魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

長子女房

2012年02月25日 | 兄弟関係

妻は夫より年下だが長子長女、弟が一人。夫は6人姉弟、姉5人の末っ子、長男。
妻は出会った時から夫を偉いと思い、尊敬して職場結婚した。
この経緯には、「尊敬できる人と結婚したい」という、妻の元々の価値観も大きく働いていた。

つまり、彼女は、尊敬できるから好きになったと思っているが、好きだから尊敬できると思ったとは、本人は自覚していない。
何であれ、人間は自分の願望に都合の良い解釈をするものだ。

結婚後、夫の姉達は皆嫁いでいたので、二人とも退職し、夫の家業を継いで何十年。夫婦で小さな店を営んできた。両親が亡くなり、人手が足りなくなってから、アルバイトを雇うようになった。

人を使うようになってから、妻は、徐々に夫が理解できなくなってきた。それまでは、夫が上だから、言われる通りにバックアップさえしていれば何も問題が起こらなかった。
ところが、従業員に対しては、経営者として同じ立場で接さなければならない。

従業員が、仕事が覚えられないような場合に、夫は我慢強く教えようとしない。「そんなことが解らんのか」「もういい、おれがやる」と言った調子で、妻から見れば、夫の考えが理解できない。
なぜ、解らせることに心を配り、辛抱強く待てないのか?

夫を尊敬している妻からすれば、夫はよく解っていて、教える力があるはずなのに、なぜそれを行わないのかと思う。
と言うのも、夫は昔から、講釈するのが好きで、何でも教えてくれたからだ。だから尊敬するようにもなった。

その後、従業員との様々なトラブルが続き、その都度、夫に説明を求めるが、終いには「うるさい」で、何も言えなくなる。老境の今では、すっかり夫に関わらないようになってしまった。

何でだろう?何でだろう?
夫を尊敬していた妻には、訳が解らない。だからどう接して良いか分からない。
これは、自ら築いた幻想が壊れた後も、それが幻想であったと認めたくないからだ。

まず、尊敬するようになった「何でも教えてくれる」講釈は、知識の受け売りの、自慢であり、何かの質問に答えてくれていた訳ではない。
しかし、長子長女の「母の目」で見ると、どんな自慢も、『まあ、この子ったら、賢いわねえ』と感心をして見ていた。それが年上の異性だから、「可愛いわねえ」と思ったことを、「尊敬できる人」と自己解釈した。
元々、長子には、誰かに何かを教えて貰おうという気はない。

その後、使用人を雇うまでは、自分が「尊敬して従」っているつもりで、実は、「浪花恋しぐれ」のお浜のように、面倒を見ていたのだが自覚はない。
ところが、他人の使用人はお浜のように、先回りしてまで面倒を見てくれないから、「もういい」になった。
そして問題発生の時、夫を尊敬している妻は、第三者のこととなると、夫を無視してまで問題解決ができない。何とかしようと説明を求めるが、元々、自覚ができない人だから、自分の行動を上手く説明できない。(それができるくらいなら従業員に教えられる)

年上と言えども、末っ子であることを認識していれば、こんな事は無かっただろうが、この年では。これこそ後の祭りというものだ。

末っ子は名選手。長子はコーチ、長女は監督
生まれた時から親兄弟に運命を握られている末っ子は、自分の評価は他人任せだ。他人のしていることを素早く真似て実行するのは得意だが、自己分析は念頭にない。

名選手、名監督ならずと言うように、監督やコーチの才は、むしろ、天才的とは言えない長子の方が向いている。
子供の時から下の子を扱ってきた長女には、下の子を観察する癖がある。だから、二人だけなら極めて上手くいく関係だが、第三者に対する考え方や態度は真反対だ。
長女が姉さん女房なら問題が無いが、関係が逆だと、この話のようなややこしいことになりやすい。