昨日、南座昼の部の『一條大蔵譚』を観てきた。
例の目眩が完治していなくて、体力的に不安だったので
今回は、勿体ないがこれしか観なかった。
あの狭い三等席で下を見続けていたら、
そのうちクラっと来て転落しそうだったから(苦笑)。
私は行くが行くまで、今回の一條大蔵卿は
音羽屋(尾上菊五郎)にとって初役だと思っていた。
自分が、音羽屋の大蔵卿を観たことがないからと言って
勝手に初役だと思い込むとは、物凄い自己中心だった。
番附(筋書き)を調べたら、昭和60年11月の国立が初役で、
解説によれば、平成11年の地方公演でも演じているそうで、
つまり今回が三度目であるらしかった。
昭和60年は、成田屋のなつおちゃん團十郎襲名で盛り上がっていた、
という記憶はあるが、それにしてもなぜ音羽屋を観なかったのか。
きっと、何かほかの道楽にウツツを抜かしていたに違いない。
平成11年のは多分、自分の居住地界隈で公演がなかった、
というのが理由だと思うのだが・・・。
ちなみに音羽屋以外での大蔵卿というと、
私は、平成元年2月に猿之助が新歌舞伎座で演ったものが、
非常に強く印象に残っている。
さて、菊五郎の一條大蔵卿なのだが、
序幕の茶店の前のところは、凄く面白かった。
最近の菊五郎には、何か憑いているのじゃないかというほど
ファンの私には絶好調に見えるのだが、今回も、
つくり阿呆の大蔵卿は、愉快だし元気だし楽しいし御機嫌だしで、
客席にも大ウケで、言うことが無かった。
中でも、なんとも言い様のない可愛らしさがあるところが、
ファン的に言って、とても良かった(逃)。
いいコいいコしてあげたいような(殴)。
お京(菊之助)の舞を見ながら喜んで、
座ったまま、自分も一緒に舞い始めてしまうところなど、
あかんぞ、来るぞ来るぞ、という可笑しさがこみ上げてきて、
がたーん!と最後に床几から転落するところまで、
ずっと、音羽屋に目が釘付けだった。
その大蔵卿が、鬼次郎(松緑)と一瞬だけ目を見交わすところは、
やはりなかなか良かった。
大蔵卿がキラリと本性を見せ、ハっと鬼次郎が身を隠すという、
本当に瞬間的な変化なのだが、・・・旦那、格好良かったです(殴)。
しかし残念ながら今回のは、
予想通り『曲舞』などの途中の場面はなくて、
序幕のあとは、もういきなり大詰の『奥殿』だった。
話としてはこれでもちゃんとつながっているので、
別に問題はないのだけど、私としては、正直なところ、
もうちょっと大蔵卿のオモシロいところが観たかったなあ、
という欲求不満が残った。
今の菊五郎なら、自由自在に演じて見せてくれただろうに、と。
大詰そのものは、勿論、良かった。
菊五郎の台詞回しは絶品だったと思うし、
武将然とした雄々しい立ち回りと、品格のある公家としての立居振舞、
そして最後に見せる、もとの「つくり阿呆」の愛らしさ可笑しさと、
良いところがふんだんに詰め込まれていて、見応えがあった。
常磐御前は、一昔前なら雀右衛門が務めたことだろうと
見ながら懐かしい場面がいろいろと思い浮かんだが、
今回の時蔵も素晴らしかった。
不可侵というくらい高貴な生まれと、
それでいて胸に秘めた強い自己主張を持つ、稀代の姫君、
というような役どころが、今最も巧いのは時蔵だと思う。
・・・と言いつつ、下町の性悪女的な役も凄みがあって巧いので、
時蔵というのは、実に恐ろしい役者だなとも思うのだけど。
菊之助は、見る度に美しくなっていて、お京も見事だった。
地味な衣装なのに、りんとした強さと「光」があって、
出てきただけで、お京の存在の意味が客席に伝わる感じだった。
ひょろひょろしていた丑ちゃんが、こんな立派になって、
・・・と親戚のオバちゃん的な勝手な感慨をずっと感じて来たが、
『十二夜』あたりから私は完全に菊之助に圧倒されるようになった。
そして何より私は、松緑を見るのが毎回、楽しみで、
今回もやはり期待を全く裏切られなかった。
胸のすくような美声と台詞回し、切れ味の良い立ち役としての動き、
松緑を見ていると私は、本当に観客としての大きな爽快感を覚える。
父上の初代辰之助の、暗くシャープな芸風とは全く違うが、
今の松緑の輪郭の鮮やかさの中には、
やはり辰っつぁんから受け継がれたものが確かにあると思い、
歌舞伎の世襲の良さを、改めて感じたりも、した。
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