羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

カラダの声をきく健康学

2011年05月29日 08時49分41秒 | Weblog
 北村昌陽さん、はじめての本の出版、おめでとうございます。
 私の本つくりでもお世話になっている岩波書店編集者・山本慎一さん同様、待ちました。待った甲斐がありました。

 まだ、丁寧に拝読していませんが、難しい問題を解きほぐして、優しく語りかける文体は北村さんらしいなぁ~、と思います。
 さて、ちらっと頁をめくってクスクスと笑ってしまった。第四章「暴走する新しい脳、抑え込まれる古い脳」119頁です。
 私事ですが、この4月はモバイル脳ばかり働かせて過ごしていました。自分でも感情がどこかへ失われていく気配を感じていたものの、そうした感覚を抑え込んで、モバイル機器と挌闘していましたから。
「人間同士のリアルな対話では、言葉以外の部分、例えば表情や身振り、声のトーンなどを介して喜びや怒り、悲しみなどを伝えあっているのですが、メールばかりだとこういう要素がほとんど入らない。文字情報だけのやり取りでは、心の情動的な活動が鈍ってしまうと思いますよ」心療内科医山本さんの言葉を紹介しているところです。
 
 幸いなことに高齢の母と同居していますから、心身の老いの進行を遅らせるための心遣いに当てる時間が日常の中に少なからずありました。老いの感情や孤独感や悲しみと接することがなかったら、モバイル漬けだけの日常は、「失感情症」に陥る予備軍だった、!、とドキッとしました。

 それでも、朝起きて、まず朝日新聞「天声人語」を読み、ときに情緒や情感が行間に漂っている文章に涙がこぼれる事があって、ほっとしたこともあります。なぜか、デジタル機器を通して読む文章と、あえて「活字」と言わせてほしいですが、紙媒体で印刷のにおいを嗅ぎ・紙のザラツキを指に感じながら、思いをのせて読む行為は、同じ「言語体験」でもアナログ空間に漂っていけるイマジネーションの幅に違いがあるような気がします。脳レベルで何が起こっているかは判りませんが。

 とはいえPCで文章を書きながら、感情移入がすすみ、たかぶってくると、キーボードへの打鍵がフォルティッシモになっていきますけれどね!そんなとき「こんなに強く打つ必要はないんだわ」と気がついて、手書きよりも冷静さが戻る「さめる(覚・冷・醒・褪)閾値」が、速く見える気がします。それってデジタルとアナログの逆転現象に救われているのかも、って思うんです。
 いずれにしても何事も程度もので、「丁度いいのが丁度いい」という野口先生の名言が浮かびました。
 
 研究室や治療室に閉じこもらず、あちこちに足を運んで広い分野の方々に取材をするという行動から生み出された”息づかい”と”気遣い”が伝わってきます。以前、知人の大学の先生が北村さんを称して「日経ヘルスの良心」とおしゃっていたことを思い出しました。
 
 そんなつもりはなく書きはじめたのですが、手紙を公開したようなブログになってしまいました。
 一人でも多くの読者に手渡していきたい本ですね。
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本業で収益をあげる、ということ。

2011年05月28日 09時35分25秒 | Weblog
 朝日新聞夕刊5月25日付けにこんな記事を見つけた。
 読む前にTwitterで内容の一部は知っていたが、詳しい経緯をこの記事で知った。
 記事の大見出しは『原発事故、都バス赤字危機』である。
 都交通局のルーツは、戦前に東京市電(後の都電)を手がけていた東京市電気局だそうだ。戦時下の国家総動員法に基づいて配電統制令で手放し、1951年にそれらの事業をまとめて発足したが東電。こうした経緯から、都は東電の株を設立当初から大量に取得した。都は発行済み株式の3・15%を保有し、直近では第五位の大株主になっている。
 ここ10年ほどの東電株の配当利益は、年に約25億6千万円。それが交通事業会計に入っていた。都バスの黒字7億7300万円は、配当金によって齎されたものだった。これから東電株が無配となれば、当然のことに都バス経営は20億円の赤字となる事は必至、いう内容記事だ。
 果たして利用者にふさわしい値上げくらいではおっつかないだろう、と素人でも予想がつく。

 おそらく他にも東電にからんで、財政問題を抱えている自治体や事業体があるはず。
 とりわけ原発を誘致する事で潤ってきたところが、更なる原発建設が難しくなる事で財政難に陥ることは目に見えている自治体についても報道されている。
 補助金をたよりにして新しい産業開発を怠った付けも回っているという。

