羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

食彩の王国万歳

2009年02月28日 11時31分09秒 | Weblog
 久しぶりに「食彩の王国」の最後7・8分をみた。
 本日は‘きしめん’だった。

 冬は、麺に限る、といいたいくらい出汁のきいた汁にたっぷりの具もよしあっさりのかけもよし、寒さを忘れさせてくれる食べ物だ。
 食欲がないときなど、削り鰹節をたっぷりかけて食べるのは美味だ。

 我が家では群馬の乾麺を常備用意している。
 細めでつるりとした舌触り・咽喉越しがお気に入りなのだ。
 生うどんでもほうとうでもよし。
 以下、組み合わせ↓

 *とろろ昆布+鰹節+青海苔+刻み葱
 *玉子焼き+蒲鉾+葱+しいたけ+あおみ
 *玉葱+干しえび+さつま芋のかき揚げ
 *卵とじ(片栗粉でとろみをつける)
 *揚げ+椎茸を少し濃い目で煮ておくもの+葱
 *熱湯に酢をくわえたなかに卵を落とし茹でたもの+葱+あおもの
 *味付けた豚肉+葱
 *人参+椎茸+白菜+鶏肉+葱+ささがき牛蒡等々残り野菜

 というわけで、冬は、うどんに限る。

 それにしても「食彩の王国」は、気持ちのいい番組だ。
 見るものを溶かす脳の快感は別格だ。
 なぜ、我を忘れられるのかわからない。
 この番組を見ていると、過去に置いてきた恋を思い出す心情に近い心の蠢きを感じる。
 大地の恵、海の幸山の幸、炎、水、刃物、俎板、そして器。
 鮮やかな手さばき。
 何事も手間隙かける‘時間’と、‘瞬時’をみきわめる感性が、美しさを際立たせる。
 これぞ、このとき、そこを逃してはいけない。
 食彩王国万歳!
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発熱

2009年02月27日 18時42分27秒 | Weblog
 このところ更新がままならなかった。
 一つには、雑事に忙殺されていたことがある。
 大学が休みに入っているこのときでよかった。

 その最中、夜中に発熱。
 氷枕をあてがい、脇の下にもスポーツ用の氷嚢をあてると、翌朝には平熱。
 風の症状はまったくなく、頭の中もクリアな状態。これといって不快な症状は感じられない日中を過ごす。
 するとまた、二日目の夜も発熱。同じように氷の力を借りた。
 
 ところが三日目の朝は、平熱。
 日中も何事もない。

 その晩は、入浴し就寝し、朝までぐっすり眠った。
 翌朝、快適な状態で目覚め何事もなく一日が終わった。

 あの熱は、何だったのか。
 未だにわからない。

 人間のからだには、わからないことが起こるようだ。
 先週、なんとなく受けた血液検査の結果は、コレステロールが少し高め以外、問題なしだった。
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祝! おくりびと

2009年02月23日 19時27分27秒 | Weblog
 第81回米アカデミー賞 外国語部門 「おくりびと」が受賞しました。
 ニュースでも映画のごく一部が流れされています。
 それをみながらウルウルしている私です。

 いい映画でした。
 賞をいただけなくてもいい映画でした。
 でも、賞に輝いて、嬉しいです。
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還暦記念茶器

2009年02月22日 19時09分22秒 | Weblog
 風は冷たかったが、気温は3月下旬並みの気候に誘われて、散歩に出かけた。
 小一時間歩いたところで、商店街に出た。
 少し休みたくなっていたこともあって、趣味の品を扱う瀬戸物屋に入った。
 
 実は、生前、野口三千三先生からいただいた茶托に合う湯飲み茶碗を、先日来探しているのだった。
 この店は、安価なものに混じって、いい品物も取り揃えている。
 とはいえ、びっくりするほどの‘高嶺の花’ではない。
 そこで安心して、手に取りながら吟味していた。

