羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

フェアユース

2009年03月31日 19時29分17秒 | Weblog
 グーグルが複数の図書館と提携して、七百万冊以上の蔵書をデータベース化し、ネット上で、読めるようにするサービスを始めたらしい。
 同社は公正な利用‘フェアユース’と主張している。
 フェアユースとは、「公益性の高い事業や、著作権者の利益を損ねない利用について、権利者に許可を取らなくてもよい規定である」という。
 日本でも文化庁が四月から一年かけて「日本版フェアユース」導入を論議する、と日経新聞連載「せめぎあう著作権」4回目の最終回の記事に書かれていた。

「米国でも社会的に有用というだけではフェアユースは認められない。だが、作品は利用されて収益を生み作者に利益が還元されて新たな作品が生まれる。日本の著作権ルールは、保護と利用のバランスをどう取るのかの課題に直面している」
 連載はそう締めくくられていた。

 父が亡くなったときの相続手続きで、著作権は特許と共に遺産相続の対象となることを初めて知った。書類の項目に記すところがあったからだ。
 迂闊なことに、その書類を目にするまで、著作権は‘著作権継承者’として、出版社に誰かを伝えるだけでよいのかと思っていた。←(笑わないでください)
 
 で、この著作権を、死後50年から70年に延長しようという動きもある。
 孫子の代までそうする必要が果たしてあるのだろうか、と素人は思ってしまう。よくわからないのが正直なところだ。フランス近代音楽の楽譜は、音大生のころたった2・3ページで○千円というものがあった。著作権の関係で、日本では出版できない作曲家の作品だった。高い楽譜は学生にとって、もの凄く負担になっていたことは事実だ。
 その頃は、ようやくコピー機が出始めた。しかし、印刷は美しくなく読みにくいものだった。
 したがって、当時、楽譜を買い求めるか、先生や友人が持っている楽譜を借りて、自分の手で写譜するしか手立てはない時代だった。
 現在、無断コピーは禁止されているとしても、現実には相当コピーされて使いまわされているに違いない。

 さて、作者を守る、出版社を守る、書店等々を守る、そういったことは大切だと思う。
 しかし、IT化の波が‘津波’となって世界を飲み込んでいく時代に、どこまで著作権を守り通すことが出来るのだろうか。

 確かに携帯やパソコンで本が読めると、本は売れなくなるに違いない。
 しかし、本当に読みたい本は、手元にもって読む‘本’でなければ読みにくい。
 やっぱり本を買う人は買う。

 いい例が、iPhoneだ。これで音楽を本当に聴けるのか、と問われれば‘NO’と私は答える。
 あくまでもiPhoneは携帯して聴く以上の何ものでもない。便利な優れものに違いないが、それだけのことだ、と使ってみて実感している。だからダメだ、ということではない。これにはこれの良さがある。
 もう一つくわえれば、iTunesで手にはいる音楽は偏っているし、欲しいものがないことが多い。
 当然のこと、本と同様に‘誰それの演奏’で‘あの曲’が聴きたいと思えば、楽器店に出向いて購入することになる。

 最初のグーグルの問題に戻せば、作家でない私は、内田樹氏の考えに近い。
「本を書くのは一人でも多くの人に読んでもらいたいから。ネットは自著に触れてもらういいきっかけになる」
 日経新聞‘せめぎあう著作権’②。
 
 しかし、その人の立場によって、この問題の落としどころは、相当に違ってくるだろう。
 このことに限らず、バーチャルなネットの世界は、もう後戻りできないところに問題の核心はある、と思っている。
 多くの人が現代の文明開化・黒船来航の時代に否応なしに遭遇し逃れられないことだけは確かだ。
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「壁と卵」と祥月命日

2009年03月29日 09時22分41秒 | Weblog
 今日、3月29日は、野口三千三の祥月命日である。
 11年前、31日の通夜と4月1日の告別式は、満開の花の下で執り行われた。

 さて、昨日、土曜日クラスの方から、文芸春秋09年4月号「僕はなぜエルサレムに行ったのか」村上春樹 独占インタビュー&スピーチのコピーをいただいた。
 そのなかでー父にまつわる死の気配ーで、彼はこのようなことを言っておられる。
「人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。原理原則の命じるままに動くようになる。そのほうが楽だからです。迷うこともないし、傷つくこともなくなる。彼らは魂をシステムに委譲してしまうわけです」

 野口が亡くなった後、野口体操のミッションを始めた私は、「野口を偶像崇拝しないこと。原理主義に陥らないこと。(必ずしも野口体操がそうであったわけではないが)集団が陥りやすいカルト的な要素は排除すること」
 この三つの注意事項を自分に課した。
 具体的な在り方の一つをあげれば、レッスンをするとき、野口の言葉は必要最小限度に留め、出来るだ自分のことばで語るように心がけた。
 
 何の道でも、創始者と言うものはカリスマ性が高い。
 野口もその例外ではなく、生まれながらに魅力的なカリスマ性を備えていた。その部分を強調していったら、野口体操の持つ良さは、伝わらないと思えた。むしろ危険である、と私のなかの《コモンセンス》のようなムーブメントが働いていたと思う。

