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東京アイランド

OCNブログ人サービス終了に伴い、ここに引っ越ししました!

日本自動車博物館

2015-12-16 00:04:11 | 2015能登&黒部&白川郷
 今度は、自動車博物館へ。開館時間は午前9時から午後5時まで。最終入館時刻は午後4時30分まで。友人の話によると、「とてもひろーくて、すべて見回るのに1時間以上はかかる。早めに行かないと!」とのことなので、能美市の松井秀喜ベースボールミュージアムから小松市内に入り、直行。午後3時45分頃、入館。

 1階から3階まであって、1万2000平方メートルの、所狭しと歴代自動車の展示。「ここの館長さんはね・・・かなり自動車マニアなので、展示されている古いクルマでも、エンジンが壊れているのではなく、今でも乗れる可動品」と友人。私は目を大きくして、「えええーっ!!」
 もともとは館内撮影禁止でしたが、来館された自動車愛好者が大好きだったクルマを撮影をしたいという気持ちは館長さんは十分理解していらっしゃいました。カメラでの撮影は許可されています。しかし、個人の所有物なので、見て頂きたいが、すべての権利は所有者にあるという立場を取らせているとのことです。
 ただし、ビデオカメラは禁止です。理由は、ユーチューブにアップして広告収入で利益を得られる時代になり、ここで動画撮影したものを個人の収益にするのはご遠慮いただきたいとのことです。
 初めて自分で運転したクルマのメーカーは日産。三つ子の魂百までと言われているとおり、今も日産車を乗り続けています。日産で作っているクルマのモデル名はおおまか言えますが・・・他社メーカーのクルマに関しては無知、モデル名もなかなか言えず。旭川駅で借りたレンタカーはトヨタだけど、青いクルマのモデル名は?と聞かれても「わからない」。歴代各メーカーの展示もたくさんあり、大変興味深い。日産のロゴマークも初期は日の丸に「DATSUN(ダットサン)」。
 いろんなクルマを撮影しましたが、ここでは割愛します。その中で1番興味深いのは・・・

 このバス。今はすっかりブームは過ぎ去ってしまいましたが・・・数年前に大ブレイクした「オールウェイズ三丁目の夕日」。戦後10年目、昭和30年代の東京を再現した、映画作品。およそ50年前の世界を忠実に再現しているので、自分もその頃の時代にタイムスリップしたかような感覚になってしまうので、すごーくはまってしまいました。(DVDを購入して何度も字幕付きで視聴(笑))

 このバス、よーく見たら・・・

 あの映画で使われていたものなんですっ!!


 昭和30年代の日本。今みたいにインターネットや、三種の神器(白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機)、新幹線、ポチッとすれば自宅まで即時配達もない。すべてがアナログ時代。人とのつながりも親密。あの頃は本当によかった。

 当時の日本人は小柄な方が多い。今みたいにメタボ体型もない。座席もこんなに小さいです。昭和30年代の食事は欧米化されていなくて、和食のヘルシーなものばかりだからでしょうか。

 当時のバスまで動ける状態で保存されているなんて素晴らしい。日本自動車博物館に関する記事は今回で終了。次の記事は・・・金沢からの北陸新幹線。

松井秀喜ベースボールミュージアム

2015-12-14 00:50:04 | 2015能登&黒部&白川郷

 13時21分金沢駅到着。観光時間がたっぷりあり、プランニングは松井秀喜ベースボールミュージアム、小松空港近くの石川県立航空プラザ、日本自動車博物館へ行ってみたいという友人のリクエスト。地図を確認してみると、ベースボールミュージアムは松井秀喜さんのご実家近くの、能美市内。航空プラザは小松市、日本自動車博物館も同じく小松市内。交通不便なところにあり、効率よく回るには、レンタカーの半日プランを利用したほうがよさそう。 レンタカーをネットから予約申し込みし、現地で運転免許証提示、クルマに傷はないか確認するなどの貸し渡し手続き。  
 1993年、巨人に入団した松井秀喜さんのお父さんが少年時代からの功績を残す資料館として建立。資料が増え続け、手狭になったことから現在の建物を建立。   

