魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ホスト国

2021年03月04日 | 結婚コン

NHKの日曜討論で、与野党の女性代表がジェンダー問題を話していた。
女性の立場から女性同士が語るということで、一般的な政治討論会とはずいぶん空気が違い、何かとても安らかな気持ちになった。
観ているうちに、「こりゃあ、もう、政治は全部女性にやってもらう方が良いな」と思ってしまった。
仕事、生活、子育てと、きめ細かく配慮が行き届き、日常的な問題が気持ちよく解決されそうな気がする。女性同士の共鳴が基調にあり、男性のように、「俺が、俺が」の無意味な喧騒が無く、市民感覚のニーズが、スムーズに整いそうだ。
自治体の議員は、知事に至るまで全て女性限定にすれば、くだらない、いざこざが減り、地方行政が行き届き、生活が穏やかになりそうだ。

しかし、そうなると、気持ち良すぎて、誰も布団から出たくなくなる。
人間の営みには、布団から飛び出す、「破」=生産も必要だ。地方議員を全部女性にする場合、男性だけの諮問機関を設置し、このメンバーも選挙する。つまり、決定権を女性にする。
その上で、国会議員だけ普通選挙にすれば、国民の本当の性差意識が現れる。
地方議員が全員、女性であれば、国政への進出も容易になるし、発言権も強力になる。
ただし、いずれの議員も委員も、基本的に無報酬とする。本当に意見がある人だけが関わればいい。報酬や利権があるから政治が ビジネスとして成り立ち、世襲議員が生まれる。
町内会や祭りの実行委員のように、持ち回りにするのも良いのかもしれない。

男の砦
バカげた話に聞こえるかもしれないが、日本の女性議員比率が少ない一因には、日本の民主主義が、欧米からの「借り物」であることが影響している。
しかも、それ以前の統治観も、中国からの借り物だった。
古代の女性天皇は、男系天皇のピンチヒッターに過ぎないと言われるが、少なくとも往古当時は、それを認める価値観があった。
当時生まれた神話や国史は、外来の中国価値観で整えられたものであり、それまでの価値観や状況を、後付けの父系価値観で説明づけ、つじつま合わせをしたものに過ぎないが、それを千年以上続けることで、表面上はすっかり中国のような男尊女卑の国になってしまった。
その上に、明治維新と、米国による占領で、欧米型の父系価値観の作法を身につけた。

つまり、日本という国は、縄文型母系の身体に、中国型父系の服を着て、欧米型父系の作法で生きている。
欧米型の民主主義は、神の下の平等と、女は男の一部でしかない根底的な男尊女卑の矛盾が、今も葛藤していて、「平等!」と言われれば、建前上、逆らえない。
ところが、西欧式に振る舞う、男装の日本に、「男の格好はダメだ、ジェンダーの衣を脱げ」と言われても、中国にもらった一張羅を脱いだら女であることがばれてしまう。
もし、日本の男どもが、今まで拠ってすがってきた「男の立場」を手放し、対等で日本の本体である女と向き合えば、実は不要であったとばれてしまう。うすうす解ってはいるが、信じたくないから服を脱げない。

平和な時代のリーダー
男装の麗人の日本が、本気で女を出せば、どの先進国にも負けない力を発揮する。
西欧の男は、ジェンダーフリーの立て前とポピュリズムに縛られて、力を失っているから、女原理での勝負なら、本物の女の底力を持つ日本が有利になる。
日本の女の強さは、西欧の女が九州女だとすれば、日本の女は京女だ。男原理の中で女が力を持っても男のまねしかできないが、京女は芯の強さと賢さと愛嬌を持っている。女として強く、女だから強い。

対決型の男原理が失われた現代では、中国のようなぬるい男原理でも大きな顔をしているが、もはや腕力の時代ではない。
ガーガーわめかない京女型の日本は、知らない間に周囲を仲間に引き込む、女原理の共感と調整が発揮できるはずだ。
米中の覇権争いは、男原理の名残だが、もはや日本は、こんな騒ぎに付き合うより、静かな共感を広げる「根回し外交」や文化外交に打ち込み、CPTTPのような実績を重ね、上げた拳を下ろせない米中のような覇権男を引き込む時だ。

これを実現するには、やはり、全地方自治を女性にし、その土壌の上に国会議員を選出すれば、今とは真逆に、男性議員を世界に顔を出すためのお飾りとして使える。
実際、これまでも首相がコロコロ変わっても、特に問題が起こったわけでもないし、長期政権は、調子のいい無責任男でなければ務まらなかった。
男によるいい加減な男リーダーなら、女によるお飾り男の方が様になる。世界の女性リーダーを手玉にとるような色男を首相にできるかもしれない。


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