転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ここ何日か、強い回転性の目眩は起こらなくなったが、
まだ、頭の角度によっては、ユラユラと視界が揺れることがある。
一日のうちでは、朝、起きたときが最も揺れやすく、
心なしか、頭の周囲もうっとうしい気がする。
そして、慣れのせいか、夕方には状態がマシになるように思う。

それで、きょうは午後遅くなってから墓掃除に出かけた。
前述の通り、夕方になるほど目眩が落ち着く感じがするのと、
明日は天気が不安なのとで、行けるときに行っておこうと考えたのだ。
前回の掃除は12月13日で、目眩再発の二日前だったのだが、
寒い時期は花が傷まず、二週間も前の菊がまだ綺麗だった。

なるべく早く掃除を終わらせたかったが、
やはり、時間がかかってしまい、帰りは薄暗くなってしまった。
夕方になるほどに、どこの墓地でも、わけのわからぬ魑魅魍魎が
出ているものだと、いつぞや占い師の友人が言っていた。
墓という場所は、正午を過ぎると既にヤバいのだそうで、
友人は墓地では、昼に草取りをするのでさえも、ぱんぱんとよく払って、
低級霊を落としてから雑草を捨てるようにしている、ということだった。

私自身は、これまでのところ、その種の霊感は皆無なのだが、
無駄に暗示にかかりやすい性格なので、こんな話がとても苦手だ。
私だって、来られるものなら朝のうちに来たかったのだ。
どう見ても、墓地はいつも通りで、変わったものは居ないようだったが、
夕暮れを眺めているうちに友人の声音まで思い出してしまい、私はビビった。
それで、目の前のじーちゃん&ばーちゃんを拝み倒し、
守ってくらはい(涙)とお願いしてから、ほうほうのていで墓地を後にした。
帰り道、思いついて娘にメールをし、
ドアの外へ塩の小皿を出しておいてくれるように頼んだ。
家に入る前に、それで、お清め塩をやった。

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最近は『宝塚おとめ』が手元にないので
テレビで公演を見ても、誰がどのポジションなのか、わかりづらくて困る、
・・・と、主人が、先日来、幾度か言ったので、
きょう、何年ぶりかで、今更なのだが今年度版『おとめ』を買った。

『おとめ』というのは、宝塚版の選手名鑑みたいなものだ。
宝塚歌劇団に現在在籍している団員(=生徒さん)が、
組ごとに、入団年(=学年)順に、全員、掲載されている。
まだ十代であろう初舞台生から、最高齢の春日野八千代先生まで
ひとり残らず、紋付で正装した顔写真が載っている。
同じ学年の生徒さんの場合は、掲載は成績順(爆)だ。
基準はそれだけで、誰がトップだとか二番手だとかは書かれていない
ただ、表紙を飾るのはトップ(=主演)男役のうちのひとりと決まっている。

かつて、なーちゃん(大浦みずき)がトップだった頃と、
たかこ(和央ようか)さんが二番手から卒業までの間は、
毎年、『おとめ』が出るたびに買っていたものだったが、
最近は、とんとご無沙汰だった。

開いてみてビックリしたのだが、
なーちゃんが退団した91年よりあとに入団した生徒さんが、
既に、各組では最上級生かそれに近いところにいて、
私は、ほとんどの生徒さんの初舞台公演を、実際に観たか、
あるいは観劇はしないまでも時代的にちゃんと記憶していた。
考えてみたら当然か。
91年入団の生徒さんだって、もう研19(研究科19年=入団19年)だ。

歌舞伎は三年観ないと役者さんの名前がいろいろ変わってしまうが、
宝塚は三年観ないと知っている生徒さんがかなり居なくなってしまう。
そのことがこのたび、よく実感できた。
若いと勝手に思い込んでいた生徒さんが、
実は既に組長クラスで、自分の浦島ぶりにびっくりだった
(注:宝塚では、花組・雪組・月組、等々の各『組』の
最上級生の生徒さんを『組長』、その次の学年の人を『副組長』といい、
以下、その組に所属する生徒さんのことを『組子』と称する)。

広島出身の生徒さんはときどき見かけるのだが、
今回、かなり若い男役さんの中に、
娘の先輩にあたるA女子高校出身の人を見つけた。
娘がA中に入る前に宝塚音楽学校に合格されていて、
直接の交流はないと思われる学年だったが、
「先輩おるじゃん!」
と主人と娘は盛り上がっていた。

