羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

輸入品の方が安いなんて……

2008年01月31日 19時08分00秒 | Weblog
 昨日のニュース速報から、今日一日、冷凍食品の問題で、日本国中大騒ぎとなっている。
 それそれの家庭で、冷凍庫の中を調べるようにと再三にわたって呼びかけている。
 とりわけ新聞も読まないテレビもあまり見ないというお年寄りには、若い人から知らせて欲しいとまで言っていた。
 わが家は、冷凍庫を開けるまでもない。入っているのは、冷蔵庫がつくる氷とスーパーで買ってきた高熱が出たときに使うための予備の氷しかないもの。
 
 外食もあまりしないし、餃子だって作って食べてるから安全、などと高をくくってはいられない。
 最近でこそ八百屋の店頭では産地表示をしているが、以前はほとんどそんなことはなかった。

 いつのまにか危険といわれる食品を食べているのが、日本の現状だろう。
 神経質になったらあれもダメ、これもダメ、ということになって食べるものはなくなってしまうかもしれない。

 たとえば子供のころの記憶ではほうれん草の根の部分が赤くなっていて、そこがいちばん甘かったし味がよかった。茹でたてのほうれん草をまな板の上に長くのばして、根の先をできるだけわずか切り落とす。すると赤いところがたくさん残って、美味しかった。
 今、現在、特別な店で野菜を求めているわけではないから、昔の味がするほうれん草を、最近食べていないのが悔やまれた。

 先日は、暮れに葱と一緒にいただいた山芋をすりおろして食べたが、自然の甘さがなんとも美味しかった。深谷から送られた野菜だが、町の八百屋で売っているものとなぜこうも味が違うのかと、いつも感じている。
 人参、牛蒡、葱、山芋等々、それらを食べると元気がでる実感がある。
 一年に一度だけ知人から送られる。その時だけは、大地からの贈り物・野菜たちに生かされている命がある、なんて思う。

 今や輸入食材なしに日本人は生きられない。
 逆に中国の富裕層は、日本の安全な食品を輸入して食べているというニュースも見た。

「遠くから運ばれる輸入品が安いなんておかしいのよね」
 ニュースを一緒に見ていた83歳の母がポツリと言った。
 私の中にも輸入品はすべてとは言わないが、高価で高級なもので、日常的に食べたり飲んだり身につけたりするものではないという意識は残っている。
 昭和20・30年代頃の記憶だ。
「昔はそうだったよね」
 思わず、母の言葉に相槌を打った。
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人を介さないインターネット上の申請

2008年01月30日 19時05分19秒 | Weblog
 このブログを開設するときもそうだったが、人が介在しないで手続きが済んだ。
 そして、すぐにも書き込みができた。
 
 今日は、午前中に1998年から開設している「野口体操公式ホームページ」のドメイン名を、リニューアル版を運用している新しいWebに移行申請のための手続きを行った。
 移行日は2月1日17時頃ということだが、その手続きもすべてWeb上で行うので、なんとなく心もとない。
「これでいいのかなぁ~」
 確かめるすべはないわけで、実際に移行されてはじめてほっとするに違いない。

 大学のシラバスもWeb入稿になってしまった。しかし、こちらは担当の事務方と電話でのやり取りが可能だ。それができると安心感が違う。
 ほとんどが画面上のやり取りで成り立つこうした手続きは、インターネットとのかかわりが四十代半ば過ぎからの者には、不安がつきまとう。

 いずれにしても野口体操公式ホームページをはじめて10年の歳月が過ぎようとしている。
 その間のインターネット人口の増加は、ここ数年間、あれよあれよという以外に言葉が見つからない。

 とにもかくにも2月1日の夕方が待ち遠しい。
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それはそれ これはこれ

2008年01月29日 07時52分02秒 | Weblog
 日曜日に新刊本用の撮影をすべて終えたこともあって、のびのびになっていた所用を、昨日ようやく済ませることができた。
 昨年末から引きずっていたこともあって少々気にかかっていた。

