魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

モザイク列島

2009年08月21日 | 京都&ケンミン文化

「し」でも、地域による顔立ちのことを話したのだが、各地には鹿児島の西郷さんのように、その土地を象徴するような顔がある。
津軽の吉幾三のような顔は、栃木や奈良にもあって、ものすごく渡来人を感じる。ところが、津軽には逆三角の美形の小顔も多い。

日本列島が、いかに寄り集まり所帯か、日本人の顔を見るたびに、古代史への想像がひろがる。

現地レポートの海外特派員は、どの顔も、現地人と見違える。
現地の人と同じ生活をし、現地の人と向かい合って話していると、表情が似てくるのだろう。

顔を見分けるには、画家のように、先ず骨格から見る必要がある。
髪型を変えただけで、別人だと思ってしまうようでは、話にならない。
逆に、人格を見抜くには、顔立ちに先入観をもったら間違える。表情で見る必要がある。

近畿には、渡来系が集中している。
滋賀県では、フェンシングの太田君など、完璧な渡来系で、京都、奈良にも多く、古い仏像にもよく見かける顔だ。

ところが、その滋賀県(湖西)には
どこからやって来た人達なのか、北の日本海側にも、南の三重、奈良にも見かけないタイプの人たちがいて、長い間、不思議に思っていた。
基本的には小柄で、手足が短く、アゴの骨がしっかりしていて、いくぶん受け口、眉毛が濃くて目が大きく二重だ。

最近、NHK看板アナウンサーの一人、神田愛花を見て、「アレッ?」と驚いた。このタイプに酷似している。しかし、出身は横浜となっているので、なるほど、南方系の相模顔でもうなずける。
目が大きい二重は南方系だ。

これに似ているのは、やはり看板の鎌倉千秋で、アゴと目に共通性がある。出身がやはり静岡だが、お母さんが台湾だと言うことだ。
台湾であろうが、相模であろうが、南方系であっておかしくない。

神田愛花の場合、さらに、小柄が共通している。
もちろん、歴史の中で、滋賀には顔立ちが同じでも、大柄がいたり、逆に、渡来系の顔で、かなりの小柄もいる。

DNAでは、見た目や体格はあまり意味がない。見た目がどうであれ、様々なタイプが影響しあった形跡が、確実に残っているのだそうだ。
つまり、DNA次元で考えれば人種は存在しない。

にもかかわらず、日本列島の中で様々なタイプが見分けられると言うことは、日本列島に住む人間は、人類史的にはごく最近、ほんの2000年ほど前の、寄り集まり所帯のままでいるわけで、とても、一つの人種で考えるような段階ではない。まさにモザイクというわけだ。(もちろん、日本ならではの顔も既にある)

ところで、結局、
滋賀のこの特徴ある人達は、渡来人より昔からいた、南方系の縄文人なのだろうか。それとも、南方系の人たちが、比較的最近、移り住んだのだろうか。

気になる手がかりとして、大津市堅田に伊豆神社という水運を司っていた人達の神社があって、平安中期の創建とされている。
伊豆神社や伊豆山神社は、名前の通り伊豆半島周辺の海洋民族の神だ。
海運の専門家が近江に移り住んだのかも知れない。

それとも、神田愛花には滋賀県の系統が混じっているのだろうか。

顔2東西、「し」、「し」2古代アメリカ(1