羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

網戸に生きものの影が

2007年08月31日 19時20分41秒 | Weblog
 我が家の朝食は6時。で、味噌汁を5時45分からつくっている。
 今朝のことだが、びっくりして息が止まりそうになったことがあった。
 
 お椀に味噌汁を入れて、卓袱台に運んだときのこと。
 掃きだしのサッシュのところに、生きものの影が見えた。 昭和30年代に引っ越してきたときから棲んでいるヤモリにしては巨大過ぎるとおもった。
 両手両足、いやいや四足動物だから、四本の足は伸ばせるだけ伸ばして網戸を昇っている。アジの開きのような状態だ。

 足の裏を見ると猫だった。黒い網戸にグレーの色がこく映っている。

 なんとこの周辺に暮らす、今年生まれ親離れした子猫だった。
 猫は木に登るが、網戸にへばりついて登っているではないか。
 つまり猫の開き状態だったから、びっくりしたわけ。
 
 驚いた私の声を聞きつけて、素早くおりて逃げていった。
 その瞬間、自分でなんと言ったのか思い出せない。

 味噌汁のワカメと出汁の匂いをかぎつけたのだろう。
「磯の匂いは、猫を呼び寄せるのね」
 しばらくして、冷静にもどれてから、発した言葉だ。
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昭和は遠くなりにけり

2007年08月30日 09時48分18秒 | Weblog
 昨日の話の続き。
 よくよく思い返してみれば、ベータとVHSのビデオの時代は、30年くらい前だっただろうか。しかし、この二つの命は結構長かった。
 ところが次のHi8は短くて、あっという間にデジタルに移行したような気がする。

 さて、最近では時々しか使わないものにファックスがある。
 我が家ではファックスが市場に出回って、まもなく入れたので、最初の機種は長いこと使っていた。
 一昨年、それが壊れたので、いっそのこと使わなくてもいいかと思ったが、そうもいかず買いなおした。
 残念なことに、一年に数回しか使う機会がなくなってしまった。

 郵便だって以前とはすっかり様変わりした。
 時々手紙やはがきが来る程度。私も時々手紙やはがきや現金書留を送る程度になってしまった。
 大学や公的な仕事は、まだまだ郵送される。最近では宅急便で送られることが増えた。

 インターネットのメールが主流で、郵便、宅配便、固定電話、携帯電話、ファックスとすべてを稼動させている。
 結局、今のところどれも捨てられない。
 便利さが煩雑さを産んでしまう現状を憂いてもはじまらない。

 野口三千三先生は、最晩年「文明さん、お先にどうぞ」と宣言に近いことをおっしゃって、とうとうファックスを入れることはなさらなかった。
「ファックスを入れてほしい」
 お願いしたことがある。
 聞き入れてはいただけなかった。
 で、郵送では間に合わないことが多く、お宅に伺ったことを懐かしく思い出す。

 とにかく没後満9年5ヶ月を迎えたが、この間の通信手段は凄い勢いで変化した。

 私が子供のころのこと。
 新宿に住んでいた。
 ここは、かなり早い時期に電話が通じていた。
 余談だが水洗トイレが家庭につくのも早かったなぁ~。
 で、当時、母方の祖母がが住んでいた京王多摩川の家に電話をするときには、交換台を通してつないでもらったことを思い出す。
 昭和20年代の後半だものね。
 
 いやはや、昭和は遠くなりにけり!
 戦後62年目の夏は、暑かった。
 まだまだ残暑は続くのかな?
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テレビ・ビデオ・新聞、そして野良猫

2007年08月29日 19時34分35秒 | Weblog
 ベータとVHSの対決があってVHSに軍配が上がった。
 その後SVHSが出てきて、それからビデオカメラは小型化することで8ミリがあって次がHi8になり、次がデジタルになって、今は、なんだか分からない。

 DVD型のビデオカメラからハードディスク駆動装置(HDD)内臓(←内蔵です)に移行しつつあるとか。DVDもブルーレイ・ディスク(BD)対応機種が登場したとか。
 ますます訳がわからなくなって混戦状態だ。

 さらにテレビのハイビジョン普及と相乗効果を狙っているらしい。
 HDD、DVD、フラッシュメモリー、ブルーレイ・ディスク、DVテープ
 これらの違いが即座に答えられたら凄い。

