陸前高田松原の「奇跡の一本松」が、修復され、モニュメントとして蘇った。1億5000万かかるそうだ。
一向に復興の捗らない現地からは、「生きた人間に金を掛けて欲しい」という意見が多い。もっともな話だ。
しかし、まだ9000万しか集まっていないが全額寄付だという。
東日本大震災で集まった、義援金は3600億以上にも達するが、被災者個々に配布してみても、1~2ヶ月の生活費程度に消えて、焼け石に水だ。
復興は金の問題ではない。日本という国の知恵と情熱の問題であり、復興が遅れているのは、日本の体質のせいだ。
3600億以上あっても何の足しにもならない現状だが、1/2400の「奇跡の一本松」のモニュメントのお金は、人の心に大きな灯りを付けるだろう。
復興をするのは人間だ。人間の営みは心によって支えられ、思いによって成し遂げられる。
お金があっても、歯止めなく衰退していった日本経済は、日本人の心の火が消えていたからだ。JAL立て直しに当たった稲盛氏は、何度も何度も「思い」と、繰り返し言っていた。
被災者の人の気持ちとすれば、少しでも実情を良くしてくれと言う気持ちはあるだろうが、たとえ1億5000万あったところで、今日の飯代にもならない。しかし、心に灯がともる人が一人でも増えれば、桁違いの可能性が開けてくる。
仏像の出現
原始仏教の時代、釈迦の絵さえ描いてはならなかった。しかし時を経て、釈迦の実像が解らなくなった時代に仏像が生まれた。
仏像の存在は、釈迦の志に反するものだが、仏像があることで仏教に関心が生まれ、仏教が広がり、そこからまた釈迦の心を知る人も現れた。
仏像の意味を考える時、仏像そのものには価値はない。霊力を放つわけでも神霊が降臨してくるわけでもない。
しかし、仏像がそこに存在するためには、様々な人の思いが集積されている。理解も動機も様々な人々の、思いの姿が現れたものが仏像であり、それが有り難いのだ。
「奇跡の一本松」のモニュメントは、この仏像と同じだ。
それを求める人、建てようとする努力の結集、そうしたものの集大成で現れたモニュメントは、仏像と同様、必ず人の心を打ち、次々と復興の心に火を付けていくだろう。
決して、お金の問題ではない。
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