 いやはや今回の原発事故は、日本社会構造の根底を揺るがす事態に発展している。産業構造をも換える自然エネルギーへの転換もその一つだ。
 またしても菅総理は直接関係する閣僚ににおわす事もせず、国際会議の席で、「自然エネルギー変換20%」について、一人で旗ふりを行ってもそっぽを向かれるに違いない。
 せっかく変換にとってよき時期にありながら、なんともまずい行動にまたもや辟易させられる。
 自然エネルギーへの変換は、産業構造を根本から換えることと一体なのだから軽率には動けないのが現実だ。「言い放ってしまえばいいってものではない」のだ。
 今回「再生可能自然エネルギーの利用拡大の必要性」を強く総理に訴えたのは、内閣官房参与の田坂広志氏だという記事も読んだ。田坂氏は哲学をもち説得力のある言葉を持った有能な方だ。菅総理はご自身で見極めて、責任をもって発言していただきたかった。

 さて、話が飛んでしまった。
 都バスの記事から思う事は、本業で収益をあげることが難しい事業体はたくさんあるだろうこと。とりわけ教育文化に関わる事業はその最たるもの。
 他にも、今、光があったているNPO法人活動も、危うい財政の上に乗っている。民主党はNPO法人を「新しい公共」の担い手として優遇し、法的にも守っていくと言っている。その民主党が信じがたい様相を呈している。
 NPO法人が、大震災の復旧や復興に関連して“都合良く使われる”に終わってほしくない。それは許されない。しかし、財政がしっかり担保された地に着いた活動へとつなげていく将来は難しいのではないか、と老婆心にかられる。
 
 また、ニュースで見る限りだが、お祭り騒ぎのボランティア活動が見られることに危惧を抱かざるをえない。
「さぁ、一致団結、日本が一つになって、みんなで一体になって助けよう」という危うさが見えてきた。
 願わくば、「右か左か」「原発か脱原発か」、といった二分法ではなく、成熟した大人の対応ができる復旧復興を支える方向を探りたい。自分自身も含めて、この危機だからこそ「人を育てながら」将来の日本の基礎を築く時が、震災後三ヶ月を迎える6月からであってほしい。

 とにかく単純ではない。カオスなのだ。矛盾する事を内包しなら、いくつものカンテラを持って道を歩む勇気と責任を、一人一人が持たなければなるまい、と自戒も込めて書いている今日のブログ。
「都バス記事に学ぶ」を、ひとことでまとめれば「本業で収益をあげる」ということに知恵を働かせて真摯に向き合おう、でした。
 ずいぶん遠回りをしてしまった。
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Pendulum Waves ステキな動画ここにあり

2011年05月25日 19時27分38秒 | Weblog
こんなステキな動画をFacebookで見つけました。クリックしてみてください。Pendulnm Waves
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今朝も降り続く雨に思う

2011年05月24日 07時29分47秒 | Weblog
 小学生のころだった、と思う。黒い雨、という言葉とともに、原水爆禁止運動が盛んになった。
 同じころ「ガイガーカウンター」という計測器の名前が、地面を這わせながら「ガガガガガッ」と音が鳴る場所を探る映像とともにニュースや映画でながれ、子供達の遊びでもふざけ半分で「ガガガガガッ」と真似をしていた。
 それからしばらくして原発安全神話がまことしやかに表明されるようになって、交替するようにニュースに計測器のことは登らなくなった。ガイガーカウンターの存在は社会から、次第に遠ざけられたように思う。
 
 そして3・11以後、東電と政府と原子力安全保安院の発表がにわかに信じがたいという思いが「やっぱりそうだった」を境に、ガイガーカウンターが急速に品不足になる現象がおこった。
「僕は気が小さい」と嘆く友人は、自分でも計測器を持ちたいと言う。
 確かにね。でも持ってどうするの?何か出来るの?意地悪な言葉を返してしまって、ゴメンなさい。
 昔、「雨にぬれるとはげるよ」と言われる事もあったっけ。
 連日の心の重さは、やっぱり原発の収束は長期に及ぶし、時間を区切ることができないことからくる不安感によるところは大きい。

