魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ワッセ!

2012年02月01日 | 日記・エッセイ・コラム

何度でも繰り返し言うが、年金は止めるべきだ。
何処に行っても、年寄りが集まると「年金をいくら貰えるか」と話している。
誰でも、貰えるものを要らないという人はいないし、貰うなら少しでも多く貰いたい。

しかし、これから先は、若い世代の過剰な負担以外に、年金維持の道はない。そこにつけ込み、官僚が政治家を操り、税金の話に転嫁する。

とにかく、現行の年金制度、その背景となる社会福祉の考え方そのものが、根本的に行き詰まっている。
今の制度は、人生が60年で、人口は増え続け、経済が発展し続ける事が前提になっている。そういう時代は終わったのだ。

これから先は、人口が減少する中で、少なくとも80才までは働き、経済成長のない社会であっても、誰もが充実して生きられることを考える時代だ。

医療に頼る健康より、健全健康な社会生活を考える方が合理的だ。
健康、収入、育児に行き詰まったら、個々にお金を配るのではなく、施設で保護し、復帰を目指す、「最終保証」を用意する。
教育も、画一的な、学校から就職への道ではなく、先ず就職、必要に応じて、随時の学習環境を整え、学術研究への道もどこからでも目指せるようにする。「学校は就職教習所」の考えを改める時だ。

明治以降整えてきた制度は、大量生産・大量消費のためのシステムであり、その方式が行き詰まっている。
この先250年のパラダイムを見据えて、どういう考え方で、何を整えねばならないのか、それを考えなければならない時なのだ。

年金は何歳から支給とか、秋入学にするとか、福祉に金がいくら要るとか、そういう枝葉末節の議論をしている暇は、もはや無い。

事故があって初めて目覚めた、原発政策と同じだ。
早くから、現状廃棄を前提に、未来志向のエネルギー政策を考えていれば、今日のようなことはなかった。

スリーマイル島以来、原発は止めるべきだと思い、そう主張してきたが、世の中は、ワッセワッセと進んで行った。

20年ほど前に、夫婦で毎月50万以上年金が入りますと、喜んでいた人の話を聞いて、『何かおかしい』と思った。
現役収入の多かった人ほど、蓄財も多いはずだ・・・

それ以来、年金そのものに疑問を持つようになったが、今、正に崩壊している。原発のように、日夜、放射能に悩まされていないだけだ。

年金だけではない、福祉の考え方から根本的に改める時が来ているが、世の中は、相変わらず、ワッセワッセと進んでいる。