羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

野口体操との出会い4

2005年11月30日 11時12分05秒 | Weblog
 1970年代の先生は、甲骨文字の探求と共に、やまとことばの「オノマトペ(擬音語・擬態語)」をとくに、大切にされていた。
 やまとことばの語源を調べていくと、オノマトペ起源のことばが少なからずあったから。
 
 いずれにしても動きのイメージをより鮮明にするには、オノマトペのもつエネルギーが重要だと説いておられた。

 例えば、五十音図をもとにして、自由に勝手に音を組み合わせて、新しいオノマトペをつくってみるとか。(実は、それはなかなか難しい。が、やってみるところに意味があった)

 あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの
 はひふへほ まみむめも やゆよ   らりるれろ 
 わゐ(ウ)ゑを ん

 実際には、母音+ら行・子音+ら行で、音を組み合わせるのが、いちばん普通にオノマトペになった。
 そこで、「ら行」というのは、母音や子音のもつクオリア(感覚質)に、動きの質(お誤記のありかた)を、表現する行。そうした質感を確かめ、実際にその動きのイメージをからだの中に探るというようなことを繰り返す、つまり、フィードバックしておられた。

 文字(漢字)の形・文字(漢字)の音・文字(漢字)の意味、そして平仮名一つ一つの音が内在させる質感をさぐる作業も、字源や語源を遡り、本質に到達する一つの方法として試しておられた。
 「ことばの肌理」「ことばが語る肌理」の質感を、オノマトペほどよく表現できるものはない。

 五感のおおもとは「触覚」である。すると「肌理」というのは、主には「手触り感」。その意味を拡張して、五感を総動員して本質を瞬時に動的に直感的に捉える行為から得られる「クオリア(感覚質)」の別名と、私は勝手に解釈・借用している。
 
 当時の先生の授業では、耳で聞く音、目で見るもの、舌で味わうもの、鼻で嗅ぐもの、肌で触れるもの、そういった五感を通して「感覚したもの」から、その奥に潜む本質をそっくりそのまますくいとる行為を、「からだ」と「ことば」を手がかりにして、体操することが「野口体操」なのだといわんばかりの内容だった。

 オノマトペは、「肌理」を表現するのになくてはならない「ことば」なのだ。
 光を失った人が街に立ち、街を歩くとき、足の裏や杖を通して、皮膚感覚や音や匂い・すれ違う人の呼吸や動きの気配によって、「街の肌理」を感じ取って、世界を造り上げていくと言う。
 
 野口先生は「空間に光の波として伝わることば」「空間に音の波として伝わることば」、そうした「ことばの動き」の中に「肌理」を感じ、「肌理」から選られる「感覚質」によって、動きのイメージを豊かにしていくことを楽しんでおられた。

 因みに、『イメージと人間』の著者である藤岡喜愛さんは、野口体操を称して「イメージ体操」だといわれた。
 藤岡さんが野口体操教室に参加され、野口先生のご自宅へも訪ねられたのは、1970年代半ばのことだった。
  
 あぁ~。。。時は流れる~。。。藤岡さんもすでに鬼籍に入られてしまった。
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野口体操との出会い3

2005年11月29日 08時26分59秒 | Weblog
 漢字は、象(かたち)と音と義(意味)をもつ、世界でもまれな文字である。
 そして、古代象形文字の命が、現代まで脈々と流れているまれな文字でもある。
 
 約3500年前といわれる中国・殷の時代の文字は、「政(まつりごと)」というべき政治と宗教が一体になった世界を象づくっている。
 当然、当時の価値観がすべてに反映され、風俗・習慣・自然観・神と人の関係・為政者と奴隷の関係、国家のありよう、異国との関係といった宇宙と人間世界が、見事に描きだれている文化史であり文明史でもある。
 
 漢字を単に「記号としての文字」として読み解くだけでは不十分だと考え、とくに宗教観を含めたところから全世界的な全宇宙的な視点から、研究をすすめておられたのが、白川静氏の「文字学」だということを、野口先生は力説しておられた。

 現在、使われている漢和辞典にある「部首」は、殷の時代に記された「甲骨文字」に、そのほとんどを見出すことができる。

 1970年代、本格的に字源に遡って研究された一般向きの書籍は非常に少なかった。野口先生は、来る日も来る日も、漢字の字源を探り、やまとことばの語源を探る作業を、繰り返し続けておられた。文字に寄せる、ことばに寄せる、思いがいちばんの盛りのときに、私は野口体操に出会った。

