あるきメデス

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関東山の辺の道(9) 真岡市北山~高根沢町文挟

2007-04-10 12:58:20 | 関東山の辺の道
 2007年4月5日(木) 

 昨年4月24日以来ほぼ1年ぶりに、私のオリジナルウオーク、
「関東山の辺の道」歩きに出かけた。

 「関東山の辺の道」とは、関東平野の周辺の山すそを反時計
回りに歩いてみようという試みである。



 「青春18きっぷ」で、JR武蔵野線 新秋津駅から水戸線下館
駅まで行き、さらに真岡(もおか)鐵道に乗換え、無人の北山駅
で下車した。


 駅の北を走る国道294号を横断、民家の間の細道に入る。
麦畑と広葉樹や杉、ヒノキ林の間を北に向かう。ウグイスがさえ
ずるが、日陰はヒンヤリとする。

 500mほどで左からの車道に出て、さらに北へ。田んぼや畑の
間に民家の点在する道で、車も少ない。麦畑の向こうの林の縁に
雄キジが歩いていた。

 東京電力清水変電所横を通過、国道121号を横断し、小田井
の集落を抜ける。道路際にスイセンがたくさん咲き、ナノハナも
花盛り。畑の隅にツバキ、桜、ハクモクレンが並んで咲き競う。


 麦畑が増え、上清水の集落に入り、星宮神社に寄る。真岡市
から市貝町に入って最初の集落、鴻之宿には、りっぱな長屋門
を構えた家が2戸あった。


 麦畑や雑木林の多い、静かな道をさらに北に向かう。


 車の多い国道123号を横断した辺りから、左手に、昨日冠雪
したのか、白い山容を見せる男体山や日光連山が少し霞んで見
える。

 さらに1.5㎞ほど先の広葉樹林で、キジが歩くのが見えた。

 南西から北東に走るT字路に合し、北西側の麦畑の向こうに、
花王栃木工場の大きな建物が望まれる。ハガ工業所の先の変
則十字路から、県道255号へ。歩道のある広い通りとなった。
この辺りは芳賀町となる。

 上野原交差点の先で、上野原緑地公園のグランド横を通過し、
北側の稲荷神社に寄る。数mの盛り土の上にあり、この地が
前方後円墳の二子塚古墳であることが記されていた。


 すぐ先、赤坂で南東から北西に走る車道の横断点、北に向かう
行く手の道すじに「立街道」の表示があった。

 間もなくの右側一帯は、栃木県畜産試験場。総面積27.4ha、
建物面積13.7haあり、研究用飼育家畜は肉牛、豚、鶏と表示
されていた。正門への道のソメイヨシノは3分咲きくらいか。

 正午を過ぎたので、近くにあった芳賀町総合運動公園のベンチ
で昼食とする。広いグランドは4面の野球場になっていた。

 南郷と稲毛田の交差点を通過、稲毛田の来迎寺に2本のしだれ
桜が花開いていたので立ち寄る。

 法事から一時戻ったご住職が居られ、『この寺が「檸檬のころ」
という映画のロケ地になり、来る人が増えた』とのことだった。

 芳賀秩父観音2番札所で、小さい山門の前に、安永3年(1774)
銘の二十三夜塔が22基並んでいた。

 近くにかやぶき屋根の民家が1戸残り、その先のY字路の左手
に、広い境内の崇真寺があった。

 満開近いしだれ桜やソメイヨシノが10数本あり、境内は桜に彩
られている。一番見事なしだれ桜は、町天然記念物に指定されて
いた。南側から撮影が出来ず、逆光で色がいまひとつなのが残念。

 不動堂に祭られた不動明王は、大同2年(807)、弘法大師一夜
の作と伝えられ、それにまつわる民話から、犬切不動と呼ばれ、
60に一度開帳されるという。

 Y字路の間には、坂上田村麻呂が蝦夷を平定後の、同じ大同
2年、この地の安定を祈願して創立したという八雲神社がある。

 右側の神楽殿では、年3回、慶長年間(1596~)に創起された
という太々神楽(だいだいかぐら)が奉納されるという。 

 社殿の背後は太い杉を中心に、町天然記念物で樹齢300年
というケヤキの大木や、エノキの大樹が立つ。

 立街道の延長、神社の左手の道を進むと、周辺は開花目前の
梨畑が増え、その間に麦畑が点在する。


 芳志戸の集落に入り、杉木立に囲まれた星宮神社で小休止。
西側には、ヌカ塚古墳と浅間城古墳が並んでいる。

 西側が段丘下の田園地帯となり、市の掘用水路沿いとなる。
広々とした展望が開け、男体山や日光連山の北に、那須連峰も
見えてきた。

 段丘側に杉林に囲まれた一角があり、般若寺跡と記されて
いた。弘仁11年(820)弘法大師の開創、広大な伽藍が建立
されていたが、明治35年(1902)にことごとく焼失したという。

 杉木立の最北部に、江戸幕府10代将軍徳川家治の五輪塔
形納経塔や、8代将軍吉宗の二男、田安宗武の宝塔形納経塔
があり、由緒ある寺だったことが推察される。

 その北側には、5世紀頃の古墳と見られる浅間山古墳が
残っている。

 台八ツ木集落を過ぎ、芳賀町から高見沢町に入り、用水路は
左に分かれる。太陽が西に傾き、那須連山がよく見えるように
なった。



 最初の集落、宿には、大きなしだれ桜とソメイヨシノが花開く
大安寺があった。


 ナノハナが咲き、大きなこいのぼりが泳ぐ集落を進み、台地
上にある「高根沢町元気あっぷむら」に入る。

 新しい施設のようで、若木の色濃いしだれ桜と、その上に
泳ぐこいのぼりが青空に映える。

 大きな日帰り入浴施設のある本館を中心に、手打ちうどんや
そばなどのレストラン、農産物直売所、宿泊施設などが並んで
いる。高台なので、西側の展望がよい。

 北側を走る車道を東北に上がって、台地上に出る。亀梨の
妙福寺にも桜が2本あったが、花は4分咲きくらいだろうか。
見ごろは数日先になりそうだ。


 熊野、星の宮、山の神の3つの神社が合併したという三神社の
先で再び台地下に下り、田んぼとの境界を走る車道を飯室から
本郷へと進む。

 JR烏山線沿いに走る県道10号に出て西に向かい。17時48
分に仁井田駅に着いた。

 18時10発宇都宮行きに乗り、大宮駅構内で夕食を済ませ、
21時過ぎ帰宅した。

(天気 快晴後晴、距離 28㎞、地図(1/2.5万) 真岡、祖母井、
 仁井田、歩行地 栃木県真岡市、市貝町、芳賀町、高根沢町)
コメント (2)
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