羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ホームページのリニューアル作業

2007年05月31日 16時03分06秒 | Weblog
 今朝は、ホームページリニューアルの作業をまとめて行った。
 先日、書き込みが消えてしまった理由がわかって、今回は順調に書き込みが出来た。と報告したいところだったが、二つ目の記事を画面上で手直ししていたら、タイムオーバーとやらで、受け付けてもらえなかった。ガックリ。

 新しいものになれるということは、なかなか大変だ。
 気を取り直して、ワードに入っていた元原稿をそこで綺麗に直して、カットアンドペーストを行った。何のことはない、楽々と投稿ができたのだ。

 その記事は春秋社から毎月出している「春秋」2003年1月号に掲載された記事。特集「身体は発言する」のなかで『語りかける「からだ」と「ことば」』というもの。
 久しぶりに読み返しながら、最終的に冊子に載った形に手直しして思った。このことをテーマにレッスンをしてみるとさらに深まるのではないかということだった。(自分で過去の原稿をいいと思うということは、進歩がないということかもしれないが)

 実際にリニューアルされたホームページを読んでいただけるのは、盛夏になってからだと予想されるので、その時期まで待っていようと思っている。

 今度のホームページの方式は、いちばん新しいものということだが、書き換えは楽にできる。挑戦しているうちに方式の構造が少しずつ読めてきて、面白くなっていく。いつの間にか時間が過ぎているのに驚かされてしまう。

 携帯写真をコメントイメージとして入れて文章を載せたりして、編集作業にはまってしまった。こういうことが、嫌いじゃないのよね。
 
 というわけで、一歩前進の半日を過ごすことが出来て、なんとなく嬉しい。
 さて、これから今日の後半戦といきますかね。
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麻疹で休講

2007年05月30日 19時33分34秒 | Weblog
 とうとう立教大学も「麻疹休講」になってしまった。
 今週の28日4限から6月3日まで。
 ということで明日は授業が出来なくなった。
 大学の臨時休校は、今までにあったことなのだろうか。
 私の記憶にはまったくない。
 この「麻疹」は、16歳から34歳の若い人への感染ということらしい。

 一回くらいの休講ならば補講はしなくても何とかなると思っている。
 ほんとうに何が起こるかわからない。余力をもって今日のうちに出来ること・やっておく方がいいことは先延ばしにしない方がよさそうだ。

 しかし、明日の授業の準備をしなくてすむと、なんとなく気が抜けてしまった。こういう時間を過ごすと、「明日がある」というある種の緊張感というのは、大切な生きる張りになっていることを改めて実感した。

 せっかくゴールデンウィークが終わって、ここで一押しするところだったのに、なんとなく後戻りしてしまいそうだ。あの衝撃的な思うようにいかなかった授業を立て直して、軌道にのせたところだったのに、明日は残念なことだがしかたがない。
 
 新しく勉強をしようと用意してあった分厚い本が、目次すら丁寧に読んでいなかったので、明日は目次くらいは読むことにしよう。
 書名は『バイオメカニクス』。
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文章が消えたっ!

2007年05月29日 20時02分47秒 | Weblog
 さきほど文章を書いたのだが、間違った消してしまった。
 今日は、なんとなくお疲れモードにはまってしまったようだ。
 夕方、リニューアル中のホームページに、長い文章を書いたのに、それも上手く投稿できなくて、消えてしまった。
 間の悪いときは、重なるようだ。

 しかし、悪いことばかりではないから、人生捨てたものではない。
 実は、午前中の朝日カルチャー火曜日クラスはいい雰囲気になった。
 今まで多少流れている空気に固さを感じていたが、今日は違った。このクラスは固さはまじめさということで、昨年の1月から開講したにもかかわらず、進歩が非常にはやい。
 これからはこの柔らかな空気が、一段といい方向へ向かってくれるだろう。

 ということで、今日はいい文章が二つも消えて、取り返しはつかない。
 明日、仕切りなおしということで、今夜はこれで。
 こんな日もたまにはあるのよね。
 ガッカリ!
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「気力」という名の「高貴薬」

2007年05月28日 19時18分29秒 | Weblog
 人間の回復力は、その人の気力だけではどうにもならないかも知れない。しかし、気力が失せると、その可能性も閉ざしてしまう。
 このところブログを読んでくださっている方から、電話をいただいた。
 母のことでご心配をおかけしている。
 私の風邪をもらってくれたこともあって、2日間は臥せっていることが多かった。今日は、上手に誘導が出来て、二階の暖かいところで新聞を読むことをすすめたら、素直に上がってくれた。
 昼食の時間まで椅子に腰掛けて時間を過ごし着替えもしたらしい。

