羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

”虫の知らせ”の大事さ

2018年12月26日 15時26分53秒 | Weblog

今年は25日から28日まで、例年より1日少ない”夜回り”が始まった。

せめて一年に一度だけ、町会の行事に参加して顔つなぎをしている。

この春から会長さんが交代したこともあって年齢が高かった方々がやめてしまったらしい。

それでもこれまで継続している方々が、私の参加を歓迎してくれたので、受け入れてもらえたことが嬉しかった。

いざ、パトロールに出かける人数を見ると、昨年までと比べてメンバーの数が減っている。

少々、さみしい感じは否めなかった。

 

さて、拍子木に合わせて「火の用心」と声をかけながら、その合間に雑談から得られることも多い。

そこで不思議に思っていたことの謎が解けた。

実は、近隣の商店街や住宅地にも、直近の数ヶ月に「健康情報」を提供する店ができている。

そこには行列ができるほど。

高齢者が集まっている。

そして皆さんは、吸い込まれるように店内に入って行く。

扉やガラスに貼られている宣伝文句から、健康になるための食品やサプリメント、体操、その他あらゆる情報が提供されている風なのである。

時に話し上手そうな男性が、ホワイトボードを使って、説明をしているのが外から見られたこともある。

最初は無料だそうだ。通ううちに高額な支払いを要求されるという。

今のところギリギリのところで違法性を回避して行われているので、警察としては取り締まりたくても取り締まりができないという。

「催眠商法」という位置付けで、警戒をしているらしい。

さすがに防犯の集まりだけに、情報の信憑性はありそうだ、と話を聞いていた。

一人暮らしはもちろん、家族と暮らしていても寂しいお年寄りに、あの手この手で近づく詐欺まがいには気をつけるように、とのことだった。

催眠商法は高齢者だけではなく、どの世代にもこうした商法はあるのではないだろうか、と思った次第。

受けている人、本人は催眠商法だという認識は全くない。

やっている方にもその認識がない場合もあるだろう。

むしろ世のため、人のために、救いの手を差し伸べて、善きことへ導く活動を続けている、と思っているに違いない。

洗脳

催眠

この問題は非常にデリケートである。簡単にものが言えない。

ただ、激動の平成が終わるこの年末に世の中の動きを見ていると、若者から高齢者まで、再びオウムらしきものが生まれてくる土壌が醸成されてはいないか、と老婆心が首をもたげる。

何を信じてよいのか、何を拠りどころとすればよいのか、と迷う前に、ちょっと変だ! よくわからないが違和感がある! 言葉にはしずらいが もしかして?

というような、ごくごく些細な予兆のようなことに、鋭敏であることが大事かもしれない・・・・

何事にも疑ってばかりいたら生きるのが苦しくなる。

しかし「虫の知らせ」をすくい上げる感覚を磨いておきたい、と思ったが、虫の知らせを聞き取る力が弱ってきたような気がしないでもない。

う〜む。

今夜は二日目。

どんな話を聞くことができるだろう。

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江戸独楽・福島保 展示即売会のお知らせ

2018年12月25日 10時18分15秒 | Weblog

江戸独楽の世界に誘ってもらったのは、かれこれ40年前のこと。

野口三千三先生が、体操教室に世界一小さい「芥子独楽」、どのように回してよいのかわからない「いじわる独楽」、数々の「逆立ち独楽」等々、次々と楽しい独楽を持っていらしたことがきっかけだった。

それらは主に福島保さんの作品群であった。

時々、先生のお供で民芸品店を訪ねたり、デパートで催されている福島さんの実演付きの展示即売会に、出かけて行くうちに虜になっていった。

1992年には、朝日カルチャーセンターに福島さんを招いて、特別公開講座「独楽と遊び 独楽に貞く」と題して、独楽遊びとその場で作っていただく講座を開催させてもらった。