 ついでに母から頼まれていた「寒中お伺い」をおくることもできた。
 なかなか気に入ったものに出会わなくて、というか母の注文にぴったりのものが見つからなくて、2・3軒のデパートを歩き回った。
 新宿だったが、ここも大きく変わったことにびっくりした。
 なにを基準に、こうした品揃えなのだろう。

 いやでも目に入るものを見ながら、ついつい味見のためにチョコレートを二粒求めて帰宅した。

 そのチョコレートを食べながら、夕方のニュースで、漁業関係者の年収が平均250万以下という話を聞きながら日本も終わりか、と溜め息をついてしまった。
 中国が大間のマグロや築地ブランドの魚を高額で競り落としている話も思い出した。マグロ漁業者とそうでない漁業では、まったく条件が違うようだ。

 話は飛ばすが、農業・漁業・林業が壊滅的な状態にある日本に、未来はあるのだろうか。
 デパ地下の様相を思い出した。見た目に綺麗で、一見したところ美味しそうに見える。だが、それらほとんどが輸入の食材からつくられているのだろうか。
 先日もテレビ朝日で放送されていた「地球温暖化を考える」番組で、コンビニ弁当の中身も三分の二以上の食材は、輸入だという報告をしていた。それが賞味時間切れで、捨てられる量の多さに、罰があたると思ったのだった。

 そんなこんなで食べているチョコレートの味が、急に苦く感じられた。
「今年から、バレンタインデーに贈り物はやめよう」
 やっと踏ん切りがついた。
 
 昔、フランス人で国連の職員になるという男性にあるパーティーで一緒になったことがあった。ニューヨークに行く前に、日本に立ち寄ったのだという。
 彼曰く「フランスも日本にならって工業国になるべきです」
 私は自分の耳を疑った。
「フランスは農業国?」
 当時のわたしにとってフランスは、音楽と美術とファッションというようなイメージが強かった。印象派の絵画や音楽や詩が、思い出される文化国家だったのだ。
 それだけに彼の言葉が、非常に新鮮に響いた。
 フランスは農業国だった!

 それから30年以上の歳月が流れた。
 日本の自給率の低さは、このまま進めば壊滅的な状況に陥るに違いない。
 急に、目が覚めた。

   ******

 まぁ、そうはいっても若い方は、女性から「愛の告白」をしてください。
「あなたの健康を守りたい」といって‘青汁’では興ざめですわね。
 差し出すものは、やっぱりスィーツ・チョコレートですよね。
 それはそれ、これはこれ、です。
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衝動買い

2008年01月28日 15時24分47秒 | Weblog
 先日、銀座で待ち合わせをしたとき、時間よりもはやくついていまった。
 待ち合わせ場所が四丁目の三越・ライオン前だった。
 雪交じりの雨が降っていたこともあって、一階の売り場を時間つぶしのつもりで見て歩いた。

 で、この写真のものを衝動買いに近く求めてしまった。
 正式な名前は「ペンダント・ロネット」。
 眼鏡の上から重ねて、両眼で小さい文字を読むことができる優れものだ。
 種別は‘視力補正眼鏡’、名称は‘既製老眼鏡’というもの。

 近眼の人は老眼が遅いと言われているが、それは本当だ。
 私の場合、近眼の眼鏡を2種類と老眼用のものを1種類をもっている。

 このパソコンを使うときや、我が家で過ごすときは、中距離用の近視眼鏡をつかう。だいたいこの眼鏡で、ほとんどの本が読める。画数の多い漢字を正確に読み取り書くときには、眼鏡をはずす。

 外出するときには、それよりも度数が高い眼鏡だ。これはごく小さい字は読みにくい。

 というわけでほとんど老眼鏡は使わずに過ごしている。
 ところがこの売り場で店員さんに見せられた地下鉄路線図が、眼鏡を取らずに当てただけで、ものすごくはっきりと見えた。
 ということで、ほとんど衝動買いに近い状況だった。
 遠近両用にすれば、といわれたこともあるが、近眼の度が強いので、なんとなく抵抗があった。