 一言、二言、同年輩の女店主と話を交わした。
「お客さんにお見せしたものがあります」
 店先のウィンドウの中から、渋い茶碗を取り出した。
「ゥムムッ」
 気に入った。
「九谷焼ですが、練りこみといいます。作家もので、自分で使ってもいいと思って、何年も前に仕入れたものなんです」
 何食わぬ顔をして薀蓄に耳を傾けた。
 手に取ってみると滑らかな肌と磁器の堅さがいい感じなのだ。
 
 いったん自宅に戻って、茶托を取り出し、それを持って再び店をたずねた。
「まぁ、ぴったりじゃありませんか」

 その帰りにもう一軒の瀬戸物屋にも立ち寄った。
 急須である。
 松の肌を思わせる柄は、昔から好きだった。
 野口先生もこの窯の急須を日常的に使っていらっしゃった。

 こうして、一気に茶托に合わせて九谷焼の煎茶用茶碗と萬古急須とを揃えることができた。
 実は、自分の還暦記念にしようと、昨年末から考え、探していたものだ。

 コーヒーも紅茶も日常的に嗜むことはない。
 日本の緑茶一辺倒の暮らしである。
 当然、客人にお出しするのも日本茶。
 ちょっぴり贅沢をさせてもらった。
「なんてたって還暦だもの、お許しいただこう」
 
 さて、この茶器を使う最初の客人は誰だろう。
 ぜひとも美味しいお菓子持参を願おうかなぁ~!?
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だんだん

2009年02月19日 09時41分01秒 | Weblog
 まだ、夏の暑さが残っている頃だった。
「もしかするとウチの子の写真が、出るかもしれない」
 双子の子どもがいる知人にいわれて、NHK朝ドラ「だんだん」を見ている。
 なんだか変な題名だと思ったが、‘ありがとう’って意味なのだ、と気づくのに回数はかからなかった。
 
 日差しに春を感じる2月も中盤、物語の結末が読めてきた。

 今日、感じたこと。
「生粋の‘だんだん’をきいてみたいわ」
 出雲弁だといわれる‘だんだん’の発音というか、発声というか、雰囲気というか、いまだに私にはしっくり聞こえてこない。
 果たしてこちらの問題なのか、役者の問題なのか、よくわからない。

 しっかり発音し過ぎるんじゃないかな、なんて思ったりもする。
 だって、東京生まれの人が‘ありがとう’というとき、「ARIGATOU」とは発音しない。
 いろいろなシーンを思い浮かべてみると、‘あり’にアクセントが軽くあって、‘が’は鼻に抜けながら呑みこまれる。‘と’は‘と!’で、‘う’ははしょられる。*はしょる《端(はしを)折(おる)られる》。

「ありがとうございます」と言うときとは「とう」と伸ばされるが、‘ありがとう’で終わるときは、弾むリズムのなかで呑みこまれる(はしょられる)ことが多いと思う。

 そもそも‘だんだん’とは、何からきてる言葉なのかしらネ?
 調べた範囲ではたどり着いていません。
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酒気帯び運転はいけません!

2009年02月18日 14時08分27秒 | Weblog
 何かしているときはいいのだけれど、時間があいて少し手持ち無沙汰さを感じるとき、気持ちが沈んで仕方がない。
「なんだかなぁ~」
 溜め息がでてしまうのだ。

 これは、ローマでの中川酩酊・朦朧会見を最初にニュースで見た時からのような気がする。
 短い映像だったが、あの時、我が目を疑った。
 翌朝から、騒ぎが大きくなった。
 どんなに優秀な人であっても、あれはないでしょ。
 酒気帯び運転を誰も止めなかったんですかね。

 このままだと日本沈没が現実味を帯びてきた、と不安な気分が津波のように押し寄せる。
 国会議員を選んだ私たちの側には解散権はないんだ、とはじめて現実を突きつけられた。

