魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ウソが嘘

2012年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

球場などで、「この中に銃を持った殺人犯が紛れ込みました」と言ったら、パニックになるだろう。
宝石店で、偽の宝石が混ざっていたことが発覚すれば、その宝石店は倒産する。
どこか、一カ所から放射能が検出されれば、その地域全体が汚染されていると思われる。

これは、本当のことが分からないからだ。
こういう時は、球場なら「犯人が捕まりました」と言えば歓声の後、静まるし、宝石店なら混ざった経緯を明らかにし、すべて再鑑定したと言えば信頼を取り戻すだろう。

しかし、放射能や病原菌は、検出されない期間が、一定程度続かなければ、誰も安心しない。
「犯人」が微細で神出鬼没で、とらえどころが無いからだ。

正体が分からなければ、不安になる。
中途半端に正体が分かれば、その存在を除去する方法が分かる反面、相手が増大する可能性も分かるから、怖れが広がる。
災害時のデマは、半端な知識を刺激して、不安が拡大するから起こる。

早く不安を取り除きたい心理と、「対処できる」と思う自信が、「犯人出てこい」と焦るから、いい加減な情報に飛びついて行動を起こす。
とにかく、早く決めつけて、早く処理してしまいたいのだ。

そもそも「犯人(対処する敵)」が、自分の手に負えるとは限らない。
戦争の原因の一つは、「一か八か」と自覚しているつもりでも、『勝つか引き分けることができるだろう』という、胆の据わらない焦りがある。本当に、胆の据わった政治家や武人なら、トコトン堪えて戦争を避ける。

真偽より実態を見る
達人になるほど、「まだまだ」と思い始める。物事を知れば知るほど、分からないことが分かってくる。
逆に、半端な知識を持つと、全てがそれで解決するように錯覚する。

世の中に起こる、ブームやパニックは、良く知らない人が、何か一つの知識を与えられると、全てそれに当てはめれば解決するような錯覚をして、行動を起こす現象だ。
セクハラやパワハラ、格差やストーカー、PTSD、一つの現象が話題になると、一斉にその問題が起こってくる。何でもそれだと思い出す。

近頃、ステマと言われる、「たぶらかし商法(ステルスマーケティング)」が盛んなため、若者の間では、何を見てもステマに見えるらしい。
どんなものも偽物、たぶらかしに見える。本物を見ても『ウラがある』と思ってしまう。

確かに、あり得ないもの、聞いたこともない「大ヒット」を、疑ってかかるのは大切なことではあるが、「どうせ・・・」と思って、しっかり見ないことは、逆の「たぶらかし」に引っかかることになる。
「自分はだまされない」と思う人ほど、ダマされるからくりだ。

ものの真偽を見極める第一歩は、まず、素直で謙虚になることだ。

うそ」、「疑心暗鬼