 村上春樹のインタビュー記事とスピーチを読んで気がついた。
 野口の身体哲学や価値観や体操を社会化し残していきたい、と思ったいちばんの理由はこれだったに違いない。
 スピーチから触発された私の言葉で言ってみよう。
 野口が教えてくれたこれとは、‘生卵を立てるのはとても難しい。しかし、卵だって立つということ。そして生卵を立てるのは私(あなた)自身だ。もっと大事なことは、立つことを信じること。’
 ぶつかって割れる卵なら、一度は立ててから投げてみようではありませんか。
 少なくとも、野口は、新しい体操観を壁の前で生卵を立てるように私たちに提示してくれた。

 11年目の春。
「我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにひとつの卵なのだと」(村上春樹 壁と卵)
 このコピーを携えて、今日のレッスンに出かけようと思う。
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朝の体操ー7-

2009年03月28日 11時35分11秒 | Weblog
 野口の処女作『原初生命体としての人間』に、‘生卵との対話’の話がある。
 野口体操の逆立ちのイメージにも、この対話の大切さが説かれている。
 しかし、これだけでは逆立ちは上手くできない。
 つまり、生卵は‘外骨格をもった生きもの’と捉えてみれば、人間のからだとはことなる構造であることははっきりしている。

‘内骨格をもつ生きもの’としての‘逆立ち’には、「骨の重なり感覚」が、大切になる。
 骨が重さを受けてくれるから、余分な力が抜けたぶら下がり感覚(ぶら上がり感覚)を実感としてうけとれるのだから。

 野口が考えたヨガの逆立ち方法では、‘液体的な重さの流し込み感覚’にプラスして積み木のように脊柱を一個ずつ‘積み上げていく感覚’も大切なのだ。
 脊柱の一個一個が滑らかに精確に積みあがるには、筋肉からも意識からも余分な力が抜けて、流体的な動きが可能になる‘柔らかさ’が生まれることが一つの条件である。
 
 誤解を恐れずに表現すれば、頭の真上に乗った脊柱の縦軸が鉛直線の方向に一致したとき、無理のないまっすぐな逆立ちに神が降りてきてくれるのである。

 実は、野口が昭和30年代半ば、沖正弘師が主宰する沖ヨガ道場で学んだとき、悪戦苦闘したのが「ヨガの逆立ち」だったと伺ったことがある。
「とにかく力が抜けないのよ」
 悪戦苦闘するようでは、ヨガの逆立ちは無理だ、と気づいた野口は徹底的に‘ほぐす’ことの大事さを痛感したのだと言う。
 その体験から野口体操で行っている無理のない‘一点ヨガ逆立ち’の方法が編み出されてくるのだった。

 鉛直方向感覚、からだの縦軸感覚、液体的流体的な重さの流れ感覚、まっすぐに重ねられた脊柱感覚、骨が重さを受ける感覚、……といった‘感覚こそ力’という野口体操理論の脊柱が通ったわけだ。
 
 野口が求めた‘ヨガの逆立ち’における脊柱の在り方と感覚は、ヒトが立つことの基本だ、と私は思う。
 坐禅における脊柱の在り方も同じことだと思っている。
 脊柱の一個一個の重さは軽い。その軽い骨を一個ずつ重ねていくことで、柔らかな柱が立つ。地球から生えたように立つ。
 その脊柱の在り方を逆さまにしたのが‘野口ヨガの逆立ち’だ、ということに確信を得た。

 野口体操が行っている《直立、正座、坐禅、ヨガの逆立ち、手で立つ逆立ち》は、ヒトの脊柱の理想の在り方を求める営みかもしれない。
 このことは、「‘動き’とその結果として生まれてくる‘象’」と、「意識や非意識・精神と言われる脳や心の活動」とが深く密接な関係にあることを探るひとつの手立て足がかり、つまり実践に他ならない。

 今週の‘朝の体操’から得た一つの方向をもって、さぁ、これから朝日カルチャーの土曜日クラスに出かけよう。
 
 今日のテーマは、もちろん「ヨガの逆立ち」と、もう一つ秘密のお遊び!
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朝の体操ー6-

2009年03月27日 09時30分09秒 | Weblog
 今朝はわけあって体操をすることができなかった。
 さて、そこで昨日の話に関連して、思い出したことを書いておきたい。

 野口体操でもとめる‘ヨガの逆立ち’は、まっすぐが基本。
 反ることなくまっすぐになるには、頭の中心に重さが乗ってくる一点のイメージを探ることだ、と野口は言い続け自身でも『野口体操 おもさに貞く』の写真のように美しい逆立ちの写真をのこしてくれた。
 これが昨日までの経緯である。

 この‘まっすぐが逆立ちの基本’と言う考えには苦い思い出がある、と生前に語ってくださったことがある。
 話はすこし遠回りになるうえに複雑に絡み合っているけれど、お付き合いいただきたい。