 知人がいまのところ何の動きも見せないので、我が家も買え控えている。
 一応DVDの再生はできるが、テレビ放送録画はできない状態のまま過ごしている。
 
 昔を思い出す。
 野口三千三授業記録をとっているころは、機種が変わると即座に取り揃えていた。
 それだけではない。テレビ放送をよく録画していた。それをちゃんと見ていたのだ。

 ところが、最近はテレビをみることもあまりなくなった。
 しばらくつけていたBSも一昨年取り外して解約した。
 見なければ見ないですんでしまう。
 ニュースもインターネットで読むことが多くなってきた。
 テレビを見ない分、以前よりも新聞を読むようになった。
 長い文章でしっかり特集を追うとか、その新聞に特長的なしっかりした「読ませる記事」を丁寧に切り取って読んでいる。

 では、テレビを見なくなった時間、何してるの? 
 友人に聞かれた。
「時間があると、野良猫の生態観察をしてるみたい」
 生きものは、実に面白い!
 
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岩塩坑の礼拝

2007年08月28日 19時16分00秒 | Weblog
 ポーランドの岩塩坑の話が、本日(8月28日)日経新聞朝刊に載っていた。
 「探訪美しい欧州」である。
 この岩塩坑には、礼拝堂が作られている。
 シャンデリアから祭壇まで岩塩でできている。
 以前、写真を見たことがあるが、ものすごく精巧にできていて、見事な造形である。
 ミサや結婚式も執り行われるほど。

 さて、私の手元にあるポーランドの岩塩は、ラップで二重に巻き、それをポリ袋に入れて、口を固く結んでいる。
 それでも大きさが小ぶりになっていく。

 日本のような湿潤な風土では岩塩はできない。
 アフリカのような乾燥地、ポーランドのような湿度の低い寒冷地等々で岩塩は産出する。

 初めて詳しい数字を知った。
 ポーランド南部クラクフ郊外にあるヴィエリチカ岩塩坑は、十三世紀半ばから七百年かけて掘られたものだという。
 坑内は総延長三百キロメートル。最大深度は三百二十七メートル。
 「白い金」と呼ばれた塩はポーランド王国の繁栄を支えた。

 ちなみに岩塩に紫外線を当てると、すべてではないが美しい燃えるような赤色の蛍光現象が現れる。
 ポーランドのキュービック結晶は透明で、自然光でも美しい。
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花も育たない

2007年08月27日 14時23分57秒 | Weblog
 残暑が厳しい。
 連日、熱中症にかかる人のニュースが流れれている。
 暑さの影響は人だけではない。
 たとえば植物にとっても、今年は辛い夏になっている。
 
 我が家の盆栽も緑の葉が焼けて、生気がない。
 特に鉢が小さいものはかわいそう状態である。
 古くなった簾をとっておいてよかった。
 裏の物置から取り出して、ガンガンに日が当たるところには、日よけとして立てかけておく。
 いずれにしてもこの暑さは、ただ事ではない。

 昨日、来客があったので、お昼過ぎに花屋に出かけた。この時間なら、すでに花が揃っていると思ったからだった。
 実は、先週も先々週そのまた先先々週も、花屋の前を通ると、閑散としていたことを思い出した。
「今日は、どうだろうか」
 多少の心配をしながら、出かけていった。
 案の定、少ない。というより花がない。

 店主曰く
「この暑さで花が育たないんです。あっても仕入れ値が高すぎて困っちゃいますよ。だから仕入れない。いつもなら11時を過ぎて店に戻るんですが、早いことといったらない……」

 緑が焼けるということは、花も育たないことだと気づかされた。
 店主はしぶしぶガラスケースの中から、花弁の外側がうっすらとピンクの百合を一本取り出して
「これくらいですわ。取って置きの百合よ」
「それだけ?」
「そう。じゃ、一本、枝物を添えたら。これだったら半分に切って、一本を二本にお使いなさい。オマケしとくから」
 花屋のおじさんも、ほとんど商売する気は失せている。
 こんなところにも酷暑の影響がもろ出ている。
 
