今日は、カントリーウオークグループの、私とNさんが担当する
6月例会の下見に行く予定でしたが、一昨日までの予報で、雨
が降りそうだったので延期しました。でも雨は降らず、強風が
吹き荒れました。
四国遍路道ふた旅、結願して1番に戻り、一周の輪を結んだ
最終日のレポートです。
==========================
第20日 2007年3月9日(金) 晴
3番金泉寺~1番霊山寺
=四国遍路一周の輪を結ぶ=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=34/9/28.103,134/29/54.511&scale=70000)
6時20分起床、7時朝食、先に出発されるMさんを見送り、
7時50分にJR高徳線板野駅前のばんどう旅館を出る。
板野の町外れに、小さいかやぶき屋根の平屋が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/c3/c0200a9718dc53115289de730b15715c.jpg)
1㎞足らずで3番金泉寺。朱塗りの色鮮やかな山門をくぐる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/0a/194b4a273ebbd7e73bc05929c991a64e.jpg)
前半の遍路初日、昨年11月11日以来、4か月ぶり。境内は、
クスやカシなどの広葉樹が多い。朝早いので、まだ参拝者は
いない。
納経所前に、屋島の平家追討に向かう途中に立ち寄った、
弁慶が持ち上げたという「弁慶の力石」があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/91/ef43d55aa1e8c012a0c6d437e9b900f9.jpg)
境内を東に出て、2番に向かう。県道12号の北を並行する
遍路道、今朝1番を出発した、歩き遍路の方々と次々に行き交
う。若い人、ご夫婦らしいペアなど、いずれも真新しい遍路装束
が目につく。季節がら、花粉除けのマスクをした人も多い。
沿道にはナノハナ、トサミズキやボケなどが花開いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/04/4d79dfaf9438b03ef5e8f25ac4b256dc.jpg)
2㎞あまりで2番極楽寺。やはり山門は朱塗り。樹齢千年を越
すという長命杉に紅白の綱が巻かれ、「…綱を通じて杉の霊気を
受けて下さい」と記されていたので、無事結願を感謝して霊気を
受ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/fb/b9130b1bc441b372c3ca999098ea74d6.jpg)
境内に、安産を祈願したお守りがたくさん下がっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/3a/2dd2dd380b9739920a884a5cc2974c3c.jpg)
東に少しで、ドイツ村公園の案内があった。一度訪ねたいと思
っていたが、今日は時間があるのでよい機会、寄ることにする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b8/5d781c69e422d2f3ba803c7578f46951.jpg)
第1次世界大戦に参加した、当時敵国のドイツ兵士953人が、
俘虜となり、1917年から3年間過ごした坂東俘虜収容所跡。
ベートーベンの第九交響曲日本初演の地としても知られている。
園内には、当時の面影を残すセンダンの大木や、兵舎の基礎
に使われたレンガ積みが、そのまま残っていた。中央にある石
積みの橋は、当時、ドイツ兵士が造ったドイツ橋を模したもの
だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/75/42449361cecec1bccc5f6fc2d64eed1c.jpg)
奥の少し高いところには、日本各地で死亡した85名のドイツ
兵士の合同慰霊碑が立っていた。
東側の県道41号に出て、高松自動車道の北に回り、道の駅・
第九の里鳴門ドイツ館にも寄る。
南側に、鳴門市で少・青年期を過ごしたという賀川豊彦の「鳴門
市賀川豊彦記念館」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/c4/5807615cd9fe86ee4d797b21b2e47a29.jpg)
ほかに、坂東俘虜収容所で兵舎として使われた建物で、国有形
文化財を移築した物産館、白亜の大きなドイツ館などが並んで
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/15/a5250e9c704c1b69f715d5fa612646d9.jpg)