「僕にとって、文字やことばが、昔、こういう意味を持っていたということと同時に、今、ここに、生きる自分のからだの内側で、身体感覚と結びついた実感のある文字・ことばとして生きてくれるかということが、いちばん大切なことなのです。
 ですから、他人がなんと言おうと、最後は、自分にとっての意味を見つけ出すことが、字源・語源探求をする僕にとっての作業なのです」

 真に言語哲学としての「文字学」「やまとことば学」なのである。
 野口三千三独自の探求の仕方だった。それを学問といわなくても、一向に差支えがないのが、先生の生きる姿勢だった。
 
 自分にとっての「文字(甲骨文字)」自分にとっての「和語(やまとことば)」であることが、野口体操と結びつく重要な要素なのである。それには、殷の時代の宗教観や自然観、社会をどう見るのか、という視点は欠かせない。
 
 文字を解体する、ことばを解体する。いわゆる西欧的な分析科学とは、一味も二味も異なった独自の解体作業なのである。アルファベットの世界観ではない。解体しさらに解体し続けても、象・音・義が失われない。むしろ本質が生きる象・音・義が浮き彫りにされる解体作業なのである。
 自然がフラクタルであるように、漢字の世界は、「文字のフラクタル」なのである。野口先生は、そのことに無意識の層で気付かれたのだと私は思っている。
 
 それが昨日のブログ表現だった、と今朝になって気がついた。
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野口体操との出会い2

2005年11月28日 07時58分47秒 | Weblog
「ことば・コトバ・言葉・ことば・コトバ・言葉」
「辞・弁・詞・辭・辯」
「ことば・ことば・ことば」
「文字・文字・文字・文字」
「漢字・漢字・漢字・漢字・漢字・漢字・漢字」
「甲骨文字・甲骨文字・甲骨文字・甲骨文字・甲骨文字・甲骨文字」
「和語・和語・和語・和語・和語・和語」
「やまとことば・やまとことば・やまとことば・やまとことば・やまとことば」
「漢語・漢語・漢語・漢語・漢語」
「ことば・コトバ・言葉・ことば・コトバ・言葉」
「字源・字源・字源・字源・字源・字源・字源・字源・字源」
「語源・語源・語源・語源・語源・語源・語源・語源・語源」
「コトバ・言葉・ことば・コトバ・言葉・ことば」

 1970年代~ 野口三千三の授業は、こんな感じだった。

ことばが甦っていた。ことばが踊っていた。ことばが動いていた。ことばが揺れていた。ことばが身体を持った。ことばが呼吸をしていた。ことばが内臓を持った。ことばがほんとうの意識を持った。ことばが喜びを感じた。ことば哀しみを感じた。ことばが怒りを発した。ことばが楽しさを語った。ことばが潤いをもった。ことばが濡れた。ことばが乾いた。ことばが匂いを発した。ことばが音を持った。ことばが意味を持った。ことばが愛を奏でた。ことばが憎しみを知った。ことばがやるせなさを伝えた。ことばが裏切りを行った。ことばがはかなさの極みにたった。ことばが歩いた。ことばが走った。ことばが投げた。ことばが宙に浮いた。ことばが軽くなった。ことばが逆立ちした。ことばがひっくり返った。ことばが肌理を語った。ことばが命を得た。ことばが生きた。ことばの常識が覆った。否定用語が肯定用語に変わった。ことばが哲学した。

ことばがそこに在った。
からだがそこに在った。
うごきがそこに在った。
ことばが重さを得た。
からだが重さを感じた。

野口三千三は書いた。
『野口体操 おもさに貞く』という名の難解な体操の本を!

