魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

バッタ物

2012年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

ほんとうに、何かにつけて思うのだが、人は自分の目を通してしか、他人を理解することができない。

中国メディアは、日本の文化産業の世界的影響を評価する形で、日本政府がバックアップしてきたからだとし、暗に、中国政府の文化輸出を奨励していた。
先頃、共産党で、文化大国を言い出したから、その指針のアピールなのだろうが、勘違いも甚だしい。

日本のアニメなどの世界進出は、作家と民間が、政府の無理解にもかかわらず営々と努力を重ねてきたもので、その結果、世界に広まった日本ブームに便乗して、政府が「いいとこ取り」を目論んでいるものだ。

その便乗風景を見て、独裁国家の中国は、日本政府の後押しがあったからだと思い、商売上手の韓国はその前に、政府ぐるみで要領よく「韓流」ビジネスを打ち出している。

日本のアニメが、結果的に、日本の宣伝をしているのは事実だが、中国や韓国のように、日本政府は民間の努力を、国家宣伝や金儲けに利用できていない。むしろ、この先、足を引っ張る可能性すらある。

花鳥風月の日本
福島原発事故の時、アメリカから持ってきたロボットは、子供の工作模型のようなものだったが、ロボット大国と自負する日本には、事故に当たるロボットが一台も無かった。これがすべてを物語っている。

日本人は、テーマを与えられると完璧に仕事をするが、それ以外は、花鳥風月の世界にいる。
アメリカのロボットは、原発事故の対応や月・火星の探査など、現実目的のために開発される。韓国のロボット開発は金儲けのためであり、中国は国威発揚だ。

日本のロボット開発は、「あそびごころ」からであり、どんなことであれ、日本人は無駄な夢のために壮大な努力をする。これは、日本人以外には理解できないことで、外国人はそこに驚き、魅せられる。

ゲームも、アニメも、漫画も、政府は抑制こそすれ、一度だって奨励したことはなかった、それぞれの作家は貧乏を堪え忍びながら、壮大な無駄に立ち向かってきた。ロボットだって政府の奨励で始まったものではない。原発ロボットが無かったのが何よりの証拠だ。

小学校に、漫画やアニメの時間はなかったし、公立の漫画図書館などどこにもなかった。遡れば、浮世絵も歌舞伎も、幕府は何かにつけて押さえる側だった。
日本の政治が、文化発展に寄与したことなど一度も無い。すべて、日本の風土と、日本人のエネルギーが生み出したものだ。

どこの国であれ、無粋な政治家が関わっても文化は発展しない。
政治のできることは、国民を自由で豊かにすることであり、豊になれば文化は自然に発展するし、規制がなければ産業としても拡大する。

日本は韓流に焦ることはない。金儲け目的の土産物がオークションで値が付くことはない。バッタ物はそれ以上には発展しない。
日本が貧乏芸術家なら、韓国は夜店の香具師、中国はテキ屋の親分だ。