羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ゆうちょダイレクトが面倒なわけ

2017年02月28日 17時45分48秒 | Weblog
 これまでWebでの銀行取引は行ったことがなく、はじめて「ゆうちょダイレクト」を登録し、使いはじめてみた。
 実に面倒である。以前にも書いたが、もと郵政省のゆうちょともと電電公社のdocomoは、遅れをとった電子決済に乗り出した観がある。
 いずれスマホ決済が一般化するだろうし、どの銀行でもビットコインに準ずるマネーを使用する方向に確実に向かっている。
 たとえば三菱東京UFJ銀行では、変動相場ではなく、1円なら1円というように固定にしてこの手のコインを流通させるようだ。

 頭が痛くなる。
 現金払いで育った年代としては、ビットコインやそれに準ずる銀行が発行するコイン、Webの世界に私はついていけるのだろうか。
 将来がとても不安になってしまう。

 さて、気を取り直して、ゆうちょダイレクトのことだが、「記号番号ですか」と「店番号ですか」と画面が聞いて来る。
 これが紛らわしい。
 今日、知ったことだが、もともと全国至る所に郵便局をもつ郵貯には、支店の認識はなく「店番号」より記号番号が優先されているわけはそこにあるという。
 
 言ってみれば、いちばん楽に送金できるのは、まだ振替口座である。
 それでも「ゆうちょダイレクト」で送金する場合、店記号番号では漢数字で入力しなければならなくて、打ち込み作業は記号番号よりも面倒なのである。

 この支店感覚のなさは通帳にも現れていて、記号番号はあっても店番号は記載されていない。
 ようやくわかった。
 同じゆうちょ銀行口座なのに、ダイレクトの場合の”記号番号の番号桁数”と、“店番号の番号桁数”が異なることも、この支店感覚の欠如がもとであると聞くと、すべてナットクである。
 水道料金やガス料金の振替手続きにしても、民間に対してお役所仕事の面臭さがいまだに残っているという。

 みなさま、これから「ゆうちょダイレクト」その他、ゆうちょ口座に送金をなさる場合には、アラビア数字で入力できる「記号番号」でなさいますようにおすすめいたします。
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小猫の戦略

2017年02月25日 08時38分38秒 | Weblog
 2月23日のブログに、猫の手も借りたい、と書いた。
「そうだ、猫の智慧も借りてみよう」

 この二週間の行動を振り返ってみよう。
 つまり、会場探しに歩いてみたわけ。
 団体登録書類を書いてみたわけ。
 国立の施設と区立の施設とでは、書き込む内容や条件に微妙な差があったことに気づいたわけ。
“わけ”のさわりを話してみようかなー。

 区立の場合は、どこまで守られるかは別としても、確実に・間違いなく、区内に住んでいる人の割合がいちばんの問題になる。
 そりゃそうだわ。
 区に入るさまざまな税金がつかわれているわけなんだから。
 ここで面白いと思ったのは、以外に重要視されている事項に、「代表者が複数の団体代表をつとめている場合」は、最初からお断りなのである。
 それにも納得。

 さて、国立青少年センターの場合は、営利団体でないことがいちばんの条件であるわけ。
 それにも納得。
 野口体操の場合、それは全く問題はない。
 そこで気づいたことがあった。
 野口体操はとことん「個人」との関わりのなかで成立する体操である、ということ。
 あえていわせていただくと、個人を尊重した集団である、ということである。(固い表現だなー)
 今回の会員を募るとき、性別・年齢・職業・住所などの個人情報は、「個人情報の保護」のことからしていただかなかった。これはまずもって珍しいことに違いない。
 言ってみれば、長年のおつきあいのなかで何となくわかっている人間がいる、からでもあったかもしれない。

 しかし、提出書類には、主なメンバーの名前・年齢・性別・職業・都道府県(海外)名を書き込む欄がある。
 これは当然のことだ。全員を書く必要はなく、5名以上の会員情報を出せばよかった。