 1940年昭和15年、日本が本格的な戦争に突入する前夜のことである。
 もともとこの大会は大正十三年まで遡る。内務省主催「明治神宮競技大会」から始まった。
 その後、年に一回、名称や主催が変わりつつ‘明治神宮体育大会’が開催されていた。
 さまざまな競技を競うのだが、とりわけ昭和15年の第11回は記念すべき大会となった。
 厚生省主催『紀元二千六百奉祝第十一回明治神宮国民体育大会』である。
 この会に限らないが、日本国内はもちろんのこと朝鮮・台湾といった外地からも参加者を得ている体育大会である。

 この年、群馬県代表のキャプテンを野口がつとめたと聞く。
 参加競技は「マスゲーム」つまり器械体操の集団演技である。
 外地からの参加は、松延博率いる優秀なチームだった。
 松延氏とは、1936年に開催された「ベルリンオリンピック」に体操競技選手として参加した方で、野口は、その後、戦争末期になって東京体育専門学校で再び出会うことになる。
 因みにこの‘ベルリンオリンピック’は、ヒットラーによる政治利用として、悪名高いオリンピック大会となった。

 ところで、第十一回大会の前年、つまり昭和14年第十回から「明治神宮体育大会」は改称されて「明治神宮国民体育大会」となって、厚生省主催、国防競技を採用するようになった、と岩波『近代日本総合年表』に記述がある。
 神武天皇即位二千六百年の記念行事のひとつともなったものだ。
 その大会で松延氏グループをおさえたのが、野口率いる群馬県代表だった、と聞いた話である。
 実はこの話の真偽をまだ確かめてはいない。
 多少の記憶違いはあっても、まったくの嘘ではないとおもうのだが……。
 ただ、もし、この年の参加だとすると野口の年は26歳だ。当時はまだ小学校の教師をしていたはず。28歳になって群馬師範の教官になっのだから、もしかすると十一回大会ではなく、十三回くらいではないだろうか。この件はよく調べる必要がありそうだ。
 
 その後、昭和18年から19年にかけて、全国から優秀な体育指導者はじめ武道関係者等々が呼び寄せられた「官立・東京体育専門学校」で松延氏出会う。
 そして敗戦後、高等師範出の松延氏は東京教育大学に、野口は東京藝術大学に赴任することになる。

 戦後のある日、野口は彼に誘われて、オリンピックの体操選手の内輪の集まりに呼ばれたそうだ。
 その席で「倒立は、まっすぐが基本」という持論を展開した。
 ところが誰一人としてその考えを支持してくれる人はいなかったそうだ。
 例外は、松延氏だった。
 意気消沈して帰宅した負けず嫌いの野口の心中は穏やかではなかったはずだ。
 ところが、翌年のオリンピックでソ連の選手の倒立がまっすぐだった、という。
「それ見ろ!」
 溜飲が下がった。

 そうした経緯もあり、野口の「逆立ちの基本はまっすぐ」というこだわりは、ますます本物になっていくのだった。
 但し、逆立ち歩きは別である。

 そうこうしているうちに、時は流れた。
 松延氏とは、後日談がある。
 東京藝大で宮川睦子先生が定年退官されたあとにはいった教官は、松延氏のお弟子さんだった石橋先生。
 その先生は、ドイツに留学される前、私が通っていた国立音楽大学附属高校と同じ敷地にあった国立音大の普通科高校で、体育の先生をなさっておられた方だった。
 綺麗な女性で、私たちは習わなかったけれど、憧れの先生だったのだ!
 
 実は、国立の附属には、東京教育大学の松延氏の息がかかった弟子筋の方々が体育教師としていらしていた。
 私の音高生活3年間、担任であった先生は、そのなかのおひとりだった。その後、福岡大学に転任されたと風の便りで知った。器械体操の選手だった方だ。普通の体育の先生ではない特別な印象を当時から持っていた。
 
 今から思うと、松延氏と野口は非常に近い考え方を持っておられて、私の担任だった先生から授業を通して伺った話は、後に野口体操に填まる伏線になっていたのではなかったか、と思うくらいだ。
 
 今日の話は、裏も取らず書いてしまった。
 野口体操の長い歴史の中の‘因縁話’の一席としてお読み下されたし。
 
 出会うべくして出会ってしまった野口体操だったのかもしれない、と思うこのごろである。
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朝の体操ー5-

2009年03月26日 11時26分09秒 | Weblog
 春秋社版『野口体操 おもさに貞く』151ページに載っている一枚の写真。
 真ん中で‘ヨガの逆立ち’をなさっているのが野口先生で、このまっすぐな在り方は見事だ。
 当時、六十四歳を目前にした頃だった。

 今朝は、この写真を見ながら、ヨガの逆立ちを練習した。
 いちばん手前にいるのが当時二十九歳の私で、教室に通いはじめてほぼ3年目だ。
 よく見ると背中に両手を当てて、崩れないように支えている。
 昨年出版した『マッサージから始める野口体操』の写真と比べてみると、背中の線がまったく違っている。
 三十年は無駄ではなかった。
『年をとればとるほど柔らかくなる』を実証する写真でもある。