~そして 私は 野口体操にぞっこん惚れ込んだ!~
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野口体操との出会い1

2005年11月27日 14時35分20秒 | Weblog
 そこは、とんでもない空間だった。
 目の前に繰り広げられる「動き」。それはゆらゆら・くねくね、時に異様なまでの鋭さを見せる。
 体操の前には、3・40分、長いときで1時間くらい、話が続いた。
 その話がとても面白い。
 黒板には、その日のテーマが書き込まれているのだ。

 当時、野口三千三先生は61歳。
『原初生命体としての人間』が出版されて、3年がたったときだった。

「いま、僕は、甲骨病なんです」
 漢字の字源は甲骨文字にまで遡り、やまとことばは語源に遡る。
「日常、なにげなく使っている、普通の言葉を、もっとよく分かりたい。そして自分の考えで字源と語源を解釈するところまでいかないと、言葉が身につかないんです。ことばには命があります」

「たつ(立)」「あるく(歩)」「まう(舞)」「ちから(力)」「おとこ(男)」「おんな(女)」「はは(母)」「こ(子)」「さかさ(逆)」「いく(行)」「みみ(耳)」「め(目)」「はな(鼻)」「みずから(自)」「分ける(分)」エトセトラ。

 こうした言葉を説明する野口先生の熱気が、教室中にあふれていた。
「祈りのことばをいれたものとして(サイ=口)の解釈は、白川静に依らなければならないんです。道という字だって、古代宗教にのって、解釈しないとね」

 当然、白川静の著書を求めた。
 平凡社・東洋文庫の中に収められていた「甲骨文字の世界」「金文の世界」「漢字の世界」そのあたりしか、一般向きの書籍はまだ出ていなかった時代である。

「それが一体、体操とどうかかわるの?」
 そんな疑問も頭を掠めた。しかし、私は、すぐに「どっちでもいいじゃないか」と文字の世界の面白さに惹きこまれた。

「抽象語・観念語といわれることばも、元を遡ると身体のことばや文字にたどり着きます」
 野口先生の口からでたこの一言が、しっかり耳の奥に残った。

 思い返せば、ことばの世界がなければ、私は野口体操にはまっていなかった。
 からだはガチガチ、何ひとつとして野口体操の動きはできなかったから。
 ボーっと突っ立って、他の人の動きを眺めるしかなかった。

「別世界だ。。。。。。。。何てことだ????????」
 当初抱いた正直な印象だった。
 
 しかし、「これだ」と思った。
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錦繍人と桜人

2005年11月26日 10時57分23秒 | Weblog
 「花人」とか「桜人」という呼び方がある。
 今でも「花」といえば桜のことで、両方とも「桜を愛でる人」という意味である。
 「春の宮人」という呼び方もある。「春の宮」とは皇太子のことで、東宮に仕える人を「春の宮人」と呼ぶ。
 
 「○○人」という言い方は、逆引き広辞苑を引くと、164あった。そのなかで、「紅葉人」という言葉は見つからなかった。「紅葉狩り」といって、紅葉の山々に散策する風流を日本人は好んだのに。

 紅葉をさして「錦繍」といういい方もある。じゃ「錦繍人」もあってもよさそうだが、これもない。
 「錦繍」というのは、以前、読んだ宮本輝の小説の題名でもある。
 この季節になると小説とともに「錦繍」という文字が、脳裏に浮かぶ。そして、なんとなく心がそわそわする日がある。
 冬に向かう短い季節に、山が燃えるからか。
 平地の銀杏は、舗道を黄色に染めて、欅もまた寒さが増すと色濃くなって、都会の青い空に向かって、華やかな色のソナタを奏でるからだろうか。

 我が家でも、季節はめぐってくる。
 このところ父が残した盆栽の欅も色を増した。
 父が亡くなったのは、三年前の12月だった。
 その年、9月くらいから病状が悪化し、入退院を繰り返していた。
 在宅のベットに横たわっている父に
「お父さん、こんなに黄色くなりましたよ」
 欅の盆栽を持っていった。
 ところが、春夏秋冬のおりおりに、楽しんでいた父なのに、欅の盆栽にまったく関心を示さなかった。
 そのとき、私は、父の間近な死を悟った。
 父は、息をすることだけでも、精一杯だった。

 今年も、欅の盆栽は黄色から茶色に近い色づきを見せ始めた。
 散る前のひと時、常緑樹に混ざって、花梨や楡欅や欅や紅葉が、華やかな色を見せてくれる。
 朝の水遣りのあと、今は朝日を受けて、一層に艶やかさを増している。

 今年も、ふと、思う。
 そして揺れる。。~。。~この「錦繍」の季節に~。。。。。

 ~あの小説に心震えた30代、まだ 私は 「桜人」だった~。。。。。。
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二つのお知らせ