 その後、小猫ちゃんはなんとなくそわそわ。
「何を考えているの」
「いままで考えたことのない数にしてみたらどうよ!」
 にゃんにゃん語で教えてくれた。

 やってみたのよ。
 男女の比率、年齢構成、住まう所、等々を数字にしたとたんに、「個人」が消えてしまった驚き。
 まったくゼロの年代があったことへの驚き。
 住まう区の偏りと人数への驚き。

 10年、20年、30年の時間の経過を取り込んで、お一人おひとりのお顔や風貌等々を想像しながら、名簿を見ていると、数値に置き換わった瞬間に、今までとはまったく異なった関係に引きずり込まれることへの驚きだった。

 せっかくだから、小猫ちゃんの智慧をもう少し借りてみよう。
 現在、野口体操を思ってくださる方が、ゼロの世代は何十代か、と。
 野口体操を大切に思わなくても、単位をもらうために実際に体操をやってくれている世代がいること。
 
 もう少し拡げて、自分の身体にかかわる時間を持てない世代は何十代か。
 これは数値を見なくても、考えなくてもわかってしまう。
「ほー、見える、見える」
 小猫の目がキョロキョロあたりを伺っている。

 一つの決断が、導かれた。
「変わるしかない。変わることをおそれるな!」

 やって来たことを振り返ってみる。
 まず、野口先生没後に得た野口体操を伝える場、伝えてきた人々の、年齢、性別、職業、住まう所……を想い浮かべる。
 そして、受ける方々の前に立った瞬間に感じるその場の空気で、3つのことを即断して伝えることだったと気づく。

「ここまでは野口先生の生涯をかけた体操への深い思いを守る」
「ここからは相手に合わせて少しだけ変えてみよう」
「このことは危険だからあえて隠しておこう」
 
 上手くいくときもあった。
 ボタンの掛け違いのまま終わってしまったこともあった。
 とにかくレッスンや授業、そしてワークショップは、その場に集まった全員がつくりだすものだから、生きものなのである。次に何が起こるかわからない。次にどんな反応が出て来るかはわからない。次にどんな変形や変種が生まれるのかはわからない。

 そうしたこととは別に、数値化にしてみると、見える風景が変わった。
 これからの野口体操を考える時に、団体登録で求められたこの視点もちょっとだけ持ってみよッ、と。

「我が輩は小猫である」 
 なんちゃって!
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あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、小傷を負う毎日

2017年02月23日 21時47分37秒 | Weblog
 来年、2018年は、野口三千三先生の没後20年の年にあたる。
 そこで準備のために、今年から「野口体操の会」に会則をつくり、会員を募集して、少しはまとまりのある方向を探りはじめた。
 探るだけでなく、昨年の秋から実際に動き始めている。
 
 このところ、毎日、気づかされること多々。
 いや〜、これまで事務のことは他人まかせで生きてことに、はっきりと目覚めさせられた。
 自覚だけではなく、関わってくださっている方々に迷惑をかけてしまっている状態がつづき、なんともはや“申し訳ない”しか言葉がない。
 実に、細かい見落としや、慣れない書類に、あたふたするのである。

 たとえば一つだけ挙げれば、今週は、没後20年に開きたい“集いの行事”に、国立オリンピック記念青少年総合センターに団体登録を試みた。
 以前にもらってきた書類に、別紙の「野口体操の会」についての説明文を添えて提出をした。
 別紙は、殆ど私自身の履歴書のような雰囲気になってしまった。
 それでもすんなりと通って、ほとんど手続きが終わる段になったら、営利団体でない証明のための提出物を求められた。
 一週間以内にファックス送信する約束をして帰宅した。
 それからの2日間、空き時間に書類を作成していた。
 
 こんな具合で、朝から夜まで、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、大傷は負わないが、小傷を負っている。
 とんでもないことをはじめてしまった! と思わなくもないが、「気負いすぎずにやりましょう」と励ましてくださる方がいて、なんとか自分を取り戻している。

 そうなのだ。
 ひとりでは何も出来ない。
 今のこの時期をのがしたら、もう手遅れになるのは自分自身の年齢の問題だけでなく、野口体操の灯火が消えてしまうぎりぎりの時期に来ていると、つくづく思って気を取り直しているのだが……。