 さて、昨晩からNHKの「ニュースウオッチ9」のスタジオセットが華々しくリニューアルされた。天気予報には分けの分からないキャラクターが登場するようになった。
 それを見て「なんだ?」とツッカカル思いを抱く私は、お年なのかな。
 それにしてもニュースを伝える男性キャスターの方の表情が、最近、頓に不愉快そうだ。この情況では、仏頂面になっても不思議はない、と変に共感している私なのだ。キャスターだって人間だ。
 天気だけでなく、泣きたい日本人は多いよね。雨の空を眺めながら、何かを振り払いたい。
 しかし、それにしても、今朝見せてもらった「芭瑠庵」で、ボランティア活動をなさったサジさんの報告写真が、あまりにも静かだったことに不気味さを感じた。
 改めて、私たちが作り上げた文明が、底知れない不安定を内包するものだったことを伝えている。どこで折り合いをつけて生きるのか。孫子の代にどんな暮らしを手渡していくのか。その問いかけをしてくれている、と思った朝だった。
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鞭(むち)の修理……「発声」への道のり

2011年05月17日 09時12分05秒 | Weblog
 正確な年月は失念してしまった。
 野口三千三先生から、免許皆伝の証に、長さと素材バランスが私用に作られた鞭を戴いた。
 最近では鳴らすたびに切れていく最後の麻の部分が、非常に短くなってきた。そこで、授業でもレッスンでもワークショップでも、鞭をテーマにすることを極力避けていた。
 とはいえ授業や特別講座では、そのテーマを避けては通れない。野口体操の基本であるばかりでなく、動きにとって基本の原理だからだ。

 昨日、授業のなかで取り上げた。学生はやはり鳴らしてみたがる。
 そこで人数が少ない事もあって、一応、全員に一回ずつ鞭を手渡して鳴らしてもらった。一人として成功しなかった。最後に試した学生の時に、セロテープでとめてあるいちばん最後の紐の部分がスッパと切れて飛んだ。
 勤続疲労が起こっていた。その丁度切れる時にぶつかってしまったのだろう。
 そこで今朝はさっそく修理する事にした。先生は3本ほど編んでくださっていた。
 
 野口鞭は、和竿竹に足踏みミシン用の革紐、その先に麻で編んだ紐がだんだんに細くなるように工夫されいる。素材の異なるところはセロテープで繋いである。とりわけ麻紐部分は二段階に太さが変化している。革紐との接続部は太めの麻紐で、その先に麻と麻でつながっている。そのことで先に行くに従って細くなる麻紐構造を生み出しているのだ。

 すでに去年のことだったが、この最後の接続部分をつなげ換えようと思った。しかし、まったく先の部分が短すぎるわけではなかったし、もう少し使える判断をしてその時は交換をやめていた。
 今回ばかりはそうはいかない。おそるおそる切れてしまった麻紐に残された古くなって固くなっているセロテープを丁寧にはがした。目的はどのように接続されているかを見るためだった。
 輪になっている部分に、革紐とつながっている麻紐を差し込んで先を少し織り返してギュッと締めるようにセロテープで止めている状態であることが分かった。

 そこで予備としてもらってあった麻紐の先の部分を同じように接続した。
 果たしてうまく音が鳴るだろうか。
 階下におりて蔵前の空間で鳴らしてみた。
「オォー」
 決まったね!
 いい音が鳴った。爽快感に久々の感動を得た。

 これでしばらくは大丈夫。
 袋の中にはまだ編んでいない麻に、長い部分として編んである麻紐が一本、それに先につなげる麻紐がまだ2本ある。
 予備の麻紐を戴いてから何十年ぶりに、野口先生の心遣いが感じられて、嬉しく感激の朝だった。

 さて、本日は午後から授業に鞭を持参できる。
 六月の中旬に「発声」をテーマにする予定だ。
「鞭→立つこと→四股→呼吸→発声」へと繋いでいくことができる。
 このテーマはひとつずつ繋ぎながら野口体操の基本の動きを身につけてもらえる。
 そして、一つの「物語」になっていくだろう。
 亜音速による衝撃波。聞いた人々に与える衝撃と次の言葉の実感は、この鞭なくして伝えられない。
『最小のエネルギーで最高の効果を得るということは、単に効率的な問題にとどまらず、すぐれて質的に高度な感覚・感性を育てるための有効刺激を発見する、という意味において重要なことである』野口三千三
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MOBILEに慣れるうちに感じること……作曲法

2011年05月14日 07時47分07秒 | Weblog
 1月から4月まで、いくつもの機種の初期設定をおこなった。そして編集の仕方や使い勝手を知るにつけて、次第に懐かしさを感じた。
 更にUstやYouTubeやFacebook等々のアカウントを取得したりする書き込みをするうちに、通底する法則がおぼろげながらも感じられるようになってきた。

