転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



とある才気煥発な少年の言動は四十年後、
単なる『生意気』では済まされなくなっていた、という例が、こちら(笑)。

We have our Tanks in Your Country ..Panzer ..Genau ..(YouTube)

 This was a Soviet dominion.
 Dorensky went up in front of the jury and said,
 "Don't you dare talk to me like that.
 Don't forget that we have our tanks in your country.
 Panzer, Genau……" 


「ここはソヴィエト領でした。
ドレンスキーがその審査員の前に行って、こう言いましたよ。
『私に向かってそんな偉そうな口をきくんじゃない。
貴様の国にソヴィエトの戦車が居ることを忘れるな。
パンツァー、ジュノー、……』」

以前紹介した、映画『Why Competitionsの中の、
ポゴレリチ出演場面の、別の箇所であるらしいのだが、
これってもう、誰かコイツを黙らせろ状態ではないのだろうか(汗)。
普通、周囲はコメントできないだろう、こんな話をされても。

前後関係が無いので、いつの、どこのコンクールのことか不明だが、
やはり彼自身が落選した80年のワルシャワの逸話なのだろうか。
ポゴレリチはこれまでほかの場でも、例えばチャイコフスキーコンクールは
モスクワ開催だったので、音楽院が勝手な介入をしていた、
という意味のことを幾度か喋っていたが、
……私は日本的な発想しかできない人間なので、
いくら自分にとって真実でも、世の中にとってそうかどうかは不明な、
こんな怖いことを、個人名まで出して、よくも人前で言えるなと(((( ;゜Д゜))) 。

いやはや、脱力系の『シワない自慢』と同時に、この爆弾発言、
記録として残る映画という場だからこそ、わざとやったのだろうが、
本当に一筋縄では行かないマエストロ・ポゴレリチなのだった。
だから、ワタシは、この男とは友達になりたくないと言ったのだ(殴)。

ちなみに映画『Why Competitions』は、この秋、
ロサンゼルスの第13回ポーランド映画祭でも上映されることになっている。
現地の反応は、如何に。
The 13th Annual Polish Film Festival Oct.9-18, 2012

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以前やたらと私が盛り上がった、少年時代のポゴレリチの映像のうち
YouTubeで観られるものがあったので、ここにも貼っておきます。

Dolce Vita ..In Moscow ..70's ..(YouTube)
Always more than clear ..(YouTube)
Ivo's Holiday in Belgrade 』というセルビア国営テレビの番組で、
1970年クリスマス頃の撮影ではないかと思われます。
ポゴレリチが親許を離れ、モスクワの中央音楽学校に留学した年、
ベオグラードに休暇で帰省した際に撮影されたものです。
日本で言えば小学校6年生くらいの少年ですが、
堂々と自分の意見を述べる態度や表情は、
既に現在のポゴレリチを彷彿とさせます。

同番組中の興味深い演奏の動画も残っています。
Ivo - Schumann's Aufschwung(YouTube)
Ivo - English Suite #2 in A minor Bourrées 1&2(YouTube)
Ivo - Bach English Suite II, Prelude BWV807(YouTube)
 (ちなみに同曲を1986年ポゴレリチ28歳時に収録したものが、こちら↓
 Ivo Pogorelich Bach's English Suite II, Prelude BWV807(YouTube))

今、私たちが観ることのできる、最も昔のポゴレリチの姿は以下のもので、
9歳で、ユーゴで初めてのテレビ出演をして演奏をしたときの録画です。
彼は7歳になったときにピアノを始めたということですから、
それから3年弱くらい経った頃の映像でしょうか。
Ivo - Chopin Waltz Op.70 No.1 in G flat Major(YouTube)

こうした動画は、私たちに様々なことを考えさせてくれます。
ベオグラードでピアノを勉強していた頃の幼いポゴレリチが、
その後のモスクワ留学でどれほど磨かれたか、
また少年期の終わりにケジュラッゼ女史と出会い、薫陶を受け、
どのようなピアニストへと成長を遂げることになったか、
……私たちは録画を辿ることで、それらを今、逆の順序で追うことができます。
当然のことですが、かの聡明な少年は決して、一朝一夕に、
現在の鬼才と呼ばれるピアニストになれたわけではなかったのです。

2012年の今まで、これほど貴重な映像が保管されていたこと、
また、それらが現在、公開されていることに、深く感謝したいと思います。

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