 首からかけるチェーンがおしゃれで、それも一因している。
 手元の文字を一時的に見るためのリーディンググラスだが重宝しそうだ。
 でもまだ正札は読めるので、出番は少ないかもしれない。
 見え方の鮮明さに、思わずはやめに用意をしておいた、というわけだ。
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チョコレート

2008年01月27日 18時45分46秒 | Weblog
 今日も、例の大きなスタジオで、カット用の写真と、残していた動きを撮影した。
 順調にすすんで正味1時間半ほどで撮影は終了した。
 街に出た。
 築地から銀座へ出ると、歩行者天国だった。
 中央通りは日差しに恵まれて、思ったほど寒くなかった。
 遅めの昼食をすまして、佐治さんと別れ、有楽町方面へと向かった。
 
 バレンタインデーも近いので、チョコレートの下見をしたが、気に入ったものは見つからなかった。
「やっぱり、いつもの店にしておこうかなぁ~」

 あの人、この人、……、そうそうあの人も、と指を折りながら地下鉄の乗り場へと向かう。
 こんなにはやい時期からチョコレートのことを考えるなんて、初めてのことだった。
 
 そういえば野口先生も大人気なくもらった数を誇っていたわねぇ。
 ふふふふっ!?

 以前、こんな手紙をいただいた。
「バレンタインデーなんてバカにしていたのですが、もらってみると嬉しいものですね」
 最近では、デパートの思惑にすっかり乗せられて、2月14日は何でもいいからチョコレートを贈る日として定着したようだ。
 美味しいチョコレートが舌の上でとろけた時のなんともいえない幸福感が、この流行を支えているような気がする。
 ホントは、私だってほしい、のだ!
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乱流

2008年01月26日 21時10分38秒 | Weblog
 久しぶりに乱れた。
 いや、いつもでしょ、といわれれば「申し訳ない」と答えるしかあるまい。
 朝日カルチャーの土曜日クラスは、付き合いが長くなった方が多い。その意味からは、新しい方が入りにくいかもしれない。しかし、それゆえの好ましさがある。気心が知れて、かなり過激な発言も許していただける、と思っているのは私の誤解かも?
 たとえ誤解であっても、今日は、その姿勢を貫いてしまった。
 
 男性に「やすらぎの動き」をやっていただくために、野口先生が体験された刺激的な内容のマル秘エピソードをご披露した。おそらく私しか知らない話だと思う。 ここには、書けない。ごめんなさい!

 ほかにもかなりきわどい表現と話をしてしまった。

 時には、いいかもって言ってくださった方がある。
 まじめも大切、しかし、時にはずれることで活気が出る。
 野口先生は下ネタという意識も、冗談という意識もなく、健康的にいわゆる下ネタを必ず言わずにはいられない方だった。冗談は真っ正直に冗談とは言えない冗談話をされておられた。
 
 レッスンが始まる前に、ある方が探しものをしていたら『地湧きに思想ー未来を啓く人間観』柏樹社刊の本が出てきたと、見せてくださった。それも乱れる一因だったかも。
 当時を思い出して、懐かしかった。
 はじめて『麦わら一本の革命』を実行された福岡正信さんと、野口先生のお供でいった私もお目にかかった。
 そして本には、野口三千三先生と福岡さん、お二人の貴重なツーショットも載っている。その意味でも柏樹社は先見の明のある出版社だった。
「これを読んでいると、今でも十分に新しい内容だわ。その上、野口先生の語り口がそのまま文字に起こされているから、懐かしいわ。でも、先生を知らない人には、何これ?って感じを持たせてしまうところもあるかもね」

 古い本に再会した。今は亡き人々。
 ふと、思う。
「人はどこから来て、どこに行くのだろう」と。
 生きている不思議、死んでいく不思議とは、よく言ったものだ。

 はてさてとんだところに話が漂流している。
 今日は乱れたまま、お休みなさい。
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ゴキブリつぶし

