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幕末現代

2020年10月27日 | 大転換
14年前、このブログを始めた時から心配していた幕末の再来が、顕現しているようだ。
現在、時代を動かす大周期惑星の海王星、天王星が、幕末とほぼ同じ配置にある。
大転換2
幕末維新は日本だけで起こったことではない。日本も激動の19世紀の一員だった。

今再び、幕末ドラマが、絶賛公演中だ。
違う役者が、同じ芝居をうつ時には当然、演出や意味づけの違いはあるが、テーマとあらすじは変わらない。
大英帝国が演じた役は米国が演じることになった。清朝が中国共産党に変わったのは同じ役者なのか襲名なのか、とにかく同じ配役だ。

19世紀、尊大な清朝は、英国を甘く見て、負ける喧嘩で権威を失った。そこから始まったアジアの混乱は、結局、ロシア革命、日本の敗戦、中国共産党政権の樹立まで続いた。
そして現在に至るまで、天王星は一周し、既に二周目を終えようとしている。一方、海王星は一周した、つまり、これは海王星周期の物語だ、

「幕末」公演、第二部
経済力を得た中国は再び尊大な帝国の姿を現し、周辺国を従わせようとしている。現代仕立ての舞台では国際協調を装いながら、都合悪くなれば、「こんなものは紙くずだ!」と、ルールを平然と無視する傲慢さだ。

「幕末」キャストの性格。血液型の国際関係。
中国が尊大なのは、デリカシーに欠ける文化ゆえだろう。
血液型のタイプで考えると、欧州のA型、インドや日本のAB型に対し、中国はB型の本家だ。
A型やAB型が、繋がりや滑らかさを重視する水のような感性なのに対し、B型は、構造やサイズに注目する金属のような感性だから、かみ合わない。
中国のやり方は露骨で、鉄柵や金網のように存在感があるが、欧米は水のように簡単にすり抜ける。欧米から見ると、立派な鉄柵の存在感は虎のように見えるが、ザルのように間抜けなところが張り子の虎に思える。
中国から見れば、欧米は氷にも雲にも変わる不思議をもたらす存在で、その実態のなさが、魅力的でもあり信用ならぬ存在でもある。

清朝の没落は、徳川幕府同様に体制の老化もあったが、中国の文化的弱点につけ込まれたと言えるだろう。着想や集中力はあるが価値観が雑で、何事にも一辺倒になり、関心のないものに対して注意力や気配りが無い。
欧米の緻密な観察でスキを見抜かれ、アヘンを注入され、弱点を衝かれて制御不能に陥った。
日本の場合、徳川幕府は一元的な帝国ではなく、連合政権のような幕藩体制が幸いした。これは、B型の中国と異なり、AB型の多元的な調和文化の幸運といえる。

A型とB型は互いに誤解するが、AB型はどちらも理解できる。強いて言えば、B型のことはやや見えない。
欧米は、中国の存在を過大評価したり蔑視したりして、真の理解をしないが、日本の感性には共感するところが多く、同じではないが、日欧は互いに尊重できる。
「法」のようなルールは、形のないA型の観念世界の産物であり、B型の中国にとっては利用価値の有無でしか理解できない。
AB型の日本は、「法」の精神を、生きるための方法として理解するのではなく、尊重と利用をする。スポーツのルールを変えられても、ひたすらそれに合わせて努力する。横断歩道で全く車が来なくても渡らない。「法」は信仰の対象で、生活道具としての理解が無い。

ドラマ「幕末」の幕は上がっている
「幕末」第二部の一幕は、既に終盤にさしかかっている。
傲慢な中華帝国の攻勢にかき乱された自由連合は、各地で抵抗のノロシを上げた。
自ら帝国の虜になった米国が、真っ先に危機を叫ぶ。米国に追随して虜になった日本は、「やっぱり!」と言いながらも、まだ帝国内に留まっている。帝国を敵とするのか味方とするのか、攘夷と開国、武士と商人の間で国論は割れている。
抵抗主力の米国も戦術論で手間取り、さらに、欧州勢との探り合いで、反撃の体制が定まらない。
このスキに、中華帝国の大攻勢が始まった。
(幕)
このシュミレーションゲームは、いかなる可能性、いかなる展開、結末を迎えるのか
後は、プレイヤーの腕次第???

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