 いくつかのコードがあって、その組み合わせでなりたっているのではないか、といった感覚なのだ。音楽の勉強をしている頃の懐かしさなのだ。
「それって西洋クラシック音楽の理論と作曲法に似ている」
 この場合の作曲法は印象派の音楽やその後の現代音楽ではない。
 12音平均率を守り、古典的な手法の内の理論、と思えるのだ。
 五線譜に記号で音を記していく。音の高さや長さを音符に置き換える。それをあるコードの中で流れの道を造っていく発想。ソロ、デュエット、トリオ、カルテット。さらにオーケストラのスコア。さらにオペラ、というように大きな編成になっていく。
 
 音を音符に置き換える発想は、音程を振動数に換算するデジタル化に通じる。まさにコンピューターに通じる感性から生まれたとしか思えない。
 元に戻せば、古典派からロマン派の音楽をアナリーゼする学びがあるが、その道を逆にたどるのが、コンピューターにつなげる初期設定であったり、編集機能であったり、隠されている機能を呼び出す方法であるように感じる。これは私の感じでしかありませんが。

 さて、そして、それを活かすのは、個人の発想である。そして発想のまえに”発想の種”となる「何か」が、身体のうちがわになければ方法を知っただけでおわる。感覚で捉えた種を、想像力と創造力で膨らませることに由来することらしい。きっとMacintoshにはまったから、そう強く感じるのかもしれない。
 ソフトを開発していくアイデア、生まれたソフトを活かしていく無限の可能性は、コンピューターに関わる個人の問題なのだと得心した。
 何をどのように発信したいのか。つまり「個」に由来する問題だった。

 一方で、個人を際立たせるものがあった。
 それを感じたのは、Facebookのアカウント取得したときだった。
 個人の書き込みをしていくうちに、これは政治的な利用が可能なツールだと思った。
 住所、氏名、誕生年月日、性別まではどうってことはない。そこから学歴、家族、宗教、政治、趣味(読書、音楽、映画、ゲーム、その他)、丁寧に書き込めば、ほとんど個人が特定できる。書き込むか書き込まないかは任意だけれど、なんとなくズルズルと書き込んでしまうところがミソだ。
 
 そしていちばん驚いたことがある。
 どこで手に入れたのだろうと勘ぐりたくなる「お友達になりませんか」情報だ。個人のコンピューター上の連絡先に入り込まなければ、得られないようなお友達まで載ってくる。
 想像をたくましくすれば、メールのやり取りしているなかに入って、特定してきたかのように思える情報までも含まれているのだった。
 私の場合、8年ほど前に父が入院していた病院の医師と、亡くなったあとに一回ほど相互にメールをやり取りをした。その医師の名と写真が貼付されて「お友達になりませんか」情報に、最初から入ってきていた。これには背筋が寒くなった。

 いいたいことは、「個人情報保護法」はなぜあるのだ、と言わんばかりの情報の流れの道を、誰かが持っていることの証ではないか、ということだ。
 ではやめるのか、と問われれば、やめないと答える。だって、既に情報は流れ出しているのだから、やめたところで時すでに遅しであろう。

 情報って何なの?
 いや、その前に、国家ってなに?個人ってなに?
 依って立つところをもう一度確かめてみないといけないかも!
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Keynoteの威力

2011年05月12日 07時25分27秒 | Weblog
 大学の授業も二周りして、ようやくエンジンがしっかりとかかったようだ。
 さて、今年はKeynoteでつくった「野口体操」を披露した。
 ソフトバンクの孫さんは、ベネッセに教科書作成を依頼し、子会社を設立してiPadを配って、記憶に間違いがなければ小学校で実験授業を考えていると新聞で読んだ。

 人数限定クラスなので、多少小さいきらいはあるが、学生にさまざまに語りかけながら見せている。iPadをとり出しただけで「ウォ~」と声にならない声が聞こえる。そんなときの私は、この4月の一ヶ月間のMobile取り組み生活が報われた気分になって、幸せを感じる。

 野口体操電子教科書と実際の動きを見せ、そして実践してもらう。さらに細やかな話をする。そのうちには「もの」も持参する。三つ巴どころか五つ巴での伝達は、なかなかなに面白いこと気づいた。

 今朝は、「人物映像ドキュメンタリー 野口三千三 セゾン3分CM」を入れこんだKeynote「野口体操 自然直伝」を一つ作った。これはもう少し先に行ってみせたいと思っている。