2008年01月25日 08時51分29秒 | Weblog
 先日来、私自身のメールアドレスで、私にきた迷惑メールがあった。
 毎日1通づつすでに2日間きている。
 自分のアドレスだと、ハッとして危なく開きそうになった。
 以前から、so-netの〔meiwaku〕のマークをつけるサービスをうけているのだが、その量の多さにメールをあけることが嫌になる。
 かといって一日ひらかないで、まとめて削除しようとすると、作業が面倒なので一日のうちに最低3回くらいは捨てている。

 最近、so-netから大量に送りつける大本を押さえるという連絡はあったが、一向に減らないどころか、ますます増えていく。
 ウィルスを作った人が逮捕されたが、この手のものを送っている会社?個人?何だかよくわからないが、それらを摘発するのは難しいのだろうなぁ、と溜め息交じりの朝だ。

 出会い系がいちばん多いが、他には、薬、偽ブランド物、コピー時計、ギャンブル、危なげな投資話等々、まさにメール上は「飲む・打つ・買う」の世界だ! 何とかして欲しい。
 日本文字、英文字、中国簡体字、ロシア文字などが踊っている。
 さすがにアラビア文字やハングルには、未だお目にかかっていない。

 三億年以上も生きながらえているゴキブリには申し訳ないが、表現としてゴキブリつぶし作業なのだ。〔meiwaku〕を端からつぶすのだ。
 Macを使っていたころ、まだまだメールをやっている人が少なくて、優雅な時代が懐かしい。といっても当時からまだ十数年そこそこしか過ぎていないのだ。この数年の利用率の増加は、激流といいたい。それにつれてmeiwakuは津波状態で襲ってくるのだ。
 
 以前、ある出版社に、Macのパソコンから直にファックスを送信して、それが先方にわかったときには、「羽鳥さんって、機械にお強いんですね」、と誤解を受けたことがあった。ようやくファックスが一般家庭にも浸透した頃のことだった。そのファックスも今では滅多に使わなくなってしまった。
 そして当時だってパソコン機能の10万分の1くらいしか利用していなかった。今では100万分の1も、搭載機能を生かしてはいない。

 それでもMacに戻そうかと、知人に話したら「昔とはまったく違ってますから、戻っても戸惑うだけですよ。それにMacだって、最近は来るようになってますよ。悪いこといわないから、止めといた方がいいですよ」と返事が返ってきた。
「そうか!」
 しばらくゴキブリつぶしを、やり続けるしかないと諦めた。
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真冬の午後……微かな嫉妬

2008年01月24日 08時43分14秒 | Weblog
 東京都美術館では、毎年、「回瀾書展」が、この時期に開催される。
 今年は56回だった。
 知人は、今年から同人になったらしい。書道暦10年というが、その腕前は相当なものだ。

 なんと三種も出品している。
 
 紀貫之

  冬ごもり おもひがけぬを 木の間より
  花と見るまで 雪ぞふりける

 そのほかに夏目漱石の俳句等々。

 かな書きは、存命の作家のものを選ぶと、表記と著作権でいろいろと問題があるそうだ。
 紙の上に文字を乗せたとき、どのような空間構成になるのかによって、普通の人間にはまったく想像もつかない変体仮名を使うことが多い。それで、存命の作家では許されない文字になったりすることが主な理由とか。

 そこで必然的に、西行だったり、定家だったり、今度の貫之だったりするそうだ。
 いやはや毎年、ここに足を運ぶと、わが身の不勉強を恥じている。

 しかし、和紙に染みこむ墨の色は、人がつくりだす作品として、美しいものとおもうのだが。
 この世界も、一歩、足を踏み入れると、なかなかに大変だ。
 一しきり知人と連れと3人で話しお暇をしたのは、2時半を少しまわっていた。

 美術館を出て上野公園の寒さが、むしろ気持ちよく感じられたのは、きっと館内の暖房が効き過ぎていたせいだろう。うっすらと汗ばんだからだが一気に冷やされた。
 顔をあげて、噴水の手前に設置されている‘せともの市’のテントに目をやると、さすがに客の姿を認めることはできなかった。
 ただテントの入り口には、「甘酒」と赤い文字で書かれた旗が、寒風にさらされ揺れていた。その様子が、公園内に寒気を一層強く呼び込んでいるかのように映った。
「短冊にここで一句したためて」といきたいところだったが、句も浮かばなければ持つ筆もない無調法な身に、一瞬間ではあるが忸怩たる思いが去来した。

