魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

超高齢者

2013年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

東日本大震災から2年経ってしまった。
被災者は、記憶が風化して自分達のことが忘れられて仕舞うのではないかと心配している。
それは絶対にそんなことはない。被災しなかった地域の日本人も、いまだに、身内から被災者が出たような気持ちで過ごしている。

風化しているかのアンケートに、60%以上の人が「風化している」と答えた。これこそが風化していない証拠だ。
風化していないと思う人は言うまでもなく、風化していると感じている人の目には、当時と比べての状況の変化が映るのであって、それが、これで良いのかと思うからこそ、風化していると意識するのだ。

確かに、2年も経てば、話題としては減ってきている。しかし、だからと言って、日本人が忘れているわけではない。震災の話題が出るたびにあの日の衝撃が心をゆさぶる。
そして、あの当時思ったように、一人一人が、自分の持ち場で頑張ろうと、心を新たにしているのではなかろうか。

全国の人が気に掛けているにもかかわらず、被災地の人がいまだに救われない状況にあるのは、政治の責任、と言うより、日本の姿、体質の問題だ。
膠着化した中央集権と産業構造が、誰でも解る、誰でもできることの手足を縛っている。

災害列島の住民はどんな大きな災害も、それぞれの地域で、それなりに復興してきた歴史を持っている。もし、地元の人間が自分達の智恵で復興しようとするなら、現実的で優れた方法が見つかるだろう。

そして、他地域からの善意が、そこに加えられるのであれば、隔絶された古代とは違い、圧倒的な回復力を持つはずだ。
これだけ裕福な国で、いまだに復興が、ほとんど手つかずの状態にあるのは、中央集権の「国家機構の人災」に苦しめられているからだ。

この動きの取れない状況は、原発問題も含め、日本国家という、明治以来150歳の高齢者が死を迎える時まで、改まらないのではなかろうか。