2005年11月25日 08時55分35秒 | Weblog
Ⅰ、本の紹介
 『ケアのゆくえ 科学のゆくえ』広井良典著 岩波書店 定価2000円+税
 帯のことば:「ケア」を、人と人との間の「関係性」と捉え、「成長・拡大なき時代」における「科学」とのかかわりのなかで考えるとき、明らかになるものは何か。森林療法・臨床心理学・遺伝医療・身体操法……「ケア」をめぐる達人との対話を軸に日本社会の課題と展望を示す。フォーラム共通知をひらく第二回配本

 ……私から見ると、現在の日本は……人と人との「関係性」という点において、“克服すべき根本的な矛盾”ともいうべきものを抱えており、その意味で(おそらく日本社会が歴史上これまで経験することのなかったタイプの)転換点に立っていると思えるのである……(著者)
 広井氏は、千葉大学法経学部教授・主に医療行政専門
 
 医学書院「看護学雑誌」に掲載された広井氏と羽鳥の対談は、第4章 自然のスピリチュアリティー【ケアをめぐる対話】⑩ケアと身体にあります。

Ⅱ、「新日曜美術館」11月27日(日)放送予定:NHK教育・午前9時・午後8時
「簡素にして品格ありー建築家・吉村順三の仕事」
 野口三千三先生を、ずっと追ってくださっていた深堀雄一ディレクターの仕事です。
「(この番組制作を通して)芸大の人たちとおつきあいして、野口さんの話もでました」
 お知らせの手紙にありました。
 
 深堀さんとは、野口先生出演の番組にかかわって、20数年のお付き合いです。
お知らせいただく番組を、ずっと見続けリポートを差し上げています。
 先生が出演の番組には、「女性手帳」「訪問インタビュー」「ビッグ対談 野口三千三+山口昌男」などがあります。
 
 何でもメールですませる時代、ご自身が撮った写真を貼った手作りポストカードにしたためられた手紙を受け取ると、こころがほっとあたたかくなります。
 ご自身のスタイルをみごとに貫かれた数少ない魅力的な男性のひとりです。
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ノートル・ダム

2005年11月24日 08時29分23秒 | Weblog
 「ノートル・ダムの立ち姿」―と題して、日経新聞に作家の高橋たか子さんが、森有正のことを書かれていた。
 このエッセーの中でも触れているが、「バビロンの流れのほとりで」というエッセーを、哲学者・森有正は残している。
 父の墓に詣でて、彼は、異国・フランスに渡り、そこで客死する。
 
 彼の父は森有礼。漢字+平仮名表記をやめてローマ字にすべし、とまで考えた急進的な欧化主義者だった。薩摩藩出身の政治家として、教育制度改革を図ったが、その性急さゆえに、暗殺される運命にあった。
 
 その息子・有正は、ノートル・ダム大聖堂に向き合ったアパルトマンに暮らしていたという。
 哲学者にしてパイプオルガンの名手でもあった。森が演奏するバッハを聴いたことがある。鬼気せまるどろどろとしたバッハだった。日本人離れした感性、知性、論理性は、故国をすて異国で生きるエトランジェとしての運命をはじめから背負うことと引き換えだったかのように思える。
 
 彼が翻訳したフランス・リセの教科書がある。真っ白い表紙に『哲学講義』と書かれただけのシンプルな装丁が、いかにもフランスを感じさせてくれた。この3巻の教科書は、内容をどのくらい理解したかは別として、私の愛読書だった。「哲学」が残っていた1970年代である。私は、20代前半だった。
 フランス語の語源をラテン・ギリシャに遡り、言葉の意味を深める作業をしつこく行いながら、哲学していく。どちらかといえば、「感性の哲学」への姿勢が、教科書には反映されていたように記憶している。

 高橋さんは書いている。
「その時その時の、光の具合や熱や風や、いろいろの気象条件で、この大聖堂の色合いが違ってくるのだろう」
 森の目には、一度として同じ姿のノートル・ダムは映らなかったという。

 日本よりはやく晩秋から冬に突入するパリ。
 今年、フランスは燃えた。パリも危うく燃えるところだった。
 異国の民がパリに暮らす。壮絶な闘いを見続ける大聖堂を、この目で見たいものだ。
 
 しかし……しかし。。。。。今の私に……フランスはあまりに遠い。
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魔除け

