魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

遙かなる

2012年02月11日 | 占いばなし

中国やエジプトが、4000年、5000年の歴史と言うのは、誰でも納得する。しかし、朝鮮半島が5000年の歴史と言えば、誰もの目が点になるだろう。

日本は歴史の古い国だと言われている。しかし、実際に記録され始めてからは、せいぜい1500年だ。海外の文献を入れても2000年にはならない。
縄文からの歴史を言うなら、確かに10000年に及ぶかも知れないが、それならアフリカのエジプトはどうなるかという話で、有史とはやはり、文字に記録されてからを言うのではなかろうか。

日本が「日本」と自称し始めてからは、1500年ぐらいであることは、現代の知識人なら、誰でも認めるところだろう。

縄文人の住む日本列島に、何百年にもわたり、渡来人が幾重にも押し寄せて来て、今日の日本人になった。
スペインを恨む南米インディオのほとんどが、スペイン系のDNAを持っているように、どう言おうと、日本人は「日本列島から湧いた」ものではない。

日本の各地に見られる、「土地の顔」も、海外のあちこちに見られる顔が、寄り集まっている。
日本に来る渡来人が途絶え、この島に寄り集まった者同士が文明文化を形成して1500年になる。これだけでも充分、誇れることだ。

そんな話をしていたら、80代の戦中派の人が、「じゃあ、皇紀2670年はどうなんだ」と言われ、「あれは辛酉革命と言われています」と答えた。
※辛酉革命は、辛酉の年に世が改まるという中国の説に則り、推古朝の辛酉年から、六十干支が21回遡った年を、「神武天皇が即位して世が改まった年」とした、と考えられている。

その話をすると、納得しながらもガッカリされた風だった。かなり教養のある人なのだが、戦前教育を受けた人にとっては、考古学がどうであろうと、皇紀を無かったことにするのはしのびないのだろう。
皇紀を認めれば、隋の文帝に笑われた「天皇は太陽の子」を認めることになるが、それとは関係なく、「気持ち」があるのだろう。

皇紀を認め、伊勢神宮を崇めるなら、薩長政府による東京招魂社(後の靖国神社)とは矛盾すると思うのだが、何かこの辺りの感情がゴチャゴチャになっているような気がする。
北朝鮮や、中韓の反日教育の恐ろしさを見るにつけ、戦前教育の根強さも、その裏返しの戦後の教育も、教育とは恐ろしいものだと思う。

一度受けた教育を、自ら思い直して改めるのは容易なことではない。
まず、思い込みに反する事実を直視することは極めて辛いし、例え、事実を理解しても、染みこんだ感情を克服することは、なお難しい。

今、我々が理解している「国」と、平安時代、江戸時代の人が考えていた「国」とは、同じものだろうか。

今日は、神武天皇が橿原宮で即位してから2672年。紀元節だ。
そして、何よりも、東日本大震災から11ヶ月目だ。