「東京39ふるさとものがたり」-多摩・伊豆諸島・小笠原39市町村ー
「青ヶ島郷土芸能保存会10年誌」
数日前、青ヶ島から届いた、ゆうパックの中に入っていました。千葉県の本屋さんや図書館では取り扱っていなく、入手困難なものなのに、いつも私に気にかけていただき、ありがとうございますっ!!
この本を手に取ると、真っ先に自分の好きな市町村のページを開いてしまいます。陸地続きの檜原村。
神戸岩、拭沢の滝、都民の森、数馬の湯、こんにゃく、じゃがいも。すべて行ってしまいました。マニアニックなところといえば、払沢の滝の駐車場から奥に続く、そば処の「みちこ」。もちろん、クルマで行けますが、途中で通行に差し支えない場所に停めて、そこから徒歩5分。細い道なので、そんなところにお店はあるのかと心細くなってしまいます。(12月から3月の間は休業、4月から11月までは、土日祝のみ営業。平日休業)私が訪ねたときは平日なので、お休みでした・・・。
昭和30年代の利島村。現在は「神津島」の字だけど、もともと「神集島(こうづしま)」と書いて、神が集う島と呼んだらしい。 ずーっと昔、神津島で1番高い山の天上山に伊豆諸島の神さまたちが集まって、 水をどのように分配するかを決める会議が行われ、「翌朝、先着順に配分しよう」ということになりました。朝一で現れたのは御蔵島の神様なので、水道の蛇口をひねるだけでそのまま飲めるほどおいしい水が出てきます。2番目に現れてきたのは、新島の神様。名水の湧水をテーマにした「親水公園」が作られました。新島の水をお隣の式根島(同じく新島村)に海底送水しているので、水に困るようなことはありません。3番目は八丈島、4番目は三宅島。水の配分がなくなりかけたところに伊豆大島。大島の水道は塩分が含まれているのか少ししょっぱいです。朝寝坊し、もらい損なったのは利島の神様。すでに水は残っていない状態だったので、昔の利島は苦労していたようです。水飢饉が続くと、船でお水を配給する様子が載っていました。
利島の名所紹介。利島港整備事業が行われているのも、この本で知りました。利島では泳げる場所が1つもないため、海水浴場として使えるように人工浜を造るようです。
空から見るとファンダシーな島、青ヶ島。
これも、檜原村と同じく全部制覇~!!
小笠原村のページ。1968(昭和43)年6月26日、日本へ返還。1945(昭和20)年8月15日終戦後、時差はグアムと同じく今の時刻よりプラス1時間。日章旗から星条旗をなびかせ、この日を境に23年ぶり日章旗掲揚。
1785年、丸山が噴火し、全島民避難。当時400名のうち半分は救助船に乗れず亡くなられました。人が住んでいない無人島を何十年も続きました。当時の八丈島は青ヶ島からの避難者も島流し刑と同じ待遇を受けたため、佐々木次郎太夫が帰島事業。およそ30~40年の歳月をかけて還住を果たせました。
島の特色のある島踊りや唄を次の若い世代に引き継がれるように、2003(平成15)年に郷土芸能保存会設立。練習日やイベントなども細かく記録されていました。青ヶ島の人は細かいことに気にしないテーゲー主義かと思っていましたが、本当に感心しました。