2005年11月23日 10時28分10秒 | Weblog
 18日、丸ビルホール・ロビーには、福島保氏の江戸独楽が展示された。
 主催者との事前の打ち合わせで、会場ロビーに入ってきた人が、日常から解放される演出がしたいと話が出た。
 その際、何の気なしに福島さんの江戸独楽の話をしたことが、発端だった。
 福島さんとは、野口三千三先生が30年ほど前に、お知り合いになってから、ずっとお付き合いが続いている。
 
 先生ご存命中には、朝日カルチャーセンターの特別公開講座で、「独楽と遊び 独楽に貞く」という講座を開いたことがある。
 そのときには福島さんに実際に独楽を作っていただきながら、先生ご自身が大きなリュックで、三日かけて運ばれた独楽で、皆が嬉々として遊んだ。
 正確な数字は忘れてしまったが、参加者は50名くらいであったと思う。
 とてもにぎやかなことだった。
 男性・女性問わず、子供にかえって無心で遊んだ。
 
 江戸独楽には、発想の自由さと物語がある。
 例えば、素敵な独楽をつくってくださったことがある。
 公開講座の後、デパートで江戸職人展に参加された福島さんを訪ねた。
「記念に、何かつくってあげますから、他を見てきてください」
 会場を回り、2・30分くらいたって、戻ってきた。
「花より団子よ」
 見ると杯の上に桜の木でつくられた「桜の花」と「団子」と「お酒を入れる瓢箪」が乗っている独楽三つ。杯の大きさは直径1.5センチくらいの小さなものである。
 
 福島さんは特に「芥子独楽」の名手である。
 最近は、ずいぶん大きな独楽を作られるようになった。

 話を戻そう。
 18日当日、丸ビルホールには、福島独楽が見事に勢ぞろいした。
 ほとんどの人がはじめて目にする「江戸独楽」の世界に、楽しげな驚きの歓声が上がっていた。
 黒のトックリのセーターにグレーのズボンの出で立ちの福島さんは、工芸作家の風貌。
 
 楽屋話もことのついでに、してしまうと、鼎談が終わったあと、楽屋で河合長官と福島さんのやり取りが傑作だった。
 
 本来の名前は「吊り独楽」だが、私たちは福島さんに習って「いじわる独楽」という愛称で呼んでいる独楽がある。タコ糸で回す独楽だ。
 ところが一見したところ、どうやって回すのかわからない。
 独楽は、ひねり独楽・糸引き独楽・縄を使った投げ独楽・叩き独楽……と、回す方法はいろいろある。
 「いじわる独楽」も、回し方を教えてもらえばなんてことはない。
 工夫を凝らしながら、最後のところまで追い詰めた河合さんだが、もう一歩のところがわからない。
 そこで、嬉しそうに「回しの極み」を教える福島さん。
「なぁ~んだ、そうか」
 大きく頷きながら、笑っておられた河合長官。
 お二人の間合いと交流が、短い時間ながら、ほほえましい‘一こま’。

 独楽は回っているときに、色艶が増す。
 色に艶に引き込まれながら、あたかも止まっているかのような独楽に回転に、こころも回る。
 
 ……動中静あり 静中動あり……
 
 じたばたした日常を一時でも忘れ、童心にかえることができるのは、独楽ならではの魔力かもしれない。
 因みに、独楽の赤は魔除けだそうな。
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天寿

2005年11月22日 12時50分04秒 | Weblog
18日、丸ビルホールのステージの袖で、鼎談の出番待ちしていたときのシーン。

 養老氏「ちょっと冷えてきました」
 河合氏「そうですね」
 養老氏「やっぱり年を感じますわ」
 河合氏「ほんと。からだは正直で…」

 舞台のソデは、風が抜けて、ちょっと寒かった。
 年をとると話は「健康」と「からだ」というのは、大御所も同じだったのだ。
 
 それに昨日のブログ「ギックリ腰の話題」に、コメントをいくつもいただいた。 やはり、からだへの関心の高さが実証されたわけだ。
 
 改めて言うまでもなく、野口体操は、先生ご自身の腰痛への対処法として編み出された要素が強いので、いい体操なのですぞ! 
 ところが、先生ご自身が、動きの原理はつかめても、実際に腰痛から開放されるには、かなりの時間がかかったとか。1975年に習い始めたのだが、そのころからは先生の腰痛がひどくなったという話を伺った記憶はない。しかし、ときどき危ないと感じられると、用心なさったとか。

