魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

商の真髄

2012年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

韓国は国の全面支援で、マグロの陸上養殖により通常の倍のスピードで成長、出荷できるるようになった。と報じられていた。
マグロの養殖と言えば日本だと思っていたのに、どういうことだ。
海洋魚類の陸上養殖技術も日本のものだったはずだ。

どうもよく解らないが、要するに、家電と同じで、日本から基幹部品を買って、組み立て販売をする方式のようだ。
マグロの稚魚や必要機材を日本から購入し、手を加えて、より早くより付加価値を付けて販売しようという商法だ。
韓国はこれで大成功をしてきた。

この2~3年だけ振り返っても、「3D」も「有機EL」も、日本企業がこれに期待を掛けていると言っているうちに、商品化して大量販売を掛け、シェアを取ってしまい、日本企業は戦略変更を迫られるありさまだ。
マグロも、稚魚のふ化による完全養殖ができたと喜んでいるうちに、韓国はそれを仕入れて売り込む方に専念する。

中国の高速鉄道にしてもしかりだが、こういう動きに、日本では、パクリ商法だとか、偽物だとか、質が違うとか、やっかみや蔑視でうさを晴らしている。
日本人として、非常に悔しいと同時に、目を覚ませと言いたくなる。

紙一重
日本の東西は、漠然と職人と商人の文化に別れる。東は武士と職人の文化であり、西は公家と商人の文化だ。
関西に来た時、学者が大きな家に住み、芸術に関する会話がすべて、金と地位で語られるのに、カルチャーショックを受けた。
関西では、金も地位もないのは実力のない証拠と考えられ、関東では、金がある学者や芸術家は、うさん臭いと考えられる。

東西の対比は、スケールをアジアに広げれば、中韓が西で日本が東だ。
職人日本がせっせと開発したものを、商人中韓は包み直してあちこちに売りまくる。
職人と問屋とどっちが儲けるかと言えば、昔から、商売人の問屋だ。
長者様、旦那衆と呼ばれて花街で遊び、人をアゴで使う。

商人は元来、遊牧民だ。あちこち移動することで、流通を生み家畜で食べる。遊牧民が商人なら、農工民は家畜だ。商人はそう考える。
天才とキチガイが紙一重なら、商人と泥棒も紙一重だ。

近代国家は取引の為にあり、外交は商取引と同じで、基本的に自分が得するためにある。相手を泥棒だと非難しているヒマがあるなら、その泥棒の上前をはねて、「立派な商人」にならなければ、いつの間にか、その泥棒の家畜にされて、骨の髄までしゃぶられる。
喰うか喰われるかとはこのことだ。

目先儲かるからと、開発した稚魚を売っていると、いつの間にかシェアとブランドを奪われる。
お母さん、あの日本のテレビは何処に行ったんでしょう?


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