 布団を上げて掃除をし風を通し、干してあった布団と洗ったばかりのシーツに取り替えた。
 昼食後昼寝をしていたらしいが、つけっぱなしになっていたテレビで農水大臣のニュースを見始めてから起き上がって、真剣にテレビを見ていた。

 夕食後もしばらく椅子に腰掛け、二階にあがって一時過ごし、今、階下にいった。
 普通に階段の昇降もできるようになって、以前の身軽さが戻ってきたようだ。
 風邪の方もほとんど問題がなくなった。

 いささか背中が丸くなって、腹部でえぐれた形になってしまったようだ。
 一日寝ると2・30%は筋肉が落ちるのだろうか。もしかするともっとかもしれない。
 その割には痛みがひどいときにも這ってトイレに行ってくれたので、それだけでも少しは筋トレ? になっていたのかな。
「やることがない人生なんてつまらない」
 ぼやきながらも、回復の道を自分で見つけているようだ。

 生きる意志と回復したいという気力は比例しているように見受けられる。
 それにしても家を母が住みやすいように作り替えていたことはよかったとつくづくおもう。介護する方も楽だし、本人が動く意欲を失わないことが何よりだ。
 
 油断は出来ないが、大きな山を越えた感じがしている。
 前回の経験があるために、今回は慎重に少し控えめな復帰を目指しているのがわかる。まだ、頭の方も大丈夫そうだ。ときどき「エッ」と驚かされることはあるのだが。

 介護というのはやってみなければ大変さはわからない。
 その大変さも一人一人まったく違うのだろうと予想がつくようになった。
 ケースバイケースとはよく言ったものだ。

 今回、よくわかったことがひとつある。それは本人が気力を失わないことがいちばんの薬だということ。
 「気力」は、なによりの「高貴薬」なのだ。
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クラシックバレエダンサーの脊柱

2007年05月27日 19時22分36秒 | Weblog
 月刊「女子体育」2007年6月号に「新企画からだの科学③ ダンスで変わる身体の機能」お茶の水女子大学 水村真由美さんの連載を読んだ。
 文章に添えて、Jローソン「ヤングダンサー指導のためのバレエのサイエンス」大修館1995のイラストが載っている。
 ふつうの人つまりバレエをやっていない人とバレエダンサーの脊柱の違いが描かれている。おどろくことにダンサーの脊柱からは、S字曲線が失われている。まっすぐなのだ。
 これは次のような基本姿勢を保ち続けた場合に起こることだそうだ。
 たとえばクラシックバレエでは、「ターンアウト」と呼ばれる股関節外旋位のまま、上半身を「引き上げる」意識をした姿勢を保持して立つことを基本としている。
 で、長年クラシックバレエの基本姿勢を保持していると、脊柱の生理的湾曲までが変形してまっすぐになるといわれているそうだ。

 自分でも股関節を外旋位で立ち、頭の中心が天井からつってもらっているイメージをもってしばらく立位姿勢を保つと、普通に立つよりもまっすぐが生まれやすいことに気付いた。

 その背骨から受ける感覚にいちばん近いのは「野口体操の四股」姿勢である。
 野口体操の四股は、脛は鉛直方向に一致し、腿は水平に保ち、左右の股関節は出来るだけ左右方向に開き、骨盤は立っている状態で、仙骨も鉛直方向に一致してる立ちかたを求めていく。前傾姿勢をとらないで、上体がまっすぐにキープされる自然な位置を時間をかけてからだで探るのである。

 このとき股関節の位置が問題になる。この位置が保てる股関節周辺の柔らかさが絶対必要条件になる。
 そこで股関節をほぐす「やすらぎの動き(開脚長座で上体を床に近づける)」を行うときに、いつのころからかは忘れたが、脊柱を前方にスーッとまっすぐに伸ばしながら行うイメージを持つようになった。
 ほぐす動きのきっかけは逆アーチで、臍の下・恥骨から回転させて、床に近いからだの部位から緩めて床に任せていくやり方をする。そのときに脊柱が長くのびるイメージを持っておこなっいる。

 野口体操の動きも、視点を変えて見てみると、きっと面白いことが見えてくること間違いなさそうだ。
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呼吸と動きと意識