 早朝は多少涼しくなった。
 早めに片づけを終えて花瓶の水を取り替えようとした。
 夜のうちに、花はたっぷり水を吸い上げて、瓶のそこにわずかしか残っていなかった。そこで少し大きめの花瓶に差し替えたることにした。
 
 七つ花がついているうち二輪目が開き始めたていた朝だった。
 その後、気温はグングン上がっている。
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おすすめ昼食はコレ

2007年08月26日 09時40分01秒 | Weblog
 猛暑続きだと、食欲が落ちる方が多いだろう。
 かくいう私は、あまり影響をされなかった。それでもお盆の週は、げんなりして麺類を食べることが多かった。
 でも、飽きるのよね。
 そんなときは朝食のあとにおにぎりを作っておく。
 一枚ののりを半分に切って、それで巻きつける大きさのおにぎりだ。

 で、おかずは朝食用に焼いた「厚焼き玉子」+自家製の牛肉(生姜の千切りをたっぷり入れた)の佃煮、そしてこれも自家製だが酢の物。沢庵なども取り合わせとしていい。
 そしてスイカでしめる。
 お茶はすこし濃い目。

 それで、午後からの仕事はバッチリ。
 えッ、お腹がいっぱいになると眠くなる?!
 無駄な抵抗はやめて、昼寝をおすすめ。
 
 今日は、「私の好きな昼食」でした。
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千の風の楽譜

2007年08月25日 20時51分06秒 | Weblog
 朝日カルチャーのレッスン前に、小田急デパートによった。
 ほしかった「しおり」は、手にはいらなくて、残念だった。
 現在エスカレーターの工事を行っていて、下におりるのにぐるぐると遠回りをしなければならなかった。ふらふらとデパートの中を歩いていたら、楽器と楽譜売り場にでた。
「もしかするとあるかもしれない」
 楽譜の棚を物色した。
 あったのです。「千の風になって」のピアノバージョンと伴奏バージョンの楽譜が。
 もちろんその場で手に入れた。

 朝日カルチャーでも見せびらかして、帰宅してからしばらく音を拾ってみた。
 思っていたよりキーが高くて、久しぶりに歌う咽喉にはちょっときつかった。
 テノールの音域は、さすがに高い。ホ長調で書かれていた。ちなみにシャープ4つの調。
 
 弾き語り試したが、声を張るところは、胸も開くが響かない。
 久しぶりで指は廻らないし、音の粒は揃わない。
 3日は練習して見たいと思った。なぜ、三日? あまり理由はありません。ただなんとなくそう思っただけ。

 ということで犬も歩けば棒にあたる。
 胸に描けば手にはいるって訳でした。
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中途半端はダメよってこと?

2007年08月24日 14時50分24秒 | Weblog
 日経新聞が首都圏に住む二十代の若者対象にアンケートを実施した。
 車は買わない・酒も飲まない・貯蓄には熱心・休日は掃除洗濯など家事をする、という結果が出たそうだ。
 地味で堅実な生活を好む傾向がうかがえると、最後にコメントがのっていた。
 8月22日、日経新聞朝刊・総合欄。
 
 車を買って買えないわけではないだろう。しかし、車を維持するには税金からはじまって駐車場やガソリン代や車検等々、維持費がかかる。
 エコライフへの意識も、高いかもしれない。
 いちばんは、将来への不安だろう。年金のずさんさを知れば、不安にならない方がおかしい。

 しかし、そうした若者の生活意識を、手放しで喜べない私は変なのかな。
 チマチマして生気が欠如しているアンケート結果のように、正直なところ思えてならない。
 ひとえにこのような社会不安を作り出した大人の責任は大きい。
 
 別の記事だが、三越と伊勢丹が経営統合する記事も、連日、誌面をにぎわせている。大正14年生まれの母は、この記事を食い入るように読んでいる。
 読み終わると、溜め息をついている。
「あの三越と伊勢丹がね……」
 双方の競争をずっと見てきただけに、こうした時代の変化におどろおどろしいものを感じるようだ。
「中途半端はダメよっていうわけ?」
 なかなかのコメント呟いている。

