転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



午前中ピアノのレッスンに行って、帰り道に頼山陽史跡資料館に寄り、
第114回展示「頼山陽の書~その見方と見分け方~」を見た。
きょうもとても暑かったし、昼を過ぎていて食事もまだだったのだが、
もうあと数日で展示自体が終わりだったので、
後回しにして機会を逃してはいけないと思い、頑張って行った。

この資料館は、ひとつの展示が一か月前後は続くので、
期間中いつでも行ける・余裕じゃないか、
と特設展の内容が新しくなるたびに思うのだが、
そうやってのんびり構えていると、毎回すぐに最終日が迫って来てしまう。
前回展示の「平清盛と“平家”の人々~頼山陽からみた~」など、
5月半ばから、ちょうど一か月しか開催されていなかったせいもあって、
ポゴレリチ来日騒動で私が狂っていた間に、簡単に終わってしまった(T_T)。
だから今回は、どうしても見逃さないようにしたいと思ったのだ。

この展示では、山陽の書の、年代別の特徴が解説されていて、
青年期の終わりから晩年に至る作品を追いながら、
彼の書体の変遷がわかるように、鑑賞ポイントが説明されていた。
若い頃の山陽は、父・春水に倣った頼家らしい闊達な筆遣いで、
力強い書を残しているのだが、中年に差し掛かるにつれて、
そこに、彼らしい構成感を生かした、躍動的な面が加わって来る。
右肩上がりの、動きのある配列で、文字に生命力が溢れてくるのだ。
そして晩年(と言っても50代だったわけだが)になると、
更に、文字全体のシルエットが丸みを帯びてきて、
独特の柔軟さが現れて来るようになる。

山陽がもっと老年になるまで生き長らえていたら、
彼の書は、どうなっていただろうか……、
ということも、とても興味深く想像させられた展示だった。
この人の書は、文人画の素養も相まって、
紙の上での空間を構成する感覚に優れており、絵画的な魅力が見える。
細い線にもしなやかさや勢いがあり、
字画の多いところも、塗りつぶされたようになることが決してなく、
文字と文字の間隔にも、絶妙な配慮がなされているのだ。
ゆえに、贋作との見分け方も、そのあたりにポイントがあって、
今回は有名な贋作もいくつか、比較のために展示されていたが、
線が弱々しかったり、墨を付けすぎて重くなったりしているものは、
ほぼ、偽物と思って間違いがない、という意味のことが書かれていた。

それにしても、漢詩の会での頼山陽との出会いが縁となり、
私は(前回展示は見損ねたが)二年近く前からだいたい欠かさず、
この資料館の特集展を観に通って来るようになったので、
かねて心配していた通り(^_^;、どうも、ついに顔を覚えられたようだった。
受付の方が、きょうは常設展や特集展などの説明はなさらずに、
「もう、おわかりですよ、ね?」
と笑顔を見せられたのだ(汗)。
は、はい。
既に常設展までは見なくて良いくらいの常連に、なりましたです(^_^;。

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