2007年05月26日 20時46分46秒 | Weblog
 昨日の「三鷹光器」の話に、サジさんからコメントをいただいた。
 今日は、朝日カルチャーの土曜クラスのレッスンでこの話をしたが、何人かすでにご存知の方がおられた。
 なんでもテレビで紹介されたとか。それも最近のことらしい。
 町工場の底力が日本のものつくりを支えていることがよくわかった。そのことを応援している人が野口体操には多くいることがわかった。大変嬉しかった。
 
 さて、今日のレッスンはかなりマニアックな内容に終始していた。さすがに土曜日のクラスは長年続けておられる方や、日はあさくても論文を書く方や学校の教師を目指す方がいらして、難しいことでも理解しようとする姿勢がはっきりと見て取れる。

 今日のテーマは「意識」だった。
「現代人が無駄に使いすぎるのは、意識と筋肉。そしてもう一つ問題なのは、すべてが意識によって解決できると思っていること。筋肉の存在を忘れよ。そのとき筋肉は丁度よく働いてくれる。意識の存在を忘れよ。そのとき意識は丁度よく働いてくれる」
 そう語ったのは野口三千三先生だった。

 この言葉を表面的に捉えてはならない。意識も筋肉も大事だからこそ使いすぎるな! と先生は言葉を添えた。

 からだをほぐすとき、「呼吸」と「動き」と「イメージ(意識)」を一体にさせながら行うと、内側からからだが変化することがつかめるはずだ。
 痛みに耐えて無理やり続けるのではない。義務として関節の可動範囲を拡げるために努力をするのでもない。
 形はどちらでもよいから、中身の変化のありようを追って見ることだ。
 基礎的に大切なことは、地味だけれど丁寧に続けることは難しい。しかし、そこを大切にすることがあってはじめて野口体操にとっていちばん大切な核がつかめてくると思う。

 意識は大事だからこそ無駄に使うな! とは卓見である。
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三鷹光器の話!

2007年05月25日 16時17分42秒 | Weblog
 久しぶりに心がときめいた。
 これほど素晴らしい日本人がいるという感動なのだ。
 月刊『省エネルギー』2007年5月号、新連載「"技”のフロンティア」に紹介されていた三鷹光器会長・中村義一氏の話だ。

 以前、佐治嘉隆さんが、三鷹にある天文台の写真を「芭瑠庵」に載せておられたことをご記憶だろうか。
 今日の話の舞台は「東京天文台」を学校として育った人の物語である
  
 その人の名は、中村義一さん。東京天文台が「もつものづくりとアカデミズム」のなかで少年期を過ごした。手先が器用だった少年は天体望遠鏡に心を奪われ、機械いじりに熱中していく。少年にして異才ぶりを発揮していた。
 17歳で東京天文台に就職し、そこで22歳までの5年間にものづくりの基礎を身につけた。そして35歳のときに三鷹市大沢に「三鷹光器」を創業。町工場を「世界のMITAKA」に育てあげた人だ。

 その名を世界にとどろかせたのは、NASAのスペースシャトルに搭載されたカメラ。そして現在はエネルギー・水・食料という文明の課題に、三鷹光器の培ってきた技術力を注いでいるという。

『世界中の論文を読んでも先のことはわからない。だから、ものづくりであしたにいのちをつないでおくことです』という中村さんの人材発掘はユニークだ。
 いっぷう変わった入社試験は次のようなことだ。

 1、「模型飛行機づくり」手先の器用さと総合力をみる。
 『力のある人の飛行機は宇宙が飛ぶのを許してくれる』と中村さんは云う。

 2、デッサンを描かせ、煮魚定食を食べさせる。
   手の使い方、観察力、性格をみる手がかりになるらしい。

 つまりものづくりに向いている人は、「器用・負けず嫌い・素直・神経質」が条件になる。
 なかなかどうして凄い基準で人を選ぶ。
 そして、もっと大切なことはアイデア力。
 このアイデアは「宇宙から降ってくる」。

 こうして海外では2002年にドイツのライカ社と提携して、三鷹光器の顕微鏡は世界に販路を拡げたという。”MITAKA"の名は、世界の医学界では広く知れ渡り、アメリカでは70%のシェアを占める大ヒットとなった。
 しかし、日本では町工場という理由から、国立病院では入札参加が認められないらしい。
 なんというお粗末な話か! 
「日本では町工場は大企業の下請けになるしかない」と中村さんは語る。

 町工場だからこそ出来ることがある。
 なぜ、日本は本当の価値を認めないのだろう。
 
 私は、この記事を読んで、叫びたくなった。
 野口体操だって同じだ! と。

 財団法人・省エネルギーセンター 月刊「省エネルギー」2007・5月号より。
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緩やか系の動き?!