公開講座の準備のために、野口先生はリュックに独楽を詰め込んで、何回かに分けてカルチャーに運んだ。

回数を追うごとにカルチャーのロッカーには、独楽が増えていった。

当日は、60名ほどの参加者全員に独楽が渡り、さらに福島さんが生み出す独楽が回されて、教室内は熱気に包まれた。

少年・少女にかえって、様々な回し方ができる独楽まわしに、参加者全員が興じたのだった。

その記録は「野口三千三授業記録の会」ビデオ記録に残されている。

実は、江戸独楽の世界は、知る人ぞ知る世界。

その真髄は、独楽それぞれに洒落た物語が重ねられていることにある。

明日から展示即売会が開かれるので、江戸独楽の雰囲気を、まず、実際に味わっていただきたいのです。

お知らせします。

場所:日本橋三越本店 5階 リビング特設会場

日時:12月26日(水)〜31日(月)

   1月2日(水)〜7日(月)

 

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ふりむけば・・・でなくて目の前に迫るキャッシュレス社会!?

2018年12月18日 13時54分20秒 | Weblog

駅に隣接する東急スーパーが「セルフ精算レジ」を導入した。

今まで通りのレジを一箇所だけ残して、ほかはすべて変わってしまった。

商品のスキャンは店員さんがした後に、設置されている機械で支払いをする。

今のところ一人の店員さんがそばに立っていて、使い方の指導をしている。

自分も含めて、誰もがマゴマゴしている。

見ると混雑する時間帯のレジには、長ーい列ができている。

それでもちっとも早くない状態は、しばらくすれば解消するのだろう、きっと。

混乱の要因は、大きな文字表示なのに、画面から意味を読みとるのに時間がかかっている。

読んでから、どこに何を入れるのかを判断し、速やかに行動することができないお年寄りがまごつく。

私もその一人なんだけれど。

 

次なる話。

昨日のこと「ガス設備 定期保安点検」の検査員が来宅。

一通り点検を終えてから、消火器の期限が数年前に切れていることを指摘する。

新しいものを届けにきた時に、古い消火器は引き取ってくれるという。

「・・・お支払いはその時、現・・・・」

「いえ、振り込んでいただきます」

現金と言い終わる前に、言葉を遮られてしまった。

彼女いわく

「クレジットに移行していただきたいのです」

「キャッシュレス化ですね」

「はい!」

現金払いから、クレジット払いへの移行を、積極的にすすめているらしい。

宅配日を約束した。そのまま女性検査員と雑談。

「大手はいいかも・・・でも、個人商店はこれからどうなっていくんでしょうね」

かろうじて残っている店は一掃されて、大手やチェーン店に変わっていくことになりそうだ、などと・・・・。

 

確かに、交通機関利用は、キャッシュレスになって久しい。

久しいどころか、いつから変わったかも忘れてしまうほど以前のことだ。

今更、現金で切符を買う方法には、戻ることはできない。

ということは、日々の買い物も、個人商店には足を向けなくなる日も近いのだろうか。

何れにしても、来年の消費税アップを機に、キャッシュレス社会に有無を言わさず誘導されて、こまごましたものまでカード払いに慣れてしまうのか?!

ふりむけば・・・でなくて、目の前にキャッシュレスが迫っているー。

 

乾物屋さんが町から消えたのは早かった!

豆腐屋さんは、すでに一軒もなくなった!

調理の仕方を教えてくれる魚屋さん、おしゃべりが楽しい八百屋さんも、時間の問題!