「からだに貞く」って大事なのだが。
「からだも嘘をつくことがあって、だまされて動きすぎってこともあるのよね」
 
 私の周辺でも、慢性の気管支炎の人、心筋梗塞を患ってしまった人、健康診断で癌かもしれないといわれた人、……。。。。。。。。。。暦年齢に関係なく、お見かけするようになった。

 気をつけているんですけどね、皆さん、それぞれに。
 そういえば、昨日の日曜レッスンでも、鍼灸・整体師の方が野口体操を応用した「腰のほぐし法」を披露したら、皆さん、のりのりで試してましたっけ。

 で、体調が芳しくないと、鬱々としてしまうんですよね。
 でも、まぁ、野口体操に出会った仲間くらいは、どこか悪いところを抱えながらも、折り合いを付けて、手入れをしながら、頑張りすぎないで、それぞれの「天寿」をまっとうしようではありませんか。



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正体見たりぎっくり腰

2005年11月21日 09時27分25秒 | Weblog
 珍しく「ためしてガッテン」を見た。
 その日の番組のテーマは「ぎっくり腰」
 いや、驚いた。
 レントゲン写真で、「ぎっくり腰の正体見たり」という感があった。
 背骨のS字形が失われて、まっすぐになってしまうのが、重症のぎっくり腰だということをまざまざと見せられたからだ。

 背中側の筋肉が一瞬にして「攣った状態」に陥ると、背骨が本来の形が失われて「直線」になってしまう。
 私も過去に腰が痛くてぎっくり腰だと自己判断していた。
 最初の著書『野口体操 感覚こそ力』を出版した後のことだった。
 そうした状態のなかで、鏡に向かって化粧をするとき、手をすこし伸ばして口紅を取ろうとするのにも腰に響いた。
 でもそれは、かなり軽い症状に過ぎなかったのだと、その番組を見ながら認識を新たにした。
 そのときのことを思い返してみると、「上体のぶらさげ」や「胸付け」などはできなかったが、できるものもあってやっていた。「やすらぎの動き」「四股」などだった。

 それ以来、ときどき腰の痛みがあったが、最近ではほとんど感じなくなった。その程度で済んできている。

 今でもパソコンの仕事は正座で行っている。
 暮らしの基本は、畳の部屋なので、やわらかいクッションの椅子に座る機会は少ない。座椅子も使っていない。
 何時までこの暮らしができるのかしら。膝さえ痛めなければなんですが。

 野口体操をはじめて来年3月で30年。
 続けていて「よ(良・好・善)かった」。
 思えば、はじめた当初は、硬くてどうしようもないからだだった。
 「やすらぎの動き」を筆頭に、床に身をゆだねて行う一連の動きは、猛烈痛かったと思う。だけれど、記憶はすっかり薄れて、20代の私には戻りたくない、というのが本音だ。
 
 四捨五入すると60なんだけれど、あっという間の30年ですね。
 こんなことをふり返りたくなるのも、師走が近づいたからかもね。
 今年も、いよいよ一ヶ月半をきりました。

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さすが 大御所!

2005年11月20日 09時58分42秒 | Weblog
 去る11月18日(金)夜、東京・丸の内「丸ビルホール」で、大御所二人が、野口体操を初体験された。
 大御所二人とは、文化庁長官・河合隼雄氏、解剖学者で昆虫少年・養老孟司氏。
 それは、お二人に羽鳥が加わって行った「鼎談」の最後のシーンだった。

「最後に、野口体操を皆さんでやってください」
 ステージに上がる直前に、ディレクターから頼まれていた。
「雰囲気を見て、やってみましょう」

 話も佳境を過ぎて、そろそろ終了時の9時に近づいたそのとき、アナウンサーの女性が、上手に体操へと促してくれた。
「では、……」
 立ち上がって、ステージの前に歩みだすと、会場をうめた300名ほどの皆さんが立ち上がる。
 すかさず、河合氏も養老氏も椅子からたって、一緒にからだを動かす雰囲気をただよさせてくださった。
 
