これはもう有名ですよね。釘1本も使わずに橋ができたもの。岩国の錦帯橋。
父の1番姉は今年で91になる。同じ山口県とは、エリアが違いすぎる。日本海側の何もない漁村に住む伯母もずーっと会っていない。私が「会わせ屋」の役目なので、ケアマネジャーや、ヘルパーさんとの連絡を取り合い、会わせるのに成功!!91になる伯母も「ろう」の方です。1933(昭和8)年を境にして、ろう学校における手話指導は禁止し、聞こえる人に近づけようと発音教育を重視にしていたため、成績表の項目に発音関係のものが載っています。
今の時代、手話といっても、日本語とは異なる文法を持つ正式な言語であると認められるようになり、ろう学校の先生でも手話が必須。(昔は手話で授業が行われたなんて全然なかった。ろう者を抑圧し、健常者優位。)
祖母が大切にしていたものを91になる伯母に成績表を手渡し。自分の母や、当時のことを思い出したのか感慨深く眺めていました。施設のヘルパーさんも手話ができている方なので、すごく安心しました。
ずーっとドライブして小さな漁村の故郷に帰る前に萩にお立ち寄り。
沖縄の方言も同様だったようで。厳しい時代でしたね。
オイラの家族の親戚は近くなので、このような親戚孝行はないです。なので良いなぁと思ってしまいました。
ロングドライブ、お疲れさまでした!
昭和時代の手話禁止により、第一言語が奪われていました。手話が第一言語であれば、書記日本語の取得できるはず・・・昭和時代の教育方法が間違っているんですね~。
沖縄の方言もダメだったんですか!?大日本帝国の抑圧は凄まじいですな~!アメリカのおかげで大日本帝国崩壊し、今の日本になってよかったと思っています。