あーぁ、昭和は遠くなりにけり。

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会報『早蕨 SAWARABI』Vol.04 お分けします

2018年12月14日 11時11分34秒 | Weblog

2018年度、12月24日付け 会報『早蕨 SAWARABI』Vol.04 お知らせです。

目次と内容

2  巻頭言「これぞまさしく野口三千三辞世フォト」羽鳥操

   若き日の野口三千三・陸上競技記録から気にづかされた野口体操の動きの理論、1996年に撮影された写真について。

4  私と野口体操ー「もう一人のお父さん」五大路子

   女優で横浜夢座座長の五大さんの野口への熱い思いを語ったインタビュー。

6  私家版 野口三千三伝−4「師範学校の生活・父に対する悔恨の情」羽鳥操

   昭和の師範学校の様子を中心に、父親への複雑な思い。

9  NEWS:

   2018年 早蕨塾レポート・講師 龍村修氏

   龍村国際ヨガ研究所を主宰されている龍村修さんの講演報告。

  「2019年度総会+早蕨塾」北区田端「文士村」近くにある劇団・文化座で開催予定のお知らせ。

10     野口三千三語録抄 解説/羽鳥操・英訳/近藤准介

   岩石・鉱物の蛍光現象についての話。

11     SAJI's PHOTO GALLERY

   鉱物の蛍光現象の写真掲載。

   編集後記 二階のぶ子

   いつもながら情のこもった二階筆。

 

ご希望の方は、郵便振込でお申し込みください。

郵便振替番号:00110ー3ー537530

名義:「野口体操の会」

1冊300円+送料 

1冊:120円 2冊:140円 3冊〜4冊:205円

バックナンバーもございます。

お名前 ご住所のほか、メールアドレス 電話番号等もご記入いただければ幸いです。

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固定観念・先入観に縛られていた私・・・・リセットされたみたい

2018年12月12日 04時12分33秒 | Weblog

・・・墓じまい、合同墓地、樹木葬、・・・・檀家さんが減って、まして法事を行う家が少なくなった実情は、都心部だって同様だ。

法事を行う古い木造の本堂にも昇降機をつけ、畳の部屋まで車椅子OK。

会食する会館は、以前あった一部屋を車椅子と介助者が二人が入れるトイレに改装してあった。

選んだ料理は見た目に綺麗で、お年寄りに食べやすいように一口サイズ。

その代わり食器にも材料にも、バラエティーを持たせて、手のこんだ細工がなされていた。

現代に合わせて、高齢化対応をする時代になっていた。

 

今回の法事は、9月半ばからぼちぼち準備を始めた。

介護タクシー、一時間対応の介護サービス予約から始まって、お寺にお供えする物を宅配で前日着で届ける手配。

当日は母の世話を中心にできる体制を整えることにした。

服装は、まず、車椅子でも窮屈でなく、法事の間、食事を取りやすいように工夫。

高価なものでなくても、全てを黒で失礼にならないニットに加えてシャレな小物を用意。

着替えをして、薄化粧をすると見違える表情を見せてくれた。

施設の方々に「マダム」と褒められて出発。

・・ってなわけで、迫ってからの二週間は、普段とは全く違う頭を使っている毎日だった私。

お疲れー、かと思いきや、楽しかったのだ。

面倒だからやめておこう、という選択もあった。

でもそれをしなかったことで、世の中の変化が急速に起こったことを体感することができた。

あれだけ固定観念や先入観を捨てよう、と野口体操でアナウンスしておきながら、私自身が昔のままの思い込みを背負っていたのだ。

社会のサービスというものが、どんどん質を変えて柔軟になっている。

母を法事に連れ出そう。

思い立った当初こそ、自分一人では無謀かと案じて始めたが、終わってみれば視界がひらけた。

戸は叩いてみよう。

扉は開けて入ってみよう。

道には一歩踏み出して、歩き出してみよう。

人様には助けてもらおう。

全ての始まりは、昨年、母を施設にお任せできたことから始まった。

一人で抱え込まないことは大事だった!

今回、70代・80代の後期高齢の親戚の人たちが、93歳の母を見る目が変わった。

歳を取っても多少の認知があっても、彼女を囲んで楽しかった、と口々に言ってくれた。

自分たちの目の前に迫っている不安ある未来を変えることができる、とも言ってもらえた。

予想もしない結果だった。

万々歳!