 非常に楽しい鼎談の後だけに、頭の中は十分ほぐされていた。
 残ったのは「からだ」というわけだ。

「ビルを壊さないように、かかとが軽く浮き上がる程度で、上下のはずみをもらって、ゆすってみましょう」
 笑いの延長線上で、上下にゆすり始めた。
「では、もう少し崩しましょう。そうですね。“いやいや”をしながら。左右・前後に肩が揺れるように」

 立っている位置関係から、お二人の姿は私の目に入らなかった。
「いやいやを、といわれて、河合さんがふっと緩んで、ゆすり方がよくなりましたよ」
 招待した知人が、嬉しそうに話してくれた。
「こういっちゃ失礼かもしれませんが、お二人とも、かわいらしかった。でも、さすが大御所!」

 スロースタイル塾・丸の内、丸の内から文化力でのことだった。
 鼎談:河合隼雄+養老孟司+羽鳥操
 テーマ:艶人へのいざないー「とかれる脳 ほぐれる体」
 花王antuプロジェクトの共同開催の一コマである。
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命あっての物種

2005年11月19日 10時33分50秒 | Weblog
 40代半ばの友人が、心筋梗塞で倒れた。
 幸い命は取り留めたが、今後の暮らしに不安は残る。
 早すぎるダウンである。子供さんも小学生と中学生になったばかり。
 働きすぎ。緊張の連続の毎日に、とうとうからだが悲鳴をあげたのだ。
 
 誰も予想もしないことだった。本人も予想しなかった。
 とっても明るく健康で、元気ハツラツを絵に描いたような人だった。バリバリ仕事をこなしていた。
 
 よく考えてみると、不安材料がなかったわけではない。
「仕事は人生の一部」といっても、通じない状況に生きていたから。
 仕事があるからやってしまう。断ると次の仕事は来なくなるという不安は、強迫観念に近かったのに、そのことに本人は気がつかなかった。
「今が旬」とばかりに、水を得た魚のように仕事をこなす自分に酔っていた。

 そうなると、自分の疲労感を無視できる「心のおきどころ」が問題かもしれない。

 というわけで年下の友人の心筋梗塞にショックを受けた私は、今日は、のんびりレッスンをしようと思っている。
 昨日の続きは、また後日。

 命あっての物種、と自分にも言い聞かせている。 
 おたがいからだを大切に。
 北風が、寒い朝でした。

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動詞的人生

2005年11月18日 08時01分20秒 | Weblog
 今日のテーマは「動詞的人生」について…。

 ある人に「羽鳥さんは、メソッドをもっているから」といわれたことがある。
 メソッド? そのときは、言葉の意味がわからなかった。。。。。。???

「どういうことですか」
 とは聞き返さずに他の話題に移ってしまった。
 こういうときに、聞き返すことが出来ない私がいる。
 で、あとから、ひとりで「あの言葉の意味は、なんだったんだ」と考える。
 いろいろ考えあぐねるのなら、即座に聞いてしまえばいいのに、と思ってもしないことの方が多い。しないというより、実のところできないのかもしれない。

 今朝のことだが、私なりに一つの答えが浮かんだ。
 正しいか、間違っているか、彼女の言葉を誤解しているのかはわからない。
 しかし、私のなかでは、納得している。

 「メソッドをもっている」ということは、観念的でないということを意味するらしいことは、始からなんとなく想定のうちだ。
 そこでもう一歩、踏み込んでみると、これは私が野口体操をやっているうちに、磨きがかかったことかもしれないと思えた
 
 体操の前に、私にはピアノがあった。そのピアノが弾けるようになるのは「そこにメソッドがあるから」だということは、以前から身をもって知っていた。

 では……
「野口体操は、メソッドはあるのか」
 問いかけてみると、西洋の音楽教育のような体系だったメソッドはない、といえそうだ。
 しかし、野口先生ほど“方法”を大切にされた体操の教師はいないと思う。
 
 これは、私なりの解釈だが、野口先生は、ある名詞に対して、それに対応する動詞、あるいは対応した動詞の反対の動詞、その派生語を、常に大事にされていた。

 わかりにくい話かもしれない。
「わからないことを、わからないまま、大切にしよう」
 この野口先生の言葉を、今日は残して、続きはまた明日へ。
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漆黒の闇…新たな能舞台

2005年11月17日 08時47分56秒 | Weblog
 古くからの知人から、久しぶりに封書の手紙をいただいた。
 その手紙に11月11日「フジサンケイ・ビジネスアイ」の新聞の切抜きが同封されていた。

