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元町の夕暮れ ~万年筆店店主のブログ~

Pen and message.店主吉宗史博の日常のこと。思ったことなど。

同じ時代に生きる

2014-04-20 | 実生活

毎日仕事をしていてよく思うのは、一人でなくて本当によかった。仲間達がいてくれてよかったということです。

一人でずっと仕事をしていると狭い考えに捉われて、同じ思考の中をグルグル回って、とてもつまらないことをしていたと思います。

きっと6年半も続けることはできなかった。

例えば商品の企画を思いついたりした時に、考えた自分は当然良いと思っているけれど、きれいな絵が書けて、辻褄の合った企画書が書けたら、その作業に惚れてしまって、その企画自体が良いと勘違いしてしまうことがあります。

仲間がいて企画を話すと、良くないものは反応が悪い。何よりも話しているうちに自分で気付いてしまう。

やはり自分一人の考えというのは私の場合、つまらないものになることが多いので、一人で店を長く続けておられる方を知ると、本当にすごいと思うし、その方の気持の強さのようなものを感じます。

私たちの仕事人生は40年か50年くらいの短いもので、それは地球の歴史の中ではほんの一瞬の出来事でしかない。

一瞬のうちに同じ時代に生きることができた仲間たち、そしてそれを見守ってくれているお客様方とは、本当に縁があったのだと思います。

いろんな難局が訪れるし、時代は大きく変わろうとしているので、私たちも、お客様方もともに仕事において生き残るのに難しい時代だけど。

私たちは皆生き残るために依存し合って共同するのではなく、面白いから共同する。

ご飯のためではなく、ロマンのため(それを捨てたらご飯が食べられなくなることも分っているけれど)に、それぞれの独立性を前提としてたまに共同する集まりができていることは、もしかしたらとても恵まれている、奇跡に近いことなのかもしれないと、あるお客様とメールでやり取りしていて思いました。


2014-04-08 | 実生活

最近は会社勤めの男性でもヒゲを生やしている人を多く見掛けるようになって、私が働き始めた時とは変わったなと思います。

似合っていて、見た人に不快感を与えなければいいと思うし、男らしさが強調されるものなので、そのように見られたいと思う男性が増えているのはとてもいいことだと思います。

私の周りでもヒゲを生やしているひとは珍しくなく、ル・ボナーの松本さんの顔にヒゲは最早なくてはならないものになっていてかっこいいし、ライティングラボの駒村氏もヒゲでさらに男前を上げている。

先日店に来てくれて、高校以来の28年振りに再会した同級生のS也くんもヒゲを生やしていてカッコよくて、当時男前だった子は齢をとってもやっぱり男前だと思いました。当時ヒゲはなかったけれど。

先週の休日の信号待ちの車の中から、横断歩道を歩く人たちを見ながらの会話
「最近ヒゲの男の人が多いよね」
「そうやな、似合う人だったらいいね。仲村トオルとか西島秀俊とかなら許せる」
「それただの男前やろ」
という会話の後、私の顔を見た妻が
「あれ!ヒゲは?」
「気付いていると思ってた。もう半年前からないで」
私が5年以上あごに生やしていたヒゲを剃ってしまったことに、妻が気付いていなかったことに驚きましたが、ヒゲというのは特長にはなるけれど、影の薄いパーツだと思いました。

数分前に会った人のヒゲの特長をはっきりと覚えている人は少ないのではないかと思います。


いい大人の顔になりたいと思います。

ヒゲを生やす人はきっと私と同じ想いでヒゲを生やしているのだと思うし、ヒゲは男の顔に深みのようなものを与えることが多いものだと思っています。

鏡に向かって自分の顔を見た時に、最近何となく違和感を覚える。

鏡に映っている人物が自分と同一人物であることが不思議に思うような感覚。

私の外見はまだ一人の男が45年間いろんなものを背負って生きてきた重みのようなものが表れていなくて、でもそれはきっと私がそういう生き方ができてこれなかったから、こういう顔なのかもしれません。

