転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



法隆寺から500メートルくらい離れた場所に
藤ノ木古墳があるので行ってみた。
中に入ることはできないが
出入り口の扉の前に立つとセンサーによって
中に電気がついて、石室の一部が見えるという説明が表示されていた。

写真で古墳に向かって歩いているのが娘。
内部の電灯は思ったより暗く
最初は点いてもわからず
まだ明るくなっていないのかと思って、
娘と私は近くにあったセコムのセキュリティー装置を
センサーと間違えて触った。
作動しないでくれて助かった。

しばらくしてやって来た外国人観光客が、
やはり中を覗きながらセコムのセキュリティー装置を触っていた。
皆に一度は電灯のセンサーと間違えられるセキュリティーシステムなのだった。

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娘はきょうのために山岸凉子《日出処の天子》を読み直し
復習に余念がなかった。

これから歴史を勉強する娘の、基盤となる知識は、
最初から耽美的なバイアスがかかっていそうで、心配だ。

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私が聖徳太子に興味を持ったのは小学校6年のときで、
学校の図書館で手に入る本を何冊か読んで、
作文用紙に調べたことをまとめたものだった。
聖徳太子が仏教を大変篤く信仰した人だというのを
そのときに学んだ。

いつか法隆寺に行ってみたいなあと思っていたのが、
中学3年の修学旅行で一旦、叶ったのだが、
当時は確か、バス旅行で、次々と観光地を巡ったので、
法隆寺も本当にざっと案内されて歩いただけだった。

齢45にして、これほどゆっくりと斑鳩で過ごせる日が来たとは
ありがたいことだと思った。
しかし私の頭の中の聖徳太子像は、
もはや、私が12歳のときのままではない。

まず、梅原猛氏の著作によってイメージが一新され、
次に、伊沢元彦氏の著作を読むことでまた新たな見解を知り、
最後に、山岸凉子氏の劇画から多大なる影響を受け、
今や私は、五重塔の上のほうに厩戸の幽霊が出そう、
みたいな気分で、この場所を見上げるような人間になってしまった。

玉虫厨子を見ても、中宮寺を訪れても、
ついつい、よけいなことを考えてしまう(汗)。

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お天気が良いので本日は斑鳩散策。

斑鳩に来ると、「いかるが○○」「太子○○」などの看板が多く、
住居表示は「法隆寺西○丁目」などで、なんだがシビれてしまった。
ここには、ちょっとした別世界があるなあと思った。

去年の飛鳥も面白かったが、歴史の残したものがそのままに、
今に受け継がれている町並みというのは、独特の雰囲気があると思う。
未だに人の手が入っていない、千数百年前の古墳や遺跡が、
きっとこの界隈や地中に、まだいくつもあって、
きょうも、ひっそりと眠っているのだろう。

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