 さて、溜め息ばかりついていないで、まだ二時を少しまわったところ、本日のこりの仕事をしよう。
 しかし、‘エイヤッ’と鼓舞しないと次に移れない。
 
 
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春を迎える

2009年02月16日 18時37分49秒 | Weblog
 今朝、確定申告書類を区役所に提出した。
 税務署の方が遠いことと、混雑を避ける意味で、毎年区役所の無料相談会で税理士さんによる最終チェックを受けて提出している。
 今日は、初日だった。

 さて、2月から3月にかけて、打ち合わせやら雑誌の取材、大学の懇親会等の予定がある。
 年度末から新学期へ、いよいよ春を迎える準備にはいる。

 ところで、別件。
 お粗末政権はいったいいつまで続くのだろうか。
 この危機に際して、なんたることか。 
 西郷どんも大久保どんも、坂本さんもいない日本。
 とはいえ、変革は今かも!
 
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念力

2009年02月12日 15時09分36秒 | Weblog
 最近、念力が弱くなったかなぁ、と思っていた。が、しかし……という話をひとつ。
 
 若い頃は「あの人に会いたい」と思っていると、バッタリ町で会えたりした。
 子供のころ習っていた日本舞踊の先生が亡くなられて残されたご主人が後追い自殺をされたとき、その家をたたむ前日に偶然そのお宅の近くに用事で出かけお線香を上げられたことがあった。
 そのほかにも自分でもこわいと思うくらい予感が当たったり、思いがかなったりしたことがある。
 
 前にも書いたことがあるかもしれないが、柏樹社が倒産して、野口体操の本が手に入らなくなった状態がしばらく続いた頃のことだった。
「春秋社で再版していただけないかなぁ~」
 年単位で祈っていた。
 そうしたらどうでしょう。
 ある日、一通のメールが入ってきた。
 それがきっかけで編集者の方とお目にかかった。
 順調に話は進み、今では数冊の本が読者の手元に置いてもらえる状況になっている。

 さて、今週のこと。
 8日日曜日に出光美術館から「文字の力・書のチカラ」の図録を求めないまま帰宅し、ちょっと後悔していた。
「図録だけ買いに行こうか」
 思い始めていた矢先、お世話になっているM嬢から
「ブログ、拝見しました。私、内覧会で図録をいただいてきましたから、よろしかったら……」
 余分があるらしい。
 
 その日から、すぐ手の届くところに置いて、無作為にページを開き、見てきた記憶を呼び起しながら、楽しんでいる。
 嬉しいことでした。

 まだまだ念力は衰えていないようですなぁ~。

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一日無事に感謝

2009年02月11日 18時57分58秒 | Weblog
 本日、確定申告を書き終えて、後は提出するだけとなった。
 今年ははやばやと終わりそうだ。
 25歳から毎年この時期に欠かさずつづけている仕事? だといえる。
 最近では、要領よく準備し、計算し、書いて、あとは最後に区役所の相談会で見てもらって提出となる。
 しかし、慣れたとはいえ‘ふーっ’と息をついている。

 夕方になって、掃除をし、買い物にゆき、夕飯のおかず用にチキンカツをつくった。
 変わりばえはしないが当たり前の日常が送れることに、ささやかな幸せを感じる。
 
 外は静かだ。
 弱い雨も降っているようだ。

 さぁ、これからサッカーをみよう。
 
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文字の力・書のチカラ 凄い!凄すぎる!

2009年02月09日 09時15分59秒 | Weblog
 書の世界は難しすぎてわからないから、ざっと見ておく程度でいいと思いつつ出光美術館に出かけた。
 
 ところがわからない者にも、奇妙な言い方で恐縮だが全身で迫ってくる『文字の力・書のチカラ』に圧倒された。
 実は、先日、朝日カルチャーセンターで何気なく手に取ったリーフレットを裏返してみると‘割引引換券’が3人分刷り込まれていた。
「じゃ、彼女をさそっていってみよう」くらいのノリだった。
 しかし、久しぶりに芯から感動を得た。月並みな表現しか出来ないくらいなのだ。