『おとめ』には、顔写真、芸名、入団年、出身校、特技、愛称、好きな花、
好きな食べ物、演じたい役柄、などが箇条書きで掲載されているのだが、
私の楽しみのひとつは、「芸名の由来」を見ることだ。
「同期みんなで考えました」
「自分で考えました」
「尊敬するかたから一字頂きました」
「恩師につけて頂きました」
「きょうだいの名前から貰いました」
「大勢のかたのお知恵を拝借しました」
等々を眺めていると、私はいつも、
それぞれの経緯を詳しく聞いたら面白いだろうなあ
と想像してしまう。

が、これは昔からなのだが、ホントにたまに、
宝塚の生徒さんの芸名の中には、
「をい!そこまでやると、懲りすぎて失敗ぢゃないのかっ」
という、変なの(爆)が、あったりするのだ(逃)。
そりゃユニークなのはいい、目立つ必要もあるだろう、
しかし最低限、名前として綺麗かどうか、
響きとして、なんらかの残念な言葉に酷似していたりしないか、
とくと検討すべきではないだろうか。
しかも、そういう困った名前に限って、
「家族みんなで考えました」
などと由来のところに書いてある。
誰か止めたれよ(泣)。

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フランス語
きょうで12月の本放送が終わってしまい(年末は再放送)、
何と言っても、フランス語の杉山利恵子先生の応用編が
今月でおしまい、というのが残念で仕方がない。
仏語文法の、「そうそう!そこが弱かったんだよ!それだよ!」
と唸ってしまうようなポイントを、毎回必ず押さえて解説し、
きちんとわかるようにして下さった杉山先生は、素晴らしかった。
中級にかかってきた段階の学習者に特徴的な弱点を、
本当によく知っていて下さった先生だったと思う。
近い将来、再放送されることを切に願っている。

1月からの『まいにちフランス語』応用編は、
天羽均先生による『インタビューで学ぶ会話術』が始まる。
自分の英語学習歴から考えてみると、インタビューというのは
どちらかというと上級者向けの素材ではないかと思うのだが、
果たして私の仏語力でついて行けるだろうか。
まあ、わかってもわからなくても聴く、というのが
道楽としての語学だと思っているので、別に構わないのだけど。


スペイン語
一方『まいにちスペイン語』は、登場人物のエリとアレックスだけが
私を置きざりにして、どんどんスペイン語がうまくなっている。
1月は比較の表現と過去形の学習だそうだ。
未だに現在時制だけでうろうろしている私を尻目に(泣)。
しかし私のように積み残しの多い学習者でも、理解できるように、
下田先生は毎回のスキットで細かい文法事項の説明もして下さり、
不規則動詞については原形を確認し、場合によっては活用まで
ゲストのマルタさんに言って頂くという丁寧さなので、
これまでのところ、どうにかついて行っている。
私にとってスペイン語は、完全に中年になってから知った言語なので、
どこかで本腰を入れることが今後なければ、
永遠に、現在時制の不規則活用を制覇しないまま終わりそうだ。


英語
英語は、英検が終わってから完全にヤル気がなくなった(殴)。
別にそんなに英検に賭けていたつもりはなかったのだが、
二次試験をなんとかしたくてジタバタした日々が、
自覚していた以上に自分には負担になったようだった。
『ラジオ英会話』自体、もともと極端に難しい講座ではないので、
要求されたことをこなすぶんには、苦労はないのだが、
この秋までの「一語も逃さない!」という気負いは、完全になくなり、
今は、リピートや( )埋めができればそれで満足して終わっている。
それでも、最低限このラジオ講座だけは、ユルく続けようと思っている。
またそのうち、疲れが取れて次の目標が決まるかもしれないので。

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今夜は主人が仕事で遅くなるというので、
娘とふたり、近所のファミレスで夕食を取り、
カトリック幟町教会のミサに行った。

天気が良く、暖かい晩だった。


皆様が幸せなクリスマスをお迎えになりますように。
クリスマス、おめでとうございます。

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娘の通っているA中高はプロテスタントの女子校なので、
今月はクリスマスの宗教関係行事が多い。
まず12月に入ると降誕祭を待つアドベントが始まり、
教室その他校舎内にツリーやリースがお目見えする。
礼拝に使われるGホールの外壁は、イルミネーションで彩られる。

