魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

1969(3)

2012年02月19日 | 世相史観

天王星周期の折り返し点42年の鮮やかな転結は、リアルタイムの記憶としてふり返られるが、一周期の84年になると、生きている人はいても、記憶がつながらない。もはや完全に歴史だ。
今起こっていることの、原点を考慮した行動は取れなくなる。

原子力船むつの進水後、1974むつ放射能漏れ事故、1979スリーマイル島事故、1986チェルノブイリ事故と、何度も考え直す機会を与えられながら、国策と利権の日本丸は、進路を変えることなく、ワッセ!ワッセ!と進んできた。つまり、42年後のフクシマ事故は必然だったというわけだ。

しかし、「むつ」の進水には、そこを遡る42年前に端緒はあったのだろうか。
そこで、1927年前後には何かあったのだろうかと、年表を繰ると、
1927年、ハイゼンベルク不確定性原理(32年ノーベル物理学賞)
何と、原子力利用の種が蒔かれている。

げに、恐るべしだが、そうであるならば、スリーマイルやチェルノブイリの種は何だったのか、と考えてみる必要もあるが、これは又の機会にしたい。

天王星の84年周期が来れば、同じ問題が、別の展開をしていく。
しかし、半分の42年では、事の始まりから成長に至って、行き過ぎてしまったことへの、反省と揺り戻しのきっかけになる。

原子力利用という点では、2011年はむしろ、1927年から84年後の別の展開の時であり、フクシマは、日本の原子力政策の始まりからの折り返し地点と考えられる。(一つの事柄は、いくつもの意味を持つ)

2012年1月に科学誌ネイチャーに実験記事が掲載された。これは、日本の小澤正直の不等式が、不確定性原理の測定の限界を越えた証明と言われる。これもまた、84年後の別の展開だろう。

様々な事柄における、84年周期の因縁は、年表を繰ってみると、 「あっ」と声を上げるようなことがある。
天王星の場合は、顕著で衝撃的だが、冥王星や海王星は、年表では掴めない。人類史を俯瞰して、始めて見えてくるようなことばかりだ。

冥王星の250年周期については「大転換」で、繰り返しているが、今現在の世界の動きを見ていても、ピンと来ないし、こんな話題は、テレビネタにはならない。
しかし、歴史を知る人なら解るだろうし、政治家には是非とも考えて貰いたい視点だ。

750年の大きな時代旅行は、三つ目の駅にさしかかっている。
あと250年はどんな風景の中を走って行くのか。その上で、諸問題の処理を考えて欲しい。
250年だけを考えていればコーナーで脱線するし、目先に囚われていれば止まってしまう。こんな難しい舵取りができる人などいないだろう。

結局、歴史というものは、解っていながら、捉えがたく流れてゆく。
それが、歴史なのだろう。