「僕の夢の原点は、この田んぼにある」と書かれています。収穫を終えた秋から次の田植えシーズンまでは空き地なので、そこで練習をしていたそうです。

   

玄関前のブロンズ像。

   

上のモデルはこの写真(小学校低学年頃)。

   

 この中に少年時代から星稜高校、巨人時代、アメリカの球団で活躍していたユニフォームや道具、少年時代の作文に書かれている名言集などが展示されています。

   

 中学校の英語教科書。松井秀喜ファンなら、英語力アップにつながるかも知れない。

   

 小学校の道徳教科書にも取り上げられています。「道具を大切にしなさい」「人の悪口は絶対いけない」などなどご両親の教えを忠実に守っていました。次は、日本自動車博物館です。ベースボールミュージアムや日本自動車博物館はこのブログの得意分野外なんですが、旅の記録を残すため、順序とおり掲載します。


中越(なかこし)駅(2001年6月30日廃止)その1

2015-12-11 00:45:56 | 2015能登&黒部&白川郷

 天幕駅の次は、中越駅。廃駅になってから14年目経過、JRの石北本線は現役でも、駅そのものがなくなっているので、普通列車も特急もすべて通過。でも、私たちはレンタカーなので、廃駅になっても各駅停車。

 在りし日の中越駅。(オレンジカードの写真より)未使用のまま永年保存にするつもりですが・・・今の時代、ICカードが主流になっていて、オレンジカード対応の自動券売機はいつまで使えるかわからない。まさか、昔の郵政省ふみカード(郵便局のプリペイドカード)や、日本道路公団のハイウェイカードみたいに、対応する機器をすべて撤去するので、未使用カードや残額のあるカードを引き取って、現金でお返ししますってことはないでしょうか。国鉄のオレンジカードたくさん眠らせたまま、なかなか出番はない。近距離区間を乗車するなら、いつもICカード。目的地までの運賃を調べて、裏が黒色の磁気券を購入することは皆無。国鉄が「オレンジカードは無期限とします」と1985(昭和60)年に公約したとおり、永久的に使えるようにして欲しい。JRの旅客営業規則の第306条はオレンジカードについての条文が書かれてあり、使用期限の記載はありません。使いたくても、もったいないから使う予定なし。ということは、JR北海道は販売した分、丸儲けってことになります。

 中越駅も、わかりずらい場所にありました。「たぶん、このあたりにあるかも知れない」とナビしていた助手席の友人。交通の支障にならないように、道路の空きスペースにクルマを停め、友人は周辺を探しに出かけました。
 しばらくすると、「ありました!」とケータイに着信。どの辺かなとあたりを見回すと、ずっと奥のほうで友人が手を振っていました。歩いていこうと思ったら、「クルマをこっちに持ってきても大丈夫」と言うので、クルマに戻り、エンジンをかけて・・・
 なるほど、「中越駅」の古めかしい標識。

 国道から奥に入ったところに駅舎。

 中越駅の開業は、さきほどの天幕駅と同じく昭和4(1929)年。現在は、中越信号場に格下げされていて、たまにJR関係者が立ち寄るので、まだまだ現役の建物です。

 今は廃墟に近いですが、昭和4年開業当時は、周辺に民家がたくさんあって、駅もにぎわっていたに違いない。

 これは・・・たぶん、中越駅に駅員さんがたくさん駐在していた頃、暖房用の灯油タンク。

 ホーム側に回ってみます。

 改札ラッチ跡。ずっと昔の鐵道省時代、ここに駅員さんが立って、「中越より奥白滝ゆき 3等 通用發賣日共2日 ○○錢」の硬い切符にパンチを入れたかも・・・。通用發賣日共2日は、わざと旧字体を使いましたが、発売日から2日間有効という意味になります。昔は近距離でも2日有効だったらしい。