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今を生きる者を生かしてくれる法要・・・・

2018年12月10日 15時11分58秒 | Weblog

昨日、父の十七回忌法要を無事に終えた。

主役は父であったのだが、全体を通して母の存在がひときわ大きかった。

終わってみると「93歳 母の元気を祝う会!」となった。

本堂でのお焼香もしっかり行い、お墓参りも寒がることもなくみんなと一緒に手を合わせていた。

会食の段になると、「おいしいわー」を連発。

ほとんど完食であった。お箸を器用に使って、残された歯でしっかり噛んで、嚥下の際にも危なげない。

終盤になって、甥っ子たちに囲まれて、大きな声で会話し笑いをとっていた。

思えば、参加してくださった皆さんは70歳代で、80歳に手がとどく方もいる。

私としては半ば冗談で、母の“生前葬”を兼ねるような気分で準備していていたが、とんでもなかった。

結果として“元気な母を祝う会”となった。

生きている者は強いなー。

生きているということは、こういうことなのだ!

実は、日曜クラスの方にアドヴァイスをもらった。

お言葉に従って、一時間から利用可の外出介護サービスを頼んだことは正解だったことを特筆しておきたい。

車椅子での移動、車椅子から昇降機への乗り換え、食事やトイレの世話など、全てをこなしてくれた。

介護資格を持つ男性スタッフの方にすっかり世話になって、母は終始ご機嫌だった。

こうしたサービスを受けることは、母だけでなく親戚の方々にも、安心感という「おもてなし」となった。

老老介護も当たり前の高齢化時代に、新たなニーズが社会のあり方を変えていくことを実感した。

思いがけず主役となった母は、介護タクシーの車中から、介護の方はもちろん、親戚の皆さんに、両手を大きくふって、にこやかな笑顔でお別れしていた。

「お母さんをよろしく!」

父が私に託した最後の願いを、こうした形で果たせたことに安堵することができたことは、幸せこの上ない。

「お帰りなさい」とロビーで母に声をかけて、迎えてくれた施設の方々に「ただいま」とはっきり挨拶。

「いかがでしたか」

「とっても、楽しかった! 今度は遠くに出かけたい」と曰う。

こんな風に生きている者を生かしてくれたのは、父だった。

十七回忌法要は、母にとっても私たちにとっても、格別に意味深い行事となった。

ありがとうございます。
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法事の準備につれて思い出された人生最後の“MINI COOPER”

