魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

改革の旗

2012年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

キーワードによるTV自動録画で、何が引っかかったのか、国会中継が4時間も録画されていた。
中身をチェックしようとして、数十秒見たら、吐き気がしてきてすぐ削除した。思わず「もういいよ」と吐き捨てていた。

以前は、時間があれば、作業をしながらでも観ていたが、もう、どうしようもない。茶番にもならない。
政治に関心のある人なら、ほとんどの人が業を煮やしているのではなかろうか。おそらく政治家自身もこれで良いとは思っていないだろうが、じゃあどうすれば良いのかも、思いつかないのだろう。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
彼らに言ってやりたいことは、それだけだ。
仕組みそのものを改めるしかないところまで来ているのに、その仕組みの隅を突っつくような話ばかりしている。

人間は想像を絶する事態に置かれると、何もしなくなる。あえて、それまでと同じ行動をとり続けようとする。
子供は怖い時に、布団の中にもぐり込むとなぜか安心する。何も解決していないのに、尻隠さずのままジッとしている。
問題の核心を見ようともせず、無かったことにする。

今の既成政党の政治家達は、布団を飛び出し、家さえ投げ捨てて走り出さなければならない事態を、見ようともしない。
定数80人削減などと言う、猫だましでさえもめている。

こういう子供は、もう、維新の会のような「なまはげ」に、引っ張り出して貰って、どこかに捨てて貰うしかない。
歌を忘れたカナリヤなら、忘れた歌を思い出すこともあるが、自ら改革できない政治屋は、「後ろの山に棄てる」しかない。

大人なら、そうなる前に、布団から出て、身を捨てて、「抜本的な」日本改革の旗を揚げてみてはどうか。せめて、旗だけでも・・・