 行き違いが出る、レールが3線。

 駅長事務室に、駅員が寝泊りできる部屋とか、備えているに違いない。山口県の何もない日本海側の漁村、長門二見駅も昔は始発が朝3時、最終も23時半。汽車が到着するたびに駅員さんが改札口に立っていました。事務室の奥に寝泊りする部屋あり、だったというのは覚えています。昔の二見は人口も多く、栄えていたというのに、現在は駅前の二見小学校が廃校になり、超過疎地となってしまいました。

 建物はしっかりしているのに、ホーム側は朽ち果ててしまいました・・・。中越駅の続きはまだあります。

花嫁のれん号(続き)

2015-12-09 00:10:52 | 2015能登&黒部&白川郷
 私たちが乗ったのは2号車のキハ48 4。1号車は1004。山口県の山陰本線で活躍していた頃も、キハ48 4の相棒は1004。2両で1編成だということも覚えています。朝夕ラッシュ時の長編成運用のときは、キハ48×2両+(プラス)キハ47×2両+キハ58+キハ28といったような混成で連結。とにかく、昔の山陰本線はいろんなバリエーションがあったというのに、現在は利用者が減少しているので、キハ47×2両か、キハ40単行が多くなっているようです。

 2号車のキハ48 4は、単独の座席が多く、少数グループ向け。


 1号車のキハ48 1004は、どうやら団客向けのようです。JR西日本のJ-WEST会員向けの事前予約で特に座席の指定はしないを選んで申しこんだので、自動的に2号車を割り当てられたようです。

 キハ48は新製時に金沢へ配置、七尾線が電化されたので、余剰になった車両を山口県に転勤。平成27年、山口県から舞い戻り、金沢総合車両所で改造。このシ-ルの上に下関にいた証を貼ればよろしい。

 売店コーナー。

 石川県特産品の展示。

 この先は乗務員関係者ですと仕切り板。

 キハ48は寒冷地向けの設計、出入り口のドアと客室の間に仕切りがついているので、改造後もそのまま活かしているようです。

 わずか1時間15分で金沢に着いてしまいました。自動改札じゃないところが懐かしい雰囲気。もともとは古くてボロキハ48を豪華なゴールド内装に改造されたものなので、もっと長く乗っていたんですけど・・・。「特急 花嫁のれん号 和倉温泉発大阪行き」でも全区間でも乗りますっ!!ボロキハ48の最高速度は95キロまで。電気のサンダーバード号(683系)の最高速度は160キロ。比べるとずいぶん劣るけど、時間がかかっても、ゴールドに囲まれた空間は贅沢かと。(笑)

 自動改札機は人間の温もりは全然感じられず、入場時に切符を吸い込まれ、パンチで穴を開けてピッと吐き出す。出場時も、自動的に回収される。ずっと昔、自動改札機に慣れない頃。改札機に入れると再び出てくるので、それを受け取ればよい。それが身についていて、降りるときも機械から切符が出てこない!!とその場で立ち止まってしまう。ディズプレイの「ありがとうございます」の表示に使用済みで回収されたとやっと気づく始末。今はもうすっかりICカードでタッチなので、入るときもピッ、出るときもピッ。
 金沢駅構内にあった郵便ポスト。よーく見たら・・・

 キジバトちゃま??

