文章を書く仕事ではないけれど、仕事と書くことを結び付けて書くことを仕事の一部にしています。
私が書かないと店の仕事は成り立たないし、少数だとはいえ私が書いたものを読んで共感してくれる方もおられて、大変有り難いことだと励まされています。
どんなに下手だと言われても、私は書くことを止めないと思うし、それは話していることと同じようなものだと思っています。
話す時、言ってしまってからでは取り返しがつかないので、なるべく考えてから話したいと思っていますが、私にとって話すために考える時間は短すぎる。
将棋の対局のように十分考えてから次の言葉を発したい。
望むのであれば相手にも十分考える時間を与えてもいい。その間私はその次の何を言おうか考えておこうと思います。
腹を割って話すとか、思っていることを何でも話すというのは仕事においては良いのかもしれないけれど、日常生活においてはそれが良いのか、悪いのか分からない。
私の場合、言わなくてよかったと思うことはあっても、言ってよかったと思うことはあまりありませんでしたので、発言こそ慎重にしたいと思います。そして自然と口は重くなります。
話す言葉と違って書くことは考えてから発言できますので、私にはものすごく有り難い。
書くことでよく考えているのは、下書きをノートにしようか、手帳に書こうか、あるいは原稿用紙にして保存しておこうかなどということです。
しかし本当はどれを使おうが大した違いではなく、道具によって書けるものが変わるわけではない。それについて考えるのが楽しいのと、書くことがより楽しくなるだけだということも分かっています。
文章を書く時に、何に書こうかと考えている時と、どういうものを書こうかと頭の中で考えている時が一番楽しい。
時間の経過、空間の移動を忘れるくらい没頭できたら一番楽しいけれど、そこまで集中力が高まることはそうそうあることではありません。