物産館でささやかな土産品を求めるに留め、賀川豊彦記念館と
ドイツ館の入場までの時間はないので省略した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/63/0db651be201de0881cb20dfc54ae1759.jpg)
高松自動車道の側道を進み、大鳥居の立つ大麻比古神社前を
通過し、1番霊山寺に着く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/0e/3767d252e7b4f6789d5d6284b0d98ca5.jpg)
本堂と大師堂に参拝、読経して、無事結願して戻って来られた
ことに感謝、本堂内の納経所にある歩き遍路用のノートに、結願
の記帳をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/7c/8aeabecdd0efb80d386c77d1cf04c370.jpg)
この境内にも、88番大窪寺同様、原爆の火が燃え続けていた。
11時、連絡してあった岡山市のIさんが迎えに来て下さる。
Iさんの車で、鳴門市内を東へ。国道11号に入って瀬戸内に回り、
海鮮料理店で昼食。ハマチ定食を注文する。
この店は2度目、新鮮なハマチの刺身と、たっぷりわかめの入っ
た澄まし汁を味合う。
国道11号沿いの、遍路した足取りを思い出しながら高松市内
まで戻る。フェリー乗り場から、宇野行き宇高フェリーで1時間の
船旅を楽しむ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/4d/f730d7f54d5063e1b9ce2e5bc1b02949.jpg)
トラックが多いようで、船室に上がった乗用車の乗客は、数人
だけだった。
宇野から岡山市内へ向かい、16時過ぎ、Iさん宅に着いた。
Iさんは、私より先に通し打ちで歩き遍路をされている。夕膳に
は、結願を祝っていただき、お赤飯が盛られていた。
遍路の思い出話をしながら、奥さん手作りの盛りだくさんの
夕食をおいしくいただいた。
(コースタイム〉ばんどう旅館7:50ー3番金泉寺7:58~8:20ー2番
極楽寺9:00~20ードイツ村公園9:30~48ー道の駅第九の里鳴門
ドイツ館9:55~10:10ー1番霊山寺10:20~48
(距離 7㎞、地図(1/5万) 川島、徳島、歩行地 板野町、鳴門市、
歩数 12,100)
今回、後半の歩行日程は20日(最終日は半日足らず)、歩行
距離535㎞(1日平均約27.5㎞)だった。 〈後半完〉
6月例会の下見に行く予定でしたが、一昨日までの予報で、雨
が降りそうだったので延期しました。でも雨は降らず、強風が
吹き荒れました。
四国遍路道ふた旅、結願して1番に戻り、一周の輪を結んだ
最終日のレポートです。
==========================
第20日 2007年3月9日(金) 晴
3番金泉寺~1番霊山寺
=四国遍路一周の輪を結ぶ=
6時20分起床、7時朝食、先に出発されるMさんを見送り、
7時50分にJR高徳線板野駅前のばんどう旅館を出る。
板野の町外れに、小さいかやぶき屋根の平屋が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/c3/c0200a9718dc53115289de730b15715c.jpg)
1㎞足らずで3番金泉寺。朱塗りの色鮮やかな山門をくぐる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/0a/194b4a273ebbd7e73bc05929c991a64e.jpg)
前半の遍路初日、昨年11月11日以来、4か月ぶり。境内は、
クスやカシなどの広葉樹が多い。朝早いので、まだ参拝者は
いない。
納経所前に、屋島の平家追討に向かう途中に立ち寄った、
弁慶が持ち上げたという「弁慶の力石」があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/91/ef43d55aa1e8c012a0c6d437e9b900f9.jpg)
境内を東に出て、2番に向かう。県道12号の北を並行する
遍路道、今朝1番を出発した、歩き遍路の方々と次々に行き交
う。若い人、ご夫婦らしいペアなど、いずれも真新しい遍路装束
が目につく。季節がら、花粉除けのマスクをした人も多い。
沿道にはナノハナ、トサミズキやボケなどが花開いていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/04/4d79dfaf9438b03ef5e8f25ac4b256dc.jpg)
2㎞あまりで2番極楽寺。やはり山門は朱塗り。樹齢千年を越
すという長命杉に紅白の綱が巻かれ、「…綱を通じて杉の霊気を
受けて下さい」と記されていたので、無事結願を感謝して霊気を
受ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/fb/b9130b1bc441b372c3ca999098ea74d6.jpg)
境内に、安産を祈願したお守りがたくさん下がっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/3a/2dd2dd380b9739920a884a5cc2974c3c.jpg)
東に少しで、ドイツ村公園の案内があった。一度訪ねたいと思
っていたが、今日は時間があるのでよい機会、寄ることにする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/b8/5d781c69e422d2f3ba803c7578f46951.jpg)
第1次世界大戦に参加した、当時敵国のドイツ兵士953人が、
俘虜となり、1917年から3年間過ごした坂東俘虜収容所跡。
ベートーベンの第九交響曲日本初演の地としても知られている。
園内には、当時の面影を残すセンダンの大木や、兵舎の基礎
に使われたレンガ積みが、そのまま残っていた。中央にある石
積みの橋は、当時、ドイツ兵士が造ったドイツ橋を模したもの
だという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/75/42449361cecec1bccc5f6fc2d64eed1c.jpg)
奥の少し高いところには、日本各地で死亡した85名のドイツ
兵士の合同慰霊碑が立っていた。
東側の県道41号に出て、高松自動車道の北に回り、道の駅・
第九の里鳴門ドイツ館にも寄る。
南側に、鳴門市で少・青年期を過ごしたという賀川豊彦の「鳴門
市賀川豊彦記念館」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/c4/5807615cd9fe86ee4d797b21b2e47a29.jpg)
ほかに、坂東俘虜収容所で兵舎として使われた建物で、国有形
文化財を移築した物産館、白亜の大きなドイツ館などが並んで
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/15/a5250e9c704c1b69f715d5fa612646d9.jpg)
物産館でささやかな土産品を求めるに留め、賀川豊彦記念館と
ドイツ館の入場までの時間はないので省略した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/63/0db651be201de0881cb20dfc54ae1759.jpg)
高松自動車道の側道を進み、大鳥居の立つ大麻比古神社前を
通過し、1番霊山寺に着く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/0e/3767d252e7b4f6789d5d6284b0d98ca5.jpg)
本堂と大師堂に参拝、読経して、無事結願して戻って来られた
ことに感謝、本堂内の納経所にある歩き遍路用のノートに、結願
の記帳をする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/7c/8aeabecdd0efb80d386c77d1cf04c370.jpg)
この境内にも、88番大窪寺同様、原爆の火が燃え続けていた。
11時、連絡してあった岡山市のIさんが迎えに来て下さる。
Iさんの車で、鳴門市内を東へ。国道11号に入って瀬戸内に回り、
海鮮料理店で昼食。ハマチ定食を注文する。
この店は2度目、新鮮なハマチの刺身と、たっぷりわかめの入っ
た澄まし汁を味合う。
国道11号沿いの、遍路した足取りを思い出しながら高松市内
まで戻る。フェリー乗り場から、宇野行き宇高フェリーで1時間の
船旅を楽しむ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/4d/f730d7f54d5063e1b9ce2e5bc1b02949.jpg)
トラックが多いようで、船室に上がった乗用車の乗客は、数人
だけだった。
宇野から岡山市内へ向かい、16時過ぎ、Iさん宅に着いた。
Iさんは、私より先に通し打ちで歩き遍路をされている。夕膳に
は、結願を祝っていただき、お赤飯が盛られていた。
遍路の思い出話をしながら、奥さん手作りの盛りだくさんの
夕食をおいしくいただいた。
(コースタイム〉ばんどう旅館7:50ー3番金泉寺7:58~8:20ー2番
極楽寺9:00~20ードイツ村公園9:30~48ー道の駅第九の里鳴門
ドイツ館9:55~10:10ー1番霊山寺10:20~48
(距離 7㎞、地図(1/5万) 川島、徳島、歩行地 板野町、鳴門市、
歩数 12,100)
今回、後半の歩行日程は20日(最終日は半日足らず)、歩行
距離535㎞(1日平均約27.5㎞)だった。 〈後半完〉
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