 一兆円という額に対して、まったく感覚は持ち合わせていない。
 大企業として生き残るか、知る人ぞ知る範囲で生き残るか、ここでも資本格差は広がっていく。

 そんな時代に、堅実な20代の意識というのが、なんとなくしっくり来ないのだが。まさか貯金ができたら、それを元手に投資なんてことを考えているわけでもないだろうし。

 なんだかなぁ~、腑に落ちないものがあるのは、私だけだろうか。
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こころがヒリヒリ痛みます

2007年08月23日 09時30分03秒 | Weblog
 かめいどさん。降りましたね。
 
 昨日は、落雷で電車がストップして大事だった。
 都市型災害で、水が出たところ等々あって、「丁度いいのが丁度いい」という野口三千三先生の言葉が、思い出された。
 夕立を超えた豪雨は、願ってなかったのに。

 さて、杉並区では、飼い猫の任意登録制度導入を検討しているそうだ。
 ●飼い猫に監察をつけて登録し、野良猫と識別する。
 ●飼い主の自覚向上と失踪時の個体識別をしやすくする。
 ●初年度五百匹の登録を目指すというもの。
 
 ちなみに、区内には推計で約三万四千匹の猫がいるらしい。(どうやって数えたのだろう? 教えてください) 
 
 そもそも犬や猫に関連した住民トラブルを防ぐためだという。
「共生プラン」なるものの作成に向けて、区民からの提言をまとめた報告書を作成したのだ。

 野良猫を増やさないために餌の回収や不妊・去勢手術をすすめる「杉並プラン」を十月には作成するらしい。

 確かに元気のいい雌猫は、一年間に2回以上は出産している。しかし、そのなかで育っていく子猫は少ない。目も開かないうちにカラスにやられるとか、未熟で死んでいくとか、無事に育つ方が少ないようだ。

 我が家の周りを縄張りにしている新母猫は、猛暑の間に尻尾の先を失った。
 聞くところによると、他の猫と大喧嘩をしたそうだ。そのときかじられたところが腐って尻尾が短くなった。しばらくの間、赤くなった痛々しい状態を見せていたが、最近では黒く色が変色して、落ちついて来たようだった。
 それでもピンピンしている。
 
 先日も生まれたばかりの子猫を口にくわえて、茂みから飛び出してきた。あっという間の出来事だった。別の場所に移動をしたようだ。しかし、その後、子猫を連れ出してくる様子はないから、もしかするとダメだったかもしれない。

 この周辺にも野良猫は何匹か生存している。それが家族をなしている。
 結局、飼い猫と野良猫の中間的な暮らしを実現しているのだと思う。
 そこで不思議なのは、猫の死骸を見たことがない。猫は人の目に着かないところまで歩いていって、一生を終えると聞いたことがあるが、本当なのだろう。

 今年の春生まれた子猫は二匹だった。そのうちの一匹は、どことなく生気のない猫だったが、見かけなくなって数ヶ月以上は過ぎた。残った一匹も、この夏の猛暑でやせ細っている。
 ところが逃げ足は非常に速い。捕まえる気になれば出来ると思うが、普通では難しい。寄ってきても、あの素早さには追いつけない。餌付けをして食べているところを後ろから網で捕まえるのかな?

 もうひとつペットにかかわって問題なのは近親婚だ。
 ペットにも流行がある。そのことで、命を命と思わない行為がまかり通っているなんて。人間の勝手は許されない。
 
 異常気象にはじまって、ペットの受難まで、人間は何をしているのだろう。
 いや、何をすべきなのか。

「杉並プラン」について、本日8月23日、日経新聞朝刊、東京首都圏経済33面掲載記事を読みながら、こころがヒリヒリ痛む朝だった。
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雨乞い

2007年08月22日 08時06分34秒 | Weblog
 早朝は、少しだけ秋が感じられる。
 最近、日の出の時間も遅くなってきた。
 
 今朝はまだ暗いうちに、朝刊を読んだ。
 日経新聞「春秋」に、「夕立」という二文字を発見して、驚く自分にオドロいた。
 今年の夏は、この言葉をすっかり忘れていた。

 言われてみれば東京で夕立にあったことがなかった。
 梅雨明けにつきものの雷雨があったかどうかも、はっきりとした記憶がない。
 そして8月に入ってから、ほとんど雨らしい雨が降っていない。

