羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

府中市郷土の森博物館

2018年02月23日 18時59分44秒 | Weblog
「野口体操の会」会報「早蕨 SAWARABI」に、私家版「野口三千三伝」を載せる提案を、近藤早利さんからいただいた。
 いつかは書きたいと準備をぼちぼち始めていたが、まだ先のことと思っていた。
 どんなスタイルで書こうか。主語を立てるのか。物語ってしまうのか。それとも記録にしておくのか。
 何も決まらず、向こう見ずな性格から、見切り発車をしたのが昨年の夏のことだった。
 創刊号、そして第二号と、なんとなく納得なしに書くうちに、だんだんと本気度が増してきた。

 今週はじめには、『昭和史』半藤一利著 平凡社を読み終えた。
 岩波『近代日本総合年表』、三省堂『コンサイス 世界年表』、『吉岡村史』を使って、野口の20歳までの年表を作ってみた。

 そうこうするうちにある想いに至った。
 近隣で「水車」があるところを検索すると「府中市郷土の森博物館」がヒットした。
 早速、午後から出かけた。
 ちょうど梅祭りが始まっていた。
 見事な梅園があった。まだ満開ではなかったが、楚々として咲く花の色香は桜とは異なるふくよかさが心に響いてきた。
 かつては花と言えば「梅」であったことに、自然と納得できる風情である。

 さて、移築された古い建物を見ながら、水車にたどり着き、水の音・水車が回る音、小屋の中からかすかに聞こえる音に、耳を傾けた。
「旧府中尋常高等小学校」「旧田中家(府中宿の大店)」「旧府中町役場」「旧府中郵便取扱所」等々、高低差のある地形を生かして、樹木の間に配置されている。
 水車を味わいに出かけたが、思いがけずタイムスリップしながら小さな旅をした気分に浸ることができた。

 来週は、九州にインタビューに出かけるが、日曜日からその準備をしたいと心算している。
 野口30代半ばすぎから40代の話を聞くことになりそうだ。

 別件、昨日、大林監督が病をおして映画を作ることが報道された。
 名作『戦禍に生きた演劇人たち 演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』堀川惠子。
 この悲劇に続く戦後の新劇界の話も伺うつもりである。
コメント

ひな祭りは鹿児島で・・・・・・

2018年02月19日 15時22分03秒 | Weblog
 今朝から、取材の準備に取り掛かった。
 野口三千三先生が「ぶどうの会」で出会った方にインタビューをお願いした。
 現在は鹿児島在住。御歳93になられる。

 先週、「早蕨 SAWARABAI」創刊号とVol.2をお送りしお願いをしてあった。
 電話でお話しすると、快諾をいただいた。
「早い方がいいですね。いつ死ぬかわかりませんから」
 ということで一気に決まった。

 早速、インターネットで航空券と宿泊セットを予約した。
 初めてのことでドギマギしたが、”即引き落とし” で全て完了。
 ボイスレコーダーとステレオマイクロホンも準備できた。

 2日に鹿児島入りし、先方の事情で3日昼からインタビュー。
 4日には朝日カルチャーのレッスンがあるので、3日夜には帰京予定。
 鹿児島に長居はできないのが非常に残念である。
 強行軍であるが、今をはずせない。
 昭和30年代の新劇事情も含めて、お話が聞けることは貴重だと思う。

 ちょうどひな祭りの日にというのも、記念になりそうだ。
 出来ることならお天気であってほしい。
 桜島も拝ませていただきたい。
コメント

「野口体操の会」会報『早蕨 SAWARABI」Vol.2

2018年02月16日 11時52分19秒 | Weblog
 昨年、2017年9月7日発行した創刊号に続いて、第2号が出来上がりました。
 会員の方には、すでにお手元に届いていることと思います。

 ご協力いただいた方々に、この場を借りてお礼を申し上げます。

 3月7日発行日ということで、桜色の表紙が、野口体操にも春の訪れを感じさせてくれます。
 古き良きもの・ことをたどる深さと、明日へと向かう新鮮な若さを兼ね備え、美しく仕上がったと思っています。
 今号は、カラー写真を多用することができました。