 この写真は、正確な月日は失念したが、本の出版のために急遽撮影することになったので、10月末、遅くも11月の初旬。
 当日は、小雨の降る寒い日で、午後からの撮影だった。
 場所は、東京藝術大学の通称‘体育小屋’で、元は東京図書館の書庫として造られた東京でも一・二を誇る古いレンガの建物内。
 部屋の真ん中に柱があって、そこを避けるのが一苦労だった記憶がある。

 撮影者は、初版を出した柏樹社の若い編集者で、正確ではないが‘アサミさん’というようなお名前の方ではなかったかと思う。
『野口体操 からだに貞く』の時には、野口は頑固に写真を拒否した。
 そこで‘あたかすみよさん’の一筆画のような柔らかなイラストで表現されることで落着いた、といういきさつを伺った。

 しかし、『野口体操 おもさに貞く』では写真を入れたいという出版社の意向に同意された。ただし、ハウツー物の説明写真にならないようにという条件で、カットとして挿入することになった。
 あえてキャプションもつけない、という約束にしたらしい。

 暗い空間で、ごく普通のカメラで、素人カメラマンが撮った写真であるけれど、今、こうして改めて‘ヨガの逆立ち’を練習しなおしている私には、非常に貴重な一枚である。
 記録とは、そういうものなのだ。
 実は、この春秋社版の写真は、私の手元に現在はある。
 柏樹社が倒産する一年前に、私の担当だった編集者が退社するにあたって、机の中を整理したら、これらの写真が出てきたらしい。
 すでに撮影した編集者は辞めていて、居所はつかめないとのことだった。
 
 それから数年以上がたって、新たに春秋社から本の再版が決まったときに、佐治嘉隆さんがもの凄く荒れていた写真をコンピューター処理して、本に載せられる状態まで修復をしてくださった、といった事情だ。

 余談だが、『野口体操 からだに貞く』の春秋社版の口絵ページ写真は、初版が出た1977年に撮影されたものではなく、二十年くらい過ぎて八十歳になるころの野口の姿である。小若順一さんによるスナップ写真だ。
 この写真掲載の相談は受けなかったので、この本が春秋社から贈られたときには、正直、びっくりした。
 商業出版だからしかたがないとしても、記録の意味からは撮影年月日を添えるなり、ひとこと断りを入れていただきたかった。

 さてさて、それはそれとして、しばらくは六十四歳の野口の写真を手がかりに、ヨガの逆立ちを練習してみたい。
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朝の体操ー4-

2009年03月25日 13時59分49秒 | Weblog
 今朝は、今までになく静かで穏やかな体操になった。
 雨がふる気配から、空気は湿気を含んでいたことも静けさをもたらすひとつの原因だったかもしれない。

 さて、そんななか、逆立ちを練習しはじめたころのことを思い出した。
 手で立つ逆立ちは、野口先生に包助していただいてきた。
 楽になってからは、ほとんど真上を教えてくれるだけで、立てるようになっていた。
 決して大きな力を加えることはない。
 鉛直方向にからだの縦軸を一致させる感覚をひらく包助だった。

 それに比べて‘ヨガの逆立ち’は、いちばん最初は、先生の誘導で立つ経験をしたと思う。
 しかし、ほとんど自分ひとりで練習をしていた。

「からだが柔らかくなれば、平らな面に落ちるのはそれほど危なくないんですよ」
 その言葉を信じて、まずは‘やすらぎの動き’‘真の動き’そのほか、いわゆる床の上に腰を下ろした状態で、体の中身を徹底的にほぐすことからはじめた。
‘にょろ転’(いわゆる受身のような動き)のさまざまなヴァリエーションで、部屋の中をにょろにょろ~と動きまわることが楽になるまで逆立ちを試みることはなかった。

 床に触れているところから流れ出した粘性の高い液体が、染み出すような動きを求めた。
 からだの中心から蕩け出て、実際には平らであっても動きのイメージは、水が低いところに流れるような動きを探っていった。

 たとえ転倒しても怪我しないようなほぐれの極を探ったように思う。
 それがある程度可能になったところで、ヨガの逆立ち練習にはいった。
 体操教室に足を踏み入れて、かなりの時間が経ってからだった。
 
 自宅のなかでもいちばん広い畳のある座敷の真ん中で、練習をはじめた。
 最初からうまくいったわけではない。
 試行錯誤を繰り返し、ある日、トツゼンに腰が回転しながら、足が自然に浮き上がった。
 そう感じた瞬間に、向こう側に倒れこんでしまった。
 そのとき対処できたのは、からだを緩めて徐徐に床に倒れこみ、結果として‘にょろ転’をしているからだの反応だった。

 文章にしてみると長い時間のようだが、まさに一瞬の出来事。
 しかし、自覚的にはスローモーションの映像を見るような、ゆったりとした時間経過なのだ。

 そうこうする内に、次第に頭の中心に乗ってくる感覚がつかめて、いつの間にか逆立ちになってしまった。
 そのほかにも‘上体のぶらさげ’などで、液体的な動きの流れを精緻に感じ取る練習なども逆立ちの身体イメージつくりにつなげていったように記憶が甦った。

