北村昌陽さん、はじめての本の出版、おめでとうございます。
私の本つくりでもお世話になっている岩波書店編集者・山本慎一さん同様、待ちました。待った甲斐がありました。
まだ、丁寧に拝読していませんが、難しい問題を解きほぐして、優しく語りかける文体は北村さんらしいなぁ~、と思います。
さて、ちらっと頁をめくってクスクスと笑ってしまった。第四章「暴走する新しい脳、抑え込まれる古い脳」119頁です。
私事ですが、この4月はモバイル脳ばかり働かせて過ごしていました。自分でも感情がどこかへ失われていく気配を感じていたものの、そうした感覚を抑え込んで、モバイル機器と挌闘していましたから。
「人間同士のリアルな対話では、言葉以外の部分、例えば表情や身振り、声のトーンなどを介して喜びや怒り、悲しみなどを伝えあっているのですが、メールばかりだとこういう要素がほとんど入らない。文字情報だけのやり取りでは、心の情動的な活動が鈍ってしまうと思いますよ」心療内科医山本さんの言葉を紹介しているところです。
幸いなことに高齢の母と同居していますから、心身の老いの進行を遅らせるための心遣いに当てる時間が日常の中に少なからずありました。老いの感情や孤独感や悲しみと接することがなかったら、モバイル漬けだけの日常は、「失感情症」に陥る予備軍だった、!、とドキッとしました。
それでも、朝起きて、まず朝日新聞「天声人語」を読み、ときに情緒や情感が行間に漂っている文章に涙がこぼれる事があって、ほっとしたこともあります。なぜか、デジタル機器を通して読む文章と、あえて「活字」と言わせてほしいですが、紙媒体で印刷のにおいを嗅ぎ・紙のザラツキを指に感じながら、思いをのせて読む行為は、同じ「言語体験」でもアナログ空間に漂っていけるイマジネーションの幅に違いがあるような気がします。脳レベルで何が起こっているかは判りませんが。
とはいえPCで文章を書きながら、感情移入がすすみ、たかぶってくると、キーボードへの打鍵がフォルティッシモになっていきますけれどね!そんなとき「こんなに強く打つ必要はないんだわ」と気がついて、手書きよりも冷静さが戻る「さめる(覚・冷・醒・褪)閾値」が、速く見える気がします。それってデジタルとアナログの逆転現象に救われているのかも、って思うんです。
いずれにしても何事も程度もので、「丁度いいのが丁度いい」という野口先生の名言が浮かびました。
研究室や治療室に閉じこもらず、あちこちに足を運んで広い分野の方々に取材をするという行動から生み出された”息づかい”と”気遣い”が伝わってきます。以前、知人の大学の先生が北村さんを称して「日経ヘルスの良心」とおしゃっていたことを思い出しました。
そんなつもりはなく書きはじめたのですが、手紙を公開したようなブログになってしまいました。
一人でも多くの読者に手渡していきたい本ですね。
私の本つくりでもお世話になっている岩波書店編集者・山本慎一さん同様、待ちました。待った甲斐がありました。
まだ、丁寧に拝読していませんが、難しい問題を解きほぐして、優しく語りかける文体は北村さんらしいなぁ~、と思います。
さて、ちらっと頁をめくってクスクスと笑ってしまった。第四章「暴走する新しい脳、抑え込まれる古い脳」119頁です。
私事ですが、この4月はモバイル脳ばかり働かせて過ごしていました。自分でも感情がどこかへ失われていく気配を感じていたものの、そうした感覚を抑え込んで、モバイル機器と挌闘していましたから。
「人間同士のリアルな対話では、言葉以外の部分、例えば表情や身振り、声のトーンなどを介して喜びや怒り、悲しみなどを伝えあっているのですが、メールばかりだとこういう要素がほとんど入らない。文字情報だけのやり取りでは、心の情動的な活動が鈍ってしまうと思いますよ」心療内科医山本さんの言葉を紹介しているところです。
幸いなことに高齢の母と同居していますから、心身の老いの進行を遅らせるための心遣いに当てる時間が日常の中に少なからずありました。老いの感情や孤独感や悲しみと接することがなかったら、モバイル漬けだけの日常は、「失感情症」に陥る予備軍だった、!、とドキッとしました。
それでも、朝起きて、まず朝日新聞「天声人語」を読み、ときに情緒や情感が行間に漂っている文章に涙がこぼれる事があって、ほっとしたこともあります。なぜか、デジタル機器を通して読む文章と、あえて「活字」と言わせてほしいですが、紙媒体で印刷のにおいを嗅ぎ・紙のザラツキを指に感じながら、思いをのせて読む行為は、同じ「言語体験」でもアナログ空間に漂っていけるイマジネーションの幅に違いがあるような気がします。脳レベルで何が起こっているかは判りませんが。
とはいえPCで文章を書きながら、感情移入がすすみ、たかぶってくると、キーボードへの打鍵がフォルティッシモになっていきますけれどね!そんなとき「こんなに強く打つ必要はないんだわ」と気がついて、手書きよりも冷静さが戻る「さめる(覚・冷・醒・褪)閾値」が、速く見える気がします。それってデジタルとアナログの逆転現象に救われているのかも、って思うんです。
いずれにしても何事も程度もので、「丁度いいのが丁度いい」という野口先生の名言が浮かびました。
研究室や治療室に閉じこもらず、あちこちに足を運んで広い分野の方々に取材をするという行動から生み出された”息づかい”と”気遣い”が伝わってきます。以前、知人の大学の先生が北村さんを称して「日経ヘルスの良心」とおしゃっていたことを思い出しました。
そんなつもりはなく書きはじめたのですが、手紙を公開したようなブログになってしまいました。
一人でも多くの読者に手渡していきたい本ですね。