 これからも試行錯誤を続けたいと思います。
 これから更に読み応えのある会報に、読者の皆様と共に育ててゆくことができますように祈っています。

 第2号 目次

 2 巻頭言「青森から・・・・野口体操”社会化ミッション」/羽鳥操
 4 私と野口体操ーピーター・ファン・ヴェイクに聞く
 6 私家版 野口三千三伝−2「祈り・・・・父の太鼓」/羽鳥操
 9 NEWS 2017年早蕨塾レポート 第1回・國廣哲也 第2回・藤田一照
10 野口三千三語録抄/解説:羽鳥操 英訳:近藤準介
11 SAJI’s PHOTO GALLRY ・2018年早蕨塾の予定
   編集後記/二階のぶ子

 ご希望の方には、第2号・創刊号ともにお分けいたします。

 郵便振替  野口体操の会  00110−3−537530

 1冊 300円+送料120円
 2冊 600円+送料140円

 送り先住所・メールアドレス、氏名、号数をお書きの上、お振り込みください。
 尚、ゆうちょダイレクトからお振込の方は、羽鳥のメールへご送付先をお知らせください.
hatori-m@sb3.so-net.ne.jp

 一人でも多くの方にお読みいただきたいと願っています。
 
コメント

出会い

2018年02月11日 08時39分44秒 | Weblog
 昨日、2月10日土曜日のレッスンでは、日本の御札をしみじみと見ていただいた。

「御札ですか」
 なんで体操に? 狐につままれたような空気が流れた。
 ルーペのほかに、電源にコードを差し込んだ小ぶりの機材をみて、何が始まるのかと少しだけ身を乗り出してくださる。

 そこで順を追って、見ていただくことにした。
 第一声が「えッ」透かし以外にあるんですか?」
「あるんです!

 流石に「御札」である。
 ここまでくると、身を乗り出して、関心を示す人が増えた。

 まず、一つ目は、極小のローマで「NIPPONGINKONIPPONGINKONIPPONGINNKO・・・・・・・・・・・」の綴りが、予想のつかないところにたくさん散りばめられていること。
 直線であったり、波形であったり、楕円形であったり、と裏表に挿入されている。
 少なくとも8倍以上のルーペをつかわないと、裸眼では全く見えず、探し当てられない。
 一万円札、五千円札、千円札、全てに描かれている。
 時間を十分にかけられれば、それぞれの方に探してもらえたが、それも出来ないので、あらかじめ場所をお教えしてしまった。
「こんなところに?!」
 予想もつかないいくつもの場所に、文字は隠されている。

 次は、蛍光発光である。
「紫外線照射器」の出番である。
 岩石・鉱物の同定に使われる「紫外線照射器」で、御札に紫外線を当てると何箇所もの文様が美しく輝く。
「中国では、どんなに小さい商店でも、照射器を用意していて、高額紙幣を受け取ると発光するか、確かめるんです」 
「日本では考えられませんね」
 声には出さなかったが、皆がそう思ったことが伝わってきた。
 偽札をつかまされない用心をしているお国柄を、思わぬところで知るとこととなった。
 思わず発言されたSさんの言葉に、一層のこと御札への関心が増した。
 日常的に買い物をするといった御札との付き合いしか考えていなかったが、日本の高度な印刷技術を目にして、御札には日常を超えた「御札意味」があることを少なからず実感してもらえた、と思っている。

 一晩明けて、2018年2月11日付け 朝日新聞2面 『いちからわかる!仮想通貨」』の記事が目に入った。
“価値の裏付けのない電子データ 円などの法定通貨との違いは?” 見出しがある。
 仮想通貨と日本円などの法定通貨の違いの話だが、昨日のレッスンを受けた朝日新聞読者の方は、少なからず興味を持たれたのではないだろうか(希望)。

「これが体操?」
「これが野口体操なんです」
 いやはや、といったところかもしれない。

 先々週、先先々週に、通貨をテーマにして「野口貨幣コインコレクション」を見ていただいた軽い補足のつもりだったが、実は、次世代への関心の扉を開くことができたかもしれない。
 今、現在、自分には直接関係がなくても、将来はわからない。
 平成も終わりを告げる今年、にわかに「仮想通貨」なるものが世間をおどろかせ、理解の域を超えた現象だけに高齢者をむやみに不安に陥れるか、無関心のまま過ごさせるかの事態を招いている。

 私とて、野口三千三の野口体操に出会わなかったら、日本円の法定通貨である「御札」に潜んでいる様々な隠し事を知ることなく一生を終えていたと思う。
「知ったからどうだって言うの?」
「それはその人にお任せするしかありません」
 しかし、このことを手掛かりに、例えば、堅い話、国家が偽札を作る時と理由、個人が偽札を作る理由等々、考えることに発展させられる。
『いとおかし』なのである。