 こうした授業展開ができるのもひとえに佐治嘉隆さんのお蔭である。
 写真や動画をiPadで使用できるように心遣いしてくださる。ありがたい事この上ない。
 この場を借りてお礼を申しあげたい。ありがとうございます。
 なにより若者の感性は、提示することをしっかり受け止めてくれる。
 こうしたミッションも年々歳々、豊かになっていくことで継続が可能になっていることを実感している。
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すっかりはまったMobile

2011年05月10日 09時38分14秒 | Weblog
 四月、一ヶ月の猶予をいただき、近くのAVIVA MOBILE高円寺に通った事がきっかけとなって、一気にいくつものアカウントをもらいました。
 これまでのアドレスとともに並べてみます。

野口体操公式ホームページ
http://www.noguchitaiusou.jp/

羽鳥操の日々あれこれ
http://blog.goo.ne.jp/ngc3003/

Twitter
野口体操 @noguchitaisou

Ustream
noguchitaisou

YouTube
TheNoguchitaisou

Facebook
羽鳥操 Misao Hatori
グループ名 野口体操 Noguchi Taisou

 さてさて、これらを活かしてこれからどのような発信ができるのか、楽しみです。
 野口体操の「もの・ことば・うごき」を軸にした実践にからめて、Mobileの時空では「ことば・写真・動画」、そしてなによりも仲間たちとの関わり・支えによって、さらに深めていきたいと思います。
 物事は機があって、思いがけず進展するものと知りました。
 皆さんの交差点、いや、扇の要としての野口体操です。
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浜岡原発停止発表

2011年05月07日 11時54分49秒 | Weblog
 昨晩、NHKGTV7時のニュースを見ていた。
 すると突然のこと、それまでニュースを伝えてきたアナウンサーの声がディクレッセンドされた。と、入れ替わりに菅総理の顔がアップになり、声がはっきりと聞こえてきた。
 耳を峙てる。現在作動し発電している浜岡原発を停止する、ということらしい。
 一瞬間だが何が起こっているのか理解できず、カメラがスタジオに戻されてようやく落ち着きの中で反芻できた。

 危ないと分かっている原発を止めるのは悪くはないけれど、発表の唐突さには素直に喜べない何かを残した。何かの中身が間違っても延命や人気浮上策とは思いたくない。
 それよりも電力不足になったら、暮らしも経済も立ち行かなくなって「真っ暗な日本」か? いやいや、先進国の日本、その一国の総理が強引に入り込んでメッセージを国民に出すのだから、すでに各方面への根回し、いや確証となるデータをもってしてのことと思いたい。
「大丈夫なんですよね」
 
 しかし、いままでも見切り発車や、仮設住宅はお盆までに間に合わせる等々の「総理の自分が言えば出来る発言」に、無責任さと傲慢さを感じていただけに、素直になれない自分が日本人として悲しいよね~。

 浜岡だけを停止するということは、相当に起こりうる危険に関する情報を得て、慌てて手を打ったのかしらね。邪推にはしるのだった。

 あれだけ重大な発表は、アナウンサーを押しのけて割り込むようなやりかたではなく、短い時間でもいいから、聞く方の心の準備ができるような手順を踏んでほしかった。
 あのやり方を見せられると独裁傾向を感じて、リーダーシップと独裁は違うんじゃないの、と思わず発したくなった。はたしてこの総理で大丈夫か、という気持ちと、しばらくはこの総理でいくしかない、という落胆の気持ちは否めなかった。
 余裕がなくなっていることはわかるが、なんだかなぁ~。
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「内部環境という言葉」と野口が目指した「柔軟性」

2011年05月05日 07時53分48秒 | Weblog
 授業が始まって実感したこと。
 原発事故以来、次の言葉が若い学生たちに言葉の上でも理解されるようになりました。
『内部環境あるいは外部環境からあらゆる情報(力・刺激)が与えられたとき、それを高い感度で正確に受けとり、伝えるべきところになめらかに速やかに伝え、その間に適当に選択・濾過・制御して、適切に反応(適応)する能力を柔軟性という』野口三千三

 内部被曝の怖さが現実味を帯びてきたことが一因していると思います。
《 内部環境をよい状態に保つ 》というキーワードは、「ほっこり作戦」が目指す本質である、と言えるでしょう。
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TheNoguchitaisou初めての投稿ビデオ

