魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

自己矛盾 2

2021年02月28日 | 結婚コン

未来は人権に向かう
なぜ、ジェンダーが問題視されるようになったのか。これは時の流れ、時代の趨勢だ。
産業革命で労働の形が変わり、古代からの氏族家族による役割分担の生産秩序は、企業、国家による生産に替わり、単純労働で男女差が無くなった。兵士さえ、機械操作ができれば男女の差は無い。労働対価に差をつける根拠は何も無くなった。
わずかに残っていた性差の特性も、ロボットやAIで不要になりつつある。

にもかかわらず、企業や国家が、氏族からの家族を前提にしていることに矛盾がある。
産業革命の初期はそれが便利だったし、現在の日本の受験戦争のように、教育が労働生産性と直結するシステムも未だ健在だ。
生産の作業に当たる知識と、生産を管理する判断は、教育によって能力に差が出るから専門性の対価に差が出るのはやむを得ない。
だが、もはや、生産作業はロボットが、管理はAIが行える時代になった。人間に必要なのは価値観と創造性のみになり、「働かざる者食うべからず」の前提さえ失われた。

産業革命パラダイムを支えた教育は、人間を生産システムに組み込むためのものだったが、その必要が失われれば、教育の意味が変わり、読み書きソロバンの能力は不要となる。当然、現在の教育制度は、根本から組み立て直さなければならない。
宇宙的視野と生きることの意味や、好奇心と創造性を養う教育こそが、人類の次のステップに必要となる。個性と才能をそぎ落とす、工場や軍隊に入るための金型である学校を廃止し、学校を個性と発想を伸ばす遊びの場とすべきだ。哺乳類発展の最大要因は「遊び」であることを、今こそ世界中が再認識する時が来ている。
知識だけなら個別にいくらでも学べる環境が生まれているのだ。

こんな時代に足をかけている今、古代からの概念と枠組みが、巨大な壁になって立ちはだかっている。これがジェンダー問題の本質だ。

古代からの脱皮
オスの筋肉がメスの子育てを支える、野生からの古代家族社会が今も残っている。
しかし、人類の発達は、この野生の知恵を全く必要としない環境を生み出した。
性差や能力差にかかわらず、全ての人が対等に暮らせる道具を手に入れた今、それを実現するには、古い殻を脱ぎ捨てなければならない。
これを実現するのに、現在の殻で戦おうとするから、おかしな議論が横行し、無駄な葛藤を招いている。

各分野における男女比率の均等や、男性の育児休暇など、あたかも社会変化への道のように語られるが、まさに、魚の語る鳥の世界だ。
古代システムで、男が築いた男社会のまま、女を増やしたり、男に育児休暇を与えても余計不具合を生ずる。冬が来ても、夏着の上に重ね着をするようなものだ。
議会で選良が議論する、政治制度そのものが無意味になっているのに、無意味の比率をどう変えようが無意味なのだ。古代からの子育てのノウハウが失われている核家族で、男が子育てに当たっても、何も変わらない。

未来の技術・情報革新の中で、どんな社会が求められ、どうあるべきかを白紙から模索しない限り、壮大な無駄を積み上げるだけになる。
全ての人の生存保障と、差別の撤廃を前提とし、活力がある社会を維持して行くにはどうあるべきなのか、現在と未来の科学を組み込みながら、積み上げる心構えこそが、ジェンダーを考える必要の無い社会を育んでいくだろう。

自己矛盾 1


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