いよいよと言うか、とうとうと言うか、3月に入った。
年明けの3ヶ月は短く感じる。確かに2月は短いが、1、3月は31日だから、他の四半期と、そう変わりはないのだが、何故か早い。
行事の多さや、年度末の慌ただしさに加え、陽気の変化も激しくて、あれよあれよという間に、桜が咲いてしまう。
葬儀にまつわる煩雑さが、悲しみを忘れさせるように、行事の多さは、冬の寒さに耐える智恵なのかも知れない。
3月1日、韓国の朴新大統領は、「3・1独立運動」の記念式典で「歴史問題は千年経っても変わらない」と言った。
千年の歴史を持ちだしたら、これはお互い様の歴史になる。元寇の主力は朝鮮半島だった。(これも被害者だと言うのだろうが)
同じ日。JAの萬歳会長は、TPPに反対の抗議をした。
「3・1独立運動」は「独立万歳」と叫んだので「万歳事件」とも言う。
日本政府は同じ日に、両脇から「万歳」を突きつけられたわけだ。
両脇から万歳では、もう、バンザイするしかない。
何でも水に流す日本人は、心すべきだろう。「千年経っても許されない」のだと。良い子になろうとして、詫びてもムダなのだと。
千年の歴史を持ちだして、日本から盗んだ仏像を返さないという理屈を、国民が当然だと考える国なのだと。
これこそまさに、お手上げだ。バンザイするしかない。
人づきあいの大原則
個人の付き合いもそうだが、近しいからと言って、わかり合えると思ってはいけない。
人間は元々わかり合えるはずのないものだ。すべての人間は違う体験をして育っている。例え双子でも、体験の受け止め方は違うのであり、人はそれぞれ違う感性、違う価値観を持っている。
しかし、それでも人間は群れを成して共存して生きている。同じでない者が共存するのが人間であり、相手が自分と違うからと言って付き合えないわけではない。
人と付き合う上で最も重要な心得は、「自分と相手とは同じではない」という認識だろう。そして、なおかつ、相手はその認識を持っていないかも知れないと心得ておくことだ。
妙に好意を持ってくれたり、急に「冷たい」と怒り出すのは、自他の違いの解らない人であり、相手が自分と同じと考える、自己中の感情人間だ。そして、世の中はこういう人の方が多数派だ。
「親しき仲にも礼儀あり」「兄弟は他人の始まり」
近いから、親しいからと言って、「これぐらいは解ってくれるだろう」と甘えるわけにはいかない。
日本が、中韓と上手く行かない理由は、互いに、黄色人種、同文化圏のはずだという甘えがあるからだ。勝手な期待をして、当てが外れると怒り出す。この勘違いは日本にもある。
遠くの他人は皆良い人に見えるが、いつも近くで見ていれば、不満が増える。意識して疎遠にしていても付き合わなければならないのが、家族、身内、ご近所であり、冷たいと言われても、危うきに近づかない。
ニコニコと声を掛けて来られても、決して期待しないことだ。
「隣は何をする人ぞ」ぐらいが、ちょうど良い。