保護猫と暮らす隠居爺の“自然農法”野菜作りとスキーの日記

5~11月は自然農法による自給用野菜作りと冬に備えた体力作り、12~4月はスキーに明け暮れ、保護猫活動は1年中無休です。

自然死・老衰死・安楽死・尊厳死の関係

2012年08月21日 | (雑学Ⅲ)高齢者の自殺を考える

“死”は医学的に見て、その形態により
自然死、病死、災害死、事故死、自殺、他殺に分類されると言います。

また、死の原因すなわち死因は、死に至る基本的病態に従って分けられ
消耗死、脱水死、呼吸不全死、心不全死、中枢障害死、貧血(無酸素)死
代謝死、ショック死、事故死などがあげられています。

「自然死」とは、本来、疾病その他の原因がなく死に至ることで
いわゆる寿命を全うした「老衰死」のことと漠然と考えられていました。

寿命とは、われわれ人間をはじめ、すべての生物の生命の限界を意味するもので
これは種族あるいは個体によって大きく異なります。

一方、なんら病的変化のない状態での生理的現象である老化の最終が老衰死であり
そのときの年齢が寿命と考えられ、人間では100歳以上とされています。

しかし実際には、完全に老衰死といわれる状態がみられることは
きわめてまれであることは病理解剖において常識とされています。

このため、1977年カリフォルニア州で成立した「自然死法」によれば
 もう回復が不可能と分かってから本人の意思表示が明確であれば
延命のための医療行為を中止しても違法ではなく
それは自然な死を迎えさせる通常の医療判断の範囲であると定められました。

基本的には日本でもこれが「自然死」とされているようです。

 

老衰死
(分類上は自然死に含まれます)

高齢者が死因と推定できる病気が無く、老衰によって自然に生を閉じた時は老衰死と言います。

従来、高齢者の死因は老衰と表現されることが多かったのですが
近代における医療技術の環境下では
医学的原因には不適切であるとしてこの表現は少なくなりました。

これは、老齢による代謝・免疫・回復能力の不全による死因を
診断上の心不全・肺炎・多臓器不全・脳卒中などの病死扱いとすることが多くなっているためです。

しかし、実際は、何らかの慢性疾患に対して治療が行われていた場合も含み
高齢者の死亡原因は多岐に渡り、真実の病名が明らかでないにもかかわらず
それらしい病名がつけられる場合も多いそうです。

特に生来、健康であった人の場合、死亡に至った原因の究明は監察医制度のある地域を除き
体表所見の観察以外の検査はほとんどの場合行われることはないので解剖などによる確定診断ではなく
上記のような“単に状況から推定されただけの病名”がつけられていることになります。

つまり、老衰というきわめて漠然とした死因ではないにしても
かと言って正しく診断された病名がつけられているというわけでもないのが現状なのです。

このことは、死亡原因を究明するための検査には高額な費用を要することが原因と聞きます。

具体的には、死亡後の検査は健康保険が適用されないため、血液検査だけで数千円
これで死亡原因が確定することは少なく、次にレントゲンなどの画像診断を行うと数万円
しかも死体のレントゲンやCTを撮影する機械は、多くの場合
患者用とは別の部屋に別の機械を設置しないと患者が嫌がるため
撮影を行えるケースはまれであるとされています。

それでも死亡原因が確定しない場合は解剖が必要になりますが
数十万円の費用がかかり、これらの費用は犯罪が関わると警察が考えた場合は警察の負担
医療機関が解剖を望んだ場合は医療機関の負担
患者家族が望んだ場合は患者家族の負担となってしまいます。

このように、高額な費用を掛けて得られた正確な病名か
一人の医師の(検査は一切無しの)検案のみによる推定による病名かによって
全くその意味が異なってきます。


自然死
(本来は老衰死を指していました) 

原因となる病気があって、しかし回復の可能性が無く

これ以上の治療行為をするのは患者に負担をかけるだけであり、治療義務はないと判断して
治療行為を中止することでもたらされる死で、法的違反性については曖昧なままです。

「尊厳死」または「消極的安楽死」という場合もあります

 

尊厳死とは、自然な経過に任せること、つまり、人格の尊厳性を最後まで保って死を迎えるために
無理な延命措置を施さず、自然な経過に任せること、です。

安楽死は、人為的に死期を早める処置をすること、つまり苦しみから解放するために
苦しみながら生き長らえる人に薬物などを用いて人為的に死期を早める処置をすること、とされます。

どちらも不治の病気や重度の障害などの患者に限られます。

①延命治療を中止する…尊厳死

②患者の命を絶つ行為をしたり、自殺を幇助(ほうじょ)する…安楽死

ただし、専門的に用いられる時は
「安楽死」自体が①と②両方の意味を持っている場合がしばしば見受けられます。

すなわち、「安楽死」を「消極的安楽死」と「積極的安楽死」の2つに分類するという考え方で
一般に「尊厳死」と呼ばれているものを「消極的安楽死」
「安楽死」と呼ばれているものを「積極的安楽死」とするということです。

①延命治療を休止する…尊厳死または消極的安楽死(⇒自然死)

②患者の命を絶つ行為をしたり、自殺を幇助(ほうじょ)する…安楽死または積極的安楽死

一方、「尊厳死」という言葉には、先の①の意味以外にもっと広い意味もあるようです。

すなわち、死を迎える本人が誇りをもって、あるいは個人の理念に従う形で死ぬということです。

これは延命するとかしないとかという問題ではなく
個人の納得する形であれば、あらゆる場合が「尊厳死」と呼び得るということです。

ただし、この場合の「尊厳死」は単に字面を捉えた「尊厳のある死」ということですので
どれほど一般的に受け入れられているかは不明です。

さらに最近、私と同世代の医師の間から言い出されている「自然死」や「平穏死」は
従来の①の延命治療の前の段階で全部または一部の治療を
本人が選択して“拒否する”ことによって枯れたような状態で楽に苦痛もなく死ねるというのですから
「今までの自然死」とは違うような気がしてなりません。

(個人的には「新しい自殺の提案かも…」と思われるこの“死に方”ついては後日に改めて)

このように、勉強不足は否めないにしろ、私が調べる範囲では
これらの言葉の日本における解釈に今一つはっきりしない部分を感じるのは
医師会が尊厳死を容認し、厚労省の終末期医療のガイドラインもできているにも拘らず
明確な意思表示がある延命治療の中止、つまり、いわゆる尊厳死でさえ
未だ法律では合法化されていない現実があるからなのでしょう。

実際の医療現場では、医師と家族との“阿吽の呼吸”などという
曖昧な形で行われている現実を早期に改めなければ
それぞれの言葉の意味は明確にはなりません。

票が集まらないから、との理由で
積極的に取り上げない政治家に任せておいてはちっとも先に進んで行きません。
 

 

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