転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



最近は『宝塚おとめ』が手元にないので
テレビで公演を見ても、誰がどのポジションなのか、わかりづらくて困る、
・・・と、主人が、先日来、幾度か言ったので、
きょう、何年ぶりかで、今更なのだが今年度版『おとめ』を買った。

『おとめ』というのは、宝塚版の選手名鑑みたいなものだ。
宝塚歌劇団に現在在籍している団員(=生徒さん)が、
組ごとに、入団年(=学年)順に、全員、掲載されている。
まだ十代であろう初舞台生から、最高齢の春日野八千代先生まで
ひとり残らず、紋付で正装した顔写真が載っている。
同じ学年の生徒さんの場合は、掲載は成績順(爆)だ。
基準はそれだけで、誰がトップだとか二番手だとかは書かれていない
ただ、表紙を飾るのはトップ(=主演)男役のうちのひとりと決まっている。

かつて、なーちゃん(大浦みずき)がトップだった頃と、
たかこ(和央ようか)さんが二番手から卒業までの間は、
毎年、『おとめ』が出るたびに買っていたものだったが、
最近は、とんとご無沙汰だった。

開いてみてビックリしたのだが、
なーちゃんが退団した91年よりあとに入団した生徒さんが、
既に、各組では最上級生かそれに近いところにいて、
私は、ほとんどの生徒さんの初舞台公演を、実際に観たか、
あるいは観劇はしないまでも時代的にちゃんと記憶していた。
考えてみたら当然か。
91年入団の生徒さんだって、もう研19(研究科19年=入団19年)だ。

歌舞伎は三年観ないと役者さんの名前がいろいろ変わってしまうが、
宝塚は三年観ないと知っている生徒さんがかなり居なくなってしまう。
そのことがこのたび、よく実感できた。
若いと勝手に思い込んでいた生徒さんが、
実は既に組長クラスで、自分の浦島ぶりにびっくりだった
(注:宝塚では、花組・雪組・月組、等々の各『組』の
最上級生の生徒さんを『組長』、その次の学年の人を『副組長』といい、
以下、その組に所属する生徒さんのことを『組子』と称する)。

広島出身の生徒さんはときどき見かけるのだが、
今回、かなり若い男役さんの中に、
娘の先輩にあたるA女子高校出身の人を見つけた。
娘がA中に入る前に宝塚音楽学校に合格されていて、
直接の交流はないと思われる学年だったが、
「先輩おるじゃん!」
と主人と娘は盛り上がっていた。

『おとめ』には、顔写真、芸名、入団年、出身校、特技、愛称、好きな花、
好きな食べ物、演じたい役柄、などが箇条書きで掲載されているのだが、
私の楽しみのひとつは、「芸名の由来」を見ることだ。
「同期みんなで考えました」
「自分で考えました」
「尊敬するかたから一字頂きました」
「恩師につけて頂きました」
「きょうだいの名前から貰いました」
「大勢のかたのお知恵を拝借しました」
等々を眺めていると、私はいつも、
それぞれの経緯を詳しく聞いたら面白いだろうなあ
と想像してしまう。

が、これは昔からなのだが、ホントにたまに、
宝塚の生徒さんの芸名の中には、
「をい!そこまでやると、懲りすぎて失敗ぢゃないのかっ」
という、変なの(爆)が、あったりするのだ(逃)。
そりゃユニークなのはいい、目立つ必要もあるだろう、
しかし最低限、名前として綺麗かどうか、
響きとして、なんらかの残念な言葉に酷似していたりしないか、
とくと検討すべきではないだろうか。
しかも、そういう困った名前に限って、
「家族みんなで考えました」
などと由来のところに書いてある。
誰か止めたれよ(泣)。

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