   ******

 巷房の造形といい、書道といい、空間をどのように切り取り表現するのかという、高度な精神活動にちょっぴり嫉妬を感じた真冬の午後だった。
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象山隆利展

2008年01月23日 19時11分15秒 | Weblog
 地下鉄銀座線・銀座駅を上がると、降りしきる雪は、少し小降りになっていた。
 三越のライオン前で、知人と待ち合わせをして、「象山隆利展」をやっている‘巷房’へと向かった。野口体操の仲間には、田内さんとお呼びした方がいいだろう。
 中央通りは、世界のブランド店が軒を連ねていて、日本とは思えない街並に変貌を遂げた様子に目を奪われながらも、雪交じりの雨に濡れながら、目的地へと向かった。
 
 巷房は、銀座のビルのなかでも非常に古い。昭和のはじめだろうか。
 出来ることならお天気のよい日に出かけると、外側からビル全体を眺める楽しみがある。
 しかし、今日は、あまりの寒さで、ビル内に飛び込んでしまった。
 足元に気遣いながら地下におりる。
 セラミックだろうか。詳しいことはわからない。ブックマークにある「Dessin」をご覧いただきたい。
 同じ素材でさまざまな可能性を模索する作品群が並べられている。
 現代美術に興味を持つ目のこえた方におすすめだ。
 この巷房は、雰囲気と周りの環境はいい。しかし、もう少し広いスペースだといいといつも思うのだが。
 銀座という地の利が、このギャリーを成り立たせているのだろう。

 そこからもう一度銀座線の銀座駅に戻って、上野に向かった。
「ね、うちの蔵もガラクタばかりをしまっておかないで、ギャラリーにしたらいいわよね」
「お姉ちゃま、それはそうよ。でもね、実際は捨てるのが難しいんじゃない?」
「いつのことかわかりませんが、実現するといいわね」

 久しぶりに会う女友達とおしゃべりをしていると、あっという間に上野駅に到着した。
 そこから都美術館へと足早に公園を歩く。
 その頃には、雪は完全に雨に変わっていた。

「象山隆利展」

 1月4日(月)~26日(土)
 12:00~19:00 (最終日は17時)
 巷房(地下)
 中央区銀座1-9-8 奥野ビル

 地下鉄銀座駅方面からはMELSAを右折、二本目の道を左折。京橋方向に向かって左側にある古いビル。
 
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想い

2008年01月22日 19時33分37秒 | Weblog
 夕方、買い物に行くために、温まった部屋から出た。
 冷たい外気が首筋を直撃する。思わずコートの襟を立てて、手袋をした手で襟元をおさえた。
 しかし、ふと、忍び寄った冷気は、私の心の中にまですべり込んできた。

 一つは残っているものの、シラバスもほぼ完成形で書き上げた。
 新刊本の写真も選び出した。書名については気にかかるが、すでに私がする仕事は、大きな山を越えている。

「だからかしら?」
 呟く。
「夏休み以降から今日までの時間が、急に遠くへ去っていく」
 きっと幻覚。

   ******

「羽鳥先生、ほら、見てください。スタジオに入ったときに撮った写真です」
 13日、撮影を終了した時に、誰だったのか記憶は定かではないけれど、モデルを引き受けてくださった一人が、つかつかと歩み寄って、一枚の写真をデジカメのまま差し出してくれた。
「こんなに時間が経過すると、もの凄く懐かしいような、昔の思い出のような一枚に見えません」
 総勢9名が、スタジオ内に籠もって、濃密な7時間を過ごした。
 確かに、写真を見せられて、朝スタジオ入りしたその現実が薄らいでいた。

