魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大変な年(2)

2020年09月10日 | 大転換
旧世界から新世界へ
2020年、ついに大転換が始まった。
冥王星周期の、この250年は産業革命パラダイムであり、18世紀からの風景と常識が終わる。今年がまさにその年となった。
産業革命が創り出した風景と常識は、科学万能による工業生産と、人類の撹拌だった。
物質信仰の時代では、それを支える、国家、軍隊、企業、学校が、誰でも行かなければならない教会になった。
その中にいるとそれが当たり前に見えるが、産革パラダイムの人類は、他の時代の人から見ると、異様に見える。それは、オウムや韓国の新興教団の有様に似て、一つの目的と一つの方法を信じ、ひたすら努力し幸せを信じている光景だ。

産革パラダイム教団では、学校で科学信仰と技術を学び、企業や軍隊が国家というグループを支え、時に大戦争でグループの勢力争いをし、金という神を崇める。人類全体がこの宗教の信者だった。
それが、大きく宗旨替えをする時が来た。
信仰、特に一神教は、別の信仰を持つと、以前の信仰を徹底的に壊そうとする。しかし、八百万の神を崇める日本は、全てを残した。実は仏教も、様々な土着信仰を吸収しながら伝播してきたものであり、日本では居心地が良かった。

産革パラダイムは、一神教の進化形である科学の布教活動だったとも言える。
日本では一神教に対抗するために、王政復古による神道が現れ、廃仏毀釈が起こった。しかし、敗戦により神道が薄まると、八百万の神が復活し、産革パラダイムは欧米よりも多様な価値観で、こだわりのない経済活動を行うことができた。これにより成し遂げた高度成長だが、バブル崩壊で、再び、一神教と神道の偏狭な価値観に陥り、閉塞社会にはまり込んだ。平成後の日本が、融通の利かない社会になったのは、多様な価値観=八百万の神を失ったからだ。近年、天皇制が重大事として議論されたり、先輩後輩の上下関係やパワハラ問題、自粛、コロナ警察など、日本全体が不寛容な一元化に落ち込んでいる。

山羊座の木星によるコロナショックは、科学教会の信用を落とすことになる。
今起こっていることは、科学信仰狂想曲だ。産革パラダイムによる経済が、科学によって止められるという矛盾に直面している。
科学による物と人の膨張によって起こったコロナ拡散が、科学知識によって認識され、社会が止められている。これは言わば、成長期の肉切れのようなもので、成長が止まる時が来ている。
科学知識のない昔であれば、疫病は流行るにまかせ、一定の人が死ねば、また社会は動き始めた。歴史として俯瞰すれば、これは山火事のようなもので、新生に欠かせない自然の営みだ。この地球上に人類だけが異常に繁殖している事実がありながら、それでも人口減少を心配する経済。だから自然の摂理が作動する。

科学を科学で抑えられなければ、科学の信用は失墜する。早晩、コロナは収束するが、今のコロナパニックは、科学知識によって、むしろ増幅されたものであることが明らかになるだろう。祭りが終われば、敗戦で日本国民が受けた脱力感のように、信仰離れを引き起こす。
明らかな占領軍(大恐慌)が来ない限り、政治と科学は、コロナ勝利を糊塗するだろうが、それはGOTOトラベルのような気休めで、大転換を前にしては螳螂の鎌にもならない。

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