 逆立ち練習の前に、長い時間を‘からだほぐし’‘からだの液体イメージ’‘寝にょろ感覚’等々、地球の中心に流れていく感覚訓練を行っていたように思う。
「座位によるほぐし」に費やした長い時間は、回り道のようであって、決してそうではなかった。

 従って逆立ち練習をはじめてから、まっすぐな逆立ちになるのに、時間はそれほどかからなかった。
 昔を思い出し、今日もほぐしを丁寧に行ってみた。
 初心にかえる、ということはすごく大事なこと。

 祥月命日まで、あと4日と迫った。
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朝の体操ー3-

2009年03月24日 18時27分26秒 | Weblog
 今日は、朝日カルチャー火曜日クラス1月~3月期最後のレッスンだった。
 出かける前に、軽くからだをほぐし、‘ヨガの逆立ち’を試した。
 たった2日だが、その成果ははっきりと感じられた。
 それほどの準備をしなくても、上がっていく直前に腿が胴体に近づいて胸に触れ腰がふわっと浮き上がって脚全体が上方へ上がってくれた。

 最近になって行っていることだが、この逆立ちのときにも、龍村修さんのDVDで学んだ呼吸法を取り入れている。

*アキレス腱を軽く鉛直方向に一致させる(伸ばす)時に息を吐くこと。
 ヨガの逆立ちで脚が伸びた瞬間にまだ揺れが止まらず、鉛直方向が掴みにくいときに、この呼吸を試みるとからだの中に円直線が感じられて安定するからだ。
 次に足先を緩めると、爪先が伸びてくる。このときに息を吸う。

 というやり方だ。
 この呼吸を繰り返していると、からだ全体が上方へ引き伸ばされる実感がある。
 しかし、頭の天辺にはからだの重さがしっかりと乗ってくる。
 さらに地球の中心方向へ引っ張られる感覚も掴みやすくなる。
 ひとことでいうと、からだが‘のびのび’してくる。

 ということで、これから夜の体操をしたいと思っている。
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朝の体操ー2-

2009年03月23日 09時29分11秒 | Weblog
 授業の合間、休み時間に、教員室で先生方と話をすることがある。
 ある日、瀬古選手と一緒にマラソンをやっていた先生と情報交換したときのこと。
 彼は、ご自身のからだが硬いことを話され、「上体のぶらさげ」について質問された。
 実際にも試していただいたが、予想したほど硬くはない。
 そして短い時間だったけれど、説明も動きの意味もしっかり理解してくださった。
 
 それから私のからだに触ってもらった。
 力が入ったままの「上体のぶらさげ」の胴体の感じをまず味わってもらう。
 そのまま手が触れている状態で胴体の内側から液体が流れるように力が抜けていく感じを味わってもらうと
「ゥオァ~。こんなに柔らかいの!」
 最後のほうは言葉にならない。
 
 すぐさまご自身でも試される。
 すると、最初にぶらさげたときとと比べて大きな変化が、彼の体の内側で起こる。

「長距離マラソンは、一定の速度ペースを崩さないために、ある意味で体を固める要素があるんです。練習を続けていくとその方向で体がつくられていってしまうことがあるわけで……」
 正確ではないが、そのような内容を話された後だった。

 私からもひとこと。
「でも、最近思うんです。ここまで柔らかくしなくてもよかったかなって……。でも、やっているうちにいつの間にかこうなってしまったんです」
「いやいや、確かに骨がないみたいにゆらゆら揺れて、びっくりしましたよ。……でも、ここまで緩められるから、幅があって、緩め具合の丁度よさがわかるんじゃないかなぁ」
「そうですね。で、‘丁度いい’というのは絶対的な基準ではなくて、動きにつれて変化するんですよね」
「そうそう、そうなんですよ。そこが大事ね」

 今朝、体操をしながらこんな会話を思い出した。
 その後、ヨガの逆立ちに入った。
 久しぶりに「地球につながる逆立ち感覚」が甦ってきた感じがする。
 風に揺れる葦のような逆立ちなのである。
 いずれにしても‘緩め具合の丁度よさ感覚’をつかむのは、なかなかに難しい。

 そして自信を持っていえることが一つだけある。
「特別な障碍がない限り、やり方がよくて、続けられれば、誰でも柔らかくなります。私がそうですから……」
 とにかく二十代の半ば、床に開脚長座で腰を下ろすと、両膝は曲がった状態で、両手は腰の後ろに回して床につかなければ、後方に倒れこんでしまうような硬い体だった。野口体操が求める「やすらぎの動き」なんて夢のまた夢のようだった。
  
 今では、なかなか信じていただけないのだが。
 嘘じゃありません。

 
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朝の体操-1-

2009年03月22日 13時14分23秒 | Weblog
 唐突な書き出しをお許しいただこう。
 とりわけこの十年間は、野口体操の社会化活動に集中して生きてきたように思う。
 といっても、一人でできることではなく、知らないところで支えてくださった方々も含めて、多くの人に助けられた活動だった。
 まさにお蔭様なのである。