 このこと以外にも、一般にはあまり知られていない「おもしろきこと」を、野口体操で楽しませてもらった。
 紫外線に関われば「岩石・鉱物の蛍光現象 石の世界」、「装身具の世界」「独楽世界」・・・・・あげたらきりがない。

 それらは少し掘り下げただけでも、人を知ることになる。社会を知ることになる。自然を垣間見ることになる。
 こんな体操を創発した野口三千三の頭の中は、どうなっているのかなー、と今頃になって不思議さへの興味を惹かれる。
 これがいちばん強いかも。
コメント

母との和解・・・・しみじみ人生を慈しむ

2018年02月09日 19時28分30秒 | Weblog
 母が高齢者施設に入所して、8ヶ月経った。
 本日、午後、訪ねていくと、介護実習の男子学生が、体操を指導しているところだった。
 終わるのを待つ間に、フロア長の方と立ち話をした。

 母には、週に1回の割合で、訪問歯科の「口腔ケア」をお願いしている。
 毎週金曜日が、その日に当たっている。
 フロア長曰く
「意思の疎通がうまくいくようになって、協力的で、自分でも進んで歯磨きをするようになってきた、と喜んでいましたよ。施設ではこれほど人がかわるんですね、と褒められました」
 入所当初には、置いてもらえるのかどうかと心配するほどの乱れ様だったが、最近の落ち着きには驚きさえ感じる。
 みなさんがどれほど真剣に母と向き合ってくださったのだろうか。

 一週間に一度の口腔ケア、2ヶ月に一回ほどの散髪、同じく2ヶ月ごとの年中行事参加、食事や水分摂取量の記録、睡眠、排泄、入浴、体重管理等々、家ではできないケアが功を奏した結果が出てきたようだ。
 体調が良くなったに違いない。
 私もいくたびにむくみのある足をマッサージして、3ヶ月は経つだろうか。
 顔の色艶もよく、声に張りもある。
 耳は聞こえにくいが、視力は問題なさそうだ。

 誰かの目が届く広いリビングに置いてもらっている状況はいまでも変わらない。
 一人になる時間もあるが、ほかの方々がいるときには、その様子も目に入ってくる。
 8ヶ月前にはお元気だった方も、昨年の秋頃から覇気がなくなり、自分で食事をすることができなくなっていく方を数名ほど見かける。
 みなさん母よりもお若い方々だ。

 この施設では、一つのユニットに10人が暮らしている。
 その中で最高齢の母が、日増しに元気になって、残った歯で常食をしっかり食べている。
 ユニットいちばんの食欲だそうだ。
 何と言っても食事をとる意欲と生きることは同義だ。
 自分で、箸を使って口に運び、噛む力がある。これが生きる意欲を生むことは間違いない。

 まず、そこから脱落していく方はお気の毒な様相を見せている。
「あんなにお元気だったのに」
 訪ねるたびに思う。
 人は病で亡くなるのではない。
 寿命で亡くなるのだ、と。

 それがその人に与えられた天寿に違いない。
 どう抗ってみても、こればかりは抗いようがなさそうだ。
 暦年齢は関係がない。
 食が細くなり、自分から食べる意欲が失われ、ロウソクの火が消え入るように、寿命が尽きる。
 それぞれの皆さんの様子を、一人一人見ていると、それでいいのではないかと思えてくる。

 食欲を失わず、生きる気力がみなぎっている方は、周りの人の様子など構わず、自分の命に向き合っているように感じる。
 その一人が母である。
 そして私が話す言葉を、一生懸命聞き取ろうとする。理解しようとする。
 その健気さに、わが親ながら、言葉にならない感慨を抱く。

 あれほど一緒に暮らしたくなかった母だった。
 それでも父が亡くなって16年、蜜な関係を持った。
 そうするうちに、母と娘の関係が逆転して、自然に和解ができた、と思えた。
 そして、今は、徒歩で簡単に訪ねることができるちょうど良い距離のところで、元気に生きていてくれることに、これほどの安堵が得られるとは思いもよらないことだった。