 時にしなやかな曲線を描き出せる筆、時に大胆な曲線を自由闊達に描くことが出来る筆、秘めた思いの律動までも細やかに表現できる筆。
 墨の彩りの多様さ。
 それを吸い取り滲ませ、そこに定着させる紙の許容の深さや広さ。

 言霊が生きている漢字文化圏の豊かさを堪能させてもらった。
 今月15日(日)まで、残り一週間。

 さて、その足で東京駅まで歩きお茶の水へ。
 天野屋さんで甘酒を飲んで、神田明神、春秋社の前を抜けて湯島天神へ、髪をマフラーを押さえながら大風の中を散策と言うより移動した。
 明神さんも天神さんも、なかなかの人出だった。

 湯島の白梅で有名な‘梅処’は祭りの初日で、縁日の屋台からは懐かしい匂いが漂ってくる。
 本殿の裏手からは景気づけの太皷の連打が聞こえる。
 入学試験合格願いの絵馬は鈴なり状態。

 ちらほらと咲き始めた梅は、そうした熱気のなかでも楚々とした風情が感じられたが、実はよく見えない。
 昔の情緒を残した町はビルに囲まれていはいるが、神のいます処だけは何とか確保しているようだ。

 年若い女友達と過ごした日曜の午後は、久しぶりに豊かな休日。
 大風とはうらはらに柔らかに心が解き放たれた。

『文字の力・書のチカラ』は、★★★★★★★ ラッキーセブンです!

 http://www.idemitsu.co.jp/museum
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意識の流れ

2009年02月07日 09時28分36秒 | Weblog
 はじめて野口流ヨガの逆立ちが上手くいったのが、いつの頃だったか、いくら記憶を辿っても思い出せない。
 
 それからしばらくしたある夏の日だった。
 自宅の座敷で立ったとき、頭の一点で重さを受けている実感を得たことがあった。
 それもいつごろだったか、思い出せない。
 しかし、そのときの感覚は鮮明に残っている。
 重さを受けている点にちかい実際は面だけれど、そこにスーッとつながり通るものがあった。
 頭の中心は痛くも重くもない。
 ゆらゆらとバランスの小さな揺れが感じられる。
 その揺れは風が吹いたら倒れるくらいに、微妙なバランスで立っている実感だった。

 そして、2009年に入って、少々気恥ずかしい言い方だが‘新境地’といいっても差し支えない道筋がつかめてきた。
 それは他の人を立たせてしまう道筋なのだ。
 初めての人でも軽々立てるように導ける‘道筋’のつけ方だ。
 方法と言うのかもしれない。しかし、単なる方法ではない。
 からだから時々刻々生まれる意識の流れなのだ。
 意識過剰の意識とは違う。
 イメージとも違う。
 ある状況がからだの内側に生まれるように動きを重ねていく。
 その状況のなかで何かが熟したら、そこで逆立ちに入っていく。
 すると結果として立ってしまう、という境地。

 これを読まれても、何のことやら? と思われる方がほとんどかもしれない。
 動きを説明するということはそういうことだ。
 そのうちにもっと言葉に出来るようになると思っている。
 今日のところは、このくらいで。
 とにかく午後の朝日カルチャー土曜日クラスで、更に実践してみようと思っている。
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漆黒、朱、焼かれた土色

2009年02月06日 18時49分23秒 | Weblog
 ねじめ正一さんのお父さんが、本来の商売である乾物屋を奥さんに任せきって、店の一部で民芸品を扱っていらした。
 当時、小学生だった私は、生意気にもその店が好きで、遊びに行った。
 そして区画整理になって移転するまで、通い続けた。
 それは多分、中学生から高校生になる頃ではなかったかと思うが、はっきりした記憶が失せている。
 