そして中学部は賛美歌コンクールに向けての練習が始まる。
ピアノ伴奏者、指揮者をクラスごとに選び、
歌の稽古をするところまでは、いわゆる合唱祭と同様だが、
A中学の生徒たちは、課題曲・自由曲ともに賛美歌だけで競うのだ。

12月上旬に期末考査が終わると、練習はいよいよ本格化する。
休み時間ともなれば、校内のあちこちで賛美歌の歌声が響き、
なんとも言えない、穏やかで清らかな雰囲気になる
(音だけ聴けば・爆)。

クラス対抗で、各学年2クラスが「金賞」として表彰されるので、
それを目指し、生徒たちは自主的に朝練・昼練もする熱心さだ。
この賛美歌コンクールの本番は、もともと公開行事だったが、
保護者の間で大変に人気が高く、保護者席が足りなくなることが続き、
近年は中3保護者にだけ、出席が許されることになった。

賛美歌コンクールが終わると、二学期も終盤だ。
二学期最後の日は終業式ではなく「終業の日」と呼ばれ、
これはクリスマス礼拝を兼ねている。
校内行事なのに前日リハーサルまであるという念入りなものだ。

そしてきょう23日は、例年、一般公開で、
『メサイヤ演奏会』がA中高Gホールで行われている。
高校部のハレルヤコーラスを中心とし、
卒業生の音楽家やゲストを招いての一大イベントであり、
在校生・卒業生・保護者の出席がこれまたとても多い。


・・・ということは、一応、知っているのだが、
私は、話に聞くばかりで、これまでそのいずれの行事にも、
実際には、行ってみたことがない。
こんな近所に住んでいながら、どういう怠惰な保護者であることか。
すみません(逃)。

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目眩再発から一週間、外見的には病人ではないところまで来た。
自覚症状としては、まだまだ、姿勢によってはグラグラするし、
頭をまっすぐにしていても、なんとなく鬱陶しい感じはするが、
たまに、どの頭位でもなぜか目眩が起こらず、
凄く調子が良くなる時間もあるようになった。

また、理由は不明だが、このところ毎日いくらでも寝られ、
昼寝をした日でさえ、夜も早くから気持ちよく寝るようになった。
12月3日に初回の目眩を起こした直後は、目眩を無視して動き回り、
たった5日でなおったのはその御陰だったようにも思うが、
やはり疲れていたし、その後10日ほどで再発もしたので、
今回は、体の要求に逆らわずゆっくり休んでみようと思っている。

ときに、この日記に目眩のことを書いていたら、何人もの方から、
『私も経験があります』
という内容のメールを頂戴し、体験談を聞かせて頂くことができた。
本当に、ありがとうございました<(_ _)>。
情報に感謝するとともに、思っていたより多くの方が、
これまで人生のどこかで、目眩を経験して来られたのだということを
今更だが知った。
齢45になるまで目眩と無縁だった私は、
その点ではちょっとばかり、幸運だったのかもしれない。

皆さんのお話に共通していたのは、
・メニエルや貧血などの特徴的な疾病の場合以外は、
単なる回転性目眩というだけでは、診断が確定しにくかったこと
(更年期、自律神経失調症、ストレス、疲労、肩凝り、等々)
・こうしたらなおった、という決定的方法はなかったこと
・処方されるとすればメリスロン、セファドール、ほかビタミン剤等
・悩んで通院したり、忙しくて構っていられなかったりを反復しつつ、
一定期間(1週間程度から数ヶ月まで様々)付き合い、
最終的には、気づいたらなおっていた、ということ
・・・などだった。

『頭位めまい』などの検索ワードで拙日記にいらして下さった方にも
参考にして頂けましたらと思います。

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例によって目眩のつづき
立っていて下を見たり、寝ころんで寝返りを打ったりすると、
ユラユラっと視界が揺れて「うわ!」と思うことは、まだあるが、
目眩のするような姿勢を取っていないときは、
船酔い気分からかなり解放された気がする。
グルグル激しくまわっているときは、本当に乗り物酔い状態で、
これは目眩止めより酔い止めを飲んだほうが効くのではないか、
と感じていたのだが、ネットで検索してみるとそれは正しくて、
目眩で気分が悪いときの処方例として、トラベルミンが出ていた。
今後に備えて、買っておこう。

