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占いという もう一つの眼

石丸選挙

2024年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

結果が見えている都知事選には関心が無かったので、詳しくは知らないが、「石丸選挙」になったようだ。最も衝撃を受けたのは野党だろうが、党派関係なく、既成政党批判選挙になった。
都知事選は、既存の政治システムに「就職」しているつもりの政治家と称する「政治社員」と、ベンチャー企業の対決になった。既存大企業の優秀な社員には自らの乗っている船が見えていない。当然、同乗の関係業者や乗船客にも見えていない。

そこに、石丸艇が横にやって来て、「その船、壊れてますよ、もうすぐ沈みますよ!」とスピーカーで流すと、不安ながら仕方なく乗っていた乗客が一斉に乗り移った。
石丸艇でなくても「別の船」であれば、飛び移る人がもっと出たかもしれない。
これまで、維新丸やN丸も来たが、どこに行くのか怪しまれた。今回の石丸は「とにかく危ない!」ことを強調した。
事実、船は停止状態で、皆、諦めかけていたから、「渡りに船」だった。船内放送を無視してスマホを見ていた乗客だけに、直接メッセージが届いた。

今はまだ渡船(都選)だが、集引船(衆院選)でベンチャー大船団が押しかければ、沈みかけた船に乗客はいなくなる・・・はずだが、大船に乗っている人はなかなか小舟を信用できない。
日本が沈みかけているのは、政治も企業も、与えられたテーマしかこなせない優等生の溜まり場になっているからで、明治維新や終戦直後の無法者が跋扈するカオスの、ベンチャーやスタートアップによる淘汰が無いからだ。

就職氷河期に、なぜ起業しないのか不思議で仕方なかったが、近年ようやく起業がブームになってきた。しかし、行き詰まった大企業が捨て石としてベンチャー起業を焚きつけているだけで、やむにやまれぬ死に物狂いとは言いがたく、混乱期に勃興した企業のような情念があるのか疑問だ。それでも、雑草でなくても環境が良ければ豆は育つから、蒔かないよりはましだろう。

「石丸選挙」は、環境を利用しただけの、企業後援ベンチャーのレベルだ。
政治も経済も、今はまだ元の姿を厳然と残している。本当の焼け野原にならなければ雑草は生えてこないのだろうか。
もし、焼け野原になって、すべて個人の実力次第になれば、本物のベンチャーやスタートアップが芽を出してくるだろう。

政治も同じで、年寄りに文句を言うだけのメンタルが若者世代を覆っているが、なぜアメリカのように自分たちで政治活動を始め、年寄りに討論、説得して回らないのか。混乱期に育った年寄りは若者より積極的だ。話せば通じる。

政治制度や状況に臆することなく、規制の枠を無視してでも、新しい政治を自分たちの手で創り出すスタートアップ政治以外に、若者の未来はない。
年寄りの方が数が多いとか、政治が年寄り対象だとか、結果を見てボヤいているだけで、自分たちで何とかしようとしていない。今回のようなネット選挙の可能性も、単にネット環境での「ノリの選挙」に過ぎず、やむにやまれぬ情熱とはほど遠い。
日本の将来が思いやられる最大の理由は、若者が無理をしないことだ。
そう言えば、近頃は「ダイジョウブ」や「ムリ、ムリ」が、拒否の意味で使われる。「ダメ!」や「イヤ!」を、しばらく聞いたことがない。