2007年05月24日 19時15分56秒 | Weblog
 今週はじめに夏風邪をひいてしまった。
 今日は、咳止めやくしゃみ鼻水止めを服用して授業に臨んだ。
 咽喉の痛みはなくなったものの、逆に風邪らしい症状が昨日から出始めてしまった。

 二コマの授業中に、一度咳きが出たが、全体としては無事に終わった。
 咽喉に負担をかけない発声をしながら話をしたが、伝わり方はなかなかいいようだ。柔らかく暖かな声色だ。自分で褒めてもはじまらないのだが、学生の反応を見ていると、いい感じに伝わったようだった。

 授業が終わった後に、残ってバランプレーを試す女子学生など、たわいなく話しかけてくる。今年も4月が3回、5月が3回で、計6回の授業が終わった。ここまで来ると学生との距離が縮まってくれる。先週あたりまでは、心なしかギクシャクしたものがあった。

 しかし、今は「麻疹」で他の大学が休校になったりしていて、学生の気分も今ひとつの感がある。そこで野口体操の緩やか系が好まれているようだ。
 しかし、今日は、ハードだったと思う。
 三大老化+α の動きをすべて網羅して、緩めながら力を入れる・力を入れながら緩めるという野口体操の独特の動き方に終始した。
 たまには動きを中心に音をあげるくらいに動くのも悪くない。
 つまりまんべんなく丸ごと全身の体操授業を行ったというわけだ。

 ということで、学生は「揺るやか系」という称号を、来週には返上してくるだろうなぁ~。
 野口体操を侮ってはいけませんぞ!
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進化のスピード

2007年05月23日 17時02分51秒 | Weblog
 ホームページのリニューアル作業をしていることは、前に書いたことがある。
 私だけが編集したものやテスト文を書いたものを投稿することが出来なかった。
 プレビューまで見られるのに、いざ「投稿」をクリックすると「スタッフで検討のうえ掲載します」という表示が現れてしまっていた。

 今朝、中心になって作業をしてくださっているTさんがやってきて、あっという間に問題解決した。
「やっぱり、ノートンでしたね」

 毎日、迷惑メールが百通以上。大学やその他出版社や時々企業からのメールもあって、「ノートン・アンティ・ウイルス」を入れた上に、so-netのウイルスチェックも数個入れている。
 最近は受信メールに[meiwaku]と表示されるサービスも使っている。
 時に「木馬」が入っていますという表示すらあって、ウイルスバスターは不可欠なもののようだ。

 今のところパソコンがパンクしたことはない。話に聞くところによると、中学生や高校生のいる家庭では、内緒でとんでもないサイトを開いて、一度や二度くらいパンクするのが当たり前だそうな。
 
 インターネットという便利な道具が生まれたが、ここは門を開きっぱなしに近い状態だ。とくにホームページやブログをやっているとなおさらなこと。
 そのほか個人情報に鍵をかけても無駄のようだ。

 というわけで無事に「ノートン・アンティ・ウイルス」の一時はずし方を教わったので、書き込みや訂正が投稿変更できるようになった。
 この世界はちょっとしたことで、手も足も出ない状況に追い込まれると心が萎えるから不思議だ。

 おもいかえせば早々に筆記用具をワープロにしたのは、かれこれ20年以上前のこと。ワープロから数えて、5台目の機種を使っている。これももう古くなったというのだから困ってしまう。新しい機種に買えかえると慣れるのに時間がかかる。
 
あぁ~ぁ!
 毎日ブログを書きながら、この世界の進化のスピードに驚くばかり。
 
ゆっくり行こう!
 ホームページのリニューアルは、まだしばらく時間がかかりそうだ。
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そして「縁」にこそ……

2007年05月22日 18時51分04秒 | Weblog
 この「殸」の下に「石」を加えて造られた文字は、「音」を意味する。
 龍村仁監督の「地球交響曲第六番」の最後は、「ごとびき岩の音」紀伊半島の山奥に籠もってひたすら岩から取り出した鉱物の音を求めた長屋和哉さんの音でしめくくられていた。映画の中の音はサヌカイトとは異なり、低音の倍音を含んだ音色だった。