『「有り難い」とは、正にこのことだ』と、しみじみ母と自分の人生を慈しんでいる。

 命が尽きるまで、穏やかな日々を見守り続けられたら、この上なく幸せだ。

 今月27日には、満93歳の誕生日を元気に迎えられそうだ。

 徒然に・・・・
コメント

野口三千三のレッスン

2018年02月07日 09時08分57秒 | Weblog
 このところ古今亭志ん朝の落語を、子守唄がわりにYouTube で聞いている。
 思い返せば、子供頃はラジオとテレビで落語や漫才を聞いていて、寄席には出かけたことはなかった。
 大人になってからは、国立演芸場に出かけたことはあった。
 また、朗読家・女優の幸田弘子さんが「大衆演劇部門」の芸術祭に参加されていらしたので落語を聴く機会があった。
 近年は、聞く機会もなくなっていた。

 昨年、思い切って新宿・末廣亭に出かけたことはこのブログにも書いた。
 その日は、お盆の期間中で、昼席に入ると夜席まで居られる、という特別デーだった。
 たった1日で、一生分ほど笑わせてもらった。
 不思議だったのは、長時間であったのにも関わらず、全く疲れなかったことだ。
 ここで、“笑いの効用”を実感したのだ。

 普段、理不尽に感じていること、不満に思っていること、苛立ちを隠して仕事をしなければないない、等々、負の要因を、高座にあがる芸人さんがかわりにぶちまけてそれを笑いに転化してくれる。
 コントであったり、漫才だったり、落語の枕であったり、手を変え品を変え演芸として成立している場。
 ある意味で、大衆のガス抜き場になっていることを感じた。

 実は、野口三千三のレッスンのおもしろさを解明するのに、近代の日本にお笑いが根付く過程をNHKの「わろてんか」で見せてもらっているのが参考になっていることに気づいた。
「感じていること、思っていること、会社や学校で、なかなかわかってもらえないけれど、間違っていなかったんだ!」
 一週間に一度土曜日に、体操のレッスンで野口先生の話を聞くことで、ホッとし、元気をもらえる人が多かった。
 面白いレッスンだった。
 体操だから、からだはほぐれる。同時に、頭もほぐされる。
 気持ちが楽になるわけだ。
 展開されるユーモアというか、「笑い」は、今にして思うと落語に近い。
 知的であり、下世話であり、エッチであり、高尚でもあり、ちょっと捻られた世話物、話芸と言ってよい。

 晩年は、ほとんど毎回といいていいほど、“めずらしきもの”がリュックに詰められて運ばれ、”見せびらかし”されるのだ。
 一つ一つのものたちに講釈がつく。
 そのものの価値は、まだまだ一般的に認知されてはいない。
「そうした見方があるんだー」
 価値観の転換のおもしろさに、体操そっちのけになってしまうことすらあった。
「野口三千三授業記録の会」で、ビデオ記録を撮っていたが、そのテーマは「もの・ことば・うごき」である。
 三位一体の融合から織り上げられていく野口の体操授業は、独特の世界を築き上げた。

 板書される「テキスト(台本)」に、そこに参加される皆さんが反応することに対して、野口の即興的な応答が加わった。
 生な時間を皆が楽しみ、共有する体操なのだ。
「臨場」こそが野口三千三の体操レッスンの真髄である。
 
 それを記録して、編集なしのものをみると、その場の空気を味わった人にはイメージで補いができるが、知らない人や、まして体操をしたことのない人にとっては、記録を見せられてもおもしろさが伝わってこない。
 誰にでもわかってもらえるように真意をつたえるには、当然、編集作業が必要なのである。

「わろてんか」に話を振り戻してみる。
 ラジオが始まって落語を放送にのせることで、置いてきぼりになったドタバタ身体表現を伴う万歳が変身し「話」中心の「しゃべくり漫才」になった。
 そして今日あたりの展開は、映画のトーキー化によって職を失う楽器演奏家を活かすために、「音楽入り」の演芸を生み出そうとする苦労話である。
 ドラマでは江戸から明治の古い演芸を残しつつ、大正・昭和へとつながる近代大衆演芸の黎明期が描かれている。
 
 で、話は絡まっていくことをお許しいただこう。
 野口三千三を芸人にたとえてみると、大看板の落語家、人気トップの漫才芸人、両者を併せ持っていらした。
 ここで、私たちが残した「野口の記録」を考えてみる。
 例えば、YouTubeに出すことを具体的に想像してみる。