 昨日2月22日は「猫の日」だったそうだ。
 あ〜、猫の手も借りたいのよー!
 一日遅れの溜息を深くついて、本日はおやすみなさい。
 
 以上、ひとり言でした。
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風に吹かれて

2017年02月18日 09時20分13秒 | Weblog
 昨日、関東地方には「春いちばん」が吹いた。
 その風のなか、武蔵野台地中央部に位置する杉並を出て、代々木国立オリンピック記念青少年総合センターから、文京区千駄木へ出かけた。ここは武蔵野台地東端部に位置する。
 目的のダンススタジオは、急な坂道である”団子坂”を登って、住宅地のなかにある個人のお宅である。
 長居をせずに団子坂上に出ると、「森鴎外記念館」が目に入った。因みに、最寄り駅の東京メトロ「千駄木駅」の海抜は6・7メートル。ところが団子坂上の海抜は20メートルである。いかにこの坂が急な登り坂であるかが実感としてもわかるのである。ここが森鴎外記念館が位置する大事なところなのである。
 
 実は、今年に入って「鉛直」と「垂直」を調べている時に、鴎外の文章のなかに使われていることを知った。
 この記念館は旧居跡地につくられている。
 鴎外30歳から亡くなる60歳までここで暮らした邸宅があって、大きな屋敷は当時の文人達のサロンでもあったという。
 そして、増築した二階からは、品川沖の白帆が遠く眺められたため、鴎外自身が「観潮楼」と名付けたという。

 1892年(明治25)から1920年代当時の東京を想像することは難しい。
 しかし、遠く離れた品川沖まで眺められたということに思いを馳せてみると、100年の時間があまりにもはやく過ぎていったことに不思議な実感をもってしまうのである。

 館内を見学して、受付・ショップに立ち寄った。
 手に取ったのは『森林太郎立案 東京方眼圖』である。
 1909年(明治42)東京市日本橋區通四丁目角 「春陽堂發行」の復刻版である。
 ひらりと一枚はいっていた説明書きを読むと、鴎外がドイツに留学した際に、ヨーロッパではすでに一般的だった方眼付き地図を参考にして立案したもの。この地図が刊行された当時の日本では、方眼つきは非常に珍しかった、と書かれている。
 よこ軸には「いろはにほへとち」と記述され、たて軸には「一二三四五六七八九十十一」と自分が立っている位置が検索しやすい地図である。
 さすがに理系の作家、森鴎外を彷彿とさせる地図である。
 小説のなかに「鉛直」「垂直」という記述があっても、その使い方が正確である意味がここからも伝わって来る。

 地図に山手線を探す。
 東京駅が見つからない。
 目を皿のようにしてよく見ると、東海道の終着駅は新橋停車場で、北からおりて来る鉄道路線は秋葉原仲町でストップしている。それもそのはず。この駅は1908年に本格化し、1914年(野口三千三誕生の年)に完成したわけだから。今年で103年になる。
 当然、1909年の地図に東京駅が載っているわけがない、と得心した。

 地図を観ながら思うこと多々。
 まず、千駄木という地名はどんな由来か。そこから離れた田舎であった内藤新宿ちかくに原宿村あたりに千駄ヶ谷があるのだろう。
「千駄」が共通である。キーワードは「駄」であった。駄馬、駄菓子、駄洒落の「駄」である。
 荷役に使う馬のことで、値打ちのないもの、つまらないもの、粗悪なものの意である。
 人を乗せる「乗馬の馬」は一段上であり、荷物を運ばせる馬は「駄馬」なのである。
「なんともはや馬がかわいそう」
 こん差別感はいかに。
 物流が止まれば、人間はその日から生活できなくなる。とりわけ生産をしない都市生活者にとって、生活物資、建築物資、その他、ありとあらゆものを運ぶ馬は、貴重であるはずなのに、なんたることか!
 それはそれとして、地名の由来だが、「千駄木」は、太田道灌が千駄木林と呼ばれる地に「栴檀(センダン)」木を植えた。そのセンダンがなまったか、あるいは「千駄」も植えた、「馬」一頭に負わせる荷物の量を「一駄」とし、それが千頭にも運ばせた多量の植林をいうらしい。
 では、「千駄ヶ谷」は何か。
 ここは、渋谷川上流域にはたくさんの萱がはえていて、それを一日に「千駄の萱を積むところ」集積地ということに由来する、とある。
 まとめると「駄」というのは荷物の単位を示す助数詞である。江戸時代には、荷物運び専門の本馬が1駄36貫(136キロ)を定量とした。人一人を乗せる軽尻(からじり)が1駄16貫(約60キロ)。この軽尻の重量に換算して、酒3斗5升(約63リットル)入りの樽二つを1駄といい、一つのを片馬といった。