   ******
 
 今日は、この約半年間が、幻のように思われて仕方なかった。
 猛暑だった夏からそれを引きずった秋、でも晩秋は結構寒くて、年末は比較的過ごしよかった。そして寒の入りから大寒にかけて寒さが急に本格化した。
 この季節の移ろいのなかで過ごした実感が、自分のなかで溶け出してしまった。
「私は、何をしてきたのだろう」
 そう、感じた瞬間。
 映画宣伝用にテレビから流れていたマリア・カラスのオペラアリアが、耳の奥に聞こえてきた。
 東京のステージに、シフォンのイブニングドレスの裾と日本の振袖を思わせる長い袖を翻して現れたカラスの姿。
 ドレスの真紅が、歌われた恋の哀しみを一層深くさせる風情だったなぁ~、と。
 いや、いや、あれはカルメンだったかもしれない。
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何が幸せって?

2008年01月21日 14時50分47秒 | Weblog
 冬は、葱はもちろんのこと、根菜類が美味しい。
 お正月に新しい包丁を手に入れてから、野菜の切り口に注目するようになった。
 切り口が美しく、野菜の水分がジワァ~ッとにじみ出る。

 包丁のお蔭で、毎朝、大根卸に頂き物のシラスの一品を添えている。
 大根を包丁で切り離すときに出る汁気を舐めてみた。これが驚くほど甘いのである。刃物職人の方から教わった方法で切っていると、味まで違ってくる。
 卸金は二十数年使い込んでいる。アカなのでクレンザーを亀の子たわしにつけて、ゴシゴシ磨いているもの。相当、使いこんでいるにも関わらず、大根が小さくなると、未だに指の皮膚を卸してしまうくらいによく卸せる。
 新しい包丁と銅の卸金ですった大根は、臭みが出るのが遅い。

 真っ白な大根卸しに真っ白なシラス干は冬の美味である。
 豆腐になめこの味噌汁。あるいは冬葱にさつま芋の味噌汁。もう一つじゃが芋に若布と油揚げの味噌汁。そのほか残り物の煮物や、人参+ピーマン+きくらげを入れた炒り豆腐等々。
 そうそう朝粥だったりする時は、少し甘めの自家製牛肉の佃煮が美味だ。千切り生姜をたくさん入れてつくり置きしておくといい。因みに、ご飯の場合の牛肉の佃煮は、甘さを控え醤油の味をきかせておく方が美味しい。
 
 そんな取り合わせでいただく朝の食事。
 食べ終わったあとに、なんだか元気が湧いてくる。
 こうした日常が繰り返される幸せってあるよね~って思う昨今である。
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からだは忘れない

2008年01月20日 19時22分01秒 | Weblog
 日曜日の朝日カルチャーセンターのクラスに、野口三千三先生がご存命のころに通っていらしていた方が、今期から復帰された。
 十数年ぶりのこと。

 ちょっとふっくらされたけれど、以前とあまりお変わりない。
 没後になって、新しい要素が加わったことには、戸惑われておられたが、説明を加えると、さっと理解して動いてくださった。
「下から吹き上げ腕立てバウンド全身」や「腕立てバウンド」のいろいろは、不思議なくらいに上手になさっている。

「ずっと、練習をされていたのですか」
「いえいえ、十数年ぶりです」
 他のメンバーは、驚きの声をあげた。

 一度からだに入ったものは、間隔があいても、‘からだが覚えている’ことの証となった。
 もしかして明日になると‘からだが痛い’ことになるかも、と話しかけると「すでに痛いところがあります」と正直にお答えくださった。

 野口体操は、思いのほかハードな体操なのだ!
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寒い朝と火鉢

2008年01月19日 11時36分32秒 | Weblog
 ガソリンや灯油の値上がりで、盗難事件まで起きている昨今。
 新聞やテレビでも、冬の暖房費節約術を特集している。
 寝るときには湯たんぽが快適とか。特にゴム製の湯たんぽを使うと止められないくらいに気持ちがいいという。
 そういえば、以前、野口三千三先生が入院したときに、はじめてゴム製の味を知った。そこで、先生のお住まいがあった西巣鴨の薬屋で、当時は注文して取り寄せておられた記憶がある。