顔には、特に男性の顔にはいくら言葉や服装で取り繕っても、誤魔化せないものが表れるのだと思います。

それはきっと人相という、顔の作り、美醜ではなくて、醸し出す雰囲気のようなもの。

私たちは人を見て、特に顔を見て、何か先入観のようなものを持ってしまうことがあります。

でもそれは本当にナンセンスな、根拠のないもので、そのイメージはテレビなどで似た顔の俳優さんが悪い役をしていた、くらいの他愛もないものです。

世の中に人相学や占いのようなものがあるけれど、どんな根拠があるのだろう。


誇り

2014-04-01 | 実生活

少し前の話になるけれど、百貨店のお歳暮売れ残りセールの模様をテレビで観ました。

カートいっぱいに商品を詰め込んでいる人、商品を取り合う人の姿、この光景を背景に売れていると喜んでいる百貨店担当者。

百貨店がこういうことをやってはいけないと思いました。

人のプライドを捨てさせるような企画を、売れると分っていてもやらないのが、美しい暮しを提案して、夢を見させてくれる百貨店の存在意義で、それを忘れてしまったら衰退の道しか待っていない。

安く、たくさん欲しいという、人の一番弱いところをついた商売にプライドは感じられず、それは様々な業界で普通のことになっています。

どの企業も自分達の扱う商品、サービスで人を幸せにすることを企業理念に盛り込んでいると思うけれど、そのモノのさばき方はそれに合っているとはとても思えない。

お店は、心を込めて、愛情を持ってお客様を先導する立場にあると私は思っているので、そのお店がお客の品格を下げるような場面を演出してはいけないと、商売人の端くれとして、そのなりふり構わない姿勢を恥ずかしく思います。

私は一緒に仕事をする取引先、お店の備品やサービスを提供してくれる会社など、ここの考え方、仕事の仕方に共感する、ここにお金を払いたいと思うところとだけ付き合いたいと思っていて、いくら安くてもその仕事の仕方に品格が感じられなければその話しに乗りたいとは思わない。

お店や会社は、お客様からそういう目で見られることを意識するべきで、商品の売り方に誇りを持ってほしいと思います。

狂言師の安東伸元先生がいつも言っておられる「日本人としての誇り」は経済という世界の中では失われてしまって久しいのかもしれないけれど、その揺り戻しは必ずやってきて、誇りを持って仕事をしている企業が最後に残っていると信じています。

売り手、作り手は誇りを持って商売をし、お客様にその商品を手にしたことを誇りに思ってもらえるようにしていくことが、私たちが誇りを取り戻す第1歩になるのだと思っています。


だから、当店で商品を買って下さいという話しだと、それこそ誇りも何もあったものではないので誤解なきようお願いします。

 


義にさとる

2014-03-02 | 実生活

私たちは誰かが作ったものをお客様に買ってもらうことで必要最小限の利益を得ています。

必要最小限の利益なのは、それがないと続いていけないし、それが大きすぎるとお客様から相手にされなくなるからで、そのバランスを取らなくてはいけない。

お客様に買ってもらうのが仕事だけど、ただ普通に物を手に入れていただくだけではだめで、やっぱり他のお店とは違うと思って買ってもらわないと次はないと、小さなお店は肝に銘じておかないといけないのだと思う。

売上が悪くなってから、何かが良くないと気付いて慌てるようでは遅く、お客様に商品以外に何か喜びを提供できているかを自分でいつもチェックできていないといけないということは、少し使い方が違うけれど、君子義にさとり、小人利にさとる、という言葉から連想されます。

前にこのブログで、物を売っている自分の仕事について迷いがあったことについて書きましたが、その時私は思想と利益が両立しないものなのだと思っていました。

志の高い仕事は利益のことなど考えないような、それが尊いことなのだと思っていて、何か仕事において利益を得ようと思ったら、理想とか志と違う気持ちの整理をつけて、利益を得ると割り切らないと得られないものなのだと勘違いしていました。

でもそれは先ほどの小人の商いで、本当は理想とか志に則って商売をして、その結果得られるものが利益であると考えることは、きれいごとでもなんでもなく、仕事をして商売をしている以上追究するべき基本中の基本の考え方で、自信を持って利益を得られる仕事をしないといけない。

理想と生活は、何か相反するものに感じられるけれど、それを両立させようと人が努力している様が生き様であって、どちらか一方に偏りすぎてしまうと、それはただのきれいごとだったり、ただの狩猟と変わらないものになってしまいます。

本当に、心から思っていないと実践できない難しいことだけれど、相反する様々なものの間でバランスをとっている仕事こそが、美しいものなのだと私は信じている。

たぶんどんな仕事であっても同じなのだと思います。

 


親の期待

2014-02-11 | 実生活

ノートを前にして何を書こうか逡巡している時、万年筆の場合、キャップを開けたままだとペン先が乾きかけてしまい、書き始めにインクが出ないことがよくありますので、その場合はボールペンやペンシルを使う方がいいのだと思います。