二学期の成績
私の日常のストレスの9割は家族と自分の健康問題で、
残りの1割は娘の学業成績だが(苦笑)、
昨日の懇談会で2学期の通知表を貰ってみたら、
とりあえず「あひる」は居ても「えんとつ」はなく、
およそ良いとは言えないが、ゼツボー的でもなかった。
美術は苦手な立体制作があったが「4」で、本人は喜んでいた。
ということで娘は今、宿題もせず上機嫌で冬休みを楽しんでいる。
『楽しんでいる』とは、彼女の場合、主として、
寝坊して漫画読んでテレビ見て、自堕落に過ごすことを言う。

ゆっくりする
私自身、のたのたと暮らすことがもともと好きで、
道楽以外のことでは出不精だし、外に楽しみはあまりないほうだ。
娘の自堕落の起源も、実はこのへんにあるのかもしれないと思う。
目眩再発以来、疲れるのも無理するのもいけないと思い、
シンドいことは極力せず、本と音楽とに埋もれて過ごしている。
・・・などというと優雅な感じがするが、要は布団の横に、
昔ながらのCDラジカセを置き、文庫本を積み上げているだけだ。
今朝はリシッツァのピアノを聴いていたが、攻撃的で疲れるので、
オイストラフのヴァイオリンに変更した。伴奏はレフ・オボーリン。
今の読書は、もう昔から何度も読み返した
中田耕治『メディチ家の人びと ―ルネサンスの栄光と頽廃』
こういうときは、初めてのCDや新しい本に取り組む元気はなくて、
どこからでも始められる、馴染んだアイテムが良いのだ。

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お笑いをこよなく愛する転娘みーちゃんの、暮れの風物詩は
居間のテレビを占拠して『M-1グランプリ』を見倒すことだ。
昨夜も、夕方早くからスタンバイOKだった。

三年前のチュートリアルは、娘大絶賛のうちに優勝した。
彼らの「ちりん ちりん」の可笑しさは、
今でもよく我が家でネタになるほどだ。

チュートリアル ちりんちりん(YouTube)

ところが一昨年は、娘のイチオシだったキングコングが、
決勝でサンドウィッチマンに敗れてしまった。
敗者復活から這い上がってきたサンドウィッチマンは、
確かに巧かっただけに、娘も納得せざるを得なかった。

キングコング 2007 M-1決勝(YouTube)

それで、昨年はもう、早くからキンコンキンコンと応援したのだが、
肝心のネタがふるわず、思いがけずNON STYLEに取られてしまった。
キングコングに関しては、前年のネタのほうが遙かに良かった、
今回あっちをやっていれば、・・・と娘は悔しそうだった。

そして、結成10年目で今年が最後の挑戦となったキングコングは
なんと敗者復活戦まで来て敗退してしまったということで、
昨夜娘は大いに落胆し、もはや誰を応援するでもなく、
真っ新の状態で決勝を見ることになった。

しばらくは腕組みをしてフーンと尊大にテレビを見ていた娘が、
俄然、身を乗り出して爆笑の連続になってしまったのが、
笑い飯の『鳥人(とりじん)』というネタだった。
これは凄い、可笑しすぎる、と娘は抱腹絶倒になり、
果たして、審査員の島田紳助が史上初の100点をつけるなど、
決勝戦一回目の闘いは圧倒的だった。

・・・と、ここで、娘に電話が入った。
仲良しのお友達からで、娘は瞬時、テレビを忘れ、
学校のこと、漫画のこと、冬休みのことなどで、
ケタケタと長電話を始めた。

そして、その間も『M-1グランプリ』は着々と進行し、
決勝戦二回目の闘いが終わり、
娘が受話器を持ったまま横目で見た結末は、

笑い飯、ではなく、
パンクブーブーの優勝、だった。

「何が起こったのか分からない」、
と娘は、まるでパンクブーブーご本人たちのような感想を漏らした。

100点の笑い飯を破り、M-1王者はパンクブーブーに決定!(東京ウォーカー)

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金曜日が最悪な病人気分で、目は回るし、
お腹はゴロゴロで吐き気もモヤモヤとするし、
肩凝りがひどくて頭痛もするしで、ヨタっていたのだが、
昨日今日は徐々に回復し、主として症状は目眩だけになった。

今回の目眩は、火曜日に発症して木曜日に一旦消失し、
金曜日に再発して、三日目のきょうは緩やかに回復傾向にあるが、
やはり上を見たり下を見たり、寝ころんだりするたびに回っている。
セファドールを飲むと、一応、気分は良くなるような気がする。