 他には火鉢を使う案も載っている。
 我が家でも使わなくなった火鉢を、後生大事にしまってあることを思い出した。
 実際に使うことをシュミレーションしてみた。
 まず、火鉢はしまってあるところから、炭は取り置きしてるところから取り出すのが一苦労だ。
 灰もなくなっているだろうし、炭熾しの道具や、火箸や、その他のものはどこにあるのか、と考えている。
 実際、使う段になると、朝、いちばんで炭を熾し、火鉢にくべる。外出するときには炭を灰に埋め込む。
 確かに客人がみえる時には、そこに鉄瓶でも乗せておくと便利だし、お茶が美味しいことは予想がつく。

 しかし、である。
 さっとつけたり消したりできるガスストーブに慣れてしまっている日常には、思い描いただけでも何だか煩雑な手間がかかりそうに思えて、何歩も引いてしまう。

 実は、これって夢のなかで思ったこと。
 朝、目覚めると、火鉢を使う案はスーッと夢幻と消えてしまった。

 ただ火鉢のしまい処だけは、起きてすぐにもこの目で確かめておいた。
 寒い朝の出来事。
 大寒前の週末である。
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シラバス作成

2008年01月18日 15時42分32秒 | Weblog
 四月から立教大学のほかに、もうひとつ授業をもつ大学が増えた。
 12日(土)教授会の承認を得た、という知らせをもらった。
 すぐにも大学からシラバス作成に関するメールがすでに届いた。 
 そこでシラバス内容について、考え始めたのだが、なかなか苦戦している。(まだ、正式な要請承認書がこないので大学名は書けません)

 今までは「リクラリゼーションとマッサージ」とか「東洋的フィットネス」といような名称でやってきたが、今回はずばり「野口体操」と副題に付けることになった。
 そのことだけでも‘時代が変わった’という実感がある。
 野口三千三先生は、あくまでも体育の授業をなさっていたわけで、私の代になってから「野口体操」を教えに来てくださいと言われるようになった。

 新しい大学は、文学部と新設の国際日本学部という二つでコマをいただいた。
 心理学や社会学に関連して、そして日本文化としての‘野口体操’を、学生に伝えることになる。
 その意味からも、今までとは少し質が異なるシラバスをつくることが出来そうだ。
 今月26日が締め切りなので、ぎりぎりまで考えたいと思っている。
 ここが思案のしどころということになりそうだ。
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新芽の準備

2008年01月17日 19時04分27秒 | Weblog
 今朝は寒かった、と思ったら東京は初雪だった。
 紅葉も欅もすべて葉を落として、丸裸状態であるが、よく見るとすでに新芽の準備は昨年末からしっかりと出来ている。
 
 とりわけ「花梨」の芽は、お正月過ぎに、かなりの大きさに膨らみ始めている。その色具合で花芽かどうかが、おおよその見分けがつくようになった。
 今年は実がついて欲しい、と毎年今頃の季節に祈るのだけれど、春先の強い風で実がなる花芽が落ちてしまうことが多い。
 それをうまく通り越しても、台風がくるとまたまたそこで落ちる。
 異常気象の影響で今年も台風が多くやってくるという予報が出ている。
 なんとか秋に黄色い大きな実をならせて欲しいものだ。
 3年ほど前のことだが、ちゃんと実が育つように、固形肥料をやったことがある。その時、肥料を食べに鼠がお出ましになったので、他の木のものと一緒に慌てて取り除いてしまった。
 それ以来肥料はやらないことにしている。

 花ものや実のなるものは、肥料を与えた方がいいのだ。そして消毒も欠かせないようだが、こちらも一切やっていない。
 野口三千三先生流に、気がついたら虫を排除する程度にとどめている。

 始まったばかりの冬の寒さ。
 しっかり育つためには、例年とおりの気象状況を期待するしかない。
 それにしても木々の生命力は素晴らしい、とごく小さな芽が準備されている枝先を見ながら、励まされている。
 なんとも月並みすぎる表現だが、これ以上の言葉が見つからない。
 
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