2007年4月5日(木)
昨年4月24日以来ほぼ1年ぶりに、私のオリジナルウオーク、
「関東山の辺の道」歩きに出かけた。
「関東山の辺の道」とは、関東平野の周辺の山すそを反時計
回りに歩いてみようという試みである。
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=36/36/52.125,140/5/27.300&scale=500000)
「青春18きっぷ」で、JR武蔵野線 新秋津駅から水戸線下館
駅まで行き、さらに真岡(もおか)鐵道に乗換え、無人の北山駅
で下車した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a3/921a9f8e1b1ec1b87b6a4503ae91c98c.jpg)
駅の北を走る国道294号を横断、民家の間の細道に入る。
麦畑と広葉樹や杉、ヒノキ林の間を北に向かう。ウグイスがさえ
ずるが、日陰はヒンヤリとする。
500mほどで左からの車道に出て、さらに北へ。田んぼや畑の
間に民家の点在する道で、車も少ない。麦畑の向こうの林の縁に
雄キジが歩いていた。
東京電力清水変電所横を通過、国道121号を横断し、小田井
の集落を抜ける。道路際にスイセンがたくさん咲き、ナノハナも
花盛り。畑の隅にツバキ、桜、ハクモクレンが並んで咲き競う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/d7/920d94400c2ca4459c63737340360247.jpg)
麦畑が増え、上清水の集落に入り、星宮神社に寄る。真岡市
から市貝町に入って最初の集落、鴻之宿には、りっぱな長屋門
を構えた家が2戸あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/76/4e8a44acd90f7b8db986950481a656ad.jpg)
麦畑や雑木林の多い、静かな道をさらに北に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a4/e005ad8d07fd1b7b14a3f0991ab57b39.jpg)
車の多い国道123号を横断した辺りから、左手に、昨日冠雪
したのか、白い山容を見せる男体山や日光連山が少し霞んで見
える。
さらに1.5㎞ほど先の広葉樹林で、キジが歩くのが見えた。
南西から北東に走るT字路に合し、北西側の麦畑の向こうに、
花王栃木工場の大きな建物が望まれる。ハガ工業所の先の変
則十字路から、県道255号へ。歩道のある広い通りとなった。
この辺りは芳賀町となる。
上野原交差点の先で、上野原緑地公園のグランド横を通過し、
北側の稲荷神社に寄る。数mの盛り土の上にあり、この地が
前方後円墳の二子塚古墳であることが記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/0a/897e93210fc94fb5b333a0dc993e4ae8.jpg)
すぐ先、赤坂で南東から北西に走る車道の横断点、北に向かう
行く手の道すじに「立街道」の表示があった。
間もなくの右側一帯は、栃木県畜産試験場。総面積27.4ha、
建物面積13.7haあり、研究用飼育家畜は肉牛、豚、鶏と表示
されていた。正門への道のソメイヨシノは3分咲きくらいか。
正午を過ぎたので、近くにあった芳賀町総合運動公園のベンチ
で昼食とする。広いグランドは4面の野球場になっていた。
南郷と稲毛田の交差点を通過、稲毛田の来迎寺に2本のしだれ
桜が花開いていたので立ち寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/53/6c212f228e57ef80d51dfe7fab6d8ce6.jpg)
法事から一時戻ったご住職が居られ、『この寺が「檸檬のころ」
という映画のロケ地になり、来る人が増えた』とのことだった。
芳賀秩父観音2番札所で、小さい山門の前に、安永3年(1774)
銘の二十三夜塔が22基並んでいた。
近くにかやぶき屋根の民家が1戸残り、その先のY字路の左手
に、広い境内の崇真寺があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/2f/97cdca858b52dc901073ba9a8e91c6b4.jpg)
満開近いしだれ桜やソメイヨシノが10数本あり、境内は桜に彩
られている。一番見事なしだれ桜は、町天然記念物に指定されて
いた。南側から撮影が出来ず、逆光で色がいまひとつなのが残念。
不動堂に祭られた不動明王は、大同2年(807)、弘法大師一夜
の作と伝えられ、それにまつわる民話から、犬切不動と呼ばれ、
60に一度開帳されるという。
Y字路の間には、坂上田村麻呂が蝦夷を平定後の、同じ大同
2年、この地の安定を祈願して創立したという八雲神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a3/07cf6749a3857c2d9d3ba81fdd063b2e.jpg)
右側の神楽殿では、年3回、慶長年間(1596~)に創起された
という太々神楽(だいだいかぐら)が奉納されるという。
社殿の背後は太い杉を中心に、町天然記念物で樹齢300年
というケヤキの大木や、エノキの大樹が立つ。
立街道の延長、神社の左手の道を進むと、周辺は開花目前の
梨畑が増え、その間に麦畑が点在する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f7/2fb419bd4e333abf4a659a3c47d198c5.jpg)
芳志戸の集落に入り、杉木立に囲まれた星宮神社で小休止。