この目眩をなおすには、目眩の出る頭位を積極的に取って、
意図的に、幾度も目眩を起こしているうちに、体が慣れる、
・・・という治療法が、ネットではよく紹介されているので、
昨日今日と、いろいろやってみたのだが、
自分からわざわざ目眩を幾度も味わってキモち悪くなるなんて、
どーゆーマゾな治療方法なんだと、しまいにナサケなくなった。

確かに、目眩の出る姿勢を何度も取るようにすると、
そのうちに目眩が軽くなって来るのがわかるが、
その頭位をしばらく取らないで居ると、また元の木阿弥になり、
うっかり床のものを拾おうとした途端に、ぐる~っと視界が回る。
短期記憶には強いが全然定着しない、という宿主(私)そのものだ。

昨夜など、寝ようとして仰向けに寝ころんだら天井がユラ~っとなり、
漫画でも読んでから寝ようかと左側臥位になった途端、
またグルグル~となり、しばらくして、そうだ目覚ましかけないと、
と右側臥位になったらまたグルグルグル~と回った。
これだけ連続して回ると、さすがに船酔い気分になった。
私は動作がリズミカル、・・・いえ嘘です、とても乱暴なので、
そっと行動する、ということがどうしても身につかないのだ。

**************

さて昨夜、目を回しながら読もうとした漫画というのは、
以前も書いたが、惣領冬実『チェーザレ~破壊の創造者~』だった。
現在7巻まで出ていて、読み返すたびに面白いので、
気分転換をしたいときによく手を出す漫画のひとつだ。

チェーザレに注がれるマキアヴェリの視線は興味深いし、
多感なチェーザレがダンテに並々ならぬ洞察力を示す箇所も印象的だ。
確か、私が大学1年で取った「社会思想史」の、
年度末レポートの課題はマキアヴェリの『君主論』で、
また大学2年の英語講読のテキストはダンテの『神曲 地獄編』
だった記憶があるのだが、あの頃、私は一体何をしていたのだろう。

『君主論』は岩波文庫の日本語のを買って後書きだけ読み、
テキトーにもっともらしいことを並べて終わり、
『神曲』もまた訳本を買って出そうなところだけ読んでお茶を濁した。
そしていずれも、単位が取れたらそれきり忘れた。

今にしてわかるのだが、私は本当にバカだった。
言われた通り、ちゃんと読んで、正面から取り組むべきだった。
手を伸ばせば届くところに、あれほどのものが提示されていたのに、
私は、その意義も理解せず、ただラクをすることしか考えなかった。
私がロクなオトナにならなかったのは、
行った学校や、施された教育が悪かったのではなくて、
単に、私が怠惰で愚かな手抜き人間だったからだ。
豚に真珠とはこのことだった。

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17日には目眩がすっかりおさまって元気になり、
今回はたった二日で目処がついたと喜んでいたのだが、
晩に、ちょっとシンドい演奏会に出かけたのが祟ったか、
それとも急激に冷え込んだ日に出歩いたこと自体が悪かったのか、
昨日は、頭痛と大腸炎プラス目眩復活で、よれよれだった。

良性発作性頭位目眩、という診断そのものは変わらず、
この目眩のときには安静にするとかえってなおりが悪い、
と主治医には言われていたが、
しかし頭痛と腹部不快では気分が悪すぎて起きていられず、
昨日は結局、朝も昼も晩も眠ってしまった。
いくらでも寝られたところを見ると、
溜まっていた疲れがこの機会に出たということなのかなと
思ったりした。

きょうはずっと気分良く起きられたが、
やはり午前中は二度寝をしてしまった。
目眩は初日や二日目ほどではないが、相変わらずあって、
顔を上げたり下を見たりしたときに、ぐる~とユルく回っている。
その頭位のままじっと待っていると、目眩は10秒程度続いて止まり、
頭を起こして、再度、同じ頭位を取ると、二度目はほとんど回らない。
こうしたことはすべて、主治医が言っていた通りの症状だ。

急性期の症状は概ね1~2週間で落ち着いてくるそうだが、
一旦起きた内耳の不調が改善するには、多くは1~2ヶ月、
場合によっては数ヶ月はかかる、と主治医には言われた。
良くなったり悪くなったり、再発したり、というのは普通だそうだ。
ほかの症状が無ければ命に別状はないし、気長に付き合え、
というような話だったが、うっとうしいことだ。

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