魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

願わくば

2013年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

今年の桜は、2002年以来の早い開花だそうだ。
いつか、ものすごく早く咲いたことがあったなあ、と思っていたら、もう10年以上も経っていた。

高三の担任は大学出たてで、父兄が抗議したほど若かった。
年が5歳ほどしか違わないのに、同窓会で、「あと何回桜が見えるか」などと言うので、同窓生一同が笑った。

その後、やはり異例の早さで、校長になったが、在任中に癌で亡くなった。それがこの年だったことを思い出した。
始めから終いまで、先生とは呼ばずに「君」と呼んでいた。

願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃  西行

近年、桜を題材にした歌が大流行で、桜が一年中咲いているんじゃないかと思うほど、いささか食傷気味で、むしろ、一青窈の「ハナミズキ」が新鮮に思えた。

日本人は昔から、一年の2%程しか咲かない桜に、一年を掛けているような生活をしている。
それが何故なのか、どうなのか、さんざんに語り尽くされていることを、今さら語るほどの度胸はないが、占いの立場から、少しだけなら許されるかも知れない。

桜は魚座だ。魚座は「夢」を意味する。夢のような人生は「儚い」。
日本人が桜に魅入られるのは、儚さを知り、儚さを愛でる文化だから
・・・そういうことだろうか。