 今日は、朝日カルチャー火曜日クラスにこの手製の楽器?を持っていった。
 野口三千三先生に導かれて甲骨文字に遡って、音楽にかかわる文字群を調べたことがある。そのときに実際にこうしたものを作ることで、文字は立体として浮き上がり、観念の世界から具体の世界におりてくれる。「殸」は名詞でもあり動詞でも或る。右手に撥をもって音を鳴らす行為を示すわけだ。教育の「教」の字も、右手に鞭を持って、毅然とした態度で臨む姿勢や行為を表している。
 「又」は右手のことであり、右手で「鞭」や「撥」を持つことは、積極的な人間の行動を表している。

 「地球交響曲第六番」に触発されて、久しぶりに文字について話をした。
 野口三千三授業記録「装身具に貞く」のDVDをご覧にいれながら、『「もの」「ことば(文字)」「うごき」』がもつ一つの世界観をお伝えできたような気がしている。たった一つの文字「殸」には、神に祈りを捧げる人々の思いと行動が示されているのだ。

 「言葉」や「文字」の面白さを、野口三千三先生に出会わなかったら、知らないまま過ごすことになっただろう。
 そして龍村仁監督の「地球交響曲」にも出会えなかったかもしれない。
 いつ・どこで・だれに出会うのか。そのことが人間の一生を大きく変えることになることの不思議さ。
 「縁(えにし)」という言葉の重さを、つくづくと思うこの頃である。
 一つ前の本日のブログを見てください↓ 写真はぜひ拡大して……。
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サヌカイト

2007年05月22日 18時46分47秒 | Weblog
 この「殸」を私たちは「こえ」と読んでいる。甲骨文字では、いい音のでる石をつるして殴ち鳴らす形。耳に聞こえるその鳴る音・響きの意味。神を呼ぶための楽器だった。声はのちに人の「こえ」の意味となった。
 この写真は、母が女学生のころ、修学旅行で行った讃岐でお土産に求めた石。「サヌカイト」と呼ばれ、別名「カンカン石」でもある。たたくと乾いたよい音がでる。長らく眠っていたものを20年位前にほこりを払って竹につるし、文字の説明につくったものだ。
 撥は鹿の骨を棒にさして、阿波踊りの際に使われる鐘をうつものを転用している。写真の文字をご覧戴きたい。右手で撥を持っている象形文字で、いい音のする石を打つことを示している。
 次の動画を再生してください。
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野口体操・装身具に貞くより

2007年05月21日 20時18分43秒 | Weblog
 つい先ほどまで明日の朝日カルチャー火曜日の準備をしていた。
 久しぶりにDVDをご覧にいれたいと思いたった。「野口三千三授業記録の会」で作ってきた「装身具に貞く」からはじめようと思っている。
 1989年夏に撮影された。野口三千三先生の年は73歳のときだった。
 亡くなる9年前のこと。溌剌として授業をされている野口先生の姿が映っている。
 この日は「装身具」をテーマにすることになっていた。そこで先生はリュックいっぱいの装身具を背負っていらっしゃった。
 板書も話の内容も、ビデオ撮り用に準備されていた。

 今、見直しながら「芸一代」という言葉が浮かんだ。追随を許さない気迫が満ちている。この記録を残していてよかった。
 そして私が最初に上梓した『野口体操・感覚こそ力』の第一章を読んでみた。
 自分で言うのも可笑しいが、授業記録「装身具に貞く」を見て、『野口体操・感覚こそ力』を読んでみると、授業の内容がよくわかる。

 少なくとも私にとって貴重な研究資料である。
 そうだ、野口体操を一から学びなおそう。
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二代にわたる猫の子育て

2007年05月20日 19時17分10秒 | Weblog
 犬と猫の鳴き声と女性の声が響いた。
 今朝のことである。
 見ると猫が体全体の毛を逆立てて、犬に向かって威嚇している。
 女性はあわてて犬を遠ざけるためになだめている。
 よく見ると昨年生まれた子猫が、すっかり大人の猫に成長している。
 威嚇する姿は、母猫そっくりなのだ。