 ようやく「千駄木」と「千駄ヶ谷」の地名の由来に納得した。

 春風に吹かれて飛ばされて、とんでもない遠方まで話が飛んでしまった。

 とにかくも森鴎外の「鉛直」「垂直」観が、一枚の地図から読み取れるわけであります。

 蛇足:この地図のなかに「東照宮」はあっても「寛永寺」という寺の名称が見つからないのである。
 さらに野口先生の墓所、第二霊園は、徳川第二◯(読めない)廟と記されているだけである。
 穿った見方をすれば、寛永寺は徳川慶喜が一時蟄居していた寺院であることも地図から名前が消えるなんらかの関わりがあるのかしら?
 わからない。
 謎は謎をよんで、面白くなりそうだ。
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片付け事始め−2−

2017年02月15日 05時51分14秒 | Weblog
〈記事のタイトルを入力してください(必須)〉
 ブログを書き始めようと「新規投稿」を開くと、この文字列が眼に入る。
「片付け」と打ち込むと、「片付け事始めー!ー」「片付け事始め記念日」と、過去に書いたタイトルが小文字で列挙される。
 ふむふむ、何度も宣言して長続きしていない証拠のようだ。

 数年前に、片付けたいことの全体のうち、三分の一をクリアした。
 3年かかってしまった。
 その場所が再び眼も当てられない状態に戻りつつある。
 保留してあった物も、今では捨てられる気持ちになっている。

 冬は片付けにもってこいの季節である。
 はじめのうちは寒くても、動くうちにポッポッとからだがあたたかくなって、着込んでいたセーターを脱ぐことになる。
 その点、夏の片付けは汗で体力を消耗するので、長い時間続けることができない。
 そこで私の「片付け事始め」は、いつも「事始めの状態」で、冬に行っている。

 次なる三分の一を、今年は本日から始めることにした。
 同じく3年を目安に、事始めを返上したい。

 入った部屋の足下から、一つずつ手を付けることにしよう。
 仏壇に手を合わせた早朝のこと。
 
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花曇り……「時鐘堂」の時の鐘音

2017年02月12日 08時24分55秒 | Weblog
 北緯35度42分51・2秒 東経135度46分21秒
 ここに「大仏下の時の鐘」と呼ばれた上野寛永寺の「時鐘堂」がある。
 寛永2年(1625)に建てられた当時、敷地面積は35万5千坪と言われている。
 それから41年後、寛文6年(1666)初代の鐘は鋳造された。
 それから21年後、貞亨4年(1687)松尾芭蕉は大川(隅田川)に近い芭蕉庵に住まいこの句を詠んだ。 

花の雲 鐘は上野か 浅草か

 桜の花が一面に満開となって雲のように咲きそろう江戸の春を、鐘の音に託して讃えたのである。
 芭蕉庵は上野の寛永寺、浅草の浅草寺ともに、耳にすることができる位置にあった。
 これらの時を告げる鐘は、江戸幕府後公認の「時の鐘」で、上野、浅草、本所、日本橋など江戸市中10カ所に設置されていたとある。京都、大阪、長崎は、それそれ一カ所にしかおかれなかったらしい。
 つまり、複数の「時の鐘」があったのは、江戸だけである。
 そのこともわざわざ二カ所を詠み込むことで江戸の町が大きな都会に発展していることを、詠んだのではないだろうか。
 なかなかに凝った趣向といえる。
 それはともかく、江戸風情が伝わる句として、素直に味わってみたい。
 おそらく芭蕉は、上野の鐘の音、浅草の鐘の音を聞き分けられたというのが大方の識者の意見であるが、私の個人的な思い入れ、つまり寛永寺に野口先生のお墓があるという勝手な思いから、上野の鐘にちがいないとしたいのが人情というもの。
「大仏下の時の鐘」である、と。
 
 時は330年後、平成29年(2017)来る4月1日にある会合を上野で予定している。
 人、人、人、人、人、………で埋め尽くされるであろう、この時期である。
 なるべく人を見ないで、花を見ようぞ! 
 今から心掛けて、去る2月1日にランチ処を探しに、幹事をしてくれるKさんと出かけた。
 彼女は、上野駅に近くで落ち着いて話が出来る店を、ピックアップしてくれたので、何件かをのぞいたあとに有名フレンチレストランで試食をすることにした。
 予算の都合もあるが、そのあたりは範囲内なので安心して席についた。
 フランス料理としはまずまずの値段と味であった。
 二人の意見は一致して、この店に決めてることにしたのである。
 その後、レストランに電話予約を入れてくれたKさんから連絡をもらった。
 午前中の予約はないので、裏技を教えてもらったという。
「確と承った」
 だがちょっとまずいかなー、という思いがして、他も当たってもらことにした。

 一軒は、「時の鐘」にもほど近い、一度は行ってみたい和食店であった。
「ぜんぜん、話になりません」
 Kさんからの電話である。
 すでに1月から、花見時の予約ははじまっていて、すべて満室ということであった。

 ここからが彼女の真骨頂である。
「もしや、他の店も同様かも」
 そこでもうもう一軒の店に電話を入れた。
 その時点では最終的な人数は決まっていない。
 予想すらたたない。
「どうしましょう」
「見切り発車しましょう」
 なんとか交渉の末に、個室を確保してくれた。
 翌日のこと、Kさんは試食にでかけ、まずまずの感触をつかんで、我が家に報告に来てくれた。
「なんだか綱渡りですねー」
 お互いに顔を見合った。
 
 日本の花見は外国人に人気が出て、各地のお花見処は、ものすごい混雑になることや、食事するところを確保することが大変であるということは、ニュース等々で知っていた。
 が、しかし、これほど大変な状況になっているとは、実際に当たってみなければわからなかった。

 さて、さて、鐘の話に戻そう。
 現在の寛永寺「時の鐘」は元明7年(1787)につくられたもので、平成8年(1996)「日本の音風景100選」に選ばれているとうだ。
 朝夕6時、正午、1日3回、聞くことができる。
 4月1日には、人の波音にかき消されてしまうのだろうか。
 いやいや、心して耳を傾けよう、と今から心待ちにしている。 
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Webおのぼりさん

2017年02月08日 08時18分33秒 | Weblog
 このところしばらくパソコンに向かって事務的な仕事をしている。
 一つは名簿つくりである。
 名前・メールアドレス・電話番号をエクセルに記載する前準備である。
 メールでいただいたものは、そのまま貼付ければよいのだけれど、手書きのものは打ち込み作業を行っている。
 そもそも注意力にかける私としては、打ち込みミスがいくつもあって、エクセルにうつしてくださる方に迷惑をかけている。
 単純ミスの他に、いくつかの間違いやすい点を自覚した。
 自分自身への反省として覚えておきたい。

*O(オー)と0(ゼロ)の違いは実に判別しにくい。
 手書きの場合は、0(ゼロ)は縦長に書くべし!

*手書きの場合は、「a」の小文字は、活字体だと書いているうちに「d」に似てくることがある。4文字もaがある方からの手書きに遭遇して、よく考えずに打ち込んだら、最後のaをdと読み間違えた。
「a」は筆記体で書くべし!

*氏名をアドレスに使用するときは、ローマ字つづりでつながった小文字列は読みにくい。
 氏と名の頭を大文字にするか、「ー」でつなぎどちらかをイニシャルだけにするべし!

  等々。

 さて、もう一つの作業は、「ゆうちょダイレクト」の申し込みで気づいたことである。
 中国へ頻繁に出張する女性、Sさんから聞いた話からはじめよう。
 彼の国では近年のスマホの普及はすさまじいものがある。
 あらゆるところでスマホ決済がされていて、大店舗だけでなく屋台まで利用されている、という。
 そういえばインドでも、高額紙幣が急に廃止されて、電子決済に移行するというようなニュースも聞いた。

 実は、「ゆうちょダイレクト」の登録作業を自宅のパソコンで行ったが、順調にすすむと思えた作業が、突然中断せざるを得ない状況に追い込まれた。
 それはワンタイムパスワードを受け取る段階でのことだった。
 このパスワードは、携帯電話に送られてくるように設定されていた。
 我がiPhoneにはSo-netが入っているから大丈夫だと思っていた。
 ところが「ゆうちょダイレクト」では、So-netは、受け付けてもらえなかった。
「なぜ?」
 よくわからない。

 つまづいたところで文面をよく読むと、携帯のdocomoメールに送信するとかかれている。SOFT BANKでもよいのだろうけれど、強調されているのが「docomo」なのであった。
 そこで調べてみると、今使っているスマートフォンにドコモメールアドレスを入れていなかったことが判明し、したがって、すでに、先方からワンタイムパスワードが送信されているにもかかわらず、受信できなかった。

 実は、昨年、ある事情からSOFT BANKからdocomoに変更していたにもかかわらず、そのアドレスを入れていなかった。
 急遽、「ゆうちょダイレクト」の操作を中断して、スマートフォン対応に追われた。
 これがなかなか面倒なのである。しかたなく電話で指示をうけて操作を完了した。
 それでも20分以上の時間が経過していた。
 
 無事に「ワンタイムパスワード」は即座に受信できた。
 ところが操作ストップに時間がかかり過ぎていて、「ゆうちょダイレクト」をやり直すハメに陥ったのである。

 ここで気づいたこと。
 郵貯はもともと郵政省で、docomo は電電公社であった。
 なるほど、ともに「民」ではなく、「官」なのである。
 あの文面は将来を見据えた抱え込み作戦に違いないと穿った見方をしてしまった。
 やけっぱちの心境だ。
 2010年といわずに、ゆうちょもdocomoと組んでスマートフォン決済を全国隅々まで行き渡らせようという考えに違いない。
 Appleはスイカとくんでいるし、iPhoneで支払いが出来るように初期設定を促すことを画面で何度も繰り返して知らせてきた。

 どこも顧客の抱え込み競争が激しいってことだ。
 これもメールアドレス作業で知ったことだが、東急東横線沿線に住まう人は、東急のプロバイダーを使用している人が多いという。これも「o 」と「0」の判別に苦労したすえ、電話で確かめてわかったことだった。

 まとめます。
 これから生きて、生活していくにあたって、“すでに”というのかもしれないが、スマートフォンやタブレットはなくてはならない必需品になってしまった。

 Webおのぼりさんとしては、あっちを向いてきょろきょろ、こっちを向いてきょろきょろ、ドキドキしながら、新しい風景に驚きを隠せないこの頃であります。
 
 最後の一言。

 我は、リアルでレアな世界で生きている実感を得る体験を、意識的に組み込むべし!

 最後にもう一言、自戒。

 注意散漫、そそっかしい自分がいちばんあぶない、気をつけるべし!
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終着駅のない旅

2017年02月03日 14時12分08秒 | Weblog
 一昨日の昼過ぎに、日曜日に取材を受けたライターさんから、入稿前のゲラが写真とともに送信されてきた。
 外出先で気がついたが、その日は手つかずのままにしておいた。
 翌朝、かなり早く目覚めたので写真と照らし合わせながら、キャプションやコメントを読み込んだ。
 資料があるとしても、一回、二時間のレッスンでよく捉えられているとは思った。
 写真はどのようなカットをとりたいのかが決まった段階で取材撮影をされていたので、すでに構成はできているのだから、短文もイメージはほとんど出来上がっているに違いなかった。

 そこで私の作業は、微妙な言葉使いに、修正を加えることになる。大幅な修正になってしまったとこもあった。
 ライターさんの意図するところを感じ取りながら、野口体操の言葉に置き換えていくリフォームは、それなりに工夫がいる。
 以前ならば、文字数を数えて、ぴったり合わせながら修正をしたけれど、年をとったせいか、いや、ライターさんを尊重したい思いから、こちらの主張を字余り状態でも書いて送ることにした。
 そうすれば先方も自分の考えを活かしながら、修正文をさらに修正してまとめあげることができるはずだと思うようになった。

 昨日には、2回目の原稿が送信されていて、月曜日までに戻して欲しい、とあった。
 今朝も早くから目が覚めたので、ゆっくり読み直した。
 訂正するところは見つからず、OKとあいなりました。

 いずれにしても野口体操の実技紹介は、文章化が難しい。
 読んでわかるものではない。それでも読んで試してみる読者もいるわけだから、危ない表現に対しては、たとえばV字形の指示を波形に変えてもらったり、イメージを伝えるオノマトペは柔らかい「ほわ〜ん」などと訂正してもらった。
 これで来週には校了となって、2月中旬には店頭に並ぶらしい。

 さて、最近の傾向だれれど、朝日カルチャーにはじめて参加される方のなかには、本やビデオやホームページ上の動画を見て、予め体操を練習してくる方も増えた。
 特に人気なのは『DVDブック アーカイブス野口体操』がいちばんに挙げられる。

 以前ならば、写真も動画も、文章も、すべてで伝わっていない印象だったが、最近ではそれが変わって来た。
 社会の身体に対する価値観、実践が、より野口体操に近いことになっていることもあるかもしれない。
 それでも実際に教室に来て「上体のぶら下げ」「上体のぶら下げを一息で何回か繰り返す動き」「上体のぶら下げのヴァリエーションで、一回放りあげて何回か揺する動き」等々、はじめて生の動きをみた時の驚きは、尋常ではない。

「腕立てバウンド系」も同様で文章を読んで、写真を見たり、DVDの動画で見ていても、自分の目の前で繰り広がられる動きから受け取れる印象はまったく違っているようだ。
 とはいえ一昔前とは雲泥の差、事前リサーチのレベルが高くなっている。

 可能ならばしばらく教室に通って、身につけていただけるといいのだけれど。
 あすの土曜日は、日曜日に不完全燃焼の感があった「味わう」をテーマにしたい。

 伝えるって難しい。
 でも難しいからやり甲斐があることも事実。
 終着駅のない旅をしているようだ。
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「老女力」って?

2017年02月01日 08時25分37秒 | Weblog
「女子力」に対して「老女力」を自分のこととして考えてみた。
 老女といっても60代や70代と85歳以上の老女では基準が違うような気がする。
 年金や社会保障問題から、70代になってからをお年寄りとする基準がいつの間にか出来たようだが。
 でも年をとればとるほど、暦年齢と実際の老化度とは個人差が大きいようにも思える。
 分けるのは好きではないけれど、92歳になる母を見て来た実感からして、大雑把に「前期・老女力」と「後期・老女力」があるような気がする。

 前期はこんな感じ。

*背筋と膝が無理のない範囲でまっすぐに保っていられる。
*臆面もなく若作りのお洒落ができる。
*自分の年齢よりもずっと若いお友達が男女をとわず若干名いる。
*若いときから続けている楽しみを他の人に分けて(教えて)あげられる。
*老後破綻予備軍にならずに、とにもかくにも日常のひそやかな暮らしが維持できる。

 あぁ〜、無い物ねだりみたいだー、と思わなくもない。
 気をつけないと最後にあげた老後破綻回避が、あんがい難しいかも。

 気を取り直して。

 後期はひとこと。

*寝たきりにならない!

 ご一緒に考えていただけません。
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