 比べることには、無理があることを承知で書かせていただこう。
 古今亭志ん朝の話芸をYouTubeで見たり聞いたりして受け取れる、と同レベルの質を保つのは非常に難しい。
 なぜなら、第一に野口の即興性、第二に受講生参加型、第三にひとりひとりが同じ場で体験する「体操」といった三つの要素が、渾然一体となっているものだけに、記録をそのまま見せても「高座」の記録的な内容は残念ながら伝えきれない。
 編集は、非常に難しいことは言わずもがなである。
 
 唯一、成功しているのは、ガイヤ・シンフォニーの龍村仁監督による「セゾン3分CM人物映像ドキュメンタリー 野口三千三編」くらいだろうか。
 野口が立役者で、「もの・ことば・うごき」がうまく散りばめられて、そこに参加している受講生が、程よく先生を引き立て、ことばを発していなくても心の内に抱いていることばが映像に乗ってくる。
  
 ようやく、なぜ「わろてんか」を見続けられるのか、腑に落ちてきた。
 生のものを、生の良さを失わないで伝えるのは、至難の技。
 高座の芸人が芸を磨く、ということの凄さを思い知らされている。
 同じく野口が、日頃、たゆまなく行なっていた体操を伝えるための試み、とそれを磨く行為を近くで見てきた私としては、なんとか残していけないかという問いかけをしていることに気づかされた。

 昨年の新宿・末廣亭に出かけ、終日、そこにい続けられた秘密が解き明かされたように思える。
 映画・演劇・もろもろのエンターテーメントが華やかに、繰り広げられてる中で、寄席芸能が生き残っている意味もわかるような気がしてきた。
「野口体操の会」創刊号 『私家版「野口三千三伝」』名付け親の祖父の地芝居に関連して、野口体操は「おらが村の体操」という言い回しを思わずしてしまったことの理由が、今、つかめたようだ。
 実に、面白い!

 それが自分に戻ってくるから、おそろしや!なのであります。

 本日は、混乱したまま、終わります。
コメント

米流通に異変か?

2018年02月05日 15時41分29秒 | Weblog
 地元に古くからあるお米屋さんが、次々とお米屋さんが店をたたんで、貸し店にしたりワンルームマンションに建て替えたりした。
 15年以上も前のことだった。
 困っていると知人が紹介してくれた隣町のお米屋さんが配達してくれたが、その店も兄弟でやっていた精米所が閉鎖されたので廃業になった。

 再度、困って米屋を探して街を歩いていると、すぐ近くにチェーン店の米屋が見つかった。
 おかしなことだが、地元に関わらない雇われ米屋には、「さん」をつけなくなった。
 しかし、この店の良いところは、その場で精米してくれることだった。
 糠もいくらでもくれた。
 家まで抱えてくるとあったかくて嬉しかった。
 ここで買い物するようになって、3年、いや4年、5年にはならないかもしれないが・・・・・。

 実は、昨年の秋から新米が入ってくるのが遅くなった。
 入荷しても量は少ないようだった。
 さらに、食しているご飯の味が今ひとつになったのこの頃からだった。

 年末には、丁寧に研いでも糠くささが鼻について、炊きたての香りの良さと味がどんどん落ちていった。
 それを告げると、銘柄を変えることをすすめられて、その言葉に従ってみた。
 ところが炊きたてのご飯には芯があって、しばらく蒸らす時間を長くした。

 そんなことが繰り返されて、米屋を変えようか、と思うほどになっていた。
 それでも本日、米びつがからになってしまったために、慌てて飛んでいった。

「2月18日をもって閉店します」
 店のドアに紙が貼られていた。

 今日はまだ2月5日だ。
 中に入ってみる。
「いつものも、最近、変えてもらったのも、もうお米は入りません」
 残っている米袋を覗くと、どの袋も下の方に2、3キロくらいの玄米があるだけだった。
 いつも饒舌な店長は、早く帰ってくれ、と言わんばりの雰囲気を漂わせている。

 仕方なく駅前のスーパーに足を伸ばす。
 ところが、ここも、以前見た時とは様相が少し違っていた。
 お米の種類が減っている。 
 それでもその中から、銘柄を選んだ。
 5キロでは重いすぎるの3キロを探したが、一向に見当たらない。
 記憶では、3キロ詰めもあったのだが、2キロの袋しか置いていなかった。