西側には、ヌカ塚古墳と浅間城古墳が並んでいる。
西側が段丘下の田園地帯となり、市の掘用水路沿いとなる。
広々とした展望が開け、男体山や日光連山の北に、那須連峰も
見えてきた。
段丘側に杉林に囲まれた一角があり、般若寺跡と記されて
いた。弘仁11年(820)弘法大師の開創、広大な伽藍が建立
されていたが、明治35年(1902)にことごとく焼失したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/57/2687923d2a6887c8e710f006db541c21.jpg)
杉木立の最北部に、江戸幕府10代将軍徳川家治の五輪塔
形納経塔や、8代将軍吉宗の二男、田安宗武の宝塔形納経塔
があり、由緒ある寺だったことが推察される。
その北側には、5世紀頃の古墳と見られる浅間山古墳が
残っている。
台八ツ木集落を過ぎ、芳賀町から高見沢町に入り、用水路は
左に分かれる。太陽が西に傾き、那須連山がよく見えるように
なった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/96/e65aa504dbb35a6c2bb964e38bc317f1.jpg)
最初の集落、宿には、大きなしだれ桜とソメイヨシノが花開く
大安寺があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/54/f7224ecf6c71233870ad46017ec3e9e0.jpg)
ナノハナが咲き、大きなこいのぼりが泳ぐ集落を進み、台地
上にある「高根沢町元気あっぷむら」に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/67/5276097e94a6331427eaa7391b63b007.jpg)
新しい施設のようで、若木の色濃いしだれ桜と、その上に
泳ぐこいのぼりが青空に映える。
大きな日帰り入浴施設のある本館を中心に、手打ちうどんや
そばなどのレストラン、農産物直売所、宿泊施設などが並んで
いる。高台なので、西側の展望がよい。
北側を走る車道を東北に上がって、台地上に出る。亀梨の
妙福寺にも桜が2本あったが、花は4分咲きくらいだろうか。
見ごろは数日先になりそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/17/a282a4bc548ee6d577787ab650c93964.jpg)
熊野、星の宮、山の神の3つの神社が合併したという三神社の
先で再び台地下に下り、田んぼとの境界を走る車道を飯室から
本郷へと進む。
JR烏山線沿いに走る県道10号に出て西に向かい。17時48
分に仁井田駅に着いた。
18時10発宇都宮行きに乗り、大宮駅構内で夕食を済ませ、
21時過ぎ帰宅した。
(天気 快晴後晴、距離 28㎞、地図(1/2.5万) 真岡、祖母井、
仁井田、歩行地 栃木県真岡市、市貝町、芳賀町、高根沢町)
昨年4月24日以来ほぼ1年ぶりに、私のオリジナルウオーク、
「関東山の辺の道」歩きに出かけた。
「関東山の辺の道」とは、関東平野の周辺の山すそを反時計
回りに歩いてみようという試みである。
「青春18きっぷ」で、JR武蔵野線 新秋津駅から水戸線下館
駅まで行き、さらに真岡(もおか)鐵道に乗換え、無人の北山駅
で下車した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a3/921a9f8e1b1ec1b87b6a4503ae91c98c.jpg)
駅の北を走る国道294号を横断、民家の間の細道に入る。
麦畑と広葉樹や杉、ヒノキ林の間を北に向かう。ウグイスがさえ
ずるが、日陰はヒンヤリとする。
500mほどで左からの車道に出て、さらに北へ。田んぼや畑の
間に民家の点在する道で、車も少ない。麦畑の向こうの林の縁に
雄キジが歩いていた。
東京電力清水変電所横を通過、国道121号を横断し、小田井
の集落を抜ける。道路際にスイセンがたくさん咲き、ナノハナも
花盛り。畑の隅にツバキ、桜、ハクモクレンが並んで咲き競う。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/d7/920d94400c2ca4459c63737340360247.jpg)
麦畑が増え、上清水の集落に入り、星宮神社に寄る。真岡市
から市貝町に入って最初の集落、鴻之宿には、りっぱな長屋門
を構えた家が2戸あった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/76/4e8a44acd90f7b8db986950481a656ad.jpg)
麦畑や雑木林の多い、静かな道をさらに北に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/a4/e005ad8d07fd1b7b14a3f0991ab57b39.jpg)
車の多い国道123号を横断した辺りから、左手に、昨日冠雪
したのか、白い山容を見せる男体山や日光連山が少し霞んで見
える。
さらに1.5㎞ほど先の広葉樹林で、キジが歩くのが見えた。
南西から北東に走るT字路に合し、北西側の麦畑の向こうに、
花王栃木工場の大きな建物が望まれる。ハガ工業所の先の変
則十字路から、県道255号へ。歩道のある広い通りとなった。
この辺りは芳賀町となる。
上野原交差点の先で、上野原緑地公園のグランド横を通過し、
北側の稲荷神社に寄る。数mの盛り土の上にあり、この地が
前方後円墳の二子塚古墳であることが記されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/0a/897e93210fc94fb5b333a0dc993e4ae8.jpg)