2018年12月07日 09時28分39秒 | Weblog

法事の準備が終わったような終わらないような、準備するものが次々と出てくる。

寺の住職さんと話をした。

供花は寺にお願いし、お菓子と果物は前日に宅配で届ける算段をつけた。

「できれば供養する方の写真をお持ちください」の一言で、仕舞ってあった父の写真を取り出した。

フォトフレームの立て掛ける部分の一部が破損していて、私には直すことができそうにない。

そこで、昨夕、銀座までは出かける時間が取れないので、新宿・小田急デパートの伊東屋で、銀製のものを用意した。

新しい写真立てに古い写真が合うだろうか、と一抹の不安を感じながら帰宅した。

着替えもせずに、すぐさま写真を入れ替えた。

「父が生き返った!」

イギリス製のフォトフレームが、表情を明るくしてくれた。

「新しくして、正解だった!」

しばし眺めているうちに、父の車の思い出が蘇ってきた。

幼い頃から私は父が運転する車の助手席に腰掛けて、「そこの角を右、3つめを左」などと、地図を膝の乗せてナビを引き受けた生意気な子供だった。

記憶に残っているいちばん古い車は、日産の大衆車ダットサンであった。

この車の方向指示器(確かアポロといったような)は、真っ赤で可愛らしかった。

そして出す時・仕舞う時に、カタッ・コトッという音がしていた。

長距離のお出かけには、まず、エンジンの音を聞く。

そしてバンバーを開けてエンジンやブレーキの点検を行ってオイルをさしたり、時には近くの自動車整備工場によって更なる点検をたのむ。

当時の車は運転する人間が深く関わって、手入れをするのが当然の乗物だった。

ドライバーにとっては、そのことが嬉しくて仕方がないのである。

その父が70代後半で自動車免許を自主返納するまで、最後に乗りたくて乗ったのが「ローバー MINI COOPER」マニュアル車だった。

色は派手でもなく地味でなく、イギリスでしか出せないとおぼしきグリーンと白のツートンカラーだ。

乗り心地はと言えば、車高が低いためにスポーツカーのようなスピード感が得られた。

あたかも素足で走るような感じとでも言おうか。道路との密着感はスリルをすら感じさせてくれた。

こうして新しいフォトフレームにおさまった写真を見ながら、車種は何台か変わっても最後のMINI COOPERにご機嫌であった父を思い出した。なんとイキイキした思い出だろうか。

いつまでも思い出に浸ってはいられない、とメモを1つずつチェックしながら、忘れ物はないかと念には念をいれた昨日のこと。

今日の午後には、当日、母に着てもらう服を揃えて施設に届ける約束をしている。

確認の電話も入ってくる予定もある。。。。

色々ありますわねー。

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師走に、人の命の行方を思う・・・

2018年12月03日 19時52分20秒 | Weblog

12月9日に父の十七回忌法要をするために、早々と9月から始めた。準備はほぼ終わっている。

あとは、当日の段取りを最終的に詰めるために、明日は寺に打ち合わせに行くことになった。

寺は車椅子も可能なので、施主である母を連れて行く手はずも整えた。

そこで普段からご無沙汰の従姉妹に第一報を入れたのは、9月末のことだった。

その時、電話を取ったのが彼女の連れ合いの方だ。

正式なお知らせ手紙を出して、3日後に確認電話を入れたところ、お連れ合いの方が亡くなったのだと聞いた。

膵臓癌を患っていて、私が話をして2ヶ月ほどだったという。

最後に話を交わした時の元気さからは全く想像もつかない。

80歳を過ぎているのだが、しっかりした受け答えで、ただ驚くばかりである。

ごく内輪で葬儀をすませたとのこと。

そしてもう一人。

母の仲良し三人組の一人から6月に電話をもらった。

隣街に住んでいて、散歩がてら我が家を訪ねたけれど留守だったという。

ところが11月になった先日、喪中の手紙が届いた。

電話をもらって一ヶ月後の7月に亡くなったのだという。

すぐさま電話をすると、一人娘さんが出て「ピンピンコロリだったんです」とおっしゃる。

夕方、帰宅してお母さんが亡くなっているのを発見したのだという。

これといった病気はなく、買い物から帰ってきて、部屋に入って息を引き取ったらしい。

結局、直接の死因はわからなかったらしい。

その後、10月には三人組のもう一人のお友達も亡くなった、と聞いた。

同級生だから二人とも93歳の大往生である。

一人はこちらから、もう一人は先方からの電話で話をした二人が、会話して間もなく亡くなるとは、信じられない思いである。

母には、まだ話していない。

なかなか話し出せないのである。

「二人とも元気だったのに」という思いと、亡くなる二ヶ月前と一ヶ月前に、母に代わって私が話をする巡り合わせの不思議さをいまだに受け止められずにいる。

今回の法事では、父の回向だけでなく、母にとっては姪っ子の連れ合いの方、仲のよかったお友達二人、三人のご冥福を祈ってこようと思っている。

狐につままれたような気分でもあるけれど、十三回忌ができすに過ぎて、今年になって父の十七回忌法要をおもいたったのも何かの縁に違いない。

先月からこのかた、灌仏会の日に生まれた私には前世からの何らかのお役目があるのかもしれない・・・・と思っているうちに師走を迎えてしまった。

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