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2013年11月03日 | 大転換

士農工商
日本の電機メーカは、4Kテレビで「倍返し」が出来ると信じているようだ。3Dテレビの時もそうだったが、相変わらず、解っていない。
と言うより、日本企業には出来ないのかも知れない。
物を買う人は良い製品だから買うのではない。欲しいから買うのだ。
悲しいかな、日本人は職人であって、商売人ではない。

農業にせよ工業にせよ、物をつくる者は動き回ることができない。
一方、漁民や狩猟遊牧民は、船や馬に乗って動き回るのが生業だ。
農工民から物を買って船や馬で運び、他の地で高く売りつけ、利ざやを稼いだことから、問屋業が発生し、生産者を牛耳るようになった。

近江商人といえば「天秤棒」での商いが有名だが、本来は琵琶湖の水運を支配した、湖族と呼ばれる海洋民の末裔など、伝統的に運送業による「商い」を心得ていたことと、都に近い立地も味方した。
→「モザイク列島

狭い日本列島さえ、物流を握る者が製造者を支配する。ましてや、遊牧民が馬に乗って襲ってくるような大陸では、真面目な生産より、略奪や詐取の方が、手っ取り早く支配者になれる。
彼らにかかれば、士農工商ではなく、士商工農だろう。

その理屈で、日本人が長年コツコツと積み上げて、ようやく日の目を見た成果は、中韓の大陸商人にかかれば、あっと言う間に持って行かれてしまう。政権の興亡だけに明け暮れる中華文明は、努力やプロセスより、最終的に押さえた者が勝ち、結果オーライの文明だ。

これが、中韓の「既に既成事実である」と吹聴する、言い回しだ。
中国の口だけ「平和台頭」は、言えば既成事実化と信じるからであり、韓国の「既にみんなが夢中」式の宣伝や、シェア優先商法も同じだ。

農工の国、志の国
生産をしない者、自分の身体を張らない者は卑怯者である。
そう考える徳川武士政権が、人の褌で相撲を取る商人を、最も卑怯で卑しい者と位置づけたことで、日本人は、動かず「コツコツと努力」して造ることが、一番美しいことだと信じるようになった。

しかし、その武士も結局は、商人からの借金で首が回らなくなり、黒船をきっかけに、政権そのものが崩壊した。
土地に根ざす士農工は、流通の商に支配される。身体を支配するのは、実は、血液やリンパや神経だ。
今、世界の政権も、マネーの力に太刀打ちできなくなっている。国家は動かないことを前提とする、地政学の産物だからだ。

マネーの支配
生産、蓄積、消費だけの古代に、貨幣が生まれたことで、物の価値は、いわば、重みから質量に変わった。
場所や時期や駆け引きで変わる物の価値の本質を、貨幣は一つの基準に統一した。ここで初めて、高い安いという感覚が生まれる。

さらに、産業革命による大量生産で、ものの価値が相対的に低下する一方、物を売るために生まれた組織=近代国家による通貨が、為替を生んだ。その結果、通貨は為替に支配されるようになった。

貨幣や通貨を支配する為替の実体こそがマネーであり、今、マネーが時代に迫っているものは、通貨の根拠となる「国家の解体」だ。
だから、国家は様々な形でこれに抵抗しているが、既に、デフォルトや、政治の不在などが、現実のものとなっている。
借金で実体を失った徳川武士政権が、「たった四杯」で崩壊したように、遠からず、ちょっとしたきっかけで、実体を失った近代国家は崩壊するだろう。

(つづく)


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