 店内には益子焼きを中心に、東北地方の民芸品が並べられていた。
 民芸ブームが起こる前のことで、はじめのうちは数えるほど。

 電車通学をしていたので、帰りにお店に寄る。そして新しい品物が入ると、母に報告。
 制服を着替えて、出直すときは心が弾んだ記憶は鮮明である。
 例えば、黒の四角銘々皿は、今でも好きで、お茶のお菓子をのせてお出ししている。
 一片が13~14センチほどの真四角の皿で、二切れのカステラやどら焼きなど、大き目の菓子が十分にのる。
 料理も彩を考えてのせると、‘いかにも’という風情を醸しだしてくれる。
 他にも最近は使う回数が減った大皿や中皿など、楽しませてもらった。
 
 なんでこんな話を書いているのか、というと、先日、新宿高島屋で‘黄金の茶室’を見た足で立ち寄った紀伊國屋書店で見つけた雑誌「pen」の2月15日号が、利休を特集していて、器を巡る物語にも興味を惹かれ、そのついでに昔を思い出したというわけ。
 とくに色について。
 漆黒と朱、焼かれた土色。
 
 やはりこのブログのテンプレートはこのまましばらく‘赤’でいくことにする。
 落ちがつきました。つまり‘落ち着き’!
 
 

 
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週刊文春の記事に関連して

2009年02月05日 09時00分45秒 | Weblog
 突然ですが、たとえば胃の内視鏡検査の苦しさの程度は、受ける人によって差がありそうだ。
 2月5日号「週刊文春」で、紹介されていた神保先生は、内視鏡の専門家として名人だというコメントをいただいた1月29日のブログのコメントをお読みください。

 亡くなった父は、そういったもろもろの検査をすんなりとクリアできる人だった。他の患者さんが辛く苦しい、という訴えをするなかで、平然としているのが常のこと。
 病気と長年付き合うなかで、力を抜く感覚を育ててしまったのかもしれない、と思う。
「自然には負けてもいいの、でも人間がやることに負けたくない」
 つまり、検査くらいでじたばたして、苦しい思いをしたくない。
 抵抗しながら抵抗しない、というようなことだと聞いたことがある。
 グレーゾーンに身をおいておく。

 腸検査を受けたときに、癌が見つかった。
 その日、私は仕事先で検査結果を知り、病院に駆けつけた。
 検査病棟の待合室に駆け込んだとき、父は穏やかな顔でベンチに腰かけていた。
 長い時間私の到着を待っていたようだった。
 原発の肺癌に続いて、腸にも癌が発見されたのだった。

 肺癌の手術後、1年半は経過していた時期だと思う。
 しかし、あの穏やかさは、いったいどこから来るのだろう、と今でもときどき思い出すことがある。
 それから腸の手術をし、そのときに見つかっていた肝臓癌治療の外科的処置を同時に行い、その後通院で治療を行っていた。

 その間、感じていたことは、病気の治療方法は、患者一人ずつ違うのだ、ということだった。

 そこで、コメントにあった‘麻酔薬を使わず内視鏡検査を行う医師’がいるということは、もの凄い人間業を超えた領域なのだと思った次第。

 ところで、この週刊文春の記事は、評判がいい。
「こうしたものにも取り上げられるんですね。野口体操が……」
 驚きと新鮮さをもって、周りの方々に受け入れられた。
 野口三千三先生の身体観が、ようやく少しずつ理解される時代になってきたのか、と感慨深い。
 
 まだ、お読みでない方は‘きたむらさん’のコメントを当たってみてください。
 このブログ中、1月29日です。

 
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テンプレートを戻しました。

2009年02月04日 15時50分44秒 | Weblog
 変更したテンプレートの文字がグレーで読みにくく、他のいくつかを試しましたが、なかなかしっくりこないので、戻してみました。
 野口体操公式ホームページ・リンクの色が、この赤にあっているので、様子を見たいと思っています。
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テンプレート試に変更してみましたが

2009年02月03日 13時40分23秒 | Weblog
 テンプレートの方式が変わってみたら、何だか読みにくくなったので、違う色合いにしてみました。
 試しです。
 また、変わるかもしれません。
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