「日本の伝統文化と宇宙の融合―能と古武術―野口飛行士が活用」という題がついている。
 そのなかで野口飛行士が語たる次のような記述が目に留まった。
「宇宙服のヘルメットを通しての限られた視野は、能面をつけた状態での舞に通じるのかなと思った」

 去年、女性の面打ち師の方の話を伺う機会があった。
 実際にご自身が作られた面を展示しながら、面を打つ作業も見せてくださった。
 そのとき、檜にノミを入れて、おおまかにカットした状態で、まわしてくださった。
「うぁ~、いい匂い」
 口々に、今、目の前で削られたばかりの檜の香が、予想外に強いことに、皆、鼻をぴくぴくさせ、目をくるくるまわし
「すご~い」
 一言で、同感の頷きが次々と交わされた。

「どなたか、実際に面をかけてご覧になりませんか」
 だれも手を挙げない。
「はい」
 私は、名乗りをあげた。

 なんと手渡されたのは、般若面だった。
「般若は角に、気持ちをのせていきましょう」
 因みに、小面は頬だそうだ。

 1メーター先くらいが見える程度の視野の狭さ。目からではなく鼻の穴から、のぞき見る。近眼の強い私は、眼鏡をはずしたら、さぞ足元がおぼつかないのかと怖れを感じていたことが杞憂であることに気がつくのに時間はかからなかった。
 不思議と恐さもなく、穴からよく見えるのである。極めて狭い空間は、見えながら見えない・見えないながら見える、という矛盾した在り方が同時起こりつつ、自分のからだの動きに、意識が自然に促されていく。
 腰は落ち、足は摺り足の方が安全だ。
 声もからだの内側によく響く。なるほど能の発声は、この面がかもし出す内なる空間条件から、生じることだと納得する。

 記事の先を読むと、野口さんはこんな素敵な話を続けられていた。
「昼間の宇宙は地球が明るいために暗黒だが、夜の宇宙は満天の星が輝き地上には夜景の彩りも見える」という。

……漆黒の闇……
「暗黒舞踏」とは、本来は宇宙の星々の舞のことだったに違いない、とその記事を読み終えて私は思った。
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テレビ電波障害防除工事その後

2005年11月16日 14時31分38秒 | Weblog
 先日、六本木防衛庁跡地に立つ「東京ミッドタウンプロジェクト」新築工事にともなうテレビで電波障害防除工事の話を書いた。
 
 その後、トイレの電灯をつけると、テレビ画像に砂がかかった現象があらわれた。消せば元通りになるので、原因は防除工事だということははっきりした。
 二階の天袋から屋根裏のアンテナ集積場に、「ブースター」なるものを取り付けたのが、原因のようだった。
 電気の配線とブースターとが、干渉することによる現象らしい。

 今朝、再び工事の人がやってきて、ブースターをはずした。
 その後、アンテナに附属を取り付け、いちばん影響のなさそうな一階のテレビアンテナ引き込み口に、器機を設置した。
 
 工事の人曰く。
「地上波デジタルに、すべてが切り替わる6年後までに、日本全国くまなく変換工事を行うんですから、間に合うのかな?」
 
 言われてみれば、近所の建売住宅は、すべてケーブルテレビになっているらしい。
 我が家は、数十チャンネル見られるとしても、見る時間はないし、受信料不払いしたくなるNHKに加えて、さらにもう一つ受信料を払うのももったいないと思ったので、アンテナのままにしてあった。
 
 理由は簡単。
 今だってニュース番組は、パソコンで見ることもできるわけだし。
 映画を見るのは、映画館に限るし。
 
 アメリカでは地上波は失敗したという。
 日本は上手くいくのかしらね。
 
 今回の工事、電波を集積するブースターに、地上波用チューナーもつけてくれて、アンテナに細工もしてくれて、不具合を直しに再度やってきて、自費負担で行ったらどのくらいかかるのかな?

 三井不動産が建てる賃貸用マンションの最高家賃月額500万円。
 狂気の沙汰といった方もあるが、これからの日本は何処に行こうとしているのか。
 
 80歳になる母が言ったことばがグサリときた。
「これから先、時代に乗れず、貧しい暮らししかできない人間は、東京には住めないってことになるわね。それ何処じゃないわ。日本からも追い出されたら、どうしよう」
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