 ところが、最近になって、私自身に向かって、この十年を返して欲しい、と悲鳴を上げた。
 何故って、やって来たつもりだったが、野口体操が目指す‘ヨガの逆立ち’への想いがいつのまにか失われてしまっていたことに気づいたからだ。
『原初生命体としての人間』を読み直し、「ヨガの逆立ち」についての記述に魂を抜かれてしまった。

「これではいけない。このままではいけない」
 声に出して読み返し、体操を始めた二十代半ばの自分へと時計の針を逆回ししてみた。
 どんな動きもできず、唖然として身動きもとれず、教室の‘壁のしみ’状態で他の人の動きを見ているばかりの私だった。
「とんでもない動きだわ」
 
 しかし、填まってしまったのだ。
 その填まり方は尋常ではなかった、と思う。
 野口理論も身体哲学も実技も、すべてが驚愕であり刺激的だった。
 ところが無性に‘懐かしい’のである。
 すべてが体の芯に染みこんで、ひたすらに懐かしいのである。

 それまでの二十数年間、求めてきたものは、西洋の音楽でも美術でも芸術でも哲学でも文学でも宗教でもなく、東洋の音楽でも美術でも芸術でも哲学でも文学でも宗教でもなく、野口のいうところの‘原初生命体’としての存在感だった。
 非常に危ない。
 その危なさに、危ないと薄々感じつつ、填まってしまった。
 若気の至りに、今では後悔はない。
 と言うことばが出てくると言うことは、後悔を感じたときもあったということ。
 後悔の一つは、野口体操の社会化を自分に課して、その困難さに打ちのめされそうになったことが度度あったから。
 
 自問自答した。
「ある意味の危険思想ではないのか」
「危険だとしたら、何が危険なのか」
 そうした問いかけをしながらも、社会へ発信していきたいと言う思いは募るばかりだった。
 そして今日まで来てしまった。

 ここまできたのだから、一点で立つヨガの逆立ちを、練習しなおそう。
 今朝は、無理を承知で野口体操をはじめた一九七〇年代に戻そうと体操をしてみた。
 やっぱり無理だった。
 体が変わってしまっていたのだ。
 すでに朝から体は柔らかいのだ。
 しかし、これではない。この柔らかさではない、と思えるのだ。
「そうだ、呼吸だ」
 七十年代、ガチガチの体をほぐしていくキーワードは‘呼吸’しかなかった。
 六十代の野口はこう言った。
「吐くことだけを大事にしてね。ほっとけば入ってくるから」
 ことば通りに、吐きながら動きを試みた二十代のころ。
 情けないことに、当時は、息が吐けなかった。
 ある程度楽に吐けるようになるまでに、どのくらいの時間がかかったか覚えていない。
『野口体操 おもさに貞く』の中に私の写真があるが、あの頃はまだ楽に息を吐くというより、意識的に吐くしか手立てがなかったように記憶している。

 そんなことを思い出しながら、今朝の体操に取り掛かった。
 元に戻れないというのは、呼吸もだった。
 意識的に息を吐く必要を感じなくなっている。
 思いなおして‘坐禅’も試みた。
 何故って、当時は体操の締めくくりに‘坐禅’紛いのことをして終わりにしていたのだから。呼吸を手がかりに最後の三十分ほど坐り続けていた。
 
 今日は坐禅でも、意識的な呼吸をしたい思いはおこらなかった。
「ただ、坐るだけでいい」
 なんだか、気が抜けた。
 野口体操三十数年、その時の流れに半生をかけてしまった自分自身に。 
「スー・ハー、スー・ハーしていた頃が懐かしい」
 
 もう、任せるよりないなぁ。
 一点の野口ヨガ逆立ちを、改めて探りなおしてみよう、っと!
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報告:置き土産‘太郎庵椿’開花

2009年03月21日 07時37分08秒 | Weblog
 今朝、一輪、桃色の花がひらいているのに気づいた。
 一輪、二輪、……、数えてみると、のこり九輪ほどの蕾が膨らんでいて、花開く頃合を見計らっているかのようだ。

 この椿の名前は‘太郎庵椿’というらしい。
 小さな苗木をいただいたのは、六年以上前のことではなかっただろうか。正確な年月を忘れてしまっている。
 
 当時は、広島へ、さらに九州へ転勤になったIOさんの奥様の置き土産だ。
 たくさんの可憐な花が咲いた状態で、我が家にやってきた。
 すぐにも素焼きの栽培鉢に植えつけた。
 水遣りし、毎年植え替えをつづけていた。
 当然、苗木が少しずつ大きくなるに従って鉢も大き目のものに換えていった。
 しかし、一度として花を咲かせることがないまま今日まで時が過ぎていった。

 ところが昨年の秋、はじめて花芽がついていることに気がついたが、‘花芽だ’という自信は持てなかった。
 年末には、僅かに膨らみを成長させ、今年に入ってからも落ちることなく枝先に固い蕾を残していた。
 そして、三月に入ってからの気温の上昇で、一気に紅色の蕾が大きくなった。
 それにもかかわらず、迷ったものの思い切って、植え替えをしたのが数日前のこと。
 今回は、椿油粕を少し多めに混ぜ込んだ。
 そして今朝の開花とあいなったわけである。
 たっぷり待ちましたね。

