奈川県の
低地ではスダジイのような常緑広葉樹を主体の林が広がっていた
ようです。古代人には、スダジイの実は貴重な食料でした。


 工事中なので車の心配はなく、安心して歩けます。正面に、雲を
被った箱根の二子山が見えてきました。


 北側の斜面は、針葉樹の間に新緑のやわらかな彩りがちりばめ
られています。


 その先で、拡幅中の道路が切れ、旧道沿いとなり、下の杉林を
切り開いて、拡幅工事が続けられています。

 旧道の斜面にホウチャクソウが花を見せています。


 マムシグサやゼンマイなども伸びていました。

 ヘヤピン状に折返して下って行くと、急斜面に茶畑がありました。
1番茶の収穫も間もなく出来そうです。


 その下には、石積みの急斜面にミカン畑が続いています。

 梅畑の梅の実が、かなりふくらんできています。小田原は、梅の
特産地でもあります。

 独特の積み方で丹念に摘んだ石垣に植えてあるのは、シキミの
ようです。


 箱根の芦ノ湖を源とする早川まで下り、国道1号に出て、15時
ころ、小田急線入生田駅に着きました。

(天気 晴、距離 5.5km、地図(1/2.5万) 小田原南部、箱根、
 歩行地 小田原市) 




 

   

 


 

 

 
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする