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占いという もう一つの眼

京の住所

2013年03月03日 | 京都&ケンミン文化

京都の住所は古代の人の名前のように(景行天皇=おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)だらだらと長く、そのまんま説明だが、漢字の地名にも古代人の言語感覚がそのまま残っているようだ。
地名とは、「位置を表す記号」だと思っている現代人は、混乱する。

京都府京都市上京区烏丸丸太町・・・など、「丸丸」分からない。
初めて京都に来た人が、バスで、「次は~河原町丸太町です」のアナウンスに、『エッ?、ここはどこ???河原町なの?丸太町なの?』と、慌てていた。

京都の地名は、大路、小路、通りや筋の交差点で表す。この東西南北の通りを、東に入り、西に入り、北に上がり、南に下がる。
「河原町丸太町」は、河原町通りと丸太町通りの交差点界隈を意味する。

さらに、この古来からの地名に、現代の位置認識である地名が加わり、番地が付く。
長い住所は特に、京都でも古い地域の上京区に多く、例えば
・京都府京都市上京区寺町通今出川下ル1筋目西入真如堂突抜町(番地)と続く。
現代人の感覚で言えば、せいぜい
・京都府京都市上京区真如堂突抜町(番地)
で充分だと思うのだが、そうはいかないのが京都だ。

京都の子が、他府県の古い土地に住む子と結婚しようとしたところ、住所を聞いたお母さんが、
「おかしいこんな住所など有るわけがない。これは偽の番地か、人の住む地名ではない」
と言い張って、結婚に反対したそうだ。

まあ、こういう地名の仕組みもさることながら、長い歴史の中で、色々な経緯が生まれ、それがまた地名として、今もそのまま使われているから、「車折」など、何とも奇妙な地名も少なくない。

京都の中心、京都御所の横には、平安女学院があるが、北側は「下立売通」に面し、その突き当たりを上がると、幕末史に名高い「蛤御門」がある。「シモダチ売&ハマグリ御門」は、何とも由緒ある気恥ずかしい名前だ。
子供の時から聞いている京都の人は、まったく不思議に思わない。
下立売通りがあるからには、当然、中立売、上立売もあるが、朝立売は無い。

下立売通りはさらに、京都府庁、京都府警に面しているが、どういうワケか、府警は同居する警察署を「下立売署」とは呼ばず、わざわざ「中立売署」と呼んでいた。近年その署も廃止された。
ちなみにその府警の住所は、下立売通りを挟んで、各々
・京都府京都市上京区新町通下長者町角藪之内町
・京都府京都市上京区下立売通座東入之内町(これも何だか)

京都の人は何とも思っていないと言えば、
今は無くなったが、京都の東、山科から一号線で京都に下りて行く道の正面のビルに、「ようこそ京都へ」と言わんばかりに、
巨大な字で、<おまん>と書いてあり、東京から来る人が、ドッと沸くポイントだった。
当時、京都の人には、沸くワケが全く解らなかった。
とにかく近頃は、テレビやネットで、文化が均質化してしまったようで、京都の人でも近頃は、「おまんじゅう」と言うようになった。さみしいことである。