 なんでも‘太郎庵椿’は、高田太郎庵という茶人(1683年~1763年)が、熱田神宮から藪椿の一変種を貰い受け、‘太郎庵’に植栽したのが、今日までの茶人間で重宝がられている流れにつながっているそうだ。
 原木は犬山の常満寺にあるそうな。
 桃色、一重、筒咲き、中輪、開花時期は11月から3月ごろまで。
‘侘び助‘にも似た趣の花である。
 詳しくは、以下↓のHPを訪ねてください。
 http://www.kanshin.com/keyword/1654634

 特筆すべきは、この‘太郎庵椿’の新芽が鮮やかな紅色だということ。
 遠目には、花が咲いたかと見紛うほどに綺麗な色なのだ。

 というわけで、九州のIOさん、このブログ上でご報告です。
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グリーン・カラー

2009年03月20日 18時42分35秒 | Weblog
 昨晩、NHK夜7時30分からのアメリカのエネルギー政策転換の番組を見た。
 オバマ大統領の取り組み「グリーン・ニューディール」の壮大な計画だ。
 太陽光発電、風力発電、車の充電装置化、等々。
 エネルギー政策を雇用対策に関連させ、破綻した自動車産業の方向転換を示唆し、20世紀型の産業や価値観を一転させるだけでなく、ITを駆使して異業種を結びつけ、新エネルギーによって地域社会を回していくシステマティックで総合的な取り組みを紹介していた。

‘ホワイトカラー’とか‘ブルー・カラー’といわれる人々に加えて、これからは‘グリーン・カラー’と呼ばれる、地球環境問題を考え、エネルギー政策に取り組み実践する新しい人々の集団を指す言葉と、すでに緒に就いた取り組みについて解説していた。

 それに引き換え日本は縦割り行政の縄張り意識がはびこり、世界一の技術をいくつも持ちながら、地域社会的でよりよく生きる基本のビジョンが欠如していることが浮き彫りにされた番組だった。
‘グリーン・カラー’と呼ばれる新しい集団が、民族や文化や文明をこえて手を携える可能性を探ることが21世紀に課せられたテーマの一つだ、と思える内容になっていた。
 
 とはいえ、すべてがアメリカと同じ在り方を模索するのではなく、フランスにはフランスのやり方があり、日本には日本のやり方があっていい。つまり、それぞれの国の実情に合わせて、個性的かつ独自の政策を取る必要性を訴えていたことが印象に残った。
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植え替え終了報告

2009年03月19日 09時29分30秒 | Weblog
 父が亡くなる前の年に、彼が丹精していた盆栽を知人の手を借りて植え替えて逝ってくれた。
 ということで、5・6年は植え替えの必要のない松や真柏は、一昨年植え替えてしばらく手をつけずに済む状態だ。
 他の植物は、そうはいかないので、ほぼ毎年ひとりで植え替えしている。
 家の建替えを行った年は、一年抜けてしまったので、今年で通産6回の植え替えをしたことになる。

 何もわからず、父がやっていたのを思い出し、残してくれた本とメモを頼りに、母にたずねながらつづけてきた経験は、今年になって一つの段階を超えたような気がする。
「ようやく輪郭がつかめたかぁ~」
 そう思えるようになった。

 その一つは、鉢の選び方だ。
 つまり、植物によって根の伸び方が違う。そのことにあわせて、鉢は選ばなければいけないということ。
 例えば、根の張り方が横への広がり‘水平ねばり’のもの。
 例えば、根の伸び方が縦への深堀り‘地球の中心方向’へのもの。
 例えば、葉の茂りが密にもかかわらず、根はそれほど横への拡がりも縦への深さもないもの。葉に比べて根が貧相でもイキイキとしている植物がある。

 そして厄介なのは、同じ種でも元気があるものとないものと普通のものが混在して、それぞれの健康状態がそれぞれに異なることが少しだけわかるようになってきた。
 それに合わせて鉢の形を選び、地面に植えてやったりする。
 その判断は難しいが、からだで覚えるしかないようだ。

 学びにはいろいろな学びがある。
 先生について基本を‘習い’‘学ぶ’ことは、もの凄く大事だ。
 しかし、習っただけでは身につかない。
 いちばんは経験をつみながら、自分で気づくこと。
 時間の経過のなかでじっくり身につけることのようだ。
 
 しかし、それは時間もかかるし、失敗のリスクを負うことになること間違いなし。
 しかしと繰り返せば、取り返しがつかない失敗は別として、多少の失敗を恐れては何も出来ない、という常識的なお話に帰結してしまう。

 植え替えを終えて、水遣りをする。
 一つひとつを眺めながら、のび切って形も何も失われた植物に、やっぱり基本を習いにいかないといけないと思うこの頃だが、きっと私はいかないだろうなぁ~。

「許していただこう」
 今朝、仏壇に手を合わせて、植え替え終了の報告をした。
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NPO活動をささえるもの

2009年03月16日 14時25分20秒 | Weblog
 数は少ないが、一年に何回かNPO法人のグループから依頼を受けて、野口体操のワークショップを行っている。
 