すぐ先、赤坂で南東から北西に走る車道の横断点、北に向かう
行く手の道すじに「立街道」の表示があった。
間もなくの右側一帯は、栃木県畜産試験場。総面積27.4ha、
建物面積13.7haあり、研究用飼育家畜は肉牛、豚、鶏と表示
されていた。正門への道のソメイヨシノは3分咲きくらいか。
正午を過ぎたので、近くにあった芳賀町総合運動公園のベンチ
で昼食とする。広いグランドは4面の野球場になっていた。
南郷と稲毛田の交差点を通過、稲毛田の来迎寺に2本のしだれ
桜が花開いていたので立ち寄る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/53/6c212f228e57ef80d51dfe7fab6d8ce6.jpg)
法事から一時戻ったご住職が居られ、『この寺が「檸檬のころ」
という映画のロケ地になり、来る人が増えた』とのことだった。
芳賀秩父観音2番札所で、小さい山門の前に、安永3年(1774)
銘の二十三夜塔が22基並んでいた。
近くにかやぶき屋根の民家が1戸残り、その先のY字路の左手
に、広い境内の崇真寺があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/2f/97cdca858b52dc901073ba9a8e91c6b4.jpg)
満開近いしだれ桜やソメイヨシノが10数本あり、境内は桜に彩
られている。一番見事なしだれ桜は、町天然記念物に指定されて
いた。南側から撮影が出来ず、逆光で色がいまひとつなのが残念。
不動堂に祭られた不動明王は、大同2年(807)、弘法大師一夜
の作と伝えられ、それにまつわる民話から、犬切不動と呼ばれ、
60に一度開帳されるという。
Y字路の間には、坂上田村麻呂が蝦夷を平定後の、同じ大同
2年、この地の安定を祈願して創立したという八雲神社がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/a3/07cf6749a3857c2d9d3ba81fdd063b2e.jpg)
右側の神楽殿では、年3回、慶長年間(1596~)に創起された
という太々神楽(だいだいかぐら)が奉納されるという。
社殿の背後は太い杉を中心に、町天然記念物で樹齢300年
というケヤキの大木や、エノキの大樹が立つ。
立街道の延長、神社の左手の道を進むと、周辺は開花目前の
梨畑が増え、その間に麦畑が点在する。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f7/2fb419bd4e333abf4a659a3c47d198c5.jpg)
芳志戸の集落に入り、杉木立に囲まれた星宮神社で小休止。
西側には、ヌカ塚古墳と浅間城古墳が並んでいる。
西側が段丘下の田園地帯となり、市の掘用水路沿いとなる。
広々とした展望が開け、男体山や日光連山の北に、那須連峰も
見えてきた。
段丘側に杉林に囲まれた一角があり、般若寺跡と記されて
いた。弘仁11年(820)弘法大師の開創、広大な伽藍が建立
されていたが、明治35年(1902)にことごとく焼失したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/57/2687923d2a6887c8e710f006db541c21.jpg)
杉木立の最北部に、江戸幕府10代将軍徳川家治の五輪塔
形納経塔や、8代将軍吉宗の二男、田安宗武の宝塔形納経塔
があり、由緒ある寺だったことが推察される。
その北側には、5世紀頃の古墳と見られる浅間山古墳が
残っている。
台八ツ木集落を過ぎ、芳賀町から高見沢町に入り、用水路は
左に分かれる。太陽が西に傾き、那須連山がよく見えるように
なった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/96/e65aa504dbb35a6c2bb964e38bc317f1.jpg)
最初の集落、宿には、大きなしだれ桜とソメイヨシノが花開く
大安寺があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/54/f7224ecf6c71233870ad46017ec3e9e0.jpg)
ナノハナが咲き、大きなこいのぼりが泳ぐ集落を進み、台地
上にある「高根沢町元気あっぷむら」に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/67/5276097e94a6331427eaa7391b63b007.jpg)
新しい施設のようで、若木の色濃いしだれ桜と、その上に
泳ぐこいのぼりが青空に映える。
大きな日帰り入浴施設のある本館を中心に、手打ちうどんや
そばなどのレストラン、農産物直売所、宿泊施設などが並んで
いる。高台なので、西側の展望がよい。
北側を走る車道を東北に上がって、台地上に出る。亀梨の
妙福寺にも桜が2本あったが、花は4分咲きくらいだろうか。
見ごろは数日先になりそうだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/17/a282a4bc548ee6d577787ab650c93964.jpg)
熊野、星の宮、山の神の3つの神社が合併したという三神社の
先で再び台地下に下り、田んぼとの境界を走る車道を飯室から
本郷へと進む。
JR烏山線沿いに走る県道10号に出て西に向かい。17時48
分に仁井田駅に着いた。
18時10発宇都宮行きに乗り、大宮駅構内で夕食を済ませ、
21時過ぎ帰宅した。
(天気 快晴後晴、距離 28㎞、地図(1/2.5万) 真岡、祖母井、
仁井田、歩行地 栃木県真岡市、市貝町、芳賀町、高根沢町)