 急に不安になった。
 一般商店や、スーパーへの流通に、何か異変がおこっているのだろうか。
 
 ご存知の方、教えてください。
コメント

東京を歩くために

2018年02月03日 15時42分47秒 | Weblog
 朝日カルチャーの土曜日「野口体操講座」は、月の一週目は休みとなって久しい。
 今年に入って、はじめて自由に使える土曜日感が出てきた。
 知っているようで知らない東京の街を歩いてみよう、とかねてから思っていた。
 例えば、群馬を歩いて目安となるのは、山だった。赤城山と榛名山、二つを目印に東西南北の方角を確かめながら知らない土地を巡っていた。

 ところが東京は目印になる山がなく、平らに広すぎて、街に迷い込むと東西南北の見当がつかなくなる。
 そんな時は、大通りに出て行先を示す道路標識を頼りに歩いていた。
 そこで、今ひとつ基準になる地図を、自分の頭の中に作りたかった。

 思いついたのが、江戸城を中心にした古い地図だった。
 東京の街は、江戸の上に乗っているわけだから、まずは江戸城を周ってみようと思った。
 今朝、東京駅で下車して、10時には桔梗濠についた。
 ランナーたちに追い越されながら、反時計回り歩き始め、大手門のところで『江戸城天守の再建』運動をしている数名に出会った。
 その前を外国人観光客も混ざって、何にもの人が門の方へと向かっている姿を目撃。

「何かあるんですか」
「皇居東御苑を見学される方々ですよ」
「誰でも入ることができるんですか」
「はい」
 門の手前で守衛さんが手荷物検査している。
 私もバックの中身を見せて中に入る。
 門の中でエコツーリズムの団体さんが、リーダーから説明を聞いていた。
 なんとなく紛れ込んで、一緒に話を聞きながら奥へと進む。

「宮内庁三の丸尚蔵館」に、皆さんが見学らしいのでそのまま同行。
 アジア、中東、ヨーロッパ等々、選りすぐった工芸作品が展示されていた。
 いちばん興味を持ったのは、19世紀後半のイギリスはじめ各国のステレオグラフォスコープであった。
 つまり初期の3D写真である。

 あまり展示品もなかったので、10分弱で皆さんが出て行く。
 私もなんとなく団体さんになっている。
 ところが、出てみるとすぐそばから、ボランティアガイド「東御苑無料ガイド」が10時半から始まるという呼び込みの声がした。
 こちらには遠慮なく参加できそうなので、ガイドさんに従うことにした。

 まずは、石垣の話から始まった。
 次々、番所のこと、富士見櫓、本丸跡、松の大廊下跡、大奥跡、そのほか、茶畑、桜の島、竹林、等々、説明を聞きながら歩く。

 明治以降植樹された樹木、平成になって新しく植えられた果樹など、植物のことなど。
 ここは、本丸と大奥を囲むように樹木が植えられて外から見えないようになっている。
 しかし、今では、樹木の群れの上に、いくつも新築ビルが「我こそは!」とばかりに威容を誇っている。
 かつてはビルの高さ制限があったが、時代の流れには逆らえず、撤廃されたようだ。

 さて、とにかく「寒かった」
 それでも枯れ枝に花の季節を思い浮かべて、人が少ない御苑を散策。
 季節によっては、相当に混雑するだろう。
 この場所の花の特徴は、原種であったり、日本固有の花であるそうだ。
 確かに楚々として咲く可憐な桜花や梅などが多いらしい。

 それから梅林坂を下る。左手に春日局が門限に間に合わなかった門がある。
 私たちは坂下を右手にとって、二の丸庭園へ。
 いよいよここでお開きとなった。

 それから自由行動である。
 寒さにもめげず、一緒に周ったご婦人と二人で、急勾配の汐見坂を登って本丸大芝生に戻り、そこから天守台に行くことにした。
 登ってみるとここの天守は相当に高かったことが想像できる。

 話によると今ある多くの樹木は、江戸城時代には全くなかったそうだ。
 城とは、軍事の要塞である。ここに立ってみると想像がつくのであった。
 ボランティアガイドの方から、明治初期の様子を写した写真なども見せられていたが、幕末にはすでに相当に荒れた場所もあったこともわかった。
 収穫である。
 