 ひとまず落着いて犬も女性に引かれて歩いていく。
 洗濯物を干しきって、騒ぎのあった筋向いの家を見ると、子猫がいた。
 自分が育った場所に子猫を連れてきたのだ。しばらく見ないと思っていたら、子猫の目が開く時期を見計らって、ここまで連れ出したに違いない。
 毎年、5月ごろにはこの猫の母猫が子猫を連れて出てきていた。
 そういえばその母猫は、今年は子猫を連れていないのかもしれない。
 今までここで育った子猫はいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。そしてこの猫の母猫が毎年生んでこのあたりで育てていたのだ。
 もしかして世代交代が起こったのだろうか。父猫もここにいる。今度の子猫はグレーの色が濃い。この二代目の母猫は赤茶色の父猫だから、違う雄の子猫なのだろう。子猫がここで、母猫になるのははじめてのことだ。

 ところで二代にわたる猫の家族は、半野良猫だ。子供のころには近くに住むおばあさんが朝と夕方にえさをやっていた。子育て中の母猫も、その父猫も、子猫と一緒に餌にありついていた。かといって人間には絶対なつかない。餌がもらえる時間になると、なんとなく道路際にきて待っている仕草を見せるだけで、餌が置かれてからしばらくして近づいて食べていくのだ。

 飼い猫でもなく、野良猫でもない猫が、生まれたところで子育てをするのだ。
 犬を威嚇する様子が、まったく母猫を思わせる。気性が激しく頭がよく、子育てをしっかりしていた母猫そっくりなのだ。
 今回は一匹しか連れていない。きっと他の子猫は残念な事になったのだろう。
 初めての子育ては、上手くいくのだろうか。

 都会に住む半野良猫の命が、つながっていく様子を見ることが出来て、なんとなく心がほのぼのとした朝だった。

 朝日カルチャーからもどったとき、家の周辺を見回したり、置かれている車の下を覗いてしまった。どこかへ行っているようだ。
 生きものは本来しぶといものだということを猫の子育て「猫かわいがり」の様子を毎年見させてもらっている。
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観音様の御利益!

2007年05月19日 20時49分18秒 | Weblog
 朝日カルチャー土曜クラスがはじまる前に、新宿のデパートに立ち寄った。
 介護用品売り場にはじめて足を踏み入れた。
 日常生活に必要なありとあらゆる用品が揃っていた。

 さて、見るだけでもと思っていたのだが、店員さんの説明を聞いているうちに、買う気になってしまった。
 一つは杖でもう一つは靴だった。

 自宅に帰って母にプレゼントした。
 幅一間・長さは二間半の蔵前で、靴を履き杖をついて歩く練習をしてくれた。
「このくらいの長さが丁度いいわね」
 何度も往復しながら調子を見ていた。

 至極気に入ったようだった。
 杖をつくとからだが曲がらない。いい傾向だ。
 軽くて履くのが楽な靴は、歩きよさそうだった。
 今日の買い物は、正解だった。

 よっぽど嬉しかったのか、いま少し前に二階にあがってきた。
 今のところ寝たきりにならずにすんでいる。
 観音様の御利益かしらね!
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観音まつり

2007年05月18日 19時00分52秒 | Weblog
 檀家の一人として「観音まつり」の奉納で、野口体操を行ってきた。
 司会をしてくださった方が左官屋さん。そして座禅会をご自宅で主催しておられるという方が、助手をしてくださった。
 はじめての経験をさせていただいた。
 同年代の男性が、見事な話術だったのには驚いた。今までいろいろなところでやってきたが、これほど見事な紹介と受け答えは初めてだ。

 当意即妙とは、このことだと教えられた。
 笑いを誘いながら、人をあたたかく迎え入れる。その智慧を持ったお二人だった。寺として地域社会に溶け込み、お年寄りを大切にしようという住職の奥さんの思いが伝わったいい「まつり」だった。

 日常のなかで寺が一つの役割をになった時代があったはずだ。
 それを現代風に復活させるということは、なかなかに意味深いものがある。
 観音様の後ろにマンションが建っている。寺の持ち物で、このお蔭で檀家としてそれほどの負担を強いられることはない。
 檀家以外の地域の方も参加して、おまつりをする試みは、まだ始まったばかりらしい。一年を通していろいろな行事をしていることを、本日、知った。

 裏で支えている人々のあたたかな思いが、実に気持ちのいい一日だった。
 もしかすると地方でも失われてしまったかもしれない。
 東京にいながらにして、小さな共同体のまつりに参加した豊かな心持が得られた。

 無事に「奉納・野口体操」を終えた。
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