万年筆で書く場合、頭の中で何を書こうか考えて、内容を煮詰まって、気持ちが盛り上がってから一気に書くということになります。

バスを待っていたり、歩いている時に書く内容について考える段階で万年筆で書くという行為が始まっているのだと考えると、万年筆で書くことは、考えるという楽しい行為をもたらしてくれるものだと、当たり前のことかもしれませんが、思い当たったりします。

それが楽しくて私はずっと万年筆を使っているし、ホームページやブログにいつも何か書いたものを公表して、仕事の一部としている。

自分で設定した締め切りに追われる生活だけど、書くことや書くことについて考える作業を仕事にすることができていることは恵まれているし、少なからずそれを読んでくださる方がおられることはとても有り難いことだと思っています。

自分が唯一好きなのかもしれないと、若い頃に思った書くことを、こんな形で続けることになるとは思ってみなかったけれど。

母は私に祖父の跡を継いで医者になって欲しいと思っていたけれど、私はそんな言葉にいつも反発していた。その前に成績がとてもついていけなかったけれど。

母が勉強しなさいと言えば言うほど、私は鉛筆を手に取らなくなった。

母を喜ばせたいと子供心に思うこともあったけれど、やはり長続きしない、重度の勉強嫌いだった。

でも本を読むことは好きで読んでいて、それを母も喜んでくれたので、自分の好きなことと、母が喜んでくれることが一致して嬉しかった。

母の期待を裏切り続けて、高校の頃には自分の息子の在りのままを受け容れるしかないと諦めさせてしまったことに、今では申し訳なかったと思っている。

子供がいるとどうしても自分の夢のようなものを託してしまって、いろいろ期待するのが親心なのかもしれない。

でも私は自分の息子に対して自分の夢のようなものを押し付けるようなことはしたくないと、反発心をいつも持っていた子供の時の気持ちを思い出して思う。

私は自分の夢を自分で叶えようとすることで精一杯で、息子にそれを託す余裕がないのかもしれないけれど、息子の人生は自分のそれとはまた違うものなので、いくら親でもそれを押し付けることはできない。

息子も、そして私が大切に思っている同じくらいの齢の若い子たちにも、時間がかかってもいいから、自分の人生を自分で見つけて、楽しみながら、苦労して、自分の力で精一杯生きて欲しいと思います。

 


齢の心境

2014-02-04 | 実生活

70歳の父が最近たくさんある写真、アルバムの整理をしているという。

私たち家族ができてから、カメラ好きの父が撮った写真の一部はアルバムに収められているけれど、収納されていないものが多く、それは大変な作業だと思います。

最近父は手帳に、保険のこととか、土地のこととかの覚書のようなものを書いている。

「いつ死んでもおまえたちが困らないようにしようと思って」というのがその理由で、「死ぬ準備をして、長生きしてください」というのがやっとでした。

母は若くして亡くなったけれど、何となく父のそれはイメージできないし、言葉にするのも憚られるので、自分が死ぬことを意識して、片付け始めていることを聞いて、何と言っていいのか分らなかった。

でも70歳まで生きるとそういうことも考えるのかもしれないと思うと、父も齢をとったのだと思うし、それは自分も齢をとったと認めざるを得ない。

孔子が言った十有五にして学に志す心境はスルーしてしまったけれど、四十にして惑わずの心境は自分の状況に置き換えて実感することができました。

それまで自分の仕事においてジレンマに思えていた様々なことが、自分の中でスッと溶けたような感じがした。

今なら若い時の自分に上手く説明することができるような気がします。

若いときにあれこれ考えていたことが嘘のように解決したのは、40歳くらいになってからで、それまで答えを探し続けていたのは何だったのかと思います。

三十にして立てなかったけれど、20代から30代になる時に、このままでいいのかという想いがとても強くなりました。

10代の時の漠然とした将来の不安とは違う、このままズルズルと行きたくない、何かを変えないといけないという焦りのような心境が30になる時にあって、もしかしたら共感してくれる30前の人がたくさんいるかもしれません。

五十にして天命を知るということになっていて、一生懸命に生きている人には天命が下されるという。

私には天命が下っているものだと思っていたけれど、まだ何かあるのか、楽しみにしている。

それが天罰でなければいいけれど。

2500年以上も前に中国に生まれた人の齢を追うごとの心境を割と皆が形は違っても同じように感じるのは、人間のDNAにこのような心境がプログラムされているのかもしれません。