 いつも思うことがある。
 それは日本でNPO活動をするのはなかなか大変だ、ということ。
 非営利とはいえ、利益をあげてはいけないわけではない。
 自分たちで調達しなければ活動の継続性は担保されないのだから。
 
 この場合、単発的にかかわる人はボランティアでいいとしても、常に事務局で働く人はボランティアではないはず。
 よりよい活動を継続したいと考えたら、その条件に有能な人を確保することがまず求められる。しかし、理念に共感して仕事をしてもらうだけでは長続きがしない。
 その人の能力に見合っただけのお給料は、どれほど工面してでも出すべきだ、と私は思っている。
 しかし、現実にそうした条件を満たして活動できているところは少ないのだろう、という大方の予想はつく。

 一つには、日本の文化に‘個人として寄付を行う’慣習が育っていない。
 未だに日本の社会は、ある理念を実現するために個人が個人として行動する文化には育っていないようだ。
 
 同様に、政治献金を考えてみても、個人がそれぞれの考えにあった政党なり政治家へ、‘個人献金’を行うことで、政治参加するという意識を持っている人はごく限られている。かくゆう私もそうした行動をとったことはない。

 ましてやある特定のNPO法人に定期的に寄付を行ってその活動を支える、といった意識も行動も根付きにくいのが日本社会の現状ではないかと思う。

 かれこれ10年前にNPO法人活動が、法律的に認められた。
 当時、新聞記事やそれに関連する本なども読んでみた。
 法的な縛りもきついし、活動のもとになる経済的基盤を持つことの難しさは、当時の有識者の指摘とあまり変わってないように思える。

 そのほか企業が人を安く使うための隠れ蓑となる可能性の指摘があった。
 また政治的信念を持つ集団の場合、政府への圧力団体的な性質を持ってしまう危険性への指摘もあった。
 
 それから10年が過ぎて、実際に上手く回っているNPO法人は、行政の下請けとなって仕事を請け負えればある程度の経済的基盤を確保できるのが、現状ではないだろうか。
 それとてそこにかかわる人間の‘曖昧な善意’に負ぶさって、成り立っているように感じる。

 思うに、お仕着せの戦後民主主義は、個人の意識まで育てなかったように思う。
 ある理念に寄付行為を行うなどという意識は、本当の意味で育っていない。

 ボランティア精神に支えられた自分に出来る範囲内での活動、そしてそれを担保する個人レベルの寄付行為は、キリスト教的な文化土壌が生みだしたセーフティネットの一つのありようではないか、と思う。

 日本にNPO法人活動が根付くには、まだまだかなり多くの人々の意識改革と社会変革が起こらなければ安定したものには成りえないのだろう。
 もっと違った形態・組織、活動の仕方を探ってもいいのではないか、と思うこのごろである。
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ミッション

2009年03月14日 09時45分49秒 | Weblog
 授業を持っている大学の09年度連絡会に出席した。
‘科目担当者連絡会’と‘総合連絡会’の二つで通し時間は約2時間半だった。
 詳しい内容は書けないが、昨年度までとは内容がまったく違っていた。
 非常に勉強になった。

 ●大学全入(少子化)時代に教育の質を問う。
 ●大学の使命(ミッション)と新たな教育理念を確認する。
 ●学習成果・学習環境の新たな在り方を問いつつ授業の質をよくするために何を考えどう行動するのか、を問う。

 先に行われた‘科目担当者連絡会’では、授業をどのように展開しているのかを、二人の先生のミニ講義をきく機会を持てたことは、非常に参考になった。

 と言うわけで、野口体操のミッションをつづけ、社会化活動を行ってきた私としては、今後を考える上で貴重な2時間半だった。

 そこで本日のレッスンのテーマ:

《それぞれが身に迫った危機感を持つ時代だからこそ変革できる可能性がある》
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iPhone …… すぐれもの

2009年03月11日 13時36分13秒 | Weblog
 今朝も‘やじうまプラス’の時間帯に
「iPhoneで『大辞林』を!」
 そうした内容のコマーシャルが流れていた。
 
 そういえば、以前、撫明亭のご亭主がブログで紹介したものはこれだったのか、と気づいた。
 
 そこで先ほど購入しiTunesから、今、ダウンロードし終わった。
 iPhoneトップ画面に『大辞林』のタグが表示されて、ニンマリ……。
 さっそく使ってみると、すごく便利だ。
 細かい文字が読みにくくなっている目にも読みやすい。
 なにより使い勝手がいい。

 ということで、次の段階に入りたい。
 銀座のアップルストアに行ってくること。
 テレビやスクリーンに映像を映し出すための接続ケーブルを購入したい気持ちが高まったからだ。
 話に聞いていたことだが、授業やワークショップや講演等で、DVDを見せたいとき、iPhoneにダウンロードしたものが再生できるらしい。
 そのためのケーブルだ。

 かくしてミニ・コンピューターとして買い求めた当初の目的が、一つずつ果たされていくようだ。
 これはまちがいなく現代の《すぐれもの》のひとつに違いない、と私は思う。
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