 浮世絵にも描かれている夕立は、どこへ行ったのだろう。
 雷も伴って、3・40分降り続ける強い雨。
 
 炎暑を冷やしてくれるありがたい雨は、もたもたしていた人間関係を一気に深める慈雨(?)でもあった。
 さぁ、帰ろうとしたときに振り出す雨に足止めされて、つい、踏み越えてはならない一線を越えた、なんて小説にはつきものだった。
 雨の庭・窓から風景が見えなくなるほどの雨。
 部屋の中は薄暗くなる。
 すると相手の顔の輪郭が少しぼやけただけで美女がもっと美しく見える。そうでない人もそれなりの陰影を見せる。映像としても、なかなかのシーンだったけれど。

 今年の夏は暑いばかりで、色気も素っ気も失って、思考停止で、いささかバテ気味。
 まだまだ残暑は厳しそう。
 夕立を願って、雨乞いでもしましょうかね!
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訂正 西口→東口

2007年08月21日 07時08分19秒 | Weblog
 昨日のブログで、サンシャイン方向は、西口ではなく東口でした。
 今朝、文章の方を訂正しました。
 池袋は、西口に東武デパートがあり、東口に西武デパートがあります。「東」と「西」の文字に惑わされて、それが混乱のもとになっているようです。

 池袋ではいつも野口先生とご一緒だったので、ついて歩く習慣しかありませんでした。その点、新宿は地元だったので、私が誘導していたよな記憶があります。
 
 ということで、昨日お読みなった方には、申し訳ございません。
 東口です。
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残暑と和紙

2007年08月20日 19時10分13秒 | Weblog
 所用で池袋の東口に出た。
 この界隈は野口先生と歩いた思い出の地だ。
 角川映画の『レックス』を見たのもここだった。その映画途中で上映中止になったとき最後の日に見にきたし、『ジュラシックパーク』も同じ映画館だった。

 相変わらず、喧騒の街だ。
 今日はまだ夏休みということで、子供たちや10代の若者でにぎわっていた。

 店もしばらく来ないと変わるもので、「サンシャイン口」の地下道を上がったところに和紙専門店が出現した。非常に広い店だった。用事を済ませ立ち寄ってみたのだが、見事な和紙が揃っていた。なかには浮世絵版画まで取り揃えられていて、それらがタペストリーになっている。こころが動いたが、今日のところはグッと抑えて見るだけにしておいた。

 外国へのお土産にはうってつけの製品が、ところ狭しではなく、ゆったりと展示されていて、しばし暑さを忘れさせてもらった。

 書道の嗜みのある方には、たまらない店だろうと思いながら、ただ見るだけというのも芸がないと嘆きつつも、残暑厳しい池袋の街に出た。

 先週土曜日の一日、涼しい日があっただけに、この残暑が恨まれる。
「暑さ寒さも彼岸まで」
 あと一ヶ月は、厳しい日があることを覚悟しておいた方がよさそうだ。
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夏の季語・甘酒

2007年08月19日 19時55分08秒 | Weblog
 ひとよざけ、こざけ、とは甘酒のこと。
「白米の粥に麹をまぜて醸した飲料」と広辞苑にはある。
 
 東京では、酒粕を溶かし甘味をつけて飲む場合も多い。
 思い起こすこと1995年、10年以上も前、阪神淡路大震災の時には、造り酒屋さんの酒蔵が倒壊して、東京のスーパーから関西の酒粕が姿を消した。

 再び残暑が戻ってきた今日、レッスンのあとの打ち合わせで、恥ずかしながら甘酒は夏の季語だとはじめて知った。
 夏の暑さに負けないために、甘酒を飲む風習が、日本には古くからあったのだという。

 それで思い出したのが、神田明神下の天野屋さんの建物のことだった。
 地下に麹室を持っているお店の部分は平屋だ。
 で、神田明神さんに向かって、右側が売店で、左側が甘酒等々を飲ませてもらえる喫茶部になっている。 
 喫茶部の左脇には、小さな庭が設えてある。そして夏には、ひとつの趣向が隠されている。
 