でも分らなかったこと、実感できなかったことが分っていくのは何か楽しいような気がします。

 


若い頃の借り

2013-12-15 | 実生活

誰でも未熟で、不細工な行動しかできなかった若い頃に叶わなかった夢や、成し得なかったことを借りのように、いつまでも心に引っ掛けて持ち続けているのではないかと思います。

もしかしたら、その後の人生は本人が意識しているかしていないかは別として、その時の借りを返そうと努力する側面もあるのかもしれないと思うことがあります。

それが返せるものであればいいけれど、それが返せないものであれば、きっと生涯背負い続けて、何かを成す時のエネルギーになるのかもしれません。

 

学校の歴史の授業で千利休の名前は聞いたことがあり知っていましたし、大河ドラマなどでは何かの策謀に加担する、影の仕掛け人的な存在で、悪の代表のように子供心に思っていました。

大人になって、物の美しさについて真剣に考えるようになった時、茶道や千利休は避けては通れないものでしたので、自然と関連する本を読むようになりました。

初めは千利休という人に興味を持ち評論や小説など、千利休とつくもので買えるものは全て読みました。

これは万年筆を知ったばかりの頃の熱中の仕方で、その前はブルースでした。

千利休について様々なことを知るうちに彼が茶道によって残したかった美の定義が何となく理解でき、ものの美しさの見方で影響を受けていますが、物の考え方なども茶道や千利休の影響は強く受けています。

店を始めた時に、ある程度時間を自由に使うことができるようになって茶道を習い始めました。

茶道を習い始めて本で読んで知ったことの裏づけができましたが、さらに物の道理を知ることができました。

それは万年筆からも気付くことがありましたが、より広範囲な、人の営みにおいての道理について考える上での定義を知ったという感覚でしょうか。

頭の良い人なら茶道を習わなくても分るようなことなのかもしれないけれど、それに気付くことができたことは大きな収穫でしたし、口では言い表せない自分が感覚的に正しいと思う態度や物事への対処に後ろ盾ができたような気がしました。

何のことを言っているのか分らないかもしれないけれど、ひとつの例えとして、自分の良い感情による沈黙は変なものではなかったというようなこともそのひとつです。

私はこれまでの人生において、自分の態度や感情が日本人として正しいものだと思っていたけれど、様々な考え方などを見聞きして、それが正しいことかどうか分らなくなっていました。

でも茶道に触れることで、自分の血による感覚的な行為が間違いではなかったことを確信できたのは大きな収穫でした。

400年以上たった今も多くの人に影響を与え続けている、千利休の確立したものの大きさに気付きます。


なぜ書くか

2013-08-06 | 実生活

大学生の時の私は、人生の目的が見つけられず、ただ漠然と周りにいる大人たちのようにはなりたくないと思っているだけで、何も行動を起こしていない冷めた若者でした。

自分が企業の人事部の採用担当者だったら、間違いなく採用しないと思います。

でも当店で毎月最終土曜日(今月は31日)に聞香会をして下さっている森脇直樹さんが来たら、間違いなく採用するだろう。

彼には一緒に何かやっていきたいと思わせる人間的な魅力があります。

それはもしかしたら、ただ波長が合うのか、彼が合わせてくれているのか分らないけれど。

店を始めてから知り合って、関わりを持つようになった大学生や若い人たちは皆自分の道を見つけていて、意見もしっかりと持っているけれど、私たち年上を立てるような礼儀正しさも忘れずに示してくれる、非の打ち所のない人たちばかりで恐れ入ります。

森脇さんは今就職活動中だけど、早くどこかやり甲斐を持って働くことができる職場に出会って欲しいと思っています。

 

土曜日の閉店後、WRITING LAB.の打ち合わせがあって、聞香会の後はいつも森脇さんも参加してくれて、意見を言いながらも、バラバラな大人たちの意見を上手くまとめようとしてくれたりしています。

その打合せの後、森脇さんが運転する車で、自宅まで送ってもらうことが少なくありません。

森脇さんは最近、ご家族で私と同じ区に引っ越されてきて、家がとても近くなりましたので、今まで以上に送ってもらいやすくなったと、一方的に喜んでいます。

車の中でも、ポツポツといろんな話をしていますが、私が森脇さんにできるアドバイスなどはなく、対等に意見を交換し合う。

夜の旧神明道路を走りながら、そんなちょっとした時間が好きで、いつも甘えて送ってもらっている。

先日の話は、なぜ書くのかというテーマ。

私はホームページやブログなどにいつも文章を書いているし、森脇さんも香についての知識や感じたことをいつも書き残していたり、毎月当店が発行している「雑記から」にも寄稿して下さっている。