2011年05月04日 19時39分26秒 | Weblog
「野口体操本自炊映像」YouTubeに投稿しました。
 iPhone4で初めて撮影したビデオを、同じくiPhone4で初めて編集したビデオを、これまた初めてYouTubeに投稿してみました。
 AVIVA MOBILE 高円寺でならったことを応用して、今回は先生なしで、やってみました。
 テスト撮影・編集・投稿です。
 これから個人放送局活動に向けての予行演習といったところです。

 内容は、本と自炊道具を撮影したものです。
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アカウント取得

2011年05月04日 12時07分37秒 | Weblog
Ustreamのアカウントは、昨年のうちにとってあった。
YouTubeは出遅れて、今朝になって取得した。noguchitaiouではとれなくて、なんとTheNoguchitaisouにあいなりました。
さて、いつ動画投稿となりますか。
手始めに誰かのインタビューでもしてみようかしら?
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本日、iRig Mic我が家に到着

2011年05月03日 19時41分17秒 | Weblog
iPhone,iPad,iPod touchに使えるmicrophoneがやって来た。iRig Micという名前。
驚きである。三段階の切り替えがある。指向性のマイクだ。歌、楽器演奏、バンド、インタビュー、ポッキャスティング、ヴィデオ等々、使いようによって段階を選ぶわけ。
そしてApp StoreからVocaLive等々をダウンロードするとミキシングができるのだ。
まだ、実際に使っていないが、準備をしながら、ドキドキしている。
何十年もまえには、大きなテープレコーダーに大きなスピーカー、チューナー、と一部屋に引きこもって
録音をしたことが、昔語りになってしまった。

小さなコンピューターとしてのiPhoneにSONYは負けたかなって、マイクを手にして接続して、ふとそう思った。この汎用性は凄い、とおもう。日本人としてはちょっと悔しい、かも。でも、もう時代は変わった。最近では、iPadとiPhoneに親しんでパソコン触れることがめっきり少なくなった。

さて、どのように活かしていくのか。どのようなパフォーマンスができるのか。どのような発信をしていくのか。その問いかけをデジタル機器から発せられているのを感じている。小さな手のひらのなかに広がりのある世界がはまってきた。
間違っても十年若かったら、などとは言わない。でも、……なのである。「……」はご想像にお任せ。
2011年は、私にとってMultimedia元年となった。
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輪番休講のよう?

2011年05月02日 21時57分58秒 | Weblog
今日から大学の授業がはじまった。
なんだか背骨がしっかり通ったような爽快感を得た。
大学によって、始まる時期、終了する時期がまちまちで、輪番制のようだ。はっきりした根拠があっていっているわけではありませんが。
これでホッとしている。
一人、被災地に入ってボランティア活動をしてきた学生が、今はまだ言葉にならない、という。なんと二週間も場所を変えて滞在したらしい。
野口体操の話に聞き入っている学生だったが、授業が終わった時に、学生の方からから話しかてくれた。
これからの授業が楽しみだ。
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駆け込み寺……AVIVA MOBILE 高円寺

2011年05月01日 05時36分22秒 | Weblog
 昨日、Keynoteで新しいプレゼンを作ろうと思った。
 バックを選択して、写真を貼り付けてみる。ちょっと色合いが、イマイチ。
 やり直しをこころみる。ところが何処をどうしたのか?自分でもわからなうちにどこかに触ったらしい。画面がテコでも動かない状況に陥った。iPadの立ち上げにもどって、Keynoteに入る。それでも同じ状態が続く。
「困った!」
 Appleテクニカルサポートに電話をかけるが、繋がる時間はおよそ10分という。以前なら、そこで我慢を決め込んで、ひたすら待った。
 しかし、である。iPadを抱えて商店街を疾走。1分もかからないうちにAVIVA MOBILEに到着。

「ときどきこんな風にポカ~ンとすることがあるんですよ」
「ポカ~ン!」
 たしかにそんな感じだ。
「再起動をかけてみましょう」
「そんなことができるの?」
「一応、コンピューターですから」
 
 電源ボタンと開始選択ボタンを同時に長押しする。すべてが消えて、しばらくするとAppleマークがあらわれる。それでやりなおすとバッチリうごくではありませんか。
「iPhoneもこうするんですよ」
「なるほど!」
 おかげ様です。
 ご近所のMOBILE駆け込み寺は、本当にありがたい。
 冷静な対応をしてくれた店長の二村さんの言葉が、心に残った。
 フリーズではなく”ポカ~ン”は、iPadにぴったりだ。いいなぁ((^-^)/)。
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