羽田空港~能登空港

2015-12-05 00:02:55 | 2015能登&黒部&白川郷
 友人が撮ってきた写真データを本日受領。重複撮影にならないように私のカメラはあまり出番なし。いつもアングルのよい写真ばかり撮ってくれるので、任せっきりにしてしまいました。

 1時間の間にいろんな方面への時刻表。私たちが搭乗するのは、最後から2番目の、能登。場所は能登半島の先っぽなので、金沢方面はかなり不便。北陸新幹線にお客さんを取られているので、1日2本しかありません。

 朝食は・・・トルコ人経営のレストラン。Hot coffeeと書いて出したのに、「トルコといえば紅茶だ!!」と無理にして紅茶。まわりを見ると、ほぼ100%紅茶。店員が日本人だったら、「頼んだのはコーヒーなんだけど?」って文句を言えまずが、トルコ人なので、ハイと素直に・・・。あとでわかりましたが、トルコ人に英語は通じない。トルコ語。

 羽田空港離陸してから間もなく。

 能登までわずか50分なので、機内サービスはないかもとスターバックスで本日のドリップを機内に持ち込んだのに、わずかなタイムでもドリンクサービスはありました。

 太平洋から日本海へ横断中。

 あっという間に能登。

 紅葉はもうないかも、と思ったら、まだまだ。

 「黒部渓谷鉄道もまだ紅葉見られるかも!?」

 能登空港が見えました。

 空港近くの航空学園(?)の実習機にプロペラ機が使われているようです。ずっと昔、ANAのプロペラ機で三宅島へ行ったことを思い出します。しかし・・・今は伊豆諸島におけるANA就航便は八丈島のみになってしまいました。伊豆大島や三宅島は新中央航空株式会社が就航しており、羽田ではなく調布発着になります。

 能登空港から空港バスや、路線バスの本数がとても少なく、ほとんどが各方面の乗り合いタクシー。能登鉄道の穴水駅方面は、時間的にギリギリで飛行機が遅れると間に合わないかも知れないと言われているので、和倉温泉行きにしました。

 和倉温泉駅にあった、七尾線電化記念碑。平成3年9月1日、西日本旅客鉄道株式会社。七尾線のディーゼルが余剰になり、広島支社に転勤。山口県の山陰本線でも、氷見線のキハ45とか、七尾線のキハ28+58、キハ48とか・・・。いつもと違う色で走っていた時期あり。しばらくすると広島支社オリジナルに塗り替え。特にキハ48 4や、1004も。七尾線から山口県に転勤。花嫁のれん号にするため、再び山口(広クチ)から金沢(金トヤ)に戻しているので、思い入れの強い車両。(笑)

花嫁のれん号(キハ48 4)

2015-11-30 00:17:41 | 2015能登&黒部&白川郷
 座席を自分で選ばず、コンピュータに任せっきりにしたら、2号車になりました。特に人気のある列車は座席を指定しないほうが取れる確率は若干高めになります。2号車はキハ48 4、1号車はキハ48 1004。

 2号車の車内。

 「和」をモチーフにしているため、天井に紅葉。

 たぶん、照明は「川」をイメージしているかも知れません。

 七尾線は、車窓を楽しめるような光風明媚な風景があるわけではありませんが、1番の楽しみは・・・

 豪華なお弁当です。弁当まで「みどりの窓口」で発券。たぶん、事前予約で発券した枚数に合わせ、当日用意してくれるシステムなのかも知れない。予約は乗車4日前まで。3日前から当日の変更や払い戻しはできないようになっています。
 お弁当券持っていまーす!!と和服姿のアテンダントさんに提示。

 まず、車掌さんの検札。ポストカードサイズの乗車記念証をいただきました。しばらくすると、アテンダントさんが敷き紙にお品書きを置いて・・・

 開いてみたら、和倉温泉・加賀屋さん監修のお弁当なので、かなり豪華なメニューになっています。

 
 すご~~いお弁当に舌鼓。お弁当が座席に届いたのは12時半頃。金沢に着くのは13時21分。わずか50分しかありません。12時7分に出発して、13時21分に着くのはちょっと短い。山口県の山陰本線で活躍していた頃のキハ48 4はかなりノロマだったというのに、ここは「特急」らしくかなり飛ばしていました。ゆっくり楽しみたい観光列車なので、わざわざ「特急」にしなくても、指定席料金のみでいいんじゃない。

 正規指定席特急料金は1370円。J-WEST会員の割引適用、自由席と同額の850円になっています。北陸新幹線が開通する前までは、JR東日本独特の割引サービス(えきねっと割)があったのに、現在は廃止。東と西と一緒になってしまったので、計算がややこしくなる理由かも知れませんが・・・なぜか、JR西日本のJ-WEST会員が5489を通して予約すると、上越妙高から東京間のJR東日本であっても、西日本の割引を受けられます。そうすると、東日本が損するはずだけど、他社に絡む運賃清算のシステムはどうなっているんでしょうか。

18年ぶり!?