 軒の樋に穴があけられていて、水が落ちるようにつくられている。
「滝の白糸」のシーンを思い出していただきたい、と言っても無理かもしれない。今どき新派の舞台などご覧になった方はすくないだろうから。
 でも水芸はご存知では?
「滝の白糸」のヒロインは、水芸人である。
 劇中劇で水芸を披露する場面がある。
 
 天野屋さんのものは樋から水が落ちるような仕掛けになっている。
 そのことを知らないと夕立でも来たのかと錯覚する。しかし、雨の降り方としてはおかしいのにすぐにも気づかされる。そしてそれが夏に涼を演出するものだと分かるのだ。

 水が軒から滝のように落ちてくるだけで涼しくなる。
 水音を聞きながら、夏の甘酒をいただく趣向だ。
 涼しげなガラスのカップに、たっぷり冷たい甘酒を供してくれる。

 これが美味。
 御茶ノ水駅の聖橋口を出る。その橋を渡って、湯島聖堂側でも東京医科歯科側でもどちらでもいい。初めての交差点に出る。その交差点を右折して、神田明神下につくころには、汗でびっしょりになる。
 
 天野屋さんの店内に腰をおろして、滝の白糸を眺めながら、冷たい甘酒をいただくと気分はすっきり。汗もひく。

 夏の季語としての甘酒は、あったかい飲み物だろうか。
 今日の御仁に次回お目にかかるときに伺ってみようかな。

 天野屋さんは江戸時代からの伝統を守っている。
 米麹の甘酒は、四季折々に味わいのある飲み物だ。
 
 ぜひ、お近くにいらしたら立ち寄ってみてはいかが。
 オススメ!
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NHK放送予定:「日本人と自画像」早川(永山)聡子さん出演

2007年08月18日 11時32分25秒 | Weblog
「日本人と自画像東京藝術大学 4800枚の証言」放送のお知らせ。
 
 野口体操の仲間の日本画家・早川聡子さん(旧姓・永山)の自画像が紹介される。

 今年の春のことだった。
 「番組で紹介する永山聡子さんが、野口三千三先生の話をされて、何枚か写真をお借りしたのですが」
 番組担当の女性ディレクターから電話をもらった。
 
 彼女は更に続けて
「野口体操の公式ホームページを拝見しました。こちらでは野口三千三先生のよい写真をたくさんお持ちのような印象を受けましたのでご連絡しました」
 
 早急にほしいという話で、いつものように佐治嘉隆さんに連絡をとり、数枚を用意して、そのディレクターに預けた。
 
 数日も立たないうちに、1枚を選び出して、原版がほしいという連絡がはいった。
 急遽、佐治さんがその写真をお送りした経緯があった。

 さて、内容は、東京藝大に残され保管されている自画像のなかから選び出して、それぞれの証言をとったらしい。日本全国に散らばっている。取材はかなり大変だったと伺った。

 そのなかで永山さんは野口三千三先生のことを、情熱を込めて話されたとディレクターから伺った。

「こんなに大騒ぎをしてお借りしているのですが、編集作業のなかで、実際に使わせていただけるかどうかは分かりません。その場合は、ご了承ください」
 4800枚ともなれば、当然、ありうること。

 女性画家の自画像は少ないらしい。
 その一枚に永山さんの絵が選ばれたのだから、とても嬉しい。それだけでも十分喜ばしいことだ。
 選ばれた理由については、見てのお楽しみ!
 
 加えて野口先生の写真が画面に登場すれば、もっと嬉しい。

 以下、放送予定のおしらせ:

 2007年8月19日(日)22:00~23:49
 NHK 教育テレビ
 番組名:ETV特集「日本人と自画像~東京藝術大学 4800枚の証言」

 尚、BSでは、すでに15日に放送されているらしい。
   BS再放送予定:8月23日(木)14:00~15:49 
   番組名:ハイビジョン特集

 ぜひ、ご覧になってください。
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海の上の兄弟ピアニスト、地上におり立つ!