私は万年筆を使うことで書くことが楽しくなる、書くことで人生は必ず良くなるということをいつも伝えたいと思っていて、それを実践しようとしている。

書くことは自分の中にあるもの、見たことなどについて考えて文章にすることだということをそれらで訴えかけているつもりです。

その中身の考えが足りなかったり、間違っていてもいい、自分で考えた自分の意見を持つことが一番大事だと、万年筆が教えてくれることを伝えたいと思っています。

それは今では使う人が少なくなっていると言われている万年筆を少しでも多くの人に使ってもらいたいと思って、店を始めた理由と同じで、店をしていることと、書くということは私にとっては同じ源泉を持っています。

森脇さんも、自分が魅せられた、今では一部の人のものになっている香道をもっと多くの人に知ってもらうために活動していて、その活動の中での自分の考えの記録として書いている。

森脇さんの書いたものは、香への若い情熱に溢れていて、情熱が最も尊く、偉大なものであることを再認識します。

私もいつまでもそれを持ち続けて、同じメッセージを発信し続けたいと思っています。

 


心が動く

2013-07-21 | 実生活

どんな近くでもいいからどこかの場所を訪れることで、いろんな連想が働いて、考えたり、イメージが膨らんだりするので、家でじっとしているよりも、昼間はなるべく出かけた方がいいと思っています。

どこかを訪れることで頭が回りだすのに対して心が動くのは、人と会うことです。

日頃会わない人と会うことで、その人のことを考えて、感心したり、心配したり。

その余韻はしばらく続き、心がその人のことを考える。

この町でどんな生活をしているのか、どんなことを楽しいと思っているのか、これからどんなふうに生きていくのかなど。

会った人について心で考えることで、なるべくなら感情を表に出さないとようにしている自分の心が動くような感じがします。

建前や表面的に聞こえて欲しくないので、親愛の情を示す言葉を口にすることを恐れているところがあって、それは私が言葉を信じていないからだと、誰かに言われたことがありましたが、心が動くことが多くなって、その言葉も少しは口に出せるようになってきたと思っています。

先日、加古川に行く用事があって、近くまで行ったので妻に誘われて姪がアルバイトしているアメリカサンダルの店を訪ねてみました。

ショッピングセンターに増築されたようなプレハブの店の中で彼女は一人で店番をしていました。

お客さんが来たらいろいろ勧めて買ってもらったりして、売上を上げようと一生懸命働いている。

カラーコンタクトを入れて、髪を染めている今風の姪との10年近く振りの再会は、彼女の今の生活や将来について想い、がんばって幸せになってもらいたいと思います。

久し振りに昼に訪ねた加古川(夜には数ヶ月前にH兄を送って行ったので)で、久し振りに姪と会ったことで、頭と心が動きました。

その後、姪に会った余韻を二人で感じながら、遠回りして加古川の田園地帯をドライブしながら帰ったことで、良い一日になったと思いました。


店という場所は誰かが毎日来てくれるので、いつも心を動かしていられる。

でも来てくれた人に対して、興味を持たないと心は動かない。

もちろん変な意味ではなく、その人に興味を持って、その人のことを知ろうとする。

知って心を動かして、相手の心が動くものやことを提供すること。

お店としての基本なのかもしれないけれど、私はいい齢になるまで気付かなかったかもしれません。


世界の中の日本

2006-09-16 | 実生活
ずっと頭の中にあるテーマに、「世界の中の日本」というものがあります。
私たちが海外の情報を机上から簡単に知ることができるようになり、世界に物が様々な店で見ることができるようになったということは、世界中の人が日本の製品を見ることができるということです。
そんな時代にヨーロッパのデザインの真似や、借り物のコンセプトで物作りをしていると国際的な競争力をなくしてしまうばかりでなく、それを使っている人までが恥ずかしい想いをしてしまいます。
私たちの血から生まれる日本のもの作りが今強く求められていると思っています。
日本のデザインの美学、伝統工芸の技。それが一体になったもの。
そんなものが「世界の中の日本」と考えた時のもの作りであり、私も自分にできる範囲でそれを実行していきたいと思っています。