2015-11-28 00:08:08 | 2015能登&黒部&白川郷
 おおまかなプランを作るとき、「和倉温泉から金沢までは、特急花嫁のれん。非常に予約は取りづらい」と友人から話があったとき、七尾線は電化されていて、6両または9両の681系(大阪から北陸方面の「サンダーバード号」で使われているもの)のイメージ。非常に予約は取りづらいって、どういうことなんでしょうかとネットで調べてみたら・・・驚愕!!
 かつての山口県山陰本線で活躍していたキハ48 4+1004の2両を豪華すぎるデザインに生まれ変わっていました。もともと、キハ48 4は七尾線で活躍していましたが、電化開業に伴い、余剰になった車両を廣島支社に転属。主に下関-長門市の運用に入り、もともと実家の長門二見も頻繁に停車し、何度も乗車。キハ48 4は寒冷地帯仕様なので、保温のため、デッキ(出入口)と客室の間に仕切りの扉がついているのが特徴。

 本当は和倉温泉から魚津行きを申し込みましたが、マルスが発券不可と回答。北陸新幹線開業に伴い、平行する在来線は第三セクターに転換。北陸本線ではなくなりました。石川県内はIRいしかわ鉄道、富山県内はあいの風とやま鉄道、新潟県内はえちごトキめき鉄道。JRから私鉄への連絡運輸はJRを挟んで2社以上またがっての発券はできないようです。
 
 JR-【IRいしかわ-あい風とやま】-JR は発券OK
 JR-IRいしかわ-JR-あい風とやま   は発券不可

 和倉温泉 → 魚 津
  経由:七尾線・津幡・IRいしかわ・あい風とやま ¥2790 なら1枚で発券可能。
  今回はJR-私鉄-JR(新幹線)-私鉄なのでエラー。

 半年前にもやってきました。


 キハ48がやってきました。18年ぶりです。


 まさか・・・山口県の何もない小さな漁村で暮らしていたとき、何度も乗った車両がこんな風に変わるなんて思いもしませんでした。
 金トヤ は金沢支社富山地域鉄道部の電報略号。山口で活躍していた頃は 広セキ (広島支社下関総合車両所)。

 下関から来た証拠はここにあります。

 花嫁のれん仕様に合わせた、駅名票。

 車内の装飾は金沢の金箔が使われていて、豪華すぎます。

 ゴールドに囲まれた車内に座っていると、自分も王様気分に・・・(笑)

 上の荷台も、金色ですっ!!

またもやJR西日本エリアへ

2015-11-25 00:47:15 | 2015能登&黒部&白川郷
 今回もまたJR西日本エリアへふらりと出かけてしまいました。

 七尾線観光列車「花嫁のれん」号が土日祝日を中心に活躍中。友人の話では、予約が非常に取りづらい、とのこと。あとで調べてみたら、なんと!!山口県の何もない漁村で過ごしていたころ、何回も乗車したキハ48 4が石川県の七尾線に転属!?

 写真は1998年だけど、時空を超え、どうしても乗車してみたい。

 10月22日は伊豆方面で旅行中なので、「みどりの窓口」での10時打ちは難しい。花嫁のれんはJR西日本なので、JR東日本の「えきねっと」より西日本の「5489」のほうが取りやすいのではという私の憶測ですが、見事に抑えてくれましたっ!!

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