2007年08月17日 13時35分27秒 | Weblog
 昨日、「徹子の部屋」を何気なくみていた。
 若者二人がピアノ連弾をしていた。
 右側のピアニストの腰は三分の一ほど椅子からはみ出していて、右足がよこに出ている。
「何だろう?!」

 二人は「レ・フレール」、名前の通り兄弟であること。お兄さんはバイエル程度でルクセンブルグの音楽学校に入学し、作曲と編曲とピアノを学んできたこと。
 弟も兄のあとを追って、ルクセンブルグへ。なんと国立音楽学校ではたった6000円で、一年間、学べるのだそうだ(聞き間違いではないと思う)。
 で、両親は音楽とはまったく関係のない仕事だということがわかった。
 アップライトピアノすら家にはなかったらしい。

 兄が日本に帰国して、一時、ひきこもり状態にあったのを弟が誘い出してデュオを組んだのだという。
 元気のいい演奏を繰り広げた。
 徹子さんは、ほとんとインタビューではなく、二人のピアノ演奏を聞かせることで、ファンを獲得させてあげる作戦のようだった。

 よく見るとピアノの椅子は一人がけだった。
 連弾用の椅子だってあるし、一人掛けを二つ並べてもいい。
 それをしないわけがあることが次第に理解できる。
 つまり一人が立ち上がって後ろから抱きかかえるように弾いたり、立ったり座ったり交互に左右入れ替わったりと、派手なアクションが売りなのである。
 
 とにかく楽しい。四本の手、20本の指が、もつれ合うように絡み合うようにひとつの曲を作り上げていくのだ。そして基本的に即興演奏である。

「ブギウギ」と聞いてカサギシズコを思い出す人はかなりの年配だが、この二人の若者はこのリズムにピタッとはまる。
 
 そうこうするうちに私はかつて見た映画のワン・シーンを重ねていた。
 それは『海の上のピアニスト』である。
 有名なジャズピアニストが船に乗り込んできて、どちらが上か挑戦する場面だ。挑戦者におどおどしながらも、凄い演奏を披露する主人公。そのときに手が4本20本の指で弾いているマジックシーンだった。
 
 音楽もこの映画に重なる古きよき時代のブギウギだ。
『海の上のピアニスト』は、怖れをなしてニューヨークに降り立つことは出来なかった。しかしこの二人は、船の上から降り立って、見事に演奏をしてみせるのである。

「海の上の二人のピアニスト」という物語が出来そうな兄弟である。
 自由奔放そうでありながら、なんとなくお手本がある。音楽をほんとうに楽しむことができるヨーロッパの香りなのだ。ルクセンブルグに行ったことがよかったかもしれない。いや、よかったのだ。
 
 私は、ある若者を思い出した。
 両親共に音楽家で、幼少のころから厳格なピアノのレッスンを続け、アメリカの名門音楽大学に留学したものの、ピアニストにも作曲家にもなれなかった。母は、そのときの為替相場を見ていて、円建てにしたりドル建てにしたりして送金していると聞いたこともあった。あぁ~、それなのに。

「そんなんじゃダメだ。才能がない」
 とことん両親から叱咤激励を受けながらも、音楽の専門教育をみっちり受けたことが、音楽を彼から奪ってしまったとはいえないが……。

 レ・フレールの二人は、演奏とは裏腹の苦労をしているだろう。血のにじむような努力や、失意を乗り越えてきているに違いない。
 
 人は生きなければならない。
 これしかない道で、食べていかなければならない。
 創意工夫で、自分たちの音楽を示すことで生きるしかない。
 退路を断ったそこから這い上がってくるのは並大抵ではなかったはずだ。

 こうしたピアノデュオを認めない人もいるだろう。そんなのは曲芸だ、見世物だ、単なるお楽しみだと。二人で一人前か。ソロでもあのくらいの演奏は出来るのが、ピアニストだ、と。
「出来るものならやってみろ!」といってやりたい。
「いいじゃないの! 二人だって。楽しい音楽は人を元気にしてくれる」

 石にかじりついても、這い上がってくればいい。
 彼らよりもはるかに音楽的に恵まれていたから、音楽を続けられなくなるというのは悲しいねぇ。

 価値は多様であっていい。
 もし、野口三千三先生がご存命で、レ・フレールの二人の若者の演奏を見て聞いていたら、きっと応援しただろうと私は勝手に思っている。

 日本は、音楽でも大きく変わった。
 東京には多様な音楽がある。流行の変化はめまぐるしい。
 若い二人がどこまで踏ん張っていけるのか、祈る気持ちがあふれてきた。
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