魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ズルズル

2012年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の頃、何かと言えば、日本人は世界一器用だという話を聞いた。
何でも世界一とか言いたがる井の中の蛙は、後進国の特長だ。

器用さを別けるほど、どれほどDNAが他の国の人々と違うのか知らないし、器用さのDNAがあるかどうかも判らない。
また、実際に日本の精巧な工芸品が世界で評価されていても、器用だからと言うことにはならないだろう。手先の器用さより、気長に緻密に作り上げていく、文化背景によるものかも知れないからだ。

しかし、それにしても、世界一かどうかは別にしても、確かに、日本人は器用だと思う。
今日のように、精密な工作機器ができれば、器用さや文化背景がなくても、誰でも緻密なハイテク機器が作れるが、その工作機器そのものを作るには、やはり器用さは必要だ。

日本人の器用さが、どこから生まれたのか考えてみると、第一条件として、箸を使う東洋文化圏があるだろう。しかし、中国の工芸品と比べても、日本のそれは遥かに緻密な気がする。故宮博物館の品々は確かに念入りに作られてはいるが、器用と言うより費やした時間を感じさせる。

節分で、イワシを食べながら、ふと思った。日本人の器用さは、魚を食べることで培われたのでは無かろうか。
鯵やイワシの小魚は、身が少ない割に、骨が多い。箸を使わずに手で食べるとしても、そう簡単ではない。箸が入ってからは、さらに困難になっただろう。

日本人の器用さの、第二の重要な要因として、小骨を選り分けながら、箸で魚を食べてきたことがある。これは魚を唐揚げで食べる内陸中国には無い習慣では無かろうか。

しかし、だとすれば、魚を食べる東南アジアやインドネシアの人々も、日本人と同じことになるが、箸はあまり使われない。
すると、魚をよく食べて箸を使う国は、日本と広東語圏の中国、朝鮮と言うことになるが、日本ほど徹底的に箸で食べる国はおそらく他に無いだろう。

器用さ世界一の証明
日本のマナーで、世界にほとんど無い習慣は、麺を音を立てて食べる習慣だが、これは、汁物を食べるスプーンが発達しなかったことと関係ありそうだ。
器から直接飲む時は音がしないが、麺は汁と一緒に「食べる」。そこで音を発するのは当然という例外扱いになり、それが、おいしさの証明としてエスカレートしたのでは無かろうか。

汁をスプーンで飲む習慣があれば、固形物は箸で、汁物はスプーンに別けられ、お粥のようなものは汁物扱いで、麺も汁物として考えられたから、静かに食べるのが当然の基本になった。

スプーンの無い日本だからこそ、麺をズルズル食べる。
そのことが、日本人の器用さを証明している・・・
つまり、そういうことなのだ。