 さて、皇居一周は次回に持ち越すとして、北を真上に持ってくる近代地図とは異なる、皇居を中心に描かれた地図が少しだけ描けるようになった。
 その地図を持って、気が向くままに歩いてみるとしよう。
 平成最後の年に、敗戦後の昭和、そして平成の30年間の東京を、振り返ってみたくなったのかもしれない。
 いやいや、きっかけは今朝方見た「日劇」取り壊しのニュースであった。
 1933年に開業して最初の映画はチャップリンだったとか。「街の灯」の垂れ幕が写された映像が流れていた。
 そう、私もここで最後に見た映画は「チャップリン祭り」で、ほとんどの作品を網羅するものだった。
「ライムライト」の音楽にドッと涙が溢れたことを思い出した。
 同時に、半蔵門から国会議事堂、警視庁方面へ。
 有楽町、日比谷、銀座、東銀座、晴海埠頭等々、次々と目の奥に再現されていった。
 急に東京の街を歩いて見たくなったというわけ。

 そこでGoogle MAPで皇居一周を調べて見た。
 ちなみに、大手町がおよそ2・5メートル、いちばん高い千鳥ヶ淵公園がおよそ30メートル。
 時間軸に空間を重ね合わせて、『断腸亭日乗』よろしく、栞下駄ではなくスニーカー履いて歩くことを心に誓って、即、行動!
 本日は、その第一歩を踏み出したという次第。
 残された時間は少ないから、東京と群馬に絞って旅をするとしよう!!!
コメント

「びた」とは「鐚」と書く・・・・いかにも

2018年02月01日 13時36分44秒 | Weblog
 昨晩は、8時半ごろから10時半ごろまで、古今亭志ん朝の落語を聞きながら、時々、窓を開けて皆既月食を見ていた。
 結局、2時間、次から次へと志ん朝を聞いてしまった。

「びた一文、まけられねー」
 この台詞は、昨晩の演目には出てこなかった。
 しかし、曖昧な記憶ではあるけれど・・・・この言葉を初めて耳にしたのは、何かの落語だったような気がしている。

 実は「びた」とは、「悪銭のことを言う」と、昨日の朝に知ったばかりだった。
 1月31日付け日経新聞「春秋」に、仮想通貨NEMの流出の話にもっていく、前振りと結びつながる言葉だった。

 私も言葉に当たってみることにした。
 まず、『岩波古語辞典(大野晋編)』を引いてみると「鐚」の文字が書かれていた。

《室町末期から近世初期にかけて流通した質の悪い銅銭。破損したり焼けたりした銭で、中国や日本の私鋳銭などを称した。》

 交易、商業の取引で良銭だけを選んで受け取る「撰銭(えりぜに)」が横行したらしく、幕府や大名は円滑な経済活動を維持するために禁令を出した。
「鐚」と言う文字も「撰銭令」と言う文字も、バージョンアップしたために、我がPCですぐにも打ち出すことができるようになっているではないか。(笑)

「鐚」もう一度打ち出してみる。
 いかにも、うなづける文字だ。
 次に『大漢和大辞典(藤堂明保)』によると《「しころ」兜から垂らして首筋を守るもの。兜に付属した下敷きの意味。国字:びたの意味。》

 もう一つ、『広辞苑』。
 古語辞典と同様の意味が書かれていたが、共通する言葉として「京銭」が掲載されていた。
《「京銭(きんせん)」中世末期から近世初頭に通用した銭貨の一つ。明代に南京付近で通用した私鋳銭が輸入され、南京銭と称されたものの略称と言われる。悪銭として嫌われ、近世に入ってからは鐚銭と同様に使用された。》
 
 こうして辞典類を調べてみると、「春秋」の筆者がおっしゃるように、NEM仮想通貨事件は、私鋳銭の鐚銭の範疇に入れられそうな気配がしてくる。
 仮想土蔵破り事件が起こったことによって、平成最後の年に江戸期よろしく「撰銭令」でも出さねばならぬ?のか。
「ビタコイン」なる語が後世に残らぬよう願いたい、と「春秋」結びの言葉である。。

「びた一文、まけられねー」と言う書くより「鐚一文、まけられねー」の方が、音も意味も超ド迫力がある、と感じるのは日本人だからか?
 遅ればせながら文字を知ってしまった私としては、志ん朝の声色で聞いてみたいものだ!
 今までとは全く違って聞こえること間違いなし。

 ここで、野口センセの声
「鐚コインだと、そら見たことか、だから言わんこっちゃないッ」
 おっと、空耳かー。

 いやはや何が起こるかわからない世の中に相成りました。
コメント