東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

最果ての鉄路・宗谷本線

2008-09-04 00:00:00 | 北海道・道北

 今日(8月26日)は旭川から特急スーパー宗谷1号で最北端の稚内へ移動。
 何も知らずに宗谷本線に乗っても楽しくないので、事前にリサーチ。

Railmap183  国鉄監修・交通公社の時刻表 1977(昭和52)年12月号に載っていた北海道の鉄道地図。
 
 今の時刻表を開いて見ると、道内主要都市を結ぶ路線のみになってしまいました。

 辛うじて宗谷本線だけ残して、枝分かれした網の目のような路線は廃止。
 1987(昭和62)年4月、JR北海道発足時の路線図はいくつかの路線があったような気がする・・・と、調べてみました。

<JR北海道としての廃止路線>
 天北線、名寄本線 1989(平成元年)5月1日廃止
 深名線 1995(平成7年)9月4日廃止

<JRに引き継がれることなく国鉄時代に廃止してしまった路線>
 羽幌(はぼろ)線 1987(昭和62)年3月30日廃止
 興浜南(こうひんなん)線 1985年(昭和60)年7月15日廃止
 興浜北(こうひんほく)線 1985年(昭和60)年7月1日廃止
 美幸線(びこう)線  1985年(昭和60)年9月17日廃止 
 渚滑(しょこつ)線  1985年(昭和60)年4月1日廃止

 他にも数え切れないほどの廃止線がたくさんありますが、今回は道北エリアなので、宗谷本線を取り巻く範囲内にしました。

 宗谷本線は旭川から稚内まで259.4キロ、明治時代日露戦争の輸送目的で敷設。
 樺太(現在ロシアのサハリン)を日本の施政下に置いたあとは、宗谷本線を稚泊(ちはく)連絡船に直接乗り換えができるようにしてあったそうです。
 樺太庁大泊町(現在はコルサコフ)の「泊」の字を取って、稚泊連絡船。
 現在も就航中だが、昔と違ってパスポートとビザが必要になります。

 (注:樺太庁は1949(昭和24)6月1日消滅)

 当時、北緯50度以南は日本領土なので、JRの在来線と同じ軌間1067ミリで樺太鉄道を敷設したため、1993年(平成5)年頃、JR東日本が古くて使われなくなったディーゼルカー(キハ58)を何両かサハリンに譲渡したことがあるそうです。
 今でも使われているかどうかは実際に行ってみないとわかりません。

Korea45  韓国最北端の駅は・・・日本人が敷設した、京元(キョンウォン)線の新炭里(しんたんり)駅。
 何枚かデジカメで撮ったのに、ハードディクスが突然故障してしまい、再起不能。
 デジカメのデータはC:トライブに入れるのではなく、外付けのハードディクスにして、万が一故障してもデータを残せるようにしています。
 日本製の信頼できるブランドのDVDに移し替えたほうが安心ですけど・・・。
 護政府(ウィジョンプ)からおよそ1時間くらい。38度線(サンパルソン)を超えるのはこの路線しかない。

 代わりに京義(キョンウィ)線の最北端、都羅山(トラサン)駅を載せました。
 都羅山で鉄路は途切れているのではなく、国境を越えて北朝鮮の板門(バンムン)駅までは直結されているはずだが、去年(2007)年5月の試験運転で1度だけ両国を往来しただけ。
 韓国では「ここは最北端です」とかの宣伝するような看板はなく、「??? ?????」(鉄馬は走りたい)。

 今度は、日本人として「最北端の駅」に立ちます。
 (と言いつつも、今まで飛行機や東京からのクルマで稚内駅に立ち寄っても、鉄道としての最北端の実感がなかったため、今回は改めて・・・)
 次回は「スーパー宗谷号」をリポーターします。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 旭川最終日の夜 | トップ | 特急